あらゆる日にちには、
深い意味がある!
俺がいつも言っていることだ。
今日、12月8日は、
太平洋戦争開戦の日だが、
実は、カトリック教会では、
特別な日だ。
つまり、
12月8日は、
「聖母マリアが、その母アンナの胎内に宿ったこと」を記念する。
いわゆる「無原罪の聖マリアの祝日」だ。
盛大に祝われる日だ。
また終戦の日の8月15日は、
「聖母の被昇天(せいぼのひしょうてん)の日」だ。
つまり「聖母マリアが、
人生を終え、肉体と霊魂を伴って天国にあげられた日」なのだ。
つまり太平洋戦争とは、何のことはない。
マリアが誕生の日に、開戦し、
天に召された日に、終戦したわけだ。
日本人は、眦決して、一生懸命戦ったが、
結局は、マリアの一生に過ぎなかった・・・ということになる。
ま、あくまでもカトリック教から見たら、そうなるわけだ。
その他にも、
12月8日は、1月1日から、342日目というきれいな数字であり、
(2,3,4という数字が並んでいる)
さらには12月8日の12と8を並べると、128になるが、
128は、2の7乗に相当する(これは俺が発見した)。
つまり128=2×2×2×2×2×2×2
となり、こんな特別な日に、
戦争が始まったということは、
その後の戦争の帰趨を占う意味で、
深い意味があるわけだ。
ちなみに8月15日の815は、
815=163×5
であり、163という、とても大きな「素数」を使っている。
そして1月1日から、227日目であり、真夏の中日である。
もしも戦争が、春や秋に終わっていたら、
日本人はもっとミジメであったと思う。
真夏の中日に終わったからこそ、
その猛暑で、悲劇を軽減することができた。
しかも中日なので、
中庸(バランス)の心も芽生えたわけだ。
まだ言いたいことは、山ほどあるが、
わからない人に話しても仕様がないので、
この辺で止めるが、
俺たちが生まれた日や、死ぬ日は、深い意味があるということだ。
死んだ日を見れば、
その人の一生が、
鮮やかに蘇ることだろう。
俺たちが、どんなに一生懸命に生きても、
どんなに苦しい悲しいつらいさびしいと、のた打ち回ろうと、
どんなにあいつが憎い、ふざけるなとわめこうと、
結局、死ぬ日は、ある程度まで決まっているわけだ。
カタツムリがどんなに一生懸命歩いても、
一枚の大きな桐の葉の上にいる・・・というのに似ている。
人は必ず、いつか死ぬ。
この世は、広い視野を持った者が、最終的に勝つ!
12月に死ぬのは、
脇が甘いものの、度量の大きな人が多い。