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●お正月の金沢神社(金澤神社)と金城霊沢 鳳凰山 放生池(金城池)

2012年01月19日 09時50分27秒 | 石川県(金沢市)博物館、美術館、建築物、神社仏閣

お正月の初詣は、近くの氏神様と、護国神社に行ったのですが、1月7日は兼六園の帰りにお参りした金沢神社と、横の金城霊沢も撮りました。

金沢神社と金城霊沢は、小立野の能楽堂の向かいの入り口から入ると左横にあります。
アップするのが遅くなり、お正月は終わってしまいました

まず、兼六園横の金沢神社です。

絵馬




御祭神

菅原 道真公(学問の神・前田家の先祖)
白蛇竜神(金運・災難除の神)
白阿紫稲荷大明神(商売繁盛の神)
琴平 大神(交通安全)
前田 斉広(なりなが)公(12代藩主)
前田 斉泰(なりやす)公(13代藩主)

webより
前田家は菅原道真公を祖先と称したため、天皇家の祈願所であった京都北野天満宮から御祭神を遷座する事ができた。別当には北野天満宮から、当時の連歌の第一人者であり都で上皇や公卿の連歌の指導も行っていた能順を招き、神具は全て北野天満宮を模し、社殿は北野天満宮の四分の一に縮尺されて造営された。

金沢神社HP

昔よく子供の受験の時お参りしました。
金沢は、どちらかというと私立より公立高校を望む人が多くて、3人とも無事公立高校に合格して、大学も2人、国公立に行きました。

小さな鳥居




横にある放生池(金城池)

金城霊沢の近くにある池。かつての放水池(捉えた魚や鳥を放す池)。金城池ともいう。

金沢の地名の起こり 金城霊沢

金城霊沢(きんじょうれいたく)
金城池の南側にある泉。真夏の炎天の際も枯れることなく、また、長雨が降ってもあふれることなく、いつも清水をたたえています。12代藩主・斉広(なりなが)によって、現在のように丸い石の枠と屋根が設けられました。また、この金城霊沢は、「金沢」という地名の由来となったと伝えられます。





鳳凰山

鳳凰山(ほうおうざん)
13代藩主斉泰は金城霊澤の傍らの小高い丘に洞窟を掘り、「金城霊澤碑」を納めた。岩を積み上げて鳳凰の形にしたので、この丘を鳳凰山と呼ぶ。

洞窟の大きさは、間口約2m70cm、高さと奥行はそれぞれ約2m15cm。碑は幅1m、高さ1m60cm、厚さ約30cmの伊豆石。碑文の上部に隷書で書かれている「金城霊澤碑」の文字は斉泰の書だ。天保15年(1844)に江戸でつくられ、金沢に運ばれたもので、碑が実際に立ったのは嘉永4年(1851)である。碑文には芋掘藤五郎のこと、金沢の地名の由来などが刻まれている。


15日に、尾山神社の左義長に行ったですが、また後日アップしたいと思います。


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