昨日アップした兼六園のライトアップの前に行った金沢城ですが、この日は百万石まつりの最終日で、金沢城公園でイベントがあったのですが、終わった後で片付け中でした。
土曜日の金沢百万石まつりも行かず、金曜日の灯ろう流しも、日曜日の金沢城公園でのイベントにも行かなかったのです。
来年こそ行きたいな。
テレビで見たのですが、金沢駅で、鼓門の前で太鼓の演奏は凄い迫力でした。一度見てみたいです。
金沢百万石まつりHPより
↑画像をお借りしました。
第63回 金沢百万石まつり 百万石行列(終了しました)
平成26年6月7日(土)
城下町金沢の勇壮かつ華麗な祭り「金沢百万石まつり」のメインイベントとして約4時間にわたって繰り広げられる「百万石行列」は、藩祖前田利家公が天正11年(1583年)金沢城に入城し、金沢の礎を築いた偉業を偲んで開催されるもので、加賀百万石の伝統と文化を彩る豪華絢爛な一大ページェントです。百万石行列は、6月7日(土)14時20分より金沢駅東広場前をスタートし、金沢城公園に入城します。
百万石まつりに行ったの数回で、写真を撮ったのは一度だけなのです。
昔の方がよく見たような記憶があります。
高校生の頃は片町でも行列が通ったので、学校の帰りに友人と片町で見ました。
子どもが小さいころは、実家の近くの橋場町で、子供を連れて見に行きました。
その頃は、カメラに全然興味がなかったのですが、子どもの成長記録として撮ったアルバム何冊もあります。
でも、百万石まつりの時は写真を撮っていなかった。
▲▼トップと下は、金沢城 鶴の丸広場からの金沢城です。
金沢城の庭園のような感じで、池があります。
何回か撮ったことがありますが、紅葉、雪の季節も綺麗です。
白蝶草
お堀と金沢城 三の丸広場から
ゴーストが出てしまいました。逆光で撮るとよく出ます。
金沢城公園の地図 金沢城のHPからお借りしました。
金沢城公園 HP
天正11(1583)年、前田利家が金沢城に入り、その直後から本格的な城づくりが始められました。キリシタン大名として知られる高山右近を招き、築城の指導をを仰いだと伝えられています。西丁口から尾坂口へと大手が変更されたのもこの頃です。しかし、当時は城内に重臣たちの屋敷があり、決して広い城ではありませんでした。慶長7(1602)年、落雷により天守閣が焼失した後、天守閣は再建されず、本丸には三階櫓と二の丸には御殿が建てられました。
寛永8(1631)年の火災の後、二の丸の拡大や辰巳用水の通水などにより城の構造が変化するなかで。武家屋敷も城外へと出されました。内堀を掘り、土を掻き上げて各曲輪が区画されていきました。
宝暦9(1759)年の火災では、城のほとんどを焼失しました。その後の再建では、実用性を重んじ、二の丸を中心とした整備が行われ、本丸の櫓は再建されませんでした。細工所が新丸から堂形へ移されたのもこの時期です。現存する石川門は、この後天明8(1788)年に再建されたものです。
平成13年に復元された菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓は、文化5(1808)年の二の丸火災の後再建され、明治14(1881)年の火災で焼失したもので、安政頃の景観を再現しました。
三の丸広場 百万石まつりが終った後 コンデジで
河北門 新丸広場から
河北門
今年の4月 河北門と金沢城と桜
新丸広場と池 コンデジで
アジサイ
池にカメさんが
アメンボ
アメンボ類は、カメムシ目・カメムシ亜目に分類される昆虫のうち、長い脚を持ち、水上生活をするものの総称。熱帯から亜寒帯まで広く分布し、小さな水たまりから池、湖、川、海まで様々な水面に分布する水生昆虫である。 ウィキペディア
紫蘭
赤い睡蓮の蕾
2012年6月 開花のヒメスイレン・コウホネ
コウホネ
石川門
石川門
石川門
石川橋から 石川門
この画像もゴーストでました。
▼第58回 金沢百万石まつり 永島敏行さん、熊谷真実さん、兼六園カキツバタ (5年前に撮りました)
一年前の記事
ブログの使用機材(カメラとレンズ)をこちらに載せています
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土曜日の金沢百万石まつりも行かず、金曜日の灯ろう流しも、日曜日の金沢城公園でのイベントにも行かなかったのです。
来年こそ行きたいな。
テレビで見たのですが、金沢駅で、鼓門の前で太鼓の演奏は凄い迫力でした。一度見てみたいです。
金沢百万石まつりHPより
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第63回 金沢百万石まつり 百万石行列(終了しました)
平成26年6月7日(土)
城下町金沢の勇壮かつ華麗な祭り「金沢百万石まつり」のメインイベントとして約4時間にわたって繰り広げられる「百万石行列」は、藩祖前田利家公が天正11年(1583年)金沢城に入城し、金沢の礎を築いた偉業を偲んで開催されるもので、加賀百万石の伝統と文化を彩る豪華絢爛な一大ページェントです。百万石行列は、6月7日(土)14時20分より金沢駅東広場前をスタートし、金沢城公園に入城します。
百万石まつりに行ったの数回で、写真を撮ったのは一度だけなのです。
昔の方がよく見たような記憶があります。
高校生の頃は片町でも行列が通ったので、学校の帰りに友人と片町で見ました。
子どもが小さいころは、実家の近くの橋場町で、子供を連れて見に行きました。
その頃は、カメラに全然興味がなかったのですが、子どもの成長記録として撮ったアルバム何冊もあります。
でも、百万石まつりの時は写真を撮っていなかった。
▲▼トップと下は、金沢城 鶴の丸広場からの金沢城です。
金沢城の庭園のような感じで、池があります。
何回か撮ったことがありますが、紅葉、雪の季節も綺麗です。
白蝶草
お堀と金沢城 三の丸広場から
ゴーストが出てしまいました。逆光で撮るとよく出ます。
金沢城公園の地図 金沢城のHPからお借りしました。
金沢城公園 HP
天正11(1583)年、前田利家が金沢城に入り、その直後から本格的な城づくりが始められました。キリシタン大名として知られる高山右近を招き、築城の指導をを仰いだと伝えられています。西丁口から尾坂口へと大手が変更されたのもこの頃です。しかし、当時は城内に重臣たちの屋敷があり、決して広い城ではありませんでした。慶長7(1602)年、落雷により天守閣が焼失した後、天守閣は再建されず、本丸には三階櫓と二の丸には御殿が建てられました。
寛永8(1631)年の火災の後、二の丸の拡大や辰巳用水の通水などにより城の構造が変化するなかで。武家屋敷も城外へと出されました。内堀を掘り、土を掻き上げて各曲輪が区画されていきました。
宝暦9(1759)年の火災では、城のほとんどを焼失しました。その後の再建では、実用性を重んじ、二の丸を中心とした整備が行われ、本丸の櫓は再建されませんでした。細工所が新丸から堂形へ移されたのもこの時期です。現存する石川門は、この後天明8(1788)年に再建されたものです。
平成13年に復元された菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓は、文化5(1808)年の二の丸火災の後再建され、明治14(1881)年の火災で焼失したもので、安政頃の景観を再現しました。
三の丸広場 百万石まつりが終った後 コンデジで
河北門 新丸広場から
河北門
今年の4月 河北門と金沢城と桜
新丸広場と池 コンデジで
アジサイ
池にカメさんが
アメンボ
アメンボ類は、カメムシ目・カメムシ亜目に分類される昆虫のうち、長い脚を持ち、水上生活をするものの総称。熱帯から亜寒帯まで広く分布し、小さな水たまりから池、湖、川、海まで様々な水面に分布する水生昆虫である。 ウィキペディア
紫蘭
赤い睡蓮の蕾
2012年6月 開花のヒメスイレン・コウホネ
コウホネ
石川門
石川門
石川門
石川橋から 石川門
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▼第58回 金沢百万石まつり 永島敏行さん、熊谷真実さん、兼六園カキツバタ (5年前に撮りました)
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