やまびこ農場ブログ~北沢ニジマスセンター・食べ物工房旬~

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やまびこ実践学校物語その4 あほらし アホラシ

2009-01-16 22:47:04 | Weblog
牛のえさとして残飯をとりに行くようになった話しはしましたね。

まず病院の厨房に頼んだ後は、日立製作所の独身寮の食堂に頼みに行きました。

さすが、天下のHITACHI、数え切れないほどの独身寮それも男の人だけの寮を作っているんですよ。

大体日立って言う都市は、日立銅山からはじまったまちだから、
海沿いの狭い細長い土地にしがみつくように町が広がっています。

だから、日立の独身寮は狭い坂道を登った山の中腹とか、てっぺんとかに
階段状に作られているんだよね。

ある寮は「よっこら坂」の上にあったよ。
「よっこら坂」って本当にある坂の名前です。狭い坂道を無理やり自動車が通っているって感じ。


そんで、その寮の食堂に行って残飯を貰ってくるんだけど、ふと見ると、そばに
ゴミ捨て場があるじゃない。

まっ、ほんと。
何でもあるね。一部屋作れるね。まず、電気。コタツ、炊飯器、かーぺっと。
家具、布団、食器 机、食堂のいすと机。時計、目覚まし時計、
バイク、ついでに車も、これは冗談だけど。でも本当にあったよね。使ってない車。


実際あの時拾ってきた炊飯器は、まだ健在だし。

あ~~わたし、苦労して買って損した。バイクだって自転車だって落ちてたし、寮の人に「ください。」といったらほんとに「いいよ、もってって。」

どうなってんの。

アホラシ、買うのやめた。
買ったってそんなに変わらないし。



やまびこ実践学校その3 あほらし

2009-01-16 08:15:49 | Weblog


さて、高い牛のえさをどうするかって考えたのは、残飯です。

まず病院の入院患者の残飯をもらおう、それから日立の独身寮がたくさんあるので、そこの厨房の残飯を貰おうって掛け合いました。

厨房のおばさんたちは白いゴム長ぐつはいて気のいい人たちでしたよ。
上の人に掛け合ってオーケーの返事貰っても、実際は家畜のえさになるためには、いろいろ面倒なことがあってね。

たとえば、アルミの紙は取っておいてほしいとか、爪楊枝はぜったいだめ。
というのは、牛の内臓に刺さって死んでしまうことがあるので。
汁物はいったん網にとってから残飯桶にあけてもらうとか。

そんないろいろな注文に、おばさんたちは快く気を使ってくれました。
パートタイムでそんなにお金なんか貰ってないのに、朝早くから夕方の七時ごろまで、ローテーシオンを組んではたらいていましたね。
朝早く残飯を取りに行ったときなど、湯気の中から出てきて、
「早いね。これ食べてたら。」って、バナナとかジュースとか貰いました。
給食の残り物らしいけど、うれしかったよ。


それから、賞味期限の切れたパンと弁当。
これが当時日立パンって言う大きな会社があって、そこに行ったら、
ただでくれるって言うの。

今で言うならお金貰って処理するところなんだけれど、当時はただで貰ってきたんです。

それが、「あるわ、あるわ。」
まさに小山のよう。学校給食のパンだと思うけど、手がつけてないのがこれも山のよう。
弁当の残りが山のよう。
小麦粉はあるし、うどんの出来損ないはあるし。
驚いたのは、山のような白いご飯、いつも60リットルのポリバケツに3バイはあったね。
ご飯は炊いてそのまま残飯用のポリバケツ行き。白いご飯がご飯炊き用のお釜のままの形で入っていたよ。


「こりゃ。食うにこまらないわ。」

「あほらし。血と汗の塊のお金を払ってかうことないわ。」

それからです。やまびこ農場では、物を、買わないようになったんです。
「どこかにおっこってないかな。」ってね。