やまびこ農場ブログ~北沢ニジマスセンター・食べ物工房旬~

やまびこ農場・北沢ニジマスセンター・食べ物工房旬のブログです。ようこそいらっしゃいました☆

冬のひまわり

2007-12-28 22:15:09 | Weblog
夏に咲くひまわりは、いつものようだけれど、
夏に咲いたひまわりの種から、
ほっぽっておいたら、なぜか芽が出て、
すくすく育った。

霜が降りないうちに花が咲くといいなと思っていたら、
小さな花が咲いた。

花は小さなままで大きくならなかったけど
ひまわりの花が咲いた。

ひだまりのなか、咲いていた。

霜が降りてもしばらく咲いていた。

そのうち茶色になってしまった。

実が実らないでしおれてしまった。

けなげな黄色い小さな花だったのに。

お金がなくてもご馳走。物々交換!

2007-12-28 00:20:39 | Weblog
茨城県の北部には、常陸秋そばというおいしい蕎麦ができます。
やまびこ農場で生産された常陸秋そばは、結構東京の有名蕎麦やさんに行ってます。
それから
『奥久慈シャも』と言う鶏がいて、これもおいしい鳥です。

先日、くず米をほしいという人がいて、なんに使うのかと聞いたら、しゃもを100羽ほど飼っているが、えさにすると言うらしい。
えさ代もばかにならないほどかかるようだ。

それで、くず米をやったら、お礼にしゃもをくれた。

一応熱湯をかけて、食べてくれと言うことらしい。

熱湯をかけると、きれいに羽がむしれる。なんでいまさらこんなことをしなければならないの。と思いながら、

羽をむしった。思ったより、羽がなくてきれいになった。内臓は、何もしないでそのままそっととってしまった。

それを「サムゲタン」にして食べた。サムゲタンは、鶏のおなかに、もち米やら、にんにく、棗、栗なんかを入れて、ことこと煮たとろりとしたあったまるスープです。

本当においしくできました。しゃもって、カモよりおいしいね。

これからも、「サムゲタン」を作るには、くず米を取っていて、しゃもと取替えっこしようっと。

寒いときは「サムゲタン」がご馳走です。皆にも食べさせてあげたいから、食べ物工房に来たら。

12月31日までやっています。

では、また明日。

かんたんに割れるクルミがあるの?

2007-12-21 20:59:34 | Weblog
北沢ニジマスの里の沢には、クルミの木が見つかりませんが、
この木は、湿ったところが好きなようで、たいてい川とか、用水路とか、沢沿いに生えているのが見つかります。

クルミはまず、丸い玉のようなものが房状になります。そのなかに硬い胡桃があって、それを割って中に入っているのが、食べているクルミです。

この辺りに生えているのは、『おにクルミ』と言って、ちょっと扁平な硬い胡桃です。とても硬くて、かなづちで一回二回ぶっ飛ばしても、割れません。
手をぶっちめそうになって、ようやく割れると、なかにはほんの少しの実しか入ってません。それも先のとがったもので、ほじくりださないと、食べられません。

口に入ったほんの少しのクルミは、売っているクルミとはすごーく違った味でした。
クルミとはこんなもので、美味しくないものと思っていましたら、
売っているクルミは、種類が違って、『菓子クルミ』というのだそうです。

この木を植えて今頃収穫できたはずでしたが、どうやら、イチジクと同じく『てっぽう虫」が木の髄にはいって枯れてしまいました。

さて、ここまでが序論で本論はここから。

先日この『菓子クルミ』をもらいました。20個ほど。それが例の菓子クルミでした。このクルミは、少しひねるだけで割れてしまいます。
かなづちなんかでやったら、粉々に砕けてしまいました。
そっと、二つに割ると、薄い皮の中には実がぎっしりつまっていました。

なんで、くるみ割り人形なんかの華奢なもので割れるのかと、ちいさい時から不思議でした。
私の知っているクルミは、硬くて美味しくなくてそんなもんだと思っていましたから。
くるみ割り人形の割るクルミは『菓子クルミ』だったのです。
『おにクルミ』ではなかったのでした。

このもらったクルミを二つ手にとって、耳のそばでこすると、『カシャカシャ』と、懐かしい音がします。
クルミの実の乾いたにおいがして。
何か、大事なものが戻ってくるような音がします。

小さいときの思い出?それとも、誰かが帰って来るような気がして?

このくるみ、3個食べて後は、芽が出るようにと、畑に落としました。
種と言うには、大きすぎるようです。
  
でも、いつか芽が出るかもしれません。

種をまかなければ芽が出ません。木を植えなければ花は咲かないかも。

では、また明日も元気できをつけて{/kaeru_night


岩魚の卵の孵化が始まりました。

2007-12-20 21:16:12 | Weblog
ニジマスの里では、イワナの赤ちゃんが生まれています。

イワナの赤ちゃんは、卵から生まれます。
卵は受精後、赤みが強くなってくると、発生が始まった証拠です。つまり、血液が造られてきたので、だんだん赤くなってきます。
 
そして、ついに目玉ができるので、黒い目が二つ卵の中に出てきます。
これを「発目卵(はつがんらん)』と言います。
この目が、まず卵の膜を破って二つ出てきます。

可愛いですよ。

しばらく黒い目が二つ卵の膜の外に出て、外ののぞいていますが、そのうちからだが出てきます。
体の下には、透明な赤い卵のうがついています。

どっちが大きいかと言うと、卵のうのほうが大きくて、その上に体がのっかていると言う感じ。

水のそこにじっとしているか、くるくる回っているだけです。

うす赤い透明な赤ちゃんの誕生です。
赤ちゃんが脱いだ卵の殻は、水面を漂っています。それが何万個とあると、
卵の殻って感じですよ。

赤ちゃんは、しばらくは体についている卵黄で大きくなるので、えさを食べないし、あまり動きません。
体もしばらくは、透けて見えるほどはかないです。
水の中だから、生きていけるのかなと思います。

卵黄が体に消化されると、体も黒くなってきて、泳げるようになります。
そうすると、どんなちいさな隙間からでももぐって逃げるようなるので、そこからが大変。
何かあるとすぐ逃げてしまうからです。

小さな粒のえさを食べ始めると、岩魚としての出発点です。

これから、大きくなるまでには色々なことを経験して生き延びていくわけです。
全部が全部大きくなりません。
落とした石の下でつぶされるもの、弱くってえさが食べられずに死んでしまうもの。網から逃げて行方知れずになってしまうもの。

人間とあまり変わりありません。

でも、小さなうす透明の命を見ていると少しもあきませんよ。
一日中頭の中で、うす赤い透明なものがくるくると回っています。
それを感じていると、気持ちが暖かくなりますよ。

命っていいよね。

では、また明日ね。


闇の中に浮かぶあかり。

2007-12-18 21:08:00 | Weblog
闇の中に浮かぶあかり。
夜汽車の窓の灯り。
はるかはるか消えていく。
「夜汽車」の歌しっていますか?

北沢ニジマスの里には、散ったもみじの下の小屋の前に一つの裸電球がついています。

夜帰ってくるとなんだか、妙になつかしく感じます。

街のように周りが明るくなく、その裸電球だけが灯りだから、
よけいに、そう感じるのでしょうか。

その小屋の扉を開けると、その灯りの下には、
暖かいストーブ。
その上には、お鍋がゆげをたて、
誰かがお茶を飲んでたり、
小さな声がきこえたり。

ストーブの上には銀杏の実がはじけてたり、
落ちたそれを、猫がじゃれてたり。

そんなことを、ふっと感じて、現実に戻れば、

つめたい部屋には誰がいるわけでもない。

闇になかに浮かぶ明かりには、そんな夢を見させる郷愁があるよね。
そんな夢を現実にしようと、人はあくせく働くのかもね。

ちんけな夢。

そう思いつつみんなが見る夢かもね。

心の闇の中にともった、小さなあかり。
それを抱いて人は生きていくのかもね。

では、また明日。








青年は荒野をめざす。

2007-12-16 23:00:35 | Weblog
北沢ニジマスの里はきょうはこがらしがぴゅ-ぴゅ-吹いています.
それに水音が加わって、とても寂しい感じがします。

庭の芝生は、黄金色になって、花はみな葉を落とし、地上に出ているものは、木枯らしに身を震わせています。

少し視線を遠くにすると、木々が木枯らしに揺れて、最後の葉を落としています。

そんな景色が窓から見えます。

家の中は、冬の日の光に満ちて、暖かい。こんなときは、特に家のなかにいられることが、ありがたい。

窓辺には、庭に咲いていた最後のバラの花が、冬の光にうつむいています。

人間、馬のように働いて、究極に欲しいものは、暖かい家と自分のいる場所だったりして。

人間、なぜ、ひとところにいて、満足しないのかね。
人間、なぜ、あれも欲しいこれも欲しいと、際限がないのかね。

ささやかな幸せはすぐそこにあるかもしれないのに。

まっ、何を見つけようとするのか、わざわざ、荒野をめざすのかね。

特に若い人はね。

自分の見つけた『青い鳥』は黒い鳥になってしまい、本当の『青い鳥』は
自分の家の木の枝にいたりして。

まっ、人生そんなものかね。

では、明日もがんばって。

喜びは、作り出すもの。では、悲しみは、『時』の木枯らしが吹き去っていくもの?





菜の花は寒さの中で力を蓄えています。

2007-12-14 20:46:02 | Weblog
月の光が、木枯らしに揺れる、枯れ枝の影を地に落としている。
その地面は、霜できらきら光っている。
夏の草の喧騒はうそのような、しんとした世界。

北沢ニジマスの里の冬はそんなもんです。
枯れ草色にすべてがなって眠っているかのようですが、
実際は、春の芽吹きのためにすべて、命は準備されています。

ありとあらゆるところに、池の氷の下には、春の睡蓮がじっと芽を蓄えていますし、葉を落とした木々には、さくらは、幾重もの衣をつけたり、やなぎははふわふわの衣を着たり、トチの木は、ねばねばを出して冬支度です。


春の朧月夜の菜の花も、今は根っこを張る時期だとばかりに、地面にはいつくばっています。
来るべき時がきたら満開の花を咲かせるためです。

見渡す限りの菜の花畑は昔のことですが、少し、再現してみようかと思っています。

でも、本当は菜の花畑は、ミツバチのご飯になるし、実った後は菜種油を絞ることができます。

今の世の中、殺すの殺されるのそんなことばかりで、本当にわかっていっているのかと思うときがあります。

この世で無駄なものは何もないし、命を粗末にしている人は、誰かが悲しみますよ。

では、またあした。



森の傷口は誰がなおすか知っていますか?

2007-12-12 23:17:06 | Weblog
ニジマスの里は、人里はなれたところにありマス。

にじます、イワナの養殖場はは清流の、水の豊富な川のそばにあります。

それらの川は、深い森に続いています。

ニジマスの里も、阿武隈山脈に続く森の入り口にあります。
入り口と言うからには、人間の住む地域と魑魅魍魎の住む世界の境目です。
ですから、人間の開発もそれなりに入ることになります。

例に漏れず、ここニジマスの里も、数年前のゴルフ場の開発で、近くの山々と谷間が切り崩されています。しかし、ゴルフ場計画は頓挫してしまったので、やりっぱなしになってしまってあります。


ここまでが長い前置きで、この荒れ果てた山々はどうなると思いますか。

森の傷口をふさぐように、まるで包帯のように、『くず』と言う植物が入り込むときがあります。たいていはそうなるんですけど。

ところが、この『くず』がいったん入り込むと、くずは、育ってくる木々を夏の間中覆いつくしてしまいます。

まるで、『くず』の英語名が『グリーンスネーク」と言うように、ありとあらゆるとこをのた打ち回って、繁茂します。
一年、二年と茎が太くなってめったことでかれることはありません。

こうなると、もはや何十年たっても、元の森は再生することはなくなってしまいます。

実際に、二十年たってもくずで覆われたところはそのままです。

でも、人間が少し、鎌で、くずを刈ってやると木々は助かります。木々がそだって日陰ができるとくずは次第に勢力を衰えさせます。

くずは、見かけほど硬くないので、鎌で刈ることができます。

森は自分の傷口をふさぐために、くずを繁茂させるようですが、くずの勢いをとめることができなくなっています。

人間の勝手で傷口を作ったのだから、人間が少し手助けをしてやるべきだと思いますが、

一人の力ではビビたるものです。

そして今年も冬が来てしまいました。
『くず』にまかれて、今年の夏も小さな苗の木々が何本枯れたでしょうか。


いつも通るところがそうなのです。でも今年は、ここにちょっと大きくなった木を植えてあげようと思っています。

そして少し面倒を見て、『くず』がまきついたら鎌で刈ってやろうかと思っています。

では、皆様また明日も頑張ろう。何年後の自分を考えていますか。

ミツバチは冬何を食べるか知ってますか?

2007-12-10 23:58:00 | Weblog
ニジマスの里には、色々な生き物がいますが、ミツバチもすんでいます。

ミツバチは寒くなると花もなくなるし、何を食べているのでしょう。

「せっせとためたはちみつ。」
が正解。働き蜂が一生懸命貯めた蜜を、花が咲いているときは、人間が少し分けてもらいます。でも、それは夏までの話。

夏も過ぎる頃からは、ミツバチの蜜は冬ごもりのための蜜です。
しっかり貯めないと冬を越せません。女王蜂は寒くなると産卵をやめますので、
春になるまでは、ミツバチは現状維持か減るだけとなります。
春の花が咲くまで、寒い冬を乗り切らなければならないのです。

さて、

今日は、そのミツバチの様子を見ることにしました。この前は、しっかりさされて、顔が膨れ上がってしまったので、なんだか気乗りしません。
そんな気持ちが蜂には通じるのかもうすでに、敵対体制でぶんぶん顔の周りの飛び回っています。

しかし、今度はめげていられない、しっかり武装完了。
中を見ると、蜜が冬越しをするのに十分にたまっているので、この箱はOK。
次の箱を見ると元気がありません。
元気に襲ってくる蜂もいません。小さく固まって、巣箱の中も、ごみだらけです。

こんな蜂には、元気の元の砂糖水をえさ箱の中に入れて巣の中に入れてやります。
砂糖水も薄いと下痢をするので、一升に2キロもさとうをしっかり火を入れて溶かしてシロップにしてやります。

蜂をおとなしくさせるのに、煙を使います。でも、なかなか燃えないし、燃えたら燃えたで、あっちち。

終わる頃には、夕暮れの寒い風が吹き始め、疲れました。

冬至までは、下り坂で、生き物は小さくなるばかり、
でもそれが過ぎると、すぐに命の輝きが増してきます。

もっとも、木々は葉を落としていますが、すでに、冬芽は、短い冬の日の光に耀いていますよ。

では、また明日も頑張ろうね。

大島桜の苗をうえました。

2007-12-09 22:36:58 | Weblog
桜で一番有名なのが、ソメイヨシノですが、
大島桜という品種があります。

桜餅の葉っぱは大島桜のはっぱです。はなといっしょに葉っぱも出ます。
しろいおおきなはなが、枝いっぱいにさくので、白いあでやかな姿です。

何よりも、ミツバチの蜜の原料となります。長い冬を乗り切ったミツバチたちにとって、花の無い時期の桜の花は、待ちに待ったものとなるのです。



『こんな小さな苗で、 いつになったら花がさくの?」                         

「まっ、20年もたったら花が咲いて一本の木から、一升の蜂蜜がとれますな。」

「えっ、20年! 20年たって、 生きているかわからないよ。』

「こういうのも人生と思って、やってみることですな。毎年、下草を刈って、手入れして、20年先を夢見てする仕事も良いもんですな。』

人生、種をまかなきゃ、めがでない。苗をうえなきゃ、はながさかない。


ポケットに、いつも種を入れてばらまいている、「花咲ば様」もいいかもね。