やまびこ農場ブログ~北沢ニジマスセンター・食べ物工房旬~

やまびこ農場・北沢ニジマスセンター・食べ物工房旬のブログです。ようこそいらっしゃいました☆

WWOOFのホスト

2009-01-24 17:30:26 | Weblog
こんにちは


寒い日が続きますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

やまびこ農場は、寒さに凍えながらも毎日一生懸命頑張っています。
現在は里芋の出荷に追われています。

さて、皆様はWWOOFというシステムをご存じでしょうか。
日本語では「ウーフ」と呼びますが、英語圏の方は「ウォフ」と発音するようです。

とてもシンプルなシステムで、宿泊ご飯を一緒に食べる代わりにお仕事一緒にしてくれるというものです。
受け入れと、行く人それぞれが、WWOOF Japanというところへ登録します。

来てくれる人は「ウーファー」と呼ばれて、労働者ではなく、お友達や親戚と言った感覚です。
なんせ、海を越えて交通費をかけてわざわざ、茨城県のやまびこ農場まで来てくれるんですもの!
すごいお友達です!

そんな世界中に農業を通した文化を広げようと思い、やまびこ農場もwwoofの受け入れるホストになりました

やりとりが英語ですが、世界中の人から日本を体験したいと連絡が来ます。

日本語を勉強したいし、草の根文化を体験してみたいといった積極的な希望が多く、日々辞書を片手にメールのやりとりをしています。



お金のやりとりはなく、求めるのは「満足」です。
難しいけど、お互い楽しくできればいいと考えるととても魅力的ですよね


みんなに気軽に見てもらえるようにwwoofのためのページをホームページに創りました。
まだ内容がありませんが、今後充実させていく予定です。
どうぞ、気長くお付き合いください。

また、これを見てWWOOFに興味を持った方は調べてみてください。
もちろん日本からもウーファーを受け入れています

私も、ウーファーになって世界中を旅して回りたいという衝動に駆られます


では、また

やまびこ実践学校物語その4 あほらし アホラシ

2009-01-16 22:47:04 | Weblog
牛のえさとして残飯をとりに行くようになった話しはしましたね。

まず病院の厨房に頼んだ後は、日立製作所の独身寮の食堂に頼みに行きました。

さすが、天下のHITACHI、数え切れないほどの独身寮それも男の人だけの寮を作っているんですよ。

大体日立って言う都市は、日立銅山からはじまったまちだから、
海沿いの狭い細長い土地にしがみつくように町が広がっています。

だから、日立の独身寮は狭い坂道を登った山の中腹とか、てっぺんとかに
階段状に作られているんだよね。

ある寮は「よっこら坂」の上にあったよ。
「よっこら坂」って本当にある坂の名前です。狭い坂道を無理やり自動車が通っているって感じ。


そんで、その寮の食堂に行って残飯を貰ってくるんだけど、ふと見ると、そばに
ゴミ捨て場があるじゃない。

まっ、ほんと。
何でもあるね。一部屋作れるね。まず、電気。コタツ、炊飯器、かーぺっと。
家具、布団、食器 机、食堂のいすと机。時計、目覚まし時計、
バイク、ついでに車も、これは冗談だけど。でも本当にあったよね。使ってない車。


実際あの時拾ってきた炊飯器は、まだ健在だし。

あ~~わたし、苦労して買って損した。バイクだって自転車だって落ちてたし、寮の人に「ください。」といったらほんとに「いいよ、もってって。」

どうなってんの。

アホラシ、買うのやめた。
買ったってそんなに変わらないし。



やまびこ実践学校その3 あほらし

2009-01-16 08:15:49 | Weblog


さて、高い牛のえさをどうするかって考えたのは、残飯です。

まず病院の入院患者の残飯をもらおう、それから日立の独身寮がたくさんあるので、そこの厨房の残飯を貰おうって掛け合いました。

厨房のおばさんたちは白いゴム長ぐつはいて気のいい人たちでしたよ。
上の人に掛け合ってオーケーの返事貰っても、実際は家畜のえさになるためには、いろいろ面倒なことがあってね。

たとえば、アルミの紙は取っておいてほしいとか、爪楊枝はぜったいだめ。
というのは、牛の内臓に刺さって死んでしまうことがあるので。
汁物はいったん網にとってから残飯桶にあけてもらうとか。

そんないろいろな注文に、おばさんたちは快く気を使ってくれました。
パートタイムでそんなにお金なんか貰ってないのに、朝早くから夕方の七時ごろまで、ローテーシオンを組んではたらいていましたね。
朝早く残飯を取りに行ったときなど、湯気の中から出てきて、
「早いね。これ食べてたら。」って、バナナとかジュースとか貰いました。
給食の残り物らしいけど、うれしかったよ。


それから、賞味期限の切れたパンと弁当。
これが当時日立パンって言う大きな会社があって、そこに行ったら、
ただでくれるって言うの。

今で言うならお金貰って処理するところなんだけれど、当時はただで貰ってきたんです。

それが、「あるわ、あるわ。」
まさに小山のよう。学校給食のパンだと思うけど、手がつけてないのがこれも山のよう。
弁当の残りが山のよう。
小麦粉はあるし、うどんの出来損ないはあるし。
驚いたのは、山のような白いご飯、いつも60リットルのポリバケツに3バイはあったね。
ご飯は炊いてそのまま残飯用のポリバケツ行き。白いご飯がご飯炊き用のお釜のままの形で入っていたよ。


「こりゃ。食うにこまらないわ。」

「あほらし。血と汗の塊のお金を払ってかうことないわ。」

それからです。やまびこ農場では、物を、買わないようになったんです。
「どこかにおっこってないかな。」ってね。







やまびこ実践学校物語その2

2009-01-14 21:39:28 | Weblog


それで、はじめ看板を作ろうということで、看板を作ったの。
それは製材所の廃材を使った物だった。
長い一枚の板で、そこに「やまびこ実践学校」という字を書いて
その字の通りに彫ってその後白いペンキで塗った。

それを入り口の杉の木二本に渡して釘で打ちつけたんだよね。

今でも、そうだけど、障害を持った子供たちの特に高校を卒業した後の仕事先ってないんです。
それで、はじめ近くの養護学校を卒業した子供、男の子を受け入れました。
その子の後は増えて、最終的には多いときで、5~6人ではたらいたね。
何人かは一緒にとまっていた。

今でこそ、やまびこ農場はたくさんの耕地を借りることができて、米や野菜などをふんだんに作っているけど、そのときは、
いろんなつてを頼って、ようやく借りた谷間の高低のある50アールほどの面積の土地が、やまびこ実践学校の舞台だったんだよ。

そこに、まず、杉の木が植林されていたから、それを伐採して、それから、ブルを借りてきて平らにした。
平らにしたところに、電気柵を張って、牛を飼ったんだよ。

電気柵って言うのは電気が通っていて、牛が外に出ようとして触れるとビリと感電する。牛はびっくりして、そこから先は出ないようになるんだよ。

どっちにしても、急ごしらえのおっつけ仕事だね。
しかし、そんなことからしかスタートできなかったのよね。

それで、その障害のある子、知恵遅れの子だね。その子たちと牛を飼育したんだ。
彼らの仕事は、主に、牛を世話かな。
えさをやるのは難しいから、掃除と水遣り。

お金があってやった仕事ではないから、牛のえさ代が大変だった。

それで考え付いたのが何とかして牛のえさ代を少なくすることだったんだよ。


やまびこ実践学校物(1)

2009-01-13 21:36:12 | Weblog

やまびこ実践学校とは、やまびこ農場の前身の名前でした。

わたしたちが農業を1983年にこの地に移転しました。でも、本当は
農業なんて誰もやったことがなかったし、農業をするなんて夢にも思わなかったんです。

でも、ほらね、よく言うでしょう。「どうやって食っていくのっ」て。
それで、農業をやったら、食べるものはあるかななって甘い考えではじめたんです。でもそれは、本当は冗談で、農業をとうした、人間の全面発達って言うのを目指したんです。
それは当時ね、えらい教育学者がいてね。労働のおける人間の全面発達という理論をいっていたの。

「へー。にんげんってこんなことができんだ。」って思ったので、
それを実際にやってみようということになったんです。

それが農業に取り組むきっかけです。実は、わたしたちのすこし勉強してきたことはね。まあー哲学と教育学ってやつでね。煮ても焼いても腹の足しにはならないってものかな。

煮ても焼いても食えないものを食っていたおかげで、少々の腹の減るのは我慢する訓練をしてきたからね。
「まっ、少しくえなくてもいいっか。」って思ってはじめました。

今思えば、もっと考えるべきだったと思います。本当に食えないのにね。

続く
そして、自分たちで名をつけたのが、「やまびこ実践学校」ってわけ。


今日も真っ赤な太陽が沈む

2009-01-12 10:21:56 | Weblog

木枯らしが窓をガタガタ鳴らした朝の

夕暮れは、

青白い地平線の向こうに

真っ赤な火の玉が

ゆらゆらと

意味も持たずに沈んでゆく。

幾千億回と

幾千億回と

沈んでを繰り返し、

その下で、

人の嘆きも悲しみも、

いのちの元に返っていく。



では、また

農家お助け隊

2009-01-08 08:29:25 | Weblog
非正規雇用の人たちが解雇されて困っている話とか、

内定された大学生や高校生が断られた話とか、

不況で働くところがなくなって、どう生活したらいいとかききますが、

実は、働く人がいなくて存亡の危機にあるところもあるんですよね。

そのひとつが農業です。

しっかり年収1000万クラスの農家が跡継ぎがいないのです。

食べるものは自分で生産できるし、農家のうちって立派ですから、

寝るところもあるし、環境はいいし、そんな労働だってきつくないし、

こんなところに、首切られた人や若い人が来ればいいのにって思いますけど。

農家では、人手があれば、現在のその農家の規模でも、もっといいものができて、

お金が入るのになって思っています。

そんな情報、皆さん知ってますか。

そこで、私が、仕事がなくて困って、農業とかに興味のある人に、

しっかりした農家を紹介して、どんな仕事なの教えたりします。、

人手のない農家に、こんなしっかりした人で、働きたい人がいますよと教えます。

こんなシステムができないかなと

この正月をかけて考えました。


新年あけましておめでとうございます。

2009-01-01 14:03:37 | Weblog
こんにちは


2009年

新年あけましておめでとうございます。

昨年も大変お世話になり、無事に2009年を迎えることができました。

今年も、どうぞよろしくお願いいたします。

                   やまびこ農場一同


食べ物工房旬では、31日まで営業しました。

昔なじみの常連のお客様をはじめとして、たくさんのお客様にご来店いただきまして、誠にありがとうございました。

今年は、90キロの常陸秋そばが年越し蕎麦として皆様のお口に運ばれました。

また120キロの玄米餅と白餅が皆様のお正月のお餅になりました。

その他、お米や、ジャガイモ、サイトイモ、にんじん等多くの商品のお買い上げありがとうございました。

管理人の私は、餅担当でした。(蕎麦も打ちましたが、メインではありませんでした。)

私は、ひたすら餅をふかしまくり、つきまくり、のばしまくり。(100枚くらい?)

家に帰れば明日の予約の餅のことを考え、考えているうちにまた朝が来て餅をついてました。

餅つき当分いいかな・・・。

まあ、いろいろありますが、今年もよろしくお願いします。


2009年丑年

がっつり、がんばっちゃいまっしょい