「それはオスプレイが諏訪湖上空を飛んだーコロナ禍の共同訓練」を5時間かけて書いたのに、どうしたわけか見に来てくれていない。一体全体どうしたの? 瓢箪から駒の例え話がありますが、これはそんなお話し。是非是非是非読んで頂きたい。如何に防衛省・自衛隊がいい加減な組織なのかがよく分かります。軍隊とは、米日共通のいい加減さを抱えていることを知ることができるし、今度は陸自から米軍に感染するかも知れないのだから。それは沖縄の脅威だと言うこと。イライラする。
1970年12月20日はコザ暴動が起きた日だ。実にターゲットが絞られたあの日。沖縄の人にとって、軍隊に対する怒りが炸裂した日だ。それだけでも凄いことだ。誰が決めたものでもない、自然発生性の中で生まれた怒り。暴動だとか騒動だとか、市民の蜂起だとか言っている場合か。誰が何と言おうとも怒りの矛先は明白だったのだ。
沖縄のこうした闘いと比べるのは、そもそも無意味かも知れないが、60年代後半から巻き起こった新左翼系の闘いは、爆弾テロや「内ゲバ」までにいたり、無差別殺人まで引き起こしていった。それは権力が仕組んだことだとの側面を私は否定しないが、それにしても倫理性はなかったのだろうか。世界を見る洞察力が淀んでいたのではないか。2020年もあと少しになってしまったが、もっともっともっと自己批判しなければならないだろう。今年2020年は1970年から50年だったのだ。
新生・社民党の福島瑞穂党首がしゃきっとしてきた。知らない人ではないだけに嬉しいね。すっきりとフェミニズムと労働運動をタイアップさせ、市民自治を腰に据えれば、バッチリだと思う。もっともっともっとやるべきこと、可能なことは啓けてくるはずだ。総括をできない奴は右でも左でもダメなのだ。重石を除去するのは大変なのだ。頑張りましょう。