◎本稿は世田谷市民運動「いち」の機関誌「世田谷いちNo.387」に寄稿したものです。
◎併せて、伊良部島沖墜落事故の中間報告でもあります。
以下、転載
【2023年4月6日午後、陸自ヘリが伊良部島沖で墜落】
このニュース、東京ではどれだけ伝えられていますか? 墜落したのは第8師団長以下10名を乗せていた第8飛行隊UH-60JAヘリ。第8師団とは北熊本にある西部方面隊傘下の機動師団。担任区域は熊本・宮崎・鹿児島だが、機動師団であり、「島嶼防衛」(対中戦争)のために琉球諸島に真っ先に進出する部隊だ。坂本雄一師団長(当時)以下は、「偵察飛行」のため、地元の宮古駐屯地の警備隊長をガイドにして乗り込んだ。
前代未聞の事故だ。①陸自が管轄区域外で起こした事故。➁偵察飛行だった。③師団長(師団トップー自衛隊では最高位の階級である「陸将」)と高級参謀数名が乗っていた。④彼は3月30日に第8師団長に着任したばかりだった。
そして捜索は一夜にして陸海空自衛隊の統合軍によって進められ、掃海艇が沖縄基地隊(沖縄島勝連半島)から到着は8日、潜水艦救難艦が広島県呉基地から出、到着は9日。急派された。那覇の空自救難ヘリや救難機も飛び立っている(「ヤマヒデの沖縄便り Ⅳ」参照)。海上保安庁の巡視船やヘリも。
最大の問題は「偵察飛行」というが、何を偵察したのか? この飛行計画は、宮古島中央部にある空自第53警戒隊のヘリパッドから離陸し、時計と反対回りで北上、池間島の北で左折(南西へ)、伊良部島北端、下地島西側を経て左折、宮古島南端、東端を経て戻る約112kmのコースだ。海岸線を一貫して俯瞰するコースだ。墜落現場は池間島と伊良部島の間の青い海。
師団長が敢えて着任早々でかけるのは、並々ならぬ「責務」か「野望」にとりつかれていたのだろう。機動師団のトップが偵察飛行するその心は何か? 機動師団が宮古島等の島々に急派されるのは、「敵軍」が太平洋側に進出しようとし、自衛隊の対艦ミサイルや対空ミサイル部隊と衝突が起き、壊滅あるいは退却した後、宮古島等を奪還に向かう作戦のためだ。一次戦闘が終結し、2次戦闘の話しだ。
だからどこから上陸し攻めるのか、背後に設営されるだろう敵陣や作戦行動を如何に想定して作戦を練る段階に入ったのだろう。これを実地踏査に踏み切ったのだ。こう私は、考えている。死人に口なし、軍事は機密。まだ事故原因は判明していない。機体の引き上げが4月末から始まる。
私たちが着目すべきことは、もしも、こうした作戦が行なわれてしまえば、宮古島住民約5万人(+観光客)の命の営みは風前の灯火になる。与那国島も、石垣島も、沖縄島も、そして日本中が戦火にまみれていく。
【さて私たちはどうするのか?】
「安保3文書」などを概観すれば、こうした作戦をやる、そのためにと縷々書かれている。しかしこれは、過去にやらかした同じ過ちに踏み込むことになる。今度は天皇のためではなく、米国のために。
沖縄に来て10年目の私だが、漸くここまで掴んできた。もはや絶望的な事態である。しかしこのままひざまずかないために、私たちは何ができるのか?! 沖縄こそが平和を発信する、外交をてがけていく、そして国家に丸め込まれないために、命の営みを取り戻す自治を育むことだろう。希望は不戦。共に生きる努力を重ねたい。(ひとまず連載を終了。悪しからず。)」
以上。
同時進行の事態です。私はまだまだ検証し、分析を深めていくつもりです。今後の当ブログをご注目ください。