ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き、琉球諸島を巡る基地・戦争への道を問いかけ、自然を語る。●無断転載、お断り。
 

【拡散願います】今日は原爆忌(20220806)

2022年08月06日 | 考え直すために

 私は1990年の8月5日・6日に初めて広島に行った。8月5日の広島市内は右翼があふれていた。これには驚かされた。これも広島なのかと震えた。右翼は反米も言えずに護国神社に集まる。何なんだろうと不思議に思った。
 原爆は多くの死者を出し、原爆症は出続けている。人類の欲望の悪魔性を如実に顕している。
 

 今年の8月6日。ロシアとウクライナの戦争の渦中であり、中国と台湾、中国と米国・日本の対立が激化している中で、この日を迎えている。「人類の欲望」と言う前に、こうした政治の対立を、権力の争いをいさめなければ、人類の未来を閉ざしていくだろう。
 
 米国の下院議長ペロシが台湾を訪れた。中国が反応し、中国と台湾の中間線を越えて、ミサイルを撃つなど、争いが沖縄にも影響してきた。波照間沖にミサイル落下(8月4日)、与那国漁協は出漁を自粛だとの報道が出ている。軍事と軍事のつばぜり合いが現場で始まっている。
 人は権力を手中にすると、冷静な判断ができなくなるようだ。核開発も結果を顧みることなく、マンハッタン計画が進められ、ドイツ降伏後は日本をターゲットに開発を急ぎ、戦後の対ソを意識し、ヒロシマ・ナガサキに落とし、太平洋で核実験を続け、水爆まで造りだし、核電力まで開発し、日本にも押しつけた。私たちは、人類と核は共存できないことを学ばなければ、ならない。
 私たちは、武力が「正義」という米国流の常識を覆さなければならない。これが中国の常識にもなっている。情けないことだ。

 人間は生きものであることを自覚しなければならないのに、自覚し得ない奢り者。戦争を好きな人も嫌いな人も、この真実に目覚めるべきだ。希望は不戦。友愛と、自然との共存の中にあると、私は確信している。

 被爆詩人峠三吉の「にんげんをかえせ」は有名だが、これは「原爆詩集」の序に過ぎない。イントロだ。全文を読んでほしい。ひとつだけあげておく。

「炎」

「(前略) 1945,Aug.6 
まひるの中の真夜
人間が神に加えた
たしかな火刑。
この一夜
ひろしまの火光は
人類の寝床に映り
歴史はやがて
すべての神に似るものを
待ち伏せる」

 原爆を身に浴びた峠三吉の苦痛を私は理解できないが、この数行を読んだだけでも歴史的な慧眼だと考えることはできる。一人の一歩は遅遅としているが、一人の一歩が始まらずに何を望むことができるのだろうか。
 100頁余りの「原爆詩集」(岩波文庫)を今読み返す時間がないという苦痛の中にいる私。しかし絶望してはいけないと、思うのだ。



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