以前から気になっていた事があったのが解決したので備忘録として書いておくことにした。
10年程前に島根県の佐太神社に行った。
お参りをした後、鹿島歴史民俗資料館にも立ち寄った。
私は知らなかったのですが、中国文学学者の増田渉という方は鹿島町出身者であったことを。
名前だけは知っていたのですが、それは岡本綺堂に関連して覚えていたのです。
どの本で増田渉の名前が出てきたのか思い出せなかったが、つい2,3日前に判明した。
光文社 中国怪奇小説集 2008年発行 その本の解説で増田渉の名前が出てきたのである。
その解説は岡本経一が書いたものである。
その解説の中に、綺堂が「支那怪奇小説集」を出版した後、増田渉が魯迅の「支那小説史」の翻訳本を出したとの下りで出てきたのである。
「専門学者を尊ぶ心の篤い綺堂老人は、魯迅の書を読んで、支怪の書の解読に誤りがなかったことに安堵の面持ちであった。」と書かれていた。
鹿島歴史民俗資料館には、増田渉の資料や本があるのでもう一度訪ねてみたい。