
11時前から家を出て60キロ程先の襟裳に行く事に 天気は相変わらず曇り空 青い海の絶景は無理を承知で愛車バットマンに走って貰う 週末と有って結構バイクツ-リンクの数が目立ちました。遠別に行った時も最北を目出して走るバイクが多かったですね 日高線の最突端 襟裳岬は森進一の歌ででも有名です。灯台と岬の突端までの遊歩道は天気が良いと中々の気分にさせてくれます。今日は残念ながら曇って霧も少し出てスキットはしませんが、私達は何度も来て快晴の時を何度か見せて貰ってますので、例え曇っていても絶景を思い浮かべられますので余り天気は気になりません。 襟裳に来れば売店が何軒か有りますが、私のお薦めは一番左のお店です。趣味のアマチュア無線の繋がりですが、今オ-ナ-の息子さんが優しい接待で迎えてくれますよ 是非行かれてみては


北海道で何処にでも居る大阪人 この方は河内長野市から来られていました。お一人ですが、この後稚内 宗谷岬を目出しているそうです。


襟裳岬は江戸時代後半から海の岩礁に生えるコンブを求めて、人々の移住が始まり明治になると開拓農民も加わり、人々は強風と寒さに耐えながら、暖をとるなど生きるために森の木を切り続けた。明治中期には紙の材料として広葉樹がつぎつぎに切り倒され、ついに砂漠となった。砂が飛んで生活に支障をきたしたほか、コンブが生えなくなり、サケや回遊魚も来なくなったそうです。つまり明治の森林伐採、放牧などにより実質砂漠化し、土砂で海が汚染されたことにより海産物の漁獲量が激減したと聞きます。









丁度行った時、走りながら旅をするランニング。何日にもわたり数百km、数千kmもの長い距離を走破する。「TRANSYEZO北海道縦断遠足ジャーニーラン」のゴ-ルの用意をされていました。 国内では北海道の宗谷岬から襟裳岬を折り返して、再び宗谷岬まで戻ってくる合計1092kmのコースで行われる「TRANSYEZO北海道縦断遠足ジャーニーラン」、海外では大陸を横断する「トランス・アメリカ・フットレース」「トランス・ヨーロッパ」などが有名だが、大会だけでなく、個人や走友会単位でジャーニーランを行う人もいるそうです。


多分この方が一番先に到着された方では...