元横綱・大鵬の納谷幸喜さんが死去(NHK)
大相撲史上最多の32回の優勝を果たした元横綱・大鵬の納谷幸喜さんが、心室頻拍のため、19日午後3時すぎ、東京都内の病院で亡くなりました。72才でした。
元大鵬の納谷さんは北海道弟子屈町の出身で、昭和31年の秋場所に初土俵を踏みました。左四つから繰り出すすくい投げと上手投げが得意の形で、昭和36年の秋場所後に21歳3か月の若さで第48代横綱に昇進して、同時に横綱に昇進した柏戸とともに「柏鵬時代」と呼ばれる大相撲の一時代を築きました。
2回の6場所連続優勝を含む通算32回の優勝を果たし、これは現在も大相撲史上最多の優勝回数となっています。また女性や子どもからも人気があり、当時、人気を集めた代表として「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉が流行語になりました。
引退後は大鵬部屋を開いて後進の指導にあたり、平成17年に相撲協会を定年退職したあとは相撲博物館の館長を平成20年まで務めました。平成21年には文化功労者にも選ばれ、引退後も大相撲界を代表する存在でした。日本相撲協会によりますと、納谷さんは心室頻拍のため19日午後3時すぎに東京都内の病院で亡くなったということです。
とにかく大相撲界の「記録男」だわな。6場所制になってから史上初となる「6場所連続優勝」は、長らく大鵬だけしかなしえなかった大記録だ。上記の通り、「巨人、大鵬、卵焼き」でも有名。
また、一代限りではあるが、現役時代の大鵬をそのまま親方になっても使用が許可された点も特筆。ま、こんな大横綱はそうそう今後も現れまい。
ご冥福をお祈りいたします。
大相撲史上最多の32回の優勝を果たした元横綱・大鵬の納谷幸喜さんが、心室頻拍のため、19日午後3時すぎ、東京都内の病院で亡くなりました。72才でした。
元大鵬の納谷さんは北海道弟子屈町の出身で、昭和31年の秋場所に初土俵を踏みました。左四つから繰り出すすくい投げと上手投げが得意の形で、昭和36年の秋場所後に21歳3か月の若さで第48代横綱に昇進して、同時に横綱に昇進した柏戸とともに「柏鵬時代」と呼ばれる大相撲の一時代を築きました。
2回の6場所連続優勝を含む通算32回の優勝を果たし、これは現在も大相撲史上最多の優勝回数となっています。また女性や子どもからも人気があり、当時、人気を集めた代表として「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉が流行語になりました。
引退後は大鵬部屋を開いて後進の指導にあたり、平成17年に相撲協会を定年退職したあとは相撲博物館の館長を平成20年まで務めました。平成21年には文化功労者にも選ばれ、引退後も大相撲界を代表する存在でした。日本相撲協会によりますと、納谷さんは心室頻拍のため19日午後3時すぎに東京都内の病院で亡くなったということです。
とにかく大相撲界の「記録男」だわな。6場所制になってから史上初となる「6場所連続優勝」は、長らく大鵬だけしかなしえなかった大記録だ。上記の通り、「巨人、大鵬、卵焼き」でも有名。
また、一代限りではあるが、現役時代の大鵬をそのまま親方になっても使用が許可された点も特筆。ま、こんな大横綱はそうそう今後も現れまい。
ご冥福をお祈りいたします。