公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

1月27日の優勝戦・重賞結果

2013-01-27 21:13:53 | 各日の公営競技
・中央競馬重賞

東京 根岸ステ―クス(GIII) メイショウマシュウ 牡5 56 藤岡佑介 1:23.7 沖芳夫 厩舎

ガンジスが頭一つ抜け、勝利かと思われた次の瞬間、大外から鋭い末脚を発揮したメイショウマシュウが急襲。ガンジスとほぼ並んでゴールに飛び込み、鼻差で勝利をもぎとった。

京都 シルクロードステークス(GIII) ドリームバレンチノ 牡6 58 松山弘平 1:08.6 加用正 厩舎

外からダッシャーゴーゴー、内からドリームバレンチノが鋭い差し足で並びかける展開。激しい叩き合いとなるも、最後はドリームバレンチノがダッシャーゴーゴーを鼻差制し、重賞2勝目を飾った。

・競輪

小田原

A級 川口直人 311

A3 小野寺悠太 121

・競艇

徳山 中国地区選手権(GI) 平尾崇典 33312111

コンマ09のトップスタートタイミングの平尾がインから押し切った。

若松 九州地区選手権(GI) 今井貴士 31411521

唐津 重成一人 11621121211

・地方競馬重賞

帯広 ヒロインズカップ ブラックパール 牝5 740 藤本匠 1:55:8 中島敏博 厩舎

福山 マイル争覇 エーシンアガペー 牝6 55 田中学 1:44:7 橋本忠男 厩舎 
コメント (1)
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これは「おかしい」のではないか

2013-01-27 20:08:47 | 政治経済問題
内閣支持66%に上昇 人質事件対応を63%評価(共同)

共同通信社が26、27両日に実施した全国電話世論調査によると、第2次安倍内閣の支持率は、昨年末の発足当初の62・0%から4・7ポイント増の66・7%になった。安倍晋三首相が掲げる「経済再生」への期待が押し上げた形。アルジェリア人質事件への政府対応を63・3%が評価。海外での非常事態時に邦人を救出するための自衛隊法改正には71・3%が賛成した。

 夏の参院選の比例投票先は37・2%が自民党を挙げ、日本維新の会の12・1%、民主党の8・8%、みんなの党の6・2%を引き離した。人質事件対応を「評価しない」は31・1%。自衛隊法改正に反対は24・9%。



えっ?10人も犠牲者が出ているのに、政府対応を63・3%が評価は「おかしい」だろ。

さらに、自衛隊法改正には7割以上賛成だって。

どんな設問の仕方してるんだ?


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体罰容認論じる産経記者

2013-01-27 16:07:45 | その他
一定条件下の体罰は必要 殴るのにも技術がいる

産経新聞 1月27日(日)12時39分配信

 大阪市立桜宮高校のバスケットボール部の主将だった2年生が顧問教師の体罰後に自殺したことで、評論家やジャーナリストらの多くが体罰の全面禁止を主張している。大阪市の橋下徹市長も「あらゆる体罰禁止」を打ち出している。国も各自治体も体罰の実態調査に乗り出している。

 生徒の自殺は痛ましい。顧問教師は、連日殴ったり、数十発殴ったり、唇を切ったり、「殴られてもええんやな」と発言していたという。これは明らかに教育の範囲を超えている。生徒はおびえ、教師と生徒の信頼関係は崩れていたとしか思えない。だから自殺してしまったのだろう。

 こうした事件が起きると、「それでも体罰は必要だ」と言うには勇気がいる。だが、私は、一定の条件下で体罰は必要だと言いたい。それはどのような条件か。

 まず、対象を故意行為に限るべきだということ。故意行為とはわざと行うことである。サボる、ズルをする、卑怯(ひきょう)な行為をする。責任を転嫁する、違法、不法行為をする-などである。みなが掃除をしているのにさぼったり、たばこをすったり、万引をしたり、といった行為に対して体罰を行うことは意味がある。ねじれた心を正すためである。

 もうひとつは暴力を振るう生徒に対しての体罰である。学校教育法では体罰が禁止されているため、生徒に暴力を振るわれても、教師は逃げるしか方法がなく、正当防衛行為すらできない。殴られた教師は泣き寝入りである。暴力生徒に対して、殴られる痛みを教えることは必要である。


 逆に、まじめに、一生懸命やっている者に体罰を加えることは何の意味ももたない。体罰を加えても、技能が向上したり、体力が充実したりしないからである。

 それと大事なことは、体罰は1発に限ることである。暴力を振るうと興奮して暴力をやめられなくなる人がいる。顧問教師はそのたぐいの人ではなかろうか。不法行為があったとしても、何発も殴っていいことはない。けがをさせてもならない。殴ってけがをさせるような者は殴る資格がない。殴るのにも技術がいる。

 こう考えると、かの顧問教師の体罰は、体罰ではなく単なる暴力であることが分かる。

 教師と生徒の間に信頼関係があれば、殴られても生徒は悪感情をもたない。その場合、体罰はむしろ有効である。だから、体罰の全否定には反対である。(編集委員 大野敏明)



はっきりいって、「故意行為」についても体罰はダメだ。殴ることで分からせようなんていう教師がいたら、それは己の技量がない証拠。ま、「不適格教師」のレッテルを貼られてもおかしくないのと違うか。

そして、この産経の記者がいう教師と生徒の間の「信頼関係」って、一体何なんだ?

教師は生徒を基本的には信頼する(はず)だが、生徒の多くは必ずしもそうは思ってないぜ。要するに、最初から、「あいつは俺の事を信じている」なんて、「学園ものドラマ」のようなストーリーを信じている教師がいるとしたら、それはただの思い上がり。だからこそ、暴力に打って出ようなんていう教師は「いらない」し、また「許してはならない」のだ。

ところで、私が中学時代、体育教師で「怖い」ことで有名な人がいた(私の兄貴の担任の先生でもあった)けど、その人は睨みを利かすことはあっても、暴力に訴えることはしなかったぜ。それでも、生徒の多くはその先生を「怖い」と思うんだな。

要するに、生徒に対して、何か「悪さ」をしたら後でえらい目に遭うことになるぞ、という「怖さ」を植え付けることは大事だと思う。しかし、それをいいことに体罰に訴えるような教師はもはや教師ではない。

ということと違うのかな?

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