
将来を悲観…寝たきりの長男殺害した父 34年の介護生活の末に NHK 2025年3月10日 18時52分
滋賀県野洲市で34年にわたって寝たきりの長男の介護を続けてきた82歳の父親が、自身の体調の悪化などから将来を悲観し、承諾を得た上で長男を殺害した罪に問われました。10日の裁判で、大津地方裁判所は懲役3年、執行猶予4年の判決を言い渡しました。裁判では、被告が周囲との接点がありながら頼らずに孤立していった状況が明らかになりました。
34年、奇跡を信じた父親
滋賀県野洲市の督永勝次 被告(82)。
去年12月、自宅で、介護を続けてきた50歳の長男の剛志さんを、本人の承諾を得た上で結束バンドや両手で首を絞めて殺害したとして、承諾殺人の罪に問われました。
被告による長男の介護は34年に及びました。
高校時代、強豪校でサッカー部に入っていた長男は、練習でランニング中にトラックにはねられ、脳挫傷の後遺症で寝たきりになりました。
16歳の時でした。
左手は自由に動かせるものの、ことばを発することができず、「うん」という声は出せる状態でした。
長男に対する思いはどのようなものだったのか。
裁判で、被告はその思いを話しました。
「なんとか長男をもとの体に戻してあげたいという一心で介護していた。奇跡を信じていました」
“献身的な介護”
裁判で、弁護側は長年の被告の介護について「献身的な介護」だったと主張しました。
被告はまず、長男の介護を行いやすいよう、自宅を新築してバリアフリーにしました。
長男をベッドから車いすに移す際は、10分間のマッサージをします。
また、床ずれが起きないよう、リクライニングで傾けたり、背中をさすったりするなど、3時間おきに体位を変えていました。
入浴の介助も1時間以上続けました。
弁護士によりますと、こうした介護の結果、長男の体には床ずれなどもなく、医師や介護施設のスタッフが「こんなにきれいな体は初めて見た」と驚くほどだったといいます。
被告を襲った病
奇跡を信じ、続けられた介護。
しかし、被告も80代となり、体力の衰えとともに病気を患います。
去年はめまいなどを引き起こすメニエール病を発症し、時折、発作に苦しむようになりました。
こうして、被告は、自身が介護を続けていく上で将来を悲観するようになっていきます。
裁判では「これ以上、長男を見てやれないのではないかと思った」「自分が面倒を見られなくなったら長男は苦しんで亡くなってしまうのではないか」などと当時の心境を語りました。
「こんなつらい介護は頼みたくない」
こうした中で、なぜ、周りに支援を求めなかったのか。
これまでにも、被告はヘルパーに介護を依頼したり、10年ほど前には長男を施設に通わせたりすることもありました。
しかし、次々とヘルパーが変わるため、そのつど介護のやり方を教えることになったほか、施設への送迎の際に事故に遭うなどしたことで、第三者に任せるほうが、かえって精神的な負担が大きいと感じたといいます。
おととしからは、平日は長男を介護施設に預けることにしましたが、同様に不安はつきませんでした。
一方で、家族への協力は求めなかったのか。
裁判でそのことを問われると、被告は「(ほかの子どもが)結婚するときに『お父さんが責任を持って見る』と約束したので、こんなつらい介護は頼みたくないと思った」と話しました。
常に、自分が長男についていなければならない。
そう、思い詰めていったのです。
直前の発作で決意「1秒でも早く楽に」
そして、去年12月。
被告はメニエール病の発作で、吐き気に襲われ、1時間ほど苦しみます。
今後に大きな不安を覚えた被告は「自身も死ぬし、一緒に死のう」などと声をかけると、長男は抵抗する姿は見せずに了承したといいます。
「1秒でも早く楽にしてやりたいと思った」
2か月近く前に、結束バンドは購入していました。
被告は「そういう準備をすれば気持ちが楽になると思った」と裁判で振り返っています。
こうして、みずからの体調悪化をきっかけに、被告は長男を殺害。
その後、自身の首も絞めましたが駆けつけた妻に止められました。
「献身的介護は周囲も認める」執行猶予付きの判決
検察は「親族など、周囲に頼れる環境があったのに頼らず、被害者を楽にしようと犯行におよんだのは、安易で身勝手なものと言わざるを得ない」などとして、懲役4年を求刑。
一方、弁護側は「被告はいつか息子が回復すると信じ、マッサージをしたり、常に話しかけたりするなど、献身的な介護をしてきた。父親としての責任感からほかの子どもたちに頼ることもできなかった」などと述べ、執行猶予の付いた判決を求めていました。
10日の判決で大津地方裁判所の大嶋真理子 裁判官は「被害者が交通事故で全介助が必要になって以降、30年以上、献身的に介護してきた。週末は施設から自宅に連れ帰って介護し、父親としての責任感から近隣に住む子どもたちに頼るわけにはいかないと、負担を抱え込んで思い詰めた結果、犯行に至ったことは非難されなければならない」と指摘しました。
その上で「長年の介護の献身ぶりは周囲も認めるところで、回復を強く願っていた中で突発的に犯行に及んだ点は考慮すべきで、深く反省している」などとして懲役3年、執行猶予4年の判決を言い渡しました。
専門家「アウトリーチ型支援を」
こうした事件をどう防いでいくか。
介護問題に詳しい東洋大学の高野龍昭 教授は今回の事件について「親族で介護をしているケースでは、介護される側とする側とで強固な信頼関係が生まれるがゆえに、全部自分でやってしまおうと閉鎖的な関係になってしまい、外からの支援を受けにくい状況に追い込まれがちだ。非常に難しいケースで孤立してしまったと推測できる」と指摘します。
そのうえで支援のあり方については「本人から求めがなくても、支援する側が1歩踏み込んでいくような『アウトリーチ型』の支援が何よりも重要で、地域で孤立している人たちに必要とされている。いい意味での“おせっかい”のような関わりを周りからしていくことで、親亡きあとは誰かがきっと関わってくれるという情報があれば、今回のような事件には至らなかったのかもしれない。介護は誰にでも起こりえることで、決してひと事と思わずに自分のこととして受け止めてほしい」と話していました。
長年連れ添った妻を…
滋賀県の事件と同様に、周りを頼ることなく介護などを続け、孤立した末に家族を殺害するケースは他の地域でも発生しています。
熊本市では、去年、サービス付き高齢者向け住宅で、長年連れ添った83歳の妻を殺害したとして丸山衛 被告(89)が逮捕・起訴されました。
妻の依頼を受けスカーフで首を絞めたとして嘱託殺人の罪に問われました。
体調悪化をきっかけに…
60年もの間、ともに人生を歩んできたパートナーを、なぜ殺害したのか。
裁判で、その経緯が明らかになりました。
昭和37年に結婚し子どもはもうけず2人で生活してきた夫婦は、夫が70歳で仕事勤めを終え年金生活を送っていましたが妻が脊髄の病気を、夫が緑内障を患うなど、ともに体調を崩しました。
医師のすすめもあり、夫婦はサービス付き高齢者向け住宅に入居。
施設の介助を受けながら2人で支え合って過ごすことを決めました。
しかし、去年、妻が転倒して骨折。
自力で歩行するのが困難になり、本人の口から「きつい」「つらい」といったことばが出るようになりました。
体を動かせず、好きだった料理もできない。
妻はさらに、施設の介護士に「死にたい」と言うようになったほか、自身の手帳にも「早く死にたい」と記していました。
「心が参っている」
そんな妻に、夫は当初、考えを改めるよう励ましました。
テレビを見るなどして気を紛らわせようともしましたがうまくいかなかったといいます。
夫自身も、みずからの目の病気などにより、妻を支えたくても十分にできないと、限界を感じるようになっていました。
決定的な出来事
そして事件直前、決定的な出来事が起きました。
夫が寝ているときに妻がひとりでトイレに行く途中、再び転倒してけがをしたのです。
妻は相当なショックを受けていて、今まで以上につらそうに見えたと夫は感じました。
夫は妻に「きょう、いこう」と伝えると、妻は「これ」と言いながら、スカーフを差し出しました。
夫は妻を殺害。
妻の後を追おうとしましたが、その前に施設の職員が部屋を訪れたことで一命を取りとめました。
なぜ周囲を頼らなかった?
裁判では、弁護側、被告側の双方から同様の質問が出ました。
「せっかく施設に住んでいた。周りに施設の職員がたくさんいて、毎月面会に来るおいもいた。状況を改善するために相談しようと思わなかったのか」
これに対し夫はこう話しました。
「なんとか自分たちで努力しようとお互い励ましあっていたが、なかなか助けを求めるという思いに至らなかった。考えが狭かった」
判決「強く非難は酷」
先月、熊本地方裁判所で言い渡された判決。
裁判官は「相談可能な介護士やおいがいたにもかかわらず犯行に及んだのは一定の非難を加えざるをえない」と指摘しました。
その上で、こう続けました。
「経緯や動機を考えると同情の余地があり、強く非難するのは酷だと言える」
夫には、懲役3年、執行猶予5年の判決が言い渡されました。
相談やケアにつながる環境を
夫が周囲の支援を求めないまま事件に至ったことについて、担当の弁護士は「被告は目もだいぶ見えない状況で、(周りに)すごく迷惑をかけているという思いがあるので、さらに相談しにくいという遠慮もあったのではないか。自分たちの中で思い詰めこうするしかないと思ってしまった」と指摘します。
その上で、どうすれば事件は防げたのかについて「妻は施設の人に『つらい』と話していて、そこがうまく相談とか、ケアとかにつながっていけば違ったのかもしれない」と話しています。
滋賀県の事件では、被告の父親の刑を軽くするよう求める嘆願書が、1700人から寄せられましたが長年の父親の介護の悩みについて、把握している人はほとんどいませんでした。
熊本市の事件でも、施設に入った夫婦のもとに、定期的に面会に訪れる親族がいながら、本人たちも頼ることなく支援につながりませんでした。
専門家も指摘する、求めがなくても周りが1歩踏み込む「アウトリーチ型」の支援や、本人たちが遠慮などせずに支援を申し出やすい環境づくりを地域や家庭で進めていけるか。
相次ぐ事件の中、問われている課題と言えます。
滋賀県野洲市で34年にわたって寝たきりの長男の介護を続けてきた82歳の父親が、自身の体調の悪化などから将来を悲観し、承諾を得た上で長男を殺害した罪に問われました。10日の裁判で、大津地方裁判所は懲役3年、執行猶予4年の判決を言い渡しました。裁判では、被告が周囲との接点がありながら頼らずに孤立していった状況が明らかになりました。
34年、奇跡を信じた父親
滋賀県野洲市の督永勝次 被告(82)。
去年12月、自宅で、介護を続けてきた50歳の長男の剛志さんを、本人の承諾を得た上で結束バンドや両手で首を絞めて殺害したとして、承諾殺人の罪に問われました。
被告による長男の介護は34年に及びました。
高校時代、強豪校でサッカー部に入っていた長男は、練習でランニング中にトラックにはねられ、脳挫傷の後遺症で寝たきりになりました。
16歳の時でした。
左手は自由に動かせるものの、ことばを発することができず、「うん」という声は出せる状態でした。
長男に対する思いはどのようなものだったのか。
裁判で、被告はその思いを話しました。
「なんとか長男をもとの体に戻してあげたいという一心で介護していた。奇跡を信じていました」
“献身的な介護”
裁判で、弁護側は長年の被告の介護について「献身的な介護」だったと主張しました。
被告はまず、長男の介護を行いやすいよう、自宅を新築してバリアフリーにしました。
長男をベッドから車いすに移す際は、10分間のマッサージをします。
また、床ずれが起きないよう、リクライニングで傾けたり、背中をさすったりするなど、3時間おきに体位を変えていました。
入浴の介助も1時間以上続けました。
弁護士によりますと、こうした介護の結果、長男の体には床ずれなどもなく、医師や介護施設のスタッフが「こんなにきれいな体は初めて見た」と驚くほどだったといいます。
被告を襲った病
奇跡を信じ、続けられた介護。
しかし、被告も80代となり、体力の衰えとともに病気を患います。
去年はめまいなどを引き起こすメニエール病を発症し、時折、発作に苦しむようになりました。
こうして、被告は、自身が介護を続けていく上で将来を悲観するようになっていきます。
裁判では「これ以上、長男を見てやれないのではないかと思った」「自分が面倒を見られなくなったら長男は苦しんで亡くなってしまうのではないか」などと当時の心境を語りました。
「こんなつらい介護は頼みたくない」
こうした中で、なぜ、周りに支援を求めなかったのか。
これまでにも、被告はヘルパーに介護を依頼したり、10年ほど前には長男を施設に通わせたりすることもありました。
しかし、次々とヘルパーが変わるため、そのつど介護のやり方を教えることになったほか、施設への送迎の際に事故に遭うなどしたことで、第三者に任せるほうが、かえって精神的な負担が大きいと感じたといいます。
おととしからは、平日は長男を介護施設に預けることにしましたが、同様に不安はつきませんでした。
一方で、家族への協力は求めなかったのか。
裁判でそのことを問われると、被告は「(ほかの子どもが)結婚するときに『お父さんが責任を持って見る』と約束したので、こんなつらい介護は頼みたくないと思った」と話しました。
常に、自分が長男についていなければならない。
そう、思い詰めていったのです。
直前の発作で決意「1秒でも早く楽に」
そして、去年12月。
被告はメニエール病の発作で、吐き気に襲われ、1時間ほど苦しみます。
今後に大きな不安を覚えた被告は「自身も死ぬし、一緒に死のう」などと声をかけると、長男は抵抗する姿は見せずに了承したといいます。
「1秒でも早く楽にしてやりたいと思った」
2か月近く前に、結束バンドは購入していました。
被告は「そういう準備をすれば気持ちが楽になると思った」と裁判で振り返っています。
こうして、みずからの体調悪化をきっかけに、被告は長男を殺害。
その後、自身の首も絞めましたが駆けつけた妻に止められました。
「献身的介護は周囲も認める」執行猶予付きの判決
検察は「親族など、周囲に頼れる環境があったのに頼らず、被害者を楽にしようと犯行におよんだのは、安易で身勝手なものと言わざるを得ない」などとして、懲役4年を求刑。
一方、弁護側は「被告はいつか息子が回復すると信じ、マッサージをしたり、常に話しかけたりするなど、献身的な介護をしてきた。父親としての責任感からほかの子どもたちに頼ることもできなかった」などと述べ、執行猶予の付いた判決を求めていました。
10日の判決で大津地方裁判所の大嶋真理子 裁判官は「被害者が交通事故で全介助が必要になって以降、30年以上、献身的に介護してきた。週末は施設から自宅に連れ帰って介護し、父親としての責任感から近隣に住む子どもたちに頼るわけにはいかないと、負担を抱え込んで思い詰めた結果、犯行に至ったことは非難されなければならない」と指摘しました。
その上で「長年の介護の献身ぶりは周囲も認めるところで、回復を強く願っていた中で突発的に犯行に及んだ点は考慮すべきで、深く反省している」などとして懲役3年、執行猶予4年の判決を言い渡しました。
専門家「アウトリーチ型支援を」
こうした事件をどう防いでいくか。
介護問題に詳しい東洋大学の高野龍昭 教授は今回の事件について「親族で介護をしているケースでは、介護される側とする側とで強固な信頼関係が生まれるがゆえに、全部自分でやってしまおうと閉鎖的な関係になってしまい、外からの支援を受けにくい状況に追い込まれがちだ。非常に難しいケースで孤立してしまったと推測できる」と指摘します。
そのうえで支援のあり方については「本人から求めがなくても、支援する側が1歩踏み込んでいくような『アウトリーチ型』の支援が何よりも重要で、地域で孤立している人たちに必要とされている。いい意味での“おせっかい”のような関わりを周りからしていくことで、親亡きあとは誰かがきっと関わってくれるという情報があれば、今回のような事件には至らなかったのかもしれない。介護は誰にでも起こりえることで、決してひと事と思わずに自分のこととして受け止めてほしい」と話していました。
長年連れ添った妻を…
滋賀県の事件と同様に、周りを頼ることなく介護などを続け、孤立した末に家族を殺害するケースは他の地域でも発生しています。
熊本市では、去年、サービス付き高齢者向け住宅で、長年連れ添った83歳の妻を殺害したとして丸山衛 被告(89)が逮捕・起訴されました。
妻の依頼を受けスカーフで首を絞めたとして嘱託殺人の罪に問われました。
体調悪化をきっかけに…
60年もの間、ともに人生を歩んできたパートナーを、なぜ殺害したのか。
裁判で、その経緯が明らかになりました。
昭和37年に結婚し子どもはもうけず2人で生活してきた夫婦は、夫が70歳で仕事勤めを終え年金生活を送っていましたが妻が脊髄の病気を、夫が緑内障を患うなど、ともに体調を崩しました。
医師のすすめもあり、夫婦はサービス付き高齢者向け住宅に入居。
施設の介助を受けながら2人で支え合って過ごすことを決めました。
しかし、去年、妻が転倒して骨折。
自力で歩行するのが困難になり、本人の口から「きつい」「つらい」といったことばが出るようになりました。
体を動かせず、好きだった料理もできない。
妻はさらに、施設の介護士に「死にたい」と言うようになったほか、自身の手帳にも「早く死にたい」と記していました。
「心が参っている」
そんな妻に、夫は当初、考えを改めるよう励ましました。
テレビを見るなどして気を紛らわせようともしましたがうまくいかなかったといいます。
夫自身も、みずからの目の病気などにより、妻を支えたくても十分にできないと、限界を感じるようになっていました。
決定的な出来事
そして事件直前、決定的な出来事が起きました。
夫が寝ているときに妻がひとりでトイレに行く途中、再び転倒してけがをしたのです。
妻は相当なショックを受けていて、今まで以上につらそうに見えたと夫は感じました。
夫は妻に「きょう、いこう」と伝えると、妻は「これ」と言いながら、スカーフを差し出しました。
夫は妻を殺害。
妻の後を追おうとしましたが、その前に施設の職員が部屋を訪れたことで一命を取りとめました。
なぜ周囲を頼らなかった?
裁判では、弁護側、被告側の双方から同様の質問が出ました。
「せっかく施設に住んでいた。周りに施設の職員がたくさんいて、毎月面会に来るおいもいた。状況を改善するために相談しようと思わなかったのか」
これに対し夫はこう話しました。
「なんとか自分たちで努力しようとお互い励ましあっていたが、なかなか助けを求めるという思いに至らなかった。考えが狭かった」
判決「強く非難は酷」
先月、熊本地方裁判所で言い渡された判決。
裁判官は「相談可能な介護士やおいがいたにもかかわらず犯行に及んだのは一定の非難を加えざるをえない」と指摘しました。
その上で、こう続けました。
「経緯や動機を考えると同情の余地があり、強く非難するのは酷だと言える」
夫には、懲役3年、執行猶予5年の判決が言い渡されました。
相談やケアにつながる環境を
夫が周囲の支援を求めないまま事件に至ったことについて、担当の弁護士は「被告は目もだいぶ見えない状況で、(周りに)すごく迷惑をかけているという思いがあるので、さらに相談しにくいという遠慮もあったのではないか。自分たちの中で思い詰めこうするしかないと思ってしまった」と指摘します。
その上で、どうすれば事件は防げたのかについて「妻は施設の人に『つらい』と話していて、そこがうまく相談とか、ケアとかにつながっていけば違ったのかもしれない」と話しています。
滋賀県の事件では、被告の父親の刑を軽くするよう求める嘆願書が、1700人から寄せられましたが長年の父親の介護の悩みについて、把握している人はほとんどいませんでした。
熊本市の事件でも、施設に入った夫婦のもとに、定期的に面会に訪れる親族がいながら、本人たちも頼ることなく支援につながりませんでした。
専門家も指摘する、求めがなくても周りが1歩踏み込む「アウトリーチ型」の支援や、本人たちが遠慮などせずに支援を申し出やすい環境づくりを地域や家庭で進めていけるか。
相次ぐ事件の中、問われている課題と言えます。