最近全国各地で作り手と食べ手を繋ぐプロジェクトが立ち上がっている。お米では、宮城で「鳴子の米プロジェクト」が、京都の安全農産で始まった「縁故米」、小麦でも北海道や東京で、「作り手」と「食べ手」が共有するそんな贅沢な「食の時間」の追求が始ったといいます。
しかし、消費者と栽培者、そして流通業者の関係がなかなかうまく均衡しないところに難点がある。栽培者のモチベーション(やる気や元気や根気)を如何にあげながら、消費者としてどういう参加の方法を目指すか、そこにどう流通は如何に参画していくか、バランスが難しく、誰もが誰ものために、そして決して「・・・してあげている。」「・・・したのだから、」と思わぬことが大切で、互いの立場を尊重し、半永続的に関連しあえる関係づくりが肝になる。
もしかすると作り手と食べ手の二分された関係自身に問題があり、みんなで“農”に関与する関係づくりのほうが重要なのかもしれない。
しかし、消費者と栽培者、そして流通業者の関係がなかなかうまく均衡しないところに難点がある。栽培者のモチベーション(やる気や元気や根気)を如何にあげながら、消費者としてどういう参加の方法を目指すか、そこにどう流通は如何に参画していくか、バランスが難しく、誰もが誰ものために、そして決して「・・・してあげている。」「・・・したのだから、」と思わぬことが大切で、互いの立場を尊重し、半永続的に関連しあえる関係づくりが肝になる。
もしかすると作り手と食べ手の二分された関係自身に問題があり、みんなで“農”に関与する関係づくりのほうが重要なのかもしれない。