山岳路の谷が開けたT字路で友人を待つ。なぜ待っているのかはわからない。
見上げると廃墟となった工場から錆びた大きなゴンドラで人々が運ばれていく。上流に観光地があるのだろうか。
小雨がぱらついてきた。そして友人のZZR1100の排気音が右方向から近づいてきた。さぁ、出かけよう。
なーんていうのが初夢だった。
今日はホントの初乗りに行ってきた。渋滞の高速は通りたくないので伊豆半島はパス。房総半島かな三浦半島かな。
美里のHPによると1/5まで鶴岡八幡宮で美里のビデオコメントが上映されるとのことなので初詣を兼ねて行ってみよう。と言うわけで三浦半島へ。
年末に買ったPersonal Navigation System (PND) nuvi 205をタンクバッグにセットして出発だ。外は明るいので角度の関係で走行中は画面が見えない。トンネルではよく見えるのだが。。。
横横道路の朝比奈ICで降りて鎌倉へ向かう。K204は市街地近くにこんなところが?というぐらいのカーブの連続。ローリング走行禁止の看板があった。常識の範囲で楽しませてもらう。
鶴岡八幡宮に到着。しかしバイクを停められる駐車場はなかなかない。若宮大路を走りきってしまった。お茶がてらコンビニで聞いてみよう。残念ながら情報はなかった。買ったコーヒーを持ってバイクに戻ると昭和8年式のナンシーおじさん登場。大型自動二輪持ってるんだよと免許を見せてきたのですかさず年齢と住所をチェック。どこ見てるんだオレは。
「綺麗なバイクだね、何cc?」
「1250です」(3500って言っとけばよかったか)
「綺麗に乗ってるね」
「グラスコーティングってやつをしてあるので汚れにくいんですよ」
「このあたりにバイクを停められる駐車場はないでしょうか」
「。。。」
そしてなぜかここから先はおじさんの話となった。炭で走る自動車とかセスナとアメリカ人を追浜から厚木まで大型車で牽引した話とかバスの運転手をしていた話とか色々だ。
「まだ話していてもいいかな」
「もうそろそろ行かないと」
20分話を聞いてしまった。炭で走る自動車とはなんだろう???
若宮大路を引き返し八幡宮前を左折。あった。バイク500円の文字。バイクを駐車場へねじ込みいざ八幡宮へ。
お参りを済ませ休憩所へ。甘酒と娘に買った学業御守。
奥のテレビでビデオが流されていた。八幡宮の年中行事、宝物殿、結婚式、お祓いなどが次々と紹介されていく。30分後、葉加瀬太郎のビデオが流れた。これだ!次に中孝介が登場。次か?出ない。八幡宮の歴史、施設の紹介が始まった。振り出しに戻ったか?うーむ。ここまで待ったのだから美里が出るまで待とう。トイレも行きたいがひとりなので荷物を置いていくわけにもいかない。そして葉加瀬太郎から1時間経過。再び葉加瀬太郎登場。金太郎飴か?もはやこれまで。さようなら美里。
~葉加瀬太郎の思いで~
1998年アメリカのサンノゼという街でセリーヌ・ディオンのライヴを観に行った。タイタニックのセットの上で「タローハカセーッ」と呼ばれた人が出てきた。太郎博士ってだれだ?日本人か?それが彼だった。
このまま自宅へ向かうのは寂しいので城ヶ島へ向かおう。R134から見える海は陽の光を浴びて春のようだ。
城ヶ島に到着。しぶき亭でマグロ天丼の昼食。イカゲソはサービス。久しぶりにお兄さんと呼ばれた。
マグロの味噌漬け、まぐろの甘露煮、おばちゃんビールッ!って叫びそう。定食は1000円。ご飯の大盛りはサービス。観光地なのにえらい。
体を温めるために少し歩こう。城ヶ島の海、夏は磯遊びが楽しい。
城ヶ島灯台。関東大震災後の再建から85年を迎える。
次は剱埼灯台へ行ってみよう。ビジネスバイクが出てきた道へ右折。あららら道は細くなり行き止まり。今年初のUターン。ナビは見ていない。その後も三崎港を過ぎてもう一回Uターン。犬の糞を避けようとしてバイクが傾く。アブナイ、アブナイ。ナビは持っていても参照しないのだからしょうがない。
灯台に至る道には大根畑が広がる。大根はよく育っていた。行き止まりには有料駐車場があった。先まで行く時間はないので遠くから写真だけ撮影。この灯台も関東大震災後の再建から85年を迎える。遠くに見える灯台は美しい。
もうひとつ有名な観音崎灯台も関東大震災後の再建から85年を迎える。昨年訪れた時の日記はコチラ
暫くしてナビのバッテリーが無くなったようだ。やっぱりハンドルに固定でバッテリーから電源をとらなきゃだめだろう。
佐原ICから横浜までピュー。R1を家路へ。
味噌汁に相性ばっちりの地のり。かろうじて相模湾産なのでオッケーとしよう。
今日の走行は163km。伴ちゃんの総走行距離は17,380kmとなった。伴ちゃんが我が家にやってきて来週で1周年。ささやかにお祝いでもしますか。
見上げると廃墟となった工場から錆びた大きなゴンドラで人々が運ばれていく。上流に観光地があるのだろうか。
小雨がぱらついてきた。そして友人のZZR1100の排気音が右方向から近づいてきた。さぁ、出かけよう。
なーんていうのが初夢だった。
今日はホントの初乗りに行ってきた。渋滞の高速は通りたくないので伊豆半島はパス。房総半島かな三浦半島かな。
美里のHPによると1/5まで鶴岡八幡宮で美里のビデオコメントが上映されるとのことなので初詣を兼ねて行ってみよう。と言うわけで三浦半島へ。
年末に買ったPersonal Navigation System (PND) nuvi 205をタンクバッグにセットして出発だ。外は明るいので角度の関係で走行中は画面が見えない。トンネルではよく見えるのだが。。。
横横道路の朝比奈ICで降りて鎌倉へ向かう。K204は市街地近くにこんなところが?というぐらいのカーブの連続。ローリング走行禁止の看板があった。常識の範囲で楽しませてもらう。
鶴岡八幡宮に到着。しかしバイクを停められる駐車場はなかなかない。若宮大路を走りきってしまった。お茶がてらコンビニで聞いてみよう。残念ながら情報はなかった。買ったコーヒーを持ってバイクに戻ると昭和8年式のナンシーおじさん登場。大型自動二輪持ってるんだよと免許を見せてきたのですかさず年齢と住所をチェック。どこ見てるんだオレは。
「綺麗なバイクだね、何cc?」
「1250です」(3500って言っとけばよかったか)
「綺麗に乗ってるね」
「グラスコーティングってやつをしてあるので汚れにくいんですよ」
「このあたりにバイクを停められる駐車場はないでしょうか」
「。。。」
そしてなぜかここから先はおじさんの話となった。炭で走る自動車とかセスナとアメリカ人を追浜から厚木まで大型車で牽引した話とかバスの運転手をしていた話とか色々だ。
「まだ話していてもいいかな」
「もうそろそろ行かないと」
20分話を聞いてしまった。炭で走る自動車とはなんだろう???
若宮大路を引き返し八幡宮前を左折。あった。バイク500円の文字。バイクを駐車場へねじ込みいざ八幡宮へ。
お参りを済ませ休憩所へ。甘酒と娘に買った学業御守。
奥のテレビでビデオが流されていた。八幡宮の年中行事、宝物殿、結婚式、お祓いなどが次々と紹介されていく。30分後、葉加瀬太郎のビデオが流れた。これだ!次に中孝介が登場。次か?出ない。八幡宮の歴史、施設の紹介が始まった。振り出しに戻ったか?うーむ。ここまで待ったのだから美里が出るまで待とう。トイレも行きたいがひとりなので荷物を置いていくわけにもいかない。そして葉加瀬太郎から1時間経過。再び葉加瀬太郎登場。金太郎飴か?もはやこれまで。さようなら美里。
~葉加瀬太郎の思いで~
1998年アメリカのサンノゼという街でセリーヌ・ディオンのライヴを観に行った。タイタニックのセットの上で「タローハカセーッ」と呼ばれた人が出てきた。太郎博士ってだれだ?日本人か?それが彼だった。
このまま自宅へ向かうのは寂しいので城ヶ島へ向かおう。R134から見える海は陽の光を浴びて春のようだ。
城ヶ島に到着。しぶき亭でマグロ天丼の昼食。イカゲソはサービス。久しぶりにお兄さんと呼ばれた。
マグロの味噌漬け、まぐろの甘露煮、おばちゃんビールッ!って叫びそう。定食は1000円。ご飯の大盛りはサービス。観光地なのにえらい。
体を温めるために少し歩こう。城ヶ島の海、夏は磯遊びが楽しい。
城ヶ島灯台。関東大震災後の再建から85年を迎える。
次は剱埼灯台へ行ってみよう。ビジネスバイクが出てきた道へ右折。あららら道は細くなり行き止まり。今年初のUターン。ナビは見ていない。その後も三崎港を過ぎてもう一回Uターン。犬の糞を避けようとしてバイクが傾く。アブナイ、アブナイ。ナビは持っていても参照しないのだからしょうがない。
灯台に至る道には大根畑が広がる。大根はよく育っていた。行き止まりには有料駐車場があった。先まで行く時間はないので遠くから写真だけ撮影。この灯台も関東大震災後の再建から85年を迎える。遠くに見える灯台は美しい。
もうひとつ有名な観音崎灯台も関東大震災後の再建から85年を迎える。昨年訪れた時の日記はコチラ
暫くしてナビのバッテリーが無くなったようだ。やっぱりハンドルに固定でバッテリーから電源をとらなきゃだめだろう。
佐原ICから横浜までピュー。R1を家路へ。
味噌汁に相性ばっちりの地のり。かろうじて相模湾産なのでオッケーとしよう。
今日の走行は163km。伴ちゃんの総走行距離は17,380kmとなった。伴ちゃんが我が家にやってきて来週で1周年。ささやかにお祝いでもしますか。