「リズム&ドラム・マガジン」2014年9月号は、ジム・ケルトナー特集、当に永久保存版だ。
インタビュー形式で綴られた8ページの記事に、人との出会いと音楽観の形成など彼の音楽史が語られている。
1941年オクラホマ州タルサに生まれたケルトナーは、ドラマーの父からセットを与えられミュージシャンへの道を歩む。
ゲーリー・ルイスとザ・プレイボーイズのレコーディングに参加して以来、これが自身の仕事だと直感したという。
同郷で同じイニシャル「JK」になるドラマー「ジミー・カーステイン」とのデラニー&ボニー移籍にまつわるエピソードも興味深い。
大がかりなドラムセッティングを命じられたカーステインがこれを拒否して、ケルトナーが抜擢された。
ゲーリー・ルイスにジミー・カーステインが、デラニー&ボニーにケルトナーがと、イニシャルが同じ二人がトレードされた。
このドラム・セッティングの話は、ケルトナーがシンプルなプレイに落ち着く音楽的な変遷という因果関係につながる。
二刀流の宮本武蔵が巌流島で佐々木小次郎との対決にあたって艪を削った木刀を使用した逸話と一緒にしたら叱られるだろうか。
ケルトナーが、ドラミングは「シンプルであるべき」と悟るきっかけも新鮮だ。
そしてインタビューの核心でもある「あなたのタイム感はどのようにして形成されたか」の質問に対して
音楽に対して長い時間をかけて触れ合う時間が必要だとの認識が深い言葉だ。
演奏には自分自身が出る、両親がどのように育てたかまでが音楽に現れるという。
若い頃、初心の頃、どんな楽器でも「どう演奏するか」のテクニック論に終始する。
そしてそのテクニック論をマスターしたところで何年か何十年か経った頃、またぞろ「壁」にぶち当たる。
結果、わかってくるのは「どれだけその音楽にのめり込んで理解しているか」を問われていることに気づく。
つまり金科玉条の如く頭に刻んでいたセオリーはどうでもいいことであって、もっと重要なことがある。
それに気づいたときに無限大の選択肢の中から最適のフレーズを瞬時に思い描きその音空間を実現する。
それを実現するにあたって何もしないわけではない。
例えばドラムセットの中で必須と思われる「スネア」を外したセッティングを試すなどの試行錯誤をしている。
ただしそうした冒険は「本当に必要を感じたときにやれ」とレジェンドは語っている。
同郷出身で好きだというJJケイルを通じたクラプトンとの関係もユニークだ。
リンゴやジョン、ジョージなどビートルズ御用達のケルトナー、クラプトンがなぜ採用しないのかとライブ映像を見るたびに訝しく思っていた。
「クラプトンからツアーに参加してくれと要請されたけど断った。ツアーに参加して僕は友達を失いたくないから、、」と、なるほど。
アメリカ人の彼が英国のミュージシャン達、ビートルズやストーンズ、クラプトンから「ブルース」を学んだとも。
そしてライクーダーと訪れた日本を愛し、奥様と巡った福島、東北大震災を憂う優しさがまたファンの心をつかむ。