とあるライブ会場での出来事。
ピアノをバックに詩の朗読が始まり、オリジナル曲の披露、スクリーンにショートコント風の映画まで上映され、芸達者が集う。
音楽ジャンルを強要したり腕前をひけらかすことなく、政治的な狙いも金儲けの匂いもしない一般市民の発露。
初めてお邪魔したカフェバーで繰り広げられたローカルな社交の場は、地方都市のライブスポットの雰囲気にも似ている。
爽やかで心地よい空間を感じられたのは「全てが押し付けがましくないから」だろう。
ロック少年そのままで齢を重ねてきたと思われるお二人がエレキギターを抱えてロックナンバーを歌う。
ベースもドラムスもなく、弾きながら歌うサイドギター氏とリフを繰り返す相方氏とで数曲が披露される。
そして「2年前に亡くなった稀代の歌手のこの歌を歌います」とイントロが始まった。
オリジナルとは似ても似つかないギター2本のイントロは新鮮だった。
尾崎さんの「また逢う日まで」だった。
おそらく歌詞もコードも諳んじているであろうその演奏は、尾崎さんを、楽曲をいつまでも愛し続けてきた少年の心そのものだった。
歌った彼を楽屋に訪ねると
「あの当時ボクは小学生でした」
「以来、ボクの心のなかでは(尾崎さんは)ずーっと英雄です」と。
「いきなりピースサインを掲げて登場する尾崎さんはかっこよかった」
「この1曲しか、知らないんです」
そして「これからも機会があれば歌い続けます」
「呼んでくれればボク、(尾崎さんのように)マイクを持って歌います」とまで。
尾崎さんと三度ご一緒する機会があった私に、彼は親戚に会ったように打ち解けてくれた。
そして「もうああいう人は現れないだろう」と。
期せずして、こうした尾崎さんファンが日本中にいることを実感した一夜だった。
さて追悼の何かを考えなければ。