ハワイのウクレレショップで働く若者は明るく芸達者だ。
そんな若者たちはミュージシャンを兼ねておりやがて世に出て行く。
2001年えひめ丸という練習船がハワイから帰国する際、急浮上した米国潜水艦と衝突する事故があった。
潜水艦に乗せた民間人を喜ばせるためのパフォーマンスとされる急浮上によって10数人の教官と生徒の死傷者が出て練習船は沈没した。
追悼の曲「えひめ丸」を書いて演奏したのが「ジェイク・シマブクロ」、2001年のことだった。
青年はその後2006年、映画「フラ・ガール」の音楽を担当してヒットした。
福島県いわき市の炭鉱を舞台にした復興へのドラマは昭和41年のことだったようだ。
佐賀県の母方の縁戚T叔父からその話を聞いたのもちょうどその後だった。
T叔父の東大時代の友人Nさんから「福島の炭鉱でこういう事業をやっているからこないかと誘われて行ってきた」という。
炭鉱で働く方たちの娘さんを裸同然にして踊らせることに相当な抵抗があったこと、それを説き伏せて事業化する史実が映画のストーリーになった。
炭鉱が不況の中、坑道に湧き出る温水の処理に数億円かかっていた経費を節減し有効利用するのが、事業化のきっかけだったようだ。
温水熱を利用した「常磐ハワイアンセンター」は、「人工の常夏」環境を実現し、東京から招いた専門家たちがフラと音楽を指導した。
フラを演目にするレジャー施設は全国にあると思うが、学校を設け教育訓練してまでは他に例を見ない。
そんな福島県が東北大震災、原発の事故に見舞われた。
地震や津波は天災だが、原発事故は人災以外の何物でもない。
農産や畜産、豊かな海産資源を有する地で取り返しのつかない大事故に遭遇した県民の悲しみと怒りは収まらないだろう。
そんな中でフラガールたちが立ち上がり、避難施設訪問や「スパ・リゾート・ハワイアンズ」での事業再開を果たしたニュースは光明だった。
ウクレレが派手なパフォーマンスを表現する手段として認識され、その代表格がジェイクとされている。
現象としてはそうかもしれないが、そのジェイクが四国の「えひめ丸」を追悼し、福島の「フラガール」を演奏している。
単に彼が「日系ハワイアンだから」という説明だけではすまされない申し訳なさを、日本人の感性として振り返らなければいけない。
フラガール 予告
フラガール ~ 虹を ~
Jake & Bruce Shimabukuro Hula Girl
Hula Girl Ukulele
ハワイアンズ 虹を 松本千鶴さん
Ukulele Festival Hawaii 2011 -- Jake Shimabukuro
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