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西やん中洲にいます。

西やん67歳、日々の出来事独り言

雨男?それとも…5 【社員旅行沖縄編】(再掲載)

2016-06-17 18:51:04 | 雨男?それとも
福岡で転職した会社の本社は東京で、毎年、福利厚生のひとつとして、会社の負担しての社員旅行があります。
今は全社合同ですが、以前は福岡の10数名だけで企画して行っていました。
(といっても、もう会社は辞めてますが)

私が転職して何年後かの社員旅行は、二泊三日の沖縄旅行になりました。

旅行ぎ近づくにつれて不安が。そう台風です。まだ沖縄からは遠いのですが、台風が発生していました。会社の人も『まさか来ないよね』なんて行っていたのですが。

旅行当日、福岡空港から那覇空港へ。着いた時には晴れていたのですが、だんだん天気が悪くなり、レンタカーを借りての分乗での観光途中で雨が降りだし、宿に着いた時にはには風雨も強くなってきました。

ニュースでは、台風が那覇直行コースで近づいていて、明日か明後日には沖縄に再接近するとのこと。もちろん、皆からはさんざん言われました。

金曜から日曜の旅行でしたが、私は月曜に納品があり、居ない訳にはいかなくて、考えた結果、一日早く帰ることにしました。

翌朝、朝食後に一路那覇空港へ。早く乗れる便で帰りました。

するて、あろうことか、台風がコースを変えて福岡直行コースで福岡に向かって来たのです。

会社の人は、みな無事に予定の便で帰ってきました。ただ、相当揺れたそうです。
私も無事に納品できました。

ただ、あまりに台風が私を追いかけるような動きをしたので、みんなから笑われるやら、呆れられるやらで大変。

それ以来、更に私の『雨男』っぷりは伝説になりかけていました。


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雨男?それとも…4 【福岡で】(再掲載)

2016-06-17 18:49:44 | 雨男?それとも
熊本から転職で福岡に移り住みました。

住んだのは春日市。平成4年です。

この年は、夏に晴天が続いて、水不足が発生し、福岡市などで取水制限があり、水道が止まる時間が設けられました。
それを見越した訳ではなく、たまたま春日市に住んだのですが、春日市には大きな川がなく、水道水は隣の那珂川町からもらっています。そのおかげで、春日市では水不足はなく、制限もありませんでした。
道のこちらは春日市、向こう側は福岡市というところでは、道を挟んで、全然状況が違ったのでしょう。

福岡で転職した先で、よくあったのが、『私の居る所だけ雨が降る』現象でした。

例えば、会社は博多駅筑紫口側にあるのですが、誰かを連れて百道に行くため、博多口側のバスセンターへ行き、百道行きのバスに乗ってバスセンターを出ると大雨。百道まで降り続き、バスを降りたらやんでいた。というのが2回続きました。
会社に帰って、その話をすると、雨なんて降ってないと言われました。

その後、だんだんみんなが私と出かける時は雨の心配をするようになりました。

水不足が心配されると、ダムの所にキャンプに行ってくれれば、雨が降ってくれるのに、とまで言われるようになっていて、私の雨、台風の話はみんなの知るところとなっていました。

時間のある時に、雨男に追い討ちをかけた会社の社員旅行の話を書きますね。


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雨男?それとも…3 【母の時は…】(再掲載)

2016-06-17 18:47:57 | 雨男?それとも
親父の死に目に会えなかったことは書きました。台風でした。

母の時は…。

朝、一番上の兄から電話があり、母が亡くなったことを知りました。
母は、自分の希望で病院に付属する介護施設に入所していました。兄から来れる時に会っておけと言われ、かみさんとゴールデンウィークに私設会いに行ったこともありました。

母の死に目には、誰も会えませんでした。施設の人が夜の見回りに行った時に亡くなっていたそうです。苦しまなくて済んだようだということでした。

その時は、すでに福岡で、上の娘は熊本に嫁ぎ、息子は大学を卒業して東京で働いていました。
かみさんと、互いの仕事の調整をして、新幹線で新大阪経由で福井へ。母の時は、葬祭場で、お通夜に間に合うように帰りました。

実は、この時、台風が福井に向かっていました。息子も仕事の調整をして、新幹線で名古屋へ。特急に乗り換えて福井へ。息子を福井駅に迎えに行くと、息子の乗った列車以降は運休になりました。

葬祭場で、通夜を迎え、兄弟と交代で寝ることにしましたが、風かだんだん強くなり、雨も激しくなっていきました。明け方に台風は通過したのですが、風と雨は続き、それでもご近所の方を含め、多くの方々が葬儀に来て下さいました。
親父の時と同じで、私の親友が最初に来てくれて、お経をあげてくれたと、兄から聞きました。勿論、通夜も葬儀も他の偉いお坊さんといっしょにお経をあげてもらいました。

兄弟からは、親父の事があてので、台風はお前が連れて来たんだろうと言われました。
さすがの私も、母の時まで台風とは、と少しは落ち込みました。

葬儀の最後に、家族、親戚でお棺の中に花を入れるのですが、その時に姉が、『じいちゃん(親父の事)を20年近く待たせたけど、やっと側に行けるね』って。まだ激しい風雨の中、私も号泣しました。


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雨男?それとも…2 【親父の最後に】(再掲載)

2016-06-17 18:45:50 | 雨男?それとも
いい話ではないのですが。

わたしの親父が亡くなったのは、私が熊本に住んでいる時でした。脳と肺に悪性腫瘍ができ、半年位前から入院していました。

私が会社に出勤してすぐに一番上の兄から親父が危篤の連絡があり、すぐに家に帰り、とりあえず私だけ福井に向かいました。熊本から特急に乗り、博多へ。その時点でダイヤが少し乱れていました。

博多に着いて、一番早い新幹線の指定席をとろうと思ったら、『全席自由席です』と言われました。

実は、この時に台風が関西に向かっていて、新幹線のダイヤが大幅に乱れていました。とりあえず乗った新幹線も途中駅で停車ばかりで進まず、大幅に遅れ、昼前に熊本を出て、新大阪に着いたのは23時過ぎ。乗り継げるはずの夜行列車も運休。高速も通行止め。それ以上先に進めず、実家に行けないことを連絡し、西宮のかみさんの妹夫婦宅に泊めてもらいました。

翌朝早くに新大阪に行き、列車の運行状況を確認して、実家に連絡すると、義姉が『もう急いで帰らなくていいから』と。親父は昨晩亡くなっていました。

実際は、私が帰るまで維持していてくれたそうですが、私が帰れなくなり、無理に延命しなくしたそうです。

台風で、親父の死に目に会えませよでした。


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雨男?それとも…1 【新婚旅行は…が】(再掲載)

2016-06-17 18:40:27 | 雨男?それとも
こんにちは。

今日は、梅雨の時期と言うことで、昨年2月頃に書いていた記事を連続してアップします。
そうです。雨にちなんだものです。

今日は、夜の仕事の日。途中でアップできるかどうか分かりませんので。

では、ここからです。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓




結婚までの経緯は、昨日書き込みましたが、新婚旅行について。

これまで、手術した事や、かみさんとの出逢いについて書きました。手術して、食事を1日6回に分けないと食べれない状況もあり、その時すでに同棲していた事もあって、当時は高校の先生をしていたので、急遽、夏休み中に結婚式を挙げることにして、8月22日に茨木市内で結婚式を挙げました。

新婚旅行は北海道に行くことにして、式の当日は大阪空港(現在の伊丹空港)近くのホテルに泊まりました。実は、この日、関東地方に台風が上陸していました。

翌朝、大阪空港に行くと、搭乗予定の便が天候調査中。二人で『だめなら沖縄に行こうか。でも、着るものとか荷物が違うよね』なんて話していたら、戻るかもしれないという条件付きで出発。千歳空港に近付くにつれて乗っていたジャンボが揺れ出しました。なんとか千歳空港に着陸したものの、その後の便は欠航になっていました。前日に関東に上陸した台風が、台風のまま北海道に再上陸していました。

旅行は宿だけ予約して、あとはレンタカーで移動するつもりだったので、予約したレンタカー店へ行くと、交通情報が張り出されていて、その日に泊まる予定だった登別へ行く道路が通行止め。宿にキャンセルの連絡をしたら、事情が事情なのでキャンセル料なし。

とりあえず、行く予定にしていた支笏湖へ向かうと、途中、道路の片側を塞ぐように木が倒れていました。支笏湖に着くと、水の色は茶色く濁り、海の様に波立ち、人は誰もいない状態。とりあえず写真だけ撮り引き返すと、来たときより、倒れている木の数が増えていました。

しかたなく、宿を探しに札幌に向かい、札幌の全日空ホテルで部屋をとれたので、ホテルに向かいました。その間、風雨がだんだん激しくなり、早い時間にチェックインしたのですが、外にも出れず、ちょうど『24時間テレビ』をやっていた日で、部屋でテレビを見て過ごしました。

夕方になって、ホテルの最上階のレストランに行って、北海道の海の幸などを食べたくらいで、さんざんな旅行初日でした。翌日からは台風一過で天候には恵まれたのですが。
当初の予定の逆回りで観光し、宿を取り直して、なんとか帰りの飛行機は予定通りのフライトで大阪に戻りました。

手術後3ヶ月ほどだったので、病院に診察に行き、主治医の先生に旅行の話をしたら、先生の出身が北海道で、言われたのは『北海道で台風のままの台風に遇うのは、よほど運がいいか、悪いか、どちらかだ』と言われました。

ここから始まったのか、私の『雨男』っぶりが、大事な場面で出てきます。ただし、ただの『雨男』ではなく、『嵐』に近い出来事が、多々起こりました。


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