こんばんは。
今日は3日。早いですね。
いつもの年でしたら、明日から仕事なのですが、今年は明日、明後日が土日で休みです。
でも、天気予報では、最初6日(月)が雨の予報だったのですが、最新では5日(日)から崩れる予報になっていました。
そして、徐々に気温が下がり10度未満になり、9日(木)には「雪マーク」が付きました。年が明けて、冬本番になるようです。
【箱根駅伝】
2日に渡る「箱根駅伝」が終わり、青山学院大学の断トツの2連覇で終わりました。
そんな中で、話題になったものがいくつか。
昨日の往路、5区山登りで起こったハプニング。
城西大学の斎藤将也選手の前に、生中継をしている日本テレビのカメラ・バイクが接近し、斎藤選手が「手で掃うような動きをし」、『どけっ!』と発しました。丁度、そのシーンは中継で観たのですが。
この件について、ネットでは「バイク邪魔」なぢいろいろ反応があったようですが、今日、その斎藤選手がこの件について取材を受けたとのことです。
斎藤選手は、カーブに差し掛かったところで最短コースをとろうとしていたら直前に中継のバイクがいたので、ぶつかるとまずいけれども、バイクを運転している人は前を向いているので(「どけっ!」と)「はい、言いました」と答えたそうです。
「もし、あそこでぶつかる様な事があると、バイクの方たちが責められるだろうし」ということで、危険を回避するための行動だったようです。
箱根駅伝に出場経験のある俳優の和田正人さんも、Xで「お互いに一生懸命だったって事です。誰が悪い、良くない、じゃないです。ランアーの皆さん。スタッフの皆さん。正月からお茶の間を盛り上げてくれてありがとうございます!!です」とコメント。
その通りだと思います。
そして、今日は。
7区で、国学院大学の辻原選手が、中継所手前でタスキを落とすというハプニングがあったのですが、これもニュースになっています。
この場面も中継で観ましたが、中継所手当で選手達はタスキをとって、手に持って中継所に向かうのですが、辻原選手は落としてしまいました。そして、数メートル走って、慌てて戻って拾って、そしてタスキを繋いだのですが。
確かに、タスキを落とすハプニングは珍しいと言えばそうですが。
ちなみに、この辻原選手は7区の区間で2位のタイムを出しているとのこと。
立派です。
最後も今日ですが。
今日の8区→9区で『赤門リレー』が実現したというニュースです。
オープン参加になる「関東学生連合」チーム。予選会に参加した学生たちの中から選抜されるのですが。
今日の8区で東京大学3年の秋吉拓真選手が走り、9区で東京大学大学院4年の古川大晃選手(29才)にタスキを繋ぎました。それで『赤門リレー』が実現したと話題になりました。
ただ、8区の秋吉選手は、7キロ手前の茅ケ崎のチェックポイントで”区間トップ”のタイムで通過したそうですが、オープン参加なので「順位」にカウントされませんが、立派なものです。
この様な、ちょっとした話題があった「箱根駅伝」ですが、無事に終わりました。また、来年に期待します。
【最後の講義】
昨夜、NHKの『大奥』シーズン1の一挙放送があることは書きましたが、私の書いた時間は間違っていて夜11時50分からでした。でも、結局、私は観ないで寝てしまいました。
それで、今日、「NHK+」で第4回を観たのですが、「先が長いなー」と思ったのですが、正月の番組って”面白くない”(個人的感想)特番ばかりで、「NHK+」で他に何かないかなと思って探していたら。
#ものしりバラエティのジャンルに、『最後の講義 ヤマザキマリ』というのがあって、あの”テルマエロマエ”の作者のヤマザキ マリさん、面白そうだなと思って観てしまいました。
実は、今日の午後、おそらくEテレかな?に放送があったようです。なので、「NHK+」でまだ1週間観れます。
番組の設定は、「もし、今日が最後の日だったとしたら、どんな講義をしますか」というのがテーマだったようです。
それで、あれは確かユニクロの本社だったと思うのですが、壁4面に本棚が積みあがっている場所。あそこで行われたもので、集まった20人くらいの若者を前にしても講義でした。
集まった若者は、演劇をしている人、ミュージシャン、調理師、編集者など、クリエイティブな仕事をしている人たちが多いようで、それぞれ悩みを抱えていたようです。
そして、『自由』ってなんだということなどについてヤマザキさんが話されたり、若者の質問に答えたりする1時間の番組でした。
そこで、ヤマザキさんが、幼少期からの赤裸々な自分が歩んできた、経験してきた事を話されて。最初に、ヤマザキさん5歳の時に書いた「絵」が紹介されました。虫などを書いた絵です。
ヤマザキさんのお母さんはビオラ奏者で、母親と妹と3人で暮らしてきたとのことで、お母さんは海外公演で1か月留守にすることもあったそうです。
その中での、”さみしさ”などを紛らす手段として、絵を描いていたと。
いろいろ話が進んで、「テルマエロアエ」が誕生するまでの経緯などについて話されました。「テルマエロマエ」が誕生したのは40代とのこと。それまでには、結構壮絶な経験や、いろいろな仕事をされてきたようです。
そして、それまでの経験や、身に着いた知識、知人のアドバイスもあって「マンガを書く」ということを始めたそうですが、最初からうまくいった訳ではないようで。
・・・。
とにかく、面白かったですし、興味深い話でした。
4、50年前に聴けていたら。とも思いました。
もし、よければ「NHK+」でご覧下さい。
(私はNHKの回し者ではありませんので。)
では、また。