紬塾では、毎回着物でみなさんをお迎えしますが、個人的なお洒落のためだけに着ているわけではないのです。
私が着ている紬は各回の内容に即して選んでいます。このことも具体的な実例として、参考にしてもらえたらと思っています。
私が着ている紬は各回の内容に即して選んでいます。このことも具体的な実例として、参考にしてもらえたらと思っています。
なので、ほぼ着る着物は決まってしまうのです。帯だけなるべく変えるようにしています。
先日の紬塾でも、布のバイアスが綺麗に出る着物は着やすいことなども、私の着姿も参考にしてもらいました。色の話では褪色のこともでましたが、藍の褪色についても話題に上りました。
密度高く、固く織られた紬はつっぱって美しいバイアスは出ません。密度が緩すぎれば、ドレープの山は崩れ、お尻や膝がすぐ抜けてしまいます。柔らかくて、でもしっかりしている生地は着やすいのです。
以前、お客様から「中野さんの着物は体調の悪い時に着ても楽だ」という趣旨のことを言われたことがあります。
私自身も本当に調子の悪かった時に自作の紬に半巾帯で凌いだことがあります。安らぐ感じがあります。本来の紬は体に馴染む着やすいものだったはずです。
なぜ、柔らかさと、堅牢性を保てるのかも紬塾で話ました。
私の仕事の核となるものですので、ここでオープンにもできませんが、ヒントはブログや作品集「樹の滴」に散りばめているつもりです。
なぜ、柔らかさと、堅牢性を保てるのかも紬塾で話ました。
私の仕事の核となるものですので、ここでオープンにもできませんが、ヒントはブログや作品集「樹の滴」に散りばめているつもりです。
布の端、耳もきれいに織るための工夫があります。風合いも1種類の糸を機械的に入れて織るだけでは生まれません。
私が10丁の杼を使い、柔らかなよこ段を織っている映像を見てもらいながら、その説明もしました。
10丁の杼でも、杼の置き方を工夫すると、耳をきちっと絡めるように織ることができます。
耳がわかめのような着尺をインスタなどでよく見かけますが、あれでは仕立の方は苦労されるでしょうし、仕上がりは美しくなりません。何より背縫いの経糸が定まらず、地の目が割れることもあります。
もう見るに耐えかねるものを販売して、お金を払った方が損をするようなことはあってはならないと思うのです。
何よりせっかく買っても着にくさでがっかりして、着物を離れてしまう、そして作家ものはダメだということになってしまいます。
着尺の基礎をきちっとわかって仕事して欲しいです。
自家用のものなら多少の不出来は構いませんが、お客様に販売するものはそういうわけにはいきません。
また、大枚を投じて着る人も、色や柄だけに囚われず、経糸、バイアス(密度バランス)、反物の耳、手触りなども見てもらいたいと思います。
この日の着物は色褪せた単衣の浅葱色小格子です。何度もブログに登場していますし、作品集の中でもエピソードを交えて紹介している、独立間もない30代初めに織った紬です。
初個展の後、作るだけで自分が着たことがないのでは本当に良いものは作れないと思い、この一反を自分用に単衣に仕立てたのです。
裏返して、擦れた裾も5分ほど切り詰めています。いろいろな帯とよく合いますので、たくさん着ました。真冬と盛夏以外、着ています。
畳で、擦れる膝から下は色が抜けて、一部は甕覗きのような色になっていますが、初めて見る受講生からは「素敵な紬ですね」と声を掛けてくださいました。そろそろ座布団側にでもしようかと思っていますが、これでも良いと思う人がいたら、もうひと働きしてもらうのも良いかもしれません。
詳細は中野の着姿にもアップしました。
帯は茜染めの茶の帯です。着物を着始めた30代半ば、高島屋の岩手の物産展で、草紫堂さんの前をたまたま通りかかって見つけて購入したものです。工芸的な手仕事に惹かれて買いました。親元にいた頃で、着物が売れると帯や羽織を買う、、ということをしていました。
母からは「貴女みたいなのを七儲けの八遣いと言うのだ」と呆れられていました。確かに・・。(^^ゞ
しかし、紬や帯の寿命の長いこと、上質の手つむぎ糸、手織りの着物は高価ですが、飽きることなく着続けられるというのは、仮に着物と帯で100万円だったとしても、50年着続けたなら、2万円/年ほどです。
決して高いだけではないはずです。着る喜び、心の安らぎもあります。次世代に残せるものでもあります。究極のエコでもあります。良いことがたくさんあります。長く愉しみましょう!!
そして次回の紬塾は「とことん着る」話です。
着る紬もアレと決まっています。(#^^#)