
2024年3月末で
根室本線富良野~新得
が廃止されました。

富良野~新得間を初めて乗車したのは2010年8月10日でした。乗車列車は帯広発旭川行きの快速「狩勝」でした。キハ150系の単行で、富良野からは富良野線を通って、旭川まで向かっていました。そいや、当時は旭川駅が高架化する前で、函館本線から離れたホームに到着し、長い通路を通った覚えがあります。とはいえ、帯広出発時点で夕方だったので、当然新得→富良野間は夜間でした。


次に乗車したのが2012年8月15日でした。当時は滝川→釧路間を運行していた日本最長距離普通列車である2429Dに全区間乗車したときに通りました。滝川→富良野はキハ40-739の単行、富良野からはキハ40-1709を増結した2両編成で走ってました。
当時は石山から普通列車のみを日本海縦貫線経由で乗り継いでいて、その中で2429Dを利用していました。常備兼懐かしい・・・。


当時は東鹿越~新得間が被災を受ける前だったので、その区間を列車で通ることが出来ました。幾寅では幌舞駅を列車から眺めたり、落合では数分間の停車があったため、外に出て撮影したりしてました。
ところが、それから4年後の2016年8月の台風の影響で東鹿越~新得間が不通になり、この区間を乗車出来たのはこの1回だけでした。

その後、富良野~新得間の廃止の可能性を聞いて、2022年に乗りに行きました。東鹿越~新得間がバス代行になってから初めての乗車でした。タラコ色のキハ40-1749でしたが、乗客はそれなりに多く、ほとんどが代行バスに乗り継いでいました。代行バスは落合までは鉄路と並行していたのですが、落合からは全く違うルートへ行き、途中で専用のバス停が置かれるなどちょっと驚きがありました。



最近はまっている各駅巡りをしてきましたので、各駅をUPしてみます。
こちらは
布部
です。かっては島式ホームを持つ交換可能駅でしたが、1線が廃止され、片面だけ使ってました。ドラマの「北の国から」の撮影で使われていたようで、その写真が駅舎内で展示されてました。



こちらは
山部
です。相対式ホームを持つ交換可能駅でした。駅舎が立派で驚きました。あと、駅舎側ホームにはレンガ造りのランプ小屋がありましたね。



こちらは
下金山
です。布部と同じくかっては島式ホームを持つ交換可能駅でしたが、1線が廃止され、片面だけ使ってました。ホームが駅舎から少し離れていたのが印象的でした。



こちらは
金山
です。相対式ホームを持つ交換可能駅でした。駅舎の隣には保線関係が使う立派な建物があったのが印象的でした。山の中の小さな駅にこんな立派な建物があるとは驚きでした。あと、駅周辺にはある程度街を成していましたね。



こちらは
東鹿越
です。列車はここまでで、代行バスへ乗り継ぐ必要がありました。とはいえ、列車が発着する時だけ賑わい、それ以外はひっそりとしていたのが印象的でした。周辺には湖と日鉄鉱業などの事業所しかありませんでしたからね。



こちらは
幾寅
です。かっては島式ホームを持つ交換可能駅でしたが、1線が廃止され、片面だけ使ってました。しかも、列車が走らなくなって随分経過していたにもかかわらずホームや線路が整備されていたのに驚きました。
幾寅は映画『鉄道員(ぽっぽや)』の撮影のために改装された駅舎がポイントです。撮影で使われたキハ40-764の先頭部などが置かれており、見どころの多い駅です。いつかは降りてみてみたいなと思っていたのですが、列車での訪問は叶わずでした・・・。でも、駅舎内部や展示などをいろいろ見学出来ました。
不通区間で一番市街地が形成されていて、人もまばらながらいた感じでした。



こちらは
落合
です。2面3線のホームを持ち、落合折り返しが設定されているほど運行上の拠点になっていた感じでした。ところが、列車が来なくなってから駅舎以外放置気味になり、草が生えるようになってしまっていました。幾寅とは反対ですね・・・。



富良野~新得間は午前中に数時間空くほど列車の本数が少なかったのですが、既に線路と並行してバスが運行されていて、駅訪問で列車と組み合わせて利用させていただきました。留萌本線と同じ感じでしょうか・・・。バスは富良野~下金山がふらのバスと占冠村営バス、下金山~幾寅が南富良野町営バス、幾寅~落合が占冠村営バスという感じで、特に占冠村営バスは根室本線沿線から占冠駅やトマム駅に抜けることが出来、時間を効率的に使うことが出来ました。
しかし、それが現実なんだよね・・・。下金山までの富良野バスと占冠村営バスにはそれなりの客乗ってたし・・・。

最後の乗車は今年の2月。初めて新得側から代行バスと列車を乗り継ぎました。廃止目の前とあって多くの乗り納め客でにぎわってました。



そして、最後は
快速列車
で乗り納めしました。富良野~東鹿越間は普通列車ばかりですが、最後の1往復だけは快速として運行され、特に下りは「狩勝」という愛称がついてました。下りは各駅停車でしたが、上りは下金山、布部が通過でした。とはいえ、2月そして単行だったにもかかわらず、意外と空いていて驚きました。
以上です。
根室本線富良野~新得
が廃止されました。

富良野~新得間を初めて乗車したのは2010年8月10日でした。乗車列車は帯広発旭川行きの快速「狩勝」でした。キハ150系の単行で、富良野からは富良野線を通って、旭川まで向かっていました。そいや、当時は旭川駅が高架化する前で、函館本線から離れたホームに到着し、長い通路を通った覚えがあります。とはいえ、帯広出発時点で夕方だったので、当然新得→富良野間は夜間でした。


次に乗車したのが2012年8月15日でした。当時は滝川→釧路間を運行していた日本最長距離普通列車である2429Dに全区間乗車したときに通りました。滝川→富良野はキハ40-739の単行、富良野からはキハ40-1709を増結した2両編成で走ってました。
当時は石山から普通列車のみを日本海縦貫線経由で乗り継いでいて、その中で2429Dを利用していました。常備兼懐かしい・・・。


当時は東鹿越~新得間が被災を受ける前だったので、その区間を列車で通ることが出来ました。幾寅では幌舞駅を列車から眺めたり、落合では数分間の停車があったため、外に出て撮影したりしてました。
ところが、それから4年後の2016年8月の台風の影響で東鹿越~新得間が不通になり、この区間を乗車出来たのはこの1回だけでした。

その後、富良野~新得間の廃止の可能性を聞いて、2022年に乗りに行きました。東鹿越~新得間がバス代行になってから初めての乗車でした。タラコ色のキハ40-1749でしたが、乗客はそれなりに多く、ほとんどが代行バスに乗り継いでいました。代行バスは落合までは鉄路と並行していたのですが、落合からは全く違うルートへ行き、途中で専用のバス停が置かれるなどちょっと驚きがありました。



最近はまっている各駅巡りをしてきましたので、各駅をUPしてみます。
こちらは
布部
です。かっては島式ホームを持つ交換可能駅でしたが、1線が廃止され、片面だけ使ってました。ドラマの「北の国から」の撮影で使われていたようで、その写真が駅舎内で展示されてました。



こちらは
山部
です。相対式ホームを持つ交換可能駅でした。駅舎が立派で驚きました。あと、駅舎側ホームにはレンガ造りのランプ小屋がありましたね。



こちらは
下金山
です。布部と同じくかっては島式ホームを持つ交換可能駅でしたが、1線が廃止され、片面だけ使ってました。ホームが駅舎から少し離れていたのが印象的でした。



こちらは
金山
です。相対式ホームを持つ交換可能駅でした。駅舎の隣には保線関係が使う立派な建物があったのが印象的でした。山の中の小さな駅にこんな立派な建物があるとは驚きでした。あと、駅周辺にはある程度街を成していましたね。



こちらは
東鹿越
です。列車はここまでで、代行バスへ乗り継ぐ必要がありました。とはいえ、列車が発着する時だけ賑わい、それ以外はひっそりとしていたのが印象的でした。周辺には湖と日鉄鉱業などの事業所しかありませんでしたからね。



こちらは
幾寅
です。かっては島式ホームを持つ交換可能駅でしたが、1線が廃止され、片面だけ使ってました。しかも、列車が走らなくなって随分経過していたにもかかわらずホームや線路が整備されていたのに驚きました。
幾寅は映画『鉄道員(ぽっぽや)』の撮影のために改装された駅舎がポイントです。撮影で使われたキハ40-764の先頭部などが置かれており、見どころの多い駅です。いつかは降りてみてみたいなと思っていたのですが、列車での訪問は叶わずでした・・・。でも、駅舎内部や展示などをいろいろ見学出来ました。
不通区間で一番市街地が形成されていて、人もまばらながらいた感じでした。



こちらは
落合
です。2面3線のホームを持ち、落合折り返しが設定されているほど運行上の拠点になっていた感じでした。ところが、列車が来なくなってから駅舎以外放置気味になり、草が生えるようになってしまっていました。幾寅とは反対ですね・・・。



富良野~新得間は午前中に数時間空くほど列車の本数が少なかったのですが、既に線路と並行してバスが運行されていて、駅訪問で列車と組み合わせて利用させていただきました。留萌本線と同じ感じでしょうか・・・。バスは富良野~下金山がふらのバスと占冠村営バス、下金山~幾寅が南富良野町営バス、幾寅~落合が占冠村営バスという感じで、特に占冠村営バスは根室本線沿線から占冠駅やトマム駅に抜けることが出来、時間を効率的に使うことが出来ました。
しかし、それが現実なんだよね・・・。下金山までの富良野バスと占冠村営バスにはそれなりの客乗ってたし・・・。

最後の乗車は今年の2月。初めて新得側から代行バスと列車を乗り継ぎました。廃止目の前とあって多くの乗り納め客でにぎわってました。



そして、最後は
快速列車
で乗り納めしました。富良野~東鹿越間は普通列車ばかりですが、最後の1往復だけは快速として運行され、特に下りは「狩勝」という愛称がついてました。下りは各駅停車でしたが、上りは下金山、布部が通過でした。とはいえ、2月そして単行だったにもかかわらず、意外と空いていて驚きました。
以上です。