あなたから一番遠いブログ

自分が生きている世界に違和感を感じている。誰にも言えない本音を、世界の片隅になすりつけるように書きつけよう。

「経済成長」という呪い

2013年08月11日 00時00分52秒 | Weblog
 「経済成長」という呪いの呪文が世界を縛り付けている。
 全世界の人たちが経済成長をめざし、経済成長が無くなったら人類が滅ぶとさえ思い込んでいるようだ。
 ありとあらゆる問題が、解決の糸口までいくのに、ことごとく破綻する。
 たとえば今年日本各地で続いている豪雨被害。根本的な原因は地球温暖化と自然破壊にある。気象が極端化する一方、それを受け止める山や川や大地がすでに破壊されていて、水も土も風も防ぐことができない。
 そのことは多くの人がすでに理解している。それでも温暖化も環境破壊も止められない。経済成長を止めることができないから、である。
 落着いて考えてみれば、現代社会のほとんどの問題は「経済成長を阻害する」という地点で解決不能になることがわかる。まさに呪いである。

 人類が発生して以来、数百万年になるだろうが、そのほとんどの期間、人類の生産と消費はプラスとマイナスを繰り返してきたはずだ。その中で、本当に少しずつ生産が増えていき、数百万年の時を使ってやっと近代に到達した。
 問題はそこからのわずか数百年にある。人類の長い歴史のわずか一万分の一以下の期間である。

 経済成長の呪いは近代にかけられた呪いである。
 それまでの人類は意図的に成長を目指したわけではない。暮らしは循環していて、春に始まり夏を経て、秋を迎え冬が来て、また春に戻る。毎年同じように種をまき同じように収穫する。もちろん自然条件によってそれは豊作の年もあれば飢饉に陥ることもあっただろう。しかし全体を通して求められたのは、昨日と同じ今日、去年と同じ今年、親と同じ暮らしであった。そしてその中でゆっくりと生産力が上がり、文化が発展していった。
 成長すること自体が目的になり、そしてそれが必須となったのは20世紀のことだと思われる。

 18世紀までは人類の経済発展の可能性は無限大だったと言える。それはその当時の人類にとっては、世界の大きさが無限大と近似値だったからだ。円周率が3でも良いように、当時の人々にとって世界を無限大だと考えてもなんら不都合は無かった。
 19世紀になると、さすがに世界の大きさがわかってくる。世界が有限であり、すなわち資源が有限であることに気づくことができる条件が整った。しかしここで人類は大きな魔法を手に入れる。
 ひとつは科学万能主義であり、もうひとつは金融資本主義である。

 科学万能主義は有限な自然環境を無限大に変換する魔法であり、金融資本主義は資本を未来からか、それともどこか異次元の魔法の国から引っ張り出してくる錬金術であった。
 人々は(とは言っても実際は人類全体からすればほんの一部の人でしかないが)この魔法を使える限り駆使して、信じられないような夢を現実にしたのである。20世紀を通して人類の高度成長が実現した。

 しかし魔法は魔法である。結果は現実でもそれを生み出した魔法は幻想でしかない。しだいに魔法の効力は薄れてしまった。それでも人々がその魔法を今でも信じ続けているのは、まさに経済成長の呪いに呪縛されているからだ。
 人類はすでに限界を迎えた。それはたぶん多くの人が肌で感じていることだろう。しかし人々は魔法からさめない。経済成長の呪いにはもうひとつ幻覚を見せる作用があるからである。それが人類は永久に発展し続けるという幻覚である。

 呪いを解き、魔法を否定しない限り、人類は経済の悪魔によって滅ぼされるだけだ。ところが呪いと魔法があまりにも強力なので、それを信じる人からはそれを否定する人の方がカルトに見えてしまうらしい。
 幻想の砂上の楼閣の上で夢を見ている人たちは、なんと自分たちこそ現実主義だと主張する。そして本当の現実を見据え、呪いから世界を救おうとする人々を理想主義者と呼んでさげすむのだ。原子力はまさにその象徴であろう。

 この文章を読むどれだけの人が理解してくれるかわからないが、これが現代世界の真実である。

コメント
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