戦時中の子どもたちは、どんなに不利な状況になっても最後に神風が吹いて必ず日本が勝つと教え込まれた。多くの子どもたちは素直にそれを信じたことだろう。
ある都市伝説によると、実際に神風は吹いたのだと言う。1945年8月15日に日本が無条件降伏したとき、ちょうど大型台風が日本列島に接近していた。そのために日本占領のために待機していた米軍の本土上陸は数日間延期になる。この数日間の猶予があったために、日本人は敗戦と敵国軍の進駐に対して冷静になれて、パニックを起こすことなく、大きな混乱も無く平和的に占領期を受け入れることが出来たというのである。
自分で調べたわけではないので、真偽のほどはわからないが、少なくとも日本を勝利させるほどの神風ではなかったようだ。日本は選ばれた神国ではなく、天皇は神ではなく、ただの普通の国でしかなかった日本は必然的に負けた。
日本の敗戦と米軍による占領、そして米国主導の新憲法策定という戦後史をどう評価するか、もちろん今でも多くの論争が繰り広げられる問題であるが、戦後の混乱という視点から見たとき、米軍のイラク侵攻とフセイン処刑、その後現在に至るまで収まらない混乱に比べれば、日本の敗戦はまだずっと楽だった(あくまで比較としてだが)と言える。。
その要因のひとつは天皇の戦争責任問題回避に象徴されるような、戦争指導者への責任追及と処罰をかなり恣意的に軽くした点にあるだろう。ちょうど公開中の映画「終戦のエンペラー」が描いている問題である。
もちろんそれは日本占領策を含めた米国の極東戦略において、最も米国に有利な道を選んだ結果であることは間違いないが、理論的、倫理的、感情的批判は当然あるとしても、結果としてそれが当時の一般の日本人にとっても一番苦痛を感じない政策だったと、ぼくには思えるのだ。
もちろん長い目で見れば、このことが70年近くたった今でも多くの問題を積み残すことになった原因でもあるが。
天皇を処分も廃止もせずに残したことが、少なからぬ日本人にとって結果的に苦痛をやわらげた(もちろん反対に苦痛が増した人もいるわけだが)という敗戦後の光景を思うとき、このこととどこかで微妙にダブってしまう光景が2年前にも見られた。
東日本大震災で被災地に天皇・皇后が行幸した光景である。打ちのめされた被災者を政治家や行政は救うことが出来なかった。それはカネやモノだけでは解決しない問題だったからだ(とは言っても、それ自体も圧倒的に少なかったし、今もって少ないままだが)。その時、天皇が被災者の前に登場し膝を付くことによって、救われたと思った被災者が事実として存在したのである。
もちろん反天皇制の視点から批判するべき点はたくさんあるし、当然そうした批判は数多くなされている。それはもちろん間違ってはいないが、しかし現実の問題として、いま天皇を必要とする人たちから天皇を奪うことは(いろいろな意味において)できないことなのである。
天皇を国家機関、国家装置として認める、存続させることの是非とは別に、個々人の(広い意味での)信仰の対象たる天皇を抹消することは、好むと好まざるとに関わらず事実上不可能である。
天皇問題を論じるとき、このナイーブな問題を考慮しない論議は、不要な混乱と対立を生む原因になるだろう。
ある都市伝説によると、実際に神風は吹いたのだと言う。1945年8月15日に日本が無条件降伏したとき、ちょうど大型台風が日本列島に接近していた。そのために日本占領のために待機していた米軍の本土上陸は数日間延期になる。この数日間の猶予があったために、日本人は敗戦と敵国軍の進駐に対して冷静になれて、パニックを起こすことなく、大きな混乱も無く平和的に占領期を受け入れることが出来たというのである。
自分で調べたわけではないので、真偽のほどはわからないが、少なくとも日本を勝利させるほどの神風ではなかったようだ。日本は選ばれた神国ではなく、天皇は神ではなく、ただの普通の国でしかなかった日本は必然的に負けた。
日本の敗戦と米軍による占領、そして米国主導の新憲法策定という戦後史をどう評価するか、もちろん今でも多くの論争が繰り広げられる問題であるが、戦後の混乱という視点から見たとき、米軍のイラク侵攻とフセイン処刑、その後現在に至るまで収まらない混乱に比べれば、日本の敗戦はまだずっと楽だった(あくまで比較としてだが)と言える。。
その要因のひとつは天皇の戦争責任問題回避に象徴されるような、戦争指導者への責任追及と処罰をかなり恣意的に軽くした点にあるだろう。ちょうど公開中の映画「終戦のエンペラー」が描いている問題である。
もちろんそれは日本占領策を含めた米国の極東戦略において、最も米国に有利な道を選んだ結果であることは間違いないが、理論的、倫理的、感情的批判は当然あるとしても、結果としてそれが当時の一般の日本人にとっても一番苦痛を感じない政策だったと、ぼくには思えるのだ。
もちろん長い目で見れば、このことが70年近くたった今でも多くの問題を積み残すことになった原因でもあるが。
天皇を処分も廃止もせずに残したことが、少なからぬ日本人にとって結果的に苦痛をやわらげた(もちろん反対に苦痛が増した人もいるわけだが)という敗戦後の光景を思うとき、このこととどこかで微妙にダブってしまう光景が2年前にも見られた。
東日本大震災で被災地に天皇・皇后が行幸した光景である。打ちのめされた被災者を政治家や行政は救うことが出来なかった。それはカネやモノだけでは解決しない問題だったからだ(とは言っても、それ自体も圧倒的に少なかったし、今もって少ないままだが)。その時、天皇が被災者の前に登場し膝を付くことによって、救われたと思った被災者が事実として存在したのである。
もちろん反天皇制の視点から批判するべき点はたくさんあるし、当然そうした批判は数多くなされている。それはもちろん間違ってはいないが、しかし現実の問題として、いま天皇を必要とする人たちから天皇を奪うことは(いろいろな意味において)できないことなのである。
天皇を国家機関、国家装置として認める、存続させることの是非とは別に、個々人の(広い意味での)信仰の対象たる天皇を抹消することは、好むと好まざるとに関わらず事実上不可能である。
天皇問題を論じるとき、このナイーブな問題を考慮しない論議は、不要な混乱と対立を生む原因になるだろう。