松山市がマンガ「はだしのゲン」の小学生への貸し出しを制限していた問題。マスコミ報道では「描写が過激、刺激的」などという見出しになっているが、事実は違う。
そもそもは、日本軍の描き方が間違っていて子どもに誤った歴史観を植え付けるから、図書館から撤去しろと言う、ばかばかしい市民の陳情から始まった問題なのだ。当然市議会は否決するのだが、なぜかその直後に教育委員会が「描写が過激」という理由を無理やりくっつけて、各学校に閉架式書架にしまいこむよう指示したのである。
噴飯ものとはこういうことを言うのだろう。
いったい何十年も原爆問題を継承する名作として評価が固まってきた作品を、いまさら何が過激描写だというのか。ようするに、ここに来て急激に進んでいる教科書への政治的介入の一環なのだ。
神奈川県教育委員会が県立高校の教科書選定に介入し、検定を合格している日本史教科書を強引にやめさせたり、橋下大阪市長が市立大学の学長選を認めないと言ったり、いったい日本の教育はどうなってしまったのか。時の政権が教育に介入して戦争体制を作ってしまったことを反省し、教育と政治を分離しようとしてきたのが戦後民主主義ではなかったのか。
右翼は何を求めているのだろう? 子どもを自分たちの思い通りに洗脳したら日本が強い国になるなどと本気で思っているのだろうか。
最近ビジネス系のネットニュースの記事に「なぜ日本にジョブズのような人物が現れないのか」というような話が載っていた。ぼくは別に和製ジョブズなど出てきて欲しいとは思わないが、その話自体には納得させられるものがあった。つまり日本の教育とアメリカのラーニングは違うというのである。日本の教育はあらかじめ先生が設定している正解を答えられるようにすることを目標にしているが、ラーニングは生徒が自分の頭でユニークな答えを考え出すことに重点が置かれているというのだ。その結果、日本ではイエスマンしか生まれず、新しいことに挑戦し開拓する人が出てこないということらしい。
もちろんここで言われているラーニングこそ本来の教育であり、かつての日本でもそう思われていた。しかしそうした教育は必然的に現状に対して批判的な視点を持つ子どもを生み出すことになり、権力者にとっては都合が悪かった。そこで1970年代後半から80年代前半にかけて、いわゆる「筑波化」と言われる教育再編が行われ、学生、生徒にモノを考えさせない教育、○×式、選択式の教育が積極的に行われるようになったのだ。そこでは誰かが決めた「正解」を選べる者が勝ち残り、自由でユニークで革新的な発想は禁じられることになった。
その結果いったい何かおこったのか。それこそ、学力の低下であり、活性化の喪失である。
ただ唯一、権力者が自分にとって無害だと判断し、若者のエネルギーを政治や体制の問題からそらすために誘導したエンターテインメントの世界でだけは、多くの才能が爆発的に開花し、それが今日の「オタク」文化を発展させた。良かれ悪しかれである、まったくのところ。
今、右翼が目指していることは、こうした過去の失敗をさらに加速させようとすることでしかない。日本を本当の意味で沈没させようとしているのは、まさに右翼勢力なのである。
そもそもは、日本軍の描き方が間違っていて子どもに誤った歴史観を植え付けるから、図書館から撤去しろと言う、ばかばかしい市民の陳情から始まった問題なのだ。当然市議会は否決するのだが、なぜかその直後に教育委員会が「描写が過激」という理由を無理やりくっつけて、各学校に閉架式書架にしまいこむよう指示したのである。
噴飯ものとはこういうことを言うのだろう。
いったい何十年も原爆問題を継承する名作として評価が固まってきた作品を、いまさら何が過激描写だというのか。ようするに、ここに来て急激に進んでいる教科書への政治的介入の一環なのだ。
神奈川県教育委員会が県立高校の教科書選定に介入し、検定を合格している日本史教科書を強引にやめさせたり、橋下大阪市長が市立大学の学長選を認めないと言ったり、いったい日本の教育はどうなってしまったのか。時の政権が教育に介入して戦争体制を作ってしまったことを反省し、教育と政治を分離しようとしてきたのが戦後民主主義ではなかったのか。
右翼は何を求めているのだろう? 子どもを自分たちの思い通りに洗脳したら日本が強い国になるなどと本気で思っているのだろうか。
最近ビジネス系のネットニュースの記事に「なぜ日本にジョブズのような人物が現れないのか」というような話が載っていた。ぼくは別に和製ジョブズなど出てきて欲しいとは思わないが、その話自体には納得させられるものがあった。つまり日本の教育とアメリカのラーニングは違うというのである。日本の教育はあらかじめ先生が設定している正解を答えられるようにすることを目標にしているが、ラーニングは生徒が自分の頭でユニークな答えを考え出すことに重点が置かれているというのだ。その結果、日本ではイエスマンしか生まれず、新しいことに挑戦し開拓する人が出てこないということらしい。
もちろんここで言われているラーニングこそ本来の教育であり、かつての日本でもそう思われていた。しかしそうした教育は必然的に現状に対して批判的な視点を持つ子どもを生み出すことになり、権力者にとっては都合が悪かった。そこで1970年代後半から80年代前半にかけて、いわゆる「筑波化」と言われる教育再編が行われ、学生、生徒にモノを考えさせない教育、○×式、選択式の教育が積極的に行われるようになったのだ。そこでは誰かが決めた「正解」を選べる者が勝ち残り、自由でユニークで革新的な発想は禁じられることになった。
その結果いったい何かおこったのか。それこそ、学力の低下であり、活性化の喪失である。
ただ唯一、権力者が自分にとって無害だと判断し、若者のエネルギーを政治や体制の問題からそらすために誘導したエンターテインメントの世界でだけは、多くの才能が爆発的に開花し、それが今日の「オタク」文化を発展させた。良かれ悪しかれである、まったくのところ。
今、右翼が目指していることは、こうした過去の失敗をさらに加速させようとすることでしかない。日本を本当の意味で沈没させようとしているのは、まさに右翼勢力なのである。