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大川小検証委「最終報告書」に“見切り” 空白の50分を明らかにすべく一部遺族提訴検討へ

2014-02-27 23:18:35 | 日記
ダイヤモンド社より転載

【第37回】 2014年2月27日
大川小検証委「最終報告書」に“見切り”
空白の50分を明らかにすべく一部遺族提訴検討へ
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父親7人による遺族記者会見。検証報告書が郵便で届いたら「送り返す」と言った遺族も
Photo by Yoriko Kato
法的措置も視野に入れ始めた
遺族の悲痛な言葉
 2014年2月23日、大川小学校事故検証委員会が最終報告書についての遺族向け報告会を開いた後、児童の遺族である7人の父親が、石巻市の合同庁舎会議室で記者会見した。

会見で裁判を検討したいと表明した佐藤美広さん(右)と、今野浩行さん
Photo by Y.K.
「検証の報告では、責任の所在が、はっきりしない。私は、1人息子を亡くして、もう失うものもない。私は、弁護士と相談して、裁判に打って出たいと思います」
 まもなく3年を迎えるにあたって、これからのことを質問された父親の1人は、抑えきれなくなった思いを、震えるような声で口にした。
「裁判に打って出たい、と思います」
 これまでの迷いを吹っ切るように、その思いを繰り返し述べたのは、当時小学3年生の健太君を亡くした佐藤美広さん。
 すると、次にマイクをとった父親たちも、意を決したように、こう続いた。
「石巻市教委が遺族と話し合いをしても、事実の検証にならなくて、検証委員会に丸投げした。その結果が、今日出ましたけど、また市教委に戻っていく。当然、期待できる状況はもう生まれない。法的措置をとることも検討していきたい」(当時小学6年生の大輔君を亡くした今野浩行さん)
「誰も裁判をしなくても、教育の現場で起きたことだから、早い段階で様々なことが明らかになると思っていました。しかし、石巻市教委と2年話し合い、一切なりませんでした。頼みの綱の第三者委員会もダメでした。あとは、法的手段しかないのかなと考えています。ずっと悩んでいます。いまでも悩んでいます。でも、覚悟しなくちゃいけないと思いました。今後も、私は真実を明らかにする可能性のある方向に進みたいと思います」(当時小学6年生の雄樹君を亡くした佐藤和隆さん)
「今後、遺族の思いはどうすればいいのかと、文科省や県教委に聞きましたが、それぞれお立場があるということで、市教委への助言や支援はできるかもしれないが、今回のことは市教委がもう一度、考えないといけないとお答えになりました。また、市教委に戻る。自分の子どもが犠牲になったのはなぜか。知りたいことを聞きたいだけなのに、たらい回し状態で、何の真実も明らかにならなかった。どうすればいいのかを考えると、法的手段を考えざるを得ないのかなと」(当時小学5年生の千聖ちゃんを亡くした紫桃隆洋さん)

遺族でもあり、生存児童の父親でもある只野英昭さんは、検証委員会と事務局が長男に行った聴き取り調査のあり方に、最後まで納得がいかない様子だった
Photo by Y.K.
「3年にわたって、こういう状況に遺族が置かれている。新北上大橋の三角地帯で、子どもたち、地区住民、家族…たくさんの人の遺体が上がってくるのを確認しました。あんな思いをしてほしくないから、できる限りのことを親子でずっと頑張って来たんですが…。
 市教委の対応は、子どもたちの聴き取りメモを破棄したり、(生還した)息子が聴かれた質問はなかったことにされたり、子どもの記憶は変わるものとまでいわれたり、最初から裁判を想定した対応のみ。すべてを見てきた息子に、市教委の先生がこんなことを言うのか。検証委員会も、遺族が調べ上げた事実をうやむやな状態にされて、そんな市教委に戻される。最終手段としては、裁判に打って出るしかないのかなと、思いました」(当時小学3年生の未㮈ちゃんを亡くした只野英昭さん)
しかし、この日、遺族たちは、提訴を発表しようと示し合わせていたわけではない。最終報告書の報告会を聞いて、「亡くなった子どもに、かける言葉がない」という悔しさから、つい思いが噴き出してしまったのだという。
“限界”と記した最終報告案を受け
話し合いを望む遺族も
 一方、裁判ではなく、あくまで市教委との話し合いを望む遺族もいた。
「私は、市教委との継続的な話し合いが、まだ不足しているのかなと思う」(当時小学6年生の真衣さんを亡くした鈴木典行さん)
 また、当時小学6年生のみずほちゃんを亡くした佐藤敏郎さんは、「検証委員会にも期待したのですが、最終報告書について委員自ら“不十分だ”“限界だ”と認めるような状況なので、次のステージに移る道を探っていきたい」として、こう語った。
「ずっと市教委や検証委員会と国会答弁のような質疑を続けてきて、ようやく本当のことを言ってくれるのかと思ったら“検討していきます”“忘れました”…。このまま続けていっても何が残るのかという思いがあるので、そうじゃない形のことをいろいろと考えています」
 検証委員会は最終報告書で、<強制力のある調査権限もなく、免責などの形で良心的な証言者を守る力も与えられていない立場では、事実調査に一定限度の限界があったことは否めない>と、“限界”があったことを記した。
 その結果、<残された家族の持つ疑問の全てに答を見出すことができたかと問われれば、それは十分にはできなかったと言わざるを得ない>ことも認めた。
 結局、検証委員会は、報告書の<はじめに>の中で、<この事故の直接的な要因は、避難開始の意思決定が遅く、かつ避難先を河川堤防付近としたことにある>とした。
最終報告案から変更された点も
しかし大きく変わった部分はなし
 第9回委員会で示された報告書案から主な変更点は、次のような記述だ。
<その背後には、次の二つの面で、数多くの要因があった。
①学校における防災体制の運営・管理がしっかりとした牽引力をもって進められず、また教職員の知識・経験も十分でないなど、学校現場そのものに関わる要因
②津波ハザードマップの示し方や避難所指定のあり方、災害時の広報・情報伝達体制など、災害対策について広く社会全体として抱える要因>
<大川小学校の事故はその全てが重なったために起きたのであり、どれか一つでも取り除かれていれば、惨事は防ぐことはできた>
<結果的には子どもたちの命を守ることができなかった。全ての学校現場と関係者とその関係者は、この事故の結果責任を自分たちにも生じる可能性のある重い課題と受けとめ…>
<事故当日及び直後の状況についての事実情報を確認するため、教職員A、校長(当時)に追加聴取>
<児童・遺族等に対する心のケアについて、関係団体などへの聴取により事実情報を追加調査>
<学校裏山の斜面の状況:斜面Bは急傾斜地工事により数十~100人程度が立てる平坦なコンクリート敷きの場所あり。斜面Cのふもと付近(標高10メートル程度まで)の斜度はおおむね10度程度、ふもとに現存する段差は震災後にできたもの>
<児童の持っていた危機感:強い危機感を持っていた児童がいた可能性について、より高い推定のレベル(「推定される」)で表記>など。
 室崎委員長に<事故の結果責任>を誰が負うのかと聞いたところ、こう語った。

室委員長は「1日でも早く対策に取り組んでもらいたい」と話したが、会見では記者から、「最終報告にも間違いや不備も見つかり、なぜ今提出するのか。焦る必要がないのでは?」という指摘もあった
Photo by Y.K.
「貞観津波が869年に来ていたことをわかっていた人もいる。ハザードマップはかなり誤差を含んだもので、津波浸水ラインの先でも浸水するかもしれないとなぜ伝えてこなかったのか。そうした専門家の責任も大きい。ただ、もっと核心的な責任を負うのは学校です。早い時期に逃げると決断しなかった人たちは、厳しく問われるべきです。また、市の行政にも、保護責任を果たしたのかというと、その対応にはとても大きな問題があると思います」
 しかし、報告書案から内容が大きく変わることはなかった。
「空白の50分」に答えはなく
遺族と検証委の溝は深まるばかり
「あの日の校庭で、子どもたちが寒さで震えながら、指示を待ち続けた50分間についての答えは、ここにはなかった」
 そうした遺族たちの失望に対し、室崎委員長はこう振り返る。
「ご遺族の多くの方々から、事実解明が不十分、新しい事実が出てこなかった等、報告書があまり役に立たない方向性になっているといわれた。我々はできる限り、ご説明したつもりですが、検証委員会が始まって以来の問題点である、我々の思いとの食い違いが解消できなかった」

最終の検証報告書をふまえた検証委員会の記者会見。6人の委員のうち、2人が欠席した
Photo by Y.K.
 文科省が「ベストの布陣だ」と胸を張ってきた検証委員会と、前例のない惨事の被害者遺族との間で、1年経っても、なぜ溝は埋まらなかったのか。
 この委員会を設計した文科省の前川喜平初等・中等教育局長は、質問されるたびに「公正中立に検証が行われていると確信している」と答えてきた。しかし、佐藤敏郎さんは「考えてみれば、事務局の(社会安全研究所所長の)首藤由紀さんのお父さんの首藤伸夫さん(津波工学の第一人者である東北大学名誉教授)が、委員に入っている。あのとき(検証委員構成を提案された2012年11月の四者円卓会議のとき)、もっと反対すればよかったのかもしれない」と振り返る。
「いまになって思うんですけど。検証委員を誰がどのようにして選んだのかということに、実は問題があるのかなって。親子が入っていたり、教育委員会の仕事をしている委員が入っていたり、ヨーイドンの時点で、すでに公正中立ではなかったんだと思います」
 委員を引き受ける専門家とは、どういう人であるべきなのか。そう佐藤さんは、メディアに向かって問いかける。
 製本された最終の検証報告書は、後日、改めて遺族の元に郵送されることになっている。会見した遺族ひとりひとりに、報告書を受け取るかどうか聞いたところ、「受け取りません」「郵送で送り返します」などと答える遺族たちもいた。
 検証委員会は3月1日、この報告書を石巻市の亀山市長に手渡し、3月末日で契約の任期を終える。
(池上正樹)


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