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透明な力を 第6部・原発避難(4)必死な親の姿 立て直す糧に

2014-03-31 06:57:08 | 原発
河北新報社より転載
透明な力を 第6部・原発避難(4)必死な親の姿 立て直す糧に


次女の小学校卒業を記念して村の自宅で撮った家族写真。
1年後、一家が離れて暮らす日が来ることを誰も想像していなかった
 長女ちひろ。次女ちさき。3女ちさと。
 3姉妹の名に共通する「ち」は「智」と「千」にちなむ。長女の「ひろ」は母の名から1字取った。次女の「さき」は花が「咲く」になぞらえた。3女は父の名の「賢」が「さと」と読むことから引いている。
 佐藤ちひろさん(18)、ちさきさん(16)、ちさとさん(15)は父賢二さん(42)、母博美さん(42)の間に生まれ、福島県飯舘村の自然に囲まれて育った。
 愛らしく元気に成長してほしい。
 親のささやかな願いは福島第1原発事故で打ち砕かれた。姉妹が15歳、13歳、12歳の時だった。
 一家は古里を追われ、父母は相馬市、長女はいわき市、次女と3女と祖母(69)は栃木県へと分散避難を強いられた。
 地元の農協に勤める両親は毎週末、子のいる栃木県に通う。車で3時間。金曜の夜中に来て日曜の夕に戻る。
 二重生活で親の体力が限界にきている。ちさとさんの目にはそう映る。
 母はやつれて目の周りがくぼんできた。こっちに来ても日中は横になっている時が多い。父もしんどそうだ。
 「毎週は来なくていいよ」と母に言った。
 「大丈夫、大丈夫」と受け流された。
 両親は仕事人間だった。村にいた時も帰宅はいつも子が寝た後。家族そろって食卓を囲むのは朝ご飯の時だけだ。家事と育児は祖母に任せきりだった。
 そんな両親が毎週欠かさずに子に会いに来るのは意外だった。子とのつながりを断つまいと必死になっているのだろう。
 「私たちも頑張るから、あんたも頑張りなさい」。母に何度も言われた。不慣れな避難生活でへこたれそうになると、思い出して気持ちを立て直す。
 避難先で母と車で出掛けた。沿道に栃木の農協の看板が立っている。「ここに就職しようかな」。母が冗談ぽく言った。
 「本当? こっちで暮らせるの?」。思わず前のめりになった。母は困った顔になり、それ以上しゃべらなくなった。
 2014年3月11日。栃木県の中学校を卒業した。原発事故から丸3年。結局、中学生活は全部こっちの学校で過ごした。
 両親は有給休暇を取って式に出てくれた。在校生の花道を抜けると、ハンカチで目頭を押さえる母の姿が見えた。
 伝えたいことがあり、親の所に駆け寄った。
 「無事卒業できました。ありがとうございました」


2014年03月31日月曜日

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