週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#250 -’07. 今年の夏休み(志賀高原)

2007年09月08日 21時01分52秒 | 信州の自然
今年のこま切れスレッドの夏休みの総集編を。
恒例の夏休みは八月の上旬にとるようにしている。
梅雨が遅れても8月には上がっているし、台風上陸には早くて一番気候が安定している。
子供が小さかった頃はいつも海に行くのが恒例であったが、息子達が成長すると夫婦ないしは親との旅行になった。
で、今年は夏休み旅行に合わせて義母が東京に出てきた。
今年の計画は一日目が原村のお山泊である。
二日目が諏訪湖泊である。
三日目が志賀高原泊である。
最初の予定では、一泊目の金曜日に諏訪湖に泊まり、二日目をお山に泊まり、三泊目を志賀高原を予定していた。
しかし、一泊目のRAKOの予約をキャンセルして二泊に短縮した。
この時点では、諏訪湖で毎日花火大会が行われる事を知らなかった。
この事をしって再度、諏訪湖ホテルに予約を入れた。
予約も取れて、お山の一泊を含めて三泊の宿が確保できた。

義母を伴いお山に一泊して、ノンビリ諏訪湖畔の観光地を見物するにした。
最初に訪れたのが小坂観音院である。
風林火山で今年は混んでいるかと思ったが、それほどでもなかった。
武田信玄公の側室は、本来諏訪御料人と呼ばれていたみたいである。
小説の中で井上靖が由布姫と呼び、新田次郎が湖衣姫と呼んだみたいである。
家内は知っていたが、自分は興味も無かったので全く知らなかった。
TVの放送は凄い影響力がある事を知らされた。
自分はここへ来なければ、諏訪御料人も湖衣姫の呼び名も知らないままであった。


ビャクシンの巨大な古木が観音院の入り口にあった。


次が諏訪湖畔のSUWAガラスの里・北澤美術館新館にお邪魔した。


母のお土産と、自宅へのお土産と買って撮影して良いのか店員さんに聞いてみたら、商品と人物の記念撮影なら良いみたいである。
商品だけの撮影はいけないようだ。
と、言うことで母と家内に立ってもらい無事撮影。
ガラスは人を惹きつける魅力がある。


ガラスの里を後にして本日の宿泊ホテルにチェックインした。
諏訪湖ホテルのロビー。


諏訪湖ホテルに一泊した翌日、母が行った事が無いと言うので朝食前に高島城に見物にいった。
車で早朝ドライブである。
高島城の中にある護国寺。


高島城。
何度も訪れているが何時も早朝である。
天守閣に入った事がない。


高島城から戻り、車をホテルの駐車場に入れて、今度は目の前の諏訪湖に徒歩でむかった。
8月15日の花火大会の位置決めのテープだらけであった。

ホテルに戻り朝食を摂って、岡谷インターから長野道に入り小布施に向かった。

小布施では、藪睨みの岩松院と栗おこわの竹風堂に寄って、一般道を通り志賀高原へと。
自分の気持ちの中に早く志賀高原に行き、色々歩き廻りたいとの希望があり、先を急いでしまった。


292号を通り志賀高原に入り最初に車を降りた一沼である。
色々探索できる道があったが、今回はパスした。


小さな丸池。
池と湿原など志賀高原の魅力の一つである。

次に木戸池に向かった。
母の体調がすぐれずに、本日のお宿の天狗の湯に向かった。

お花の大好きな母のことである、ゴンドラは乗れるとの事で山頂の高山植物園へ。
志賀高原発哺温泉の東館山高山植物園での記念撮影。
結局、母は家内と展望レストランで待つ事になった。


その東館山高山植物園のこけもも。
自然の中に咲くこけももは見た事が無い。
是非、花が咲いている時見てみたいものである。


東館山のゴンドラリフト山頂駅には、長野オリンピックの時のユニホームなどが展示されていた。
時が経つのは早いものである。
長野オリンピックの後に白馬に二度ほど行った。


発哺温泉の老舗ホテル天狗の湯の部屋から望む山に隠れる夕日。


天狗の湯で支配人にお見送りを受けて、奥志賀高原へ。


一ノ瀬の交差点。
奥志賀と一ノ瀬辺りは車窓からの見物である。
早稲田アカデミーの生徒さん達で殆どのホテルが占領されていた。
受験戦争は大変なんだと実感する。
Uターンして292号志賀草津道路に戻った。


自分が中学時代に林間学校で訪れた熊の湯のご近所の湯畑。
もうもうと水蒸気が出ていた。


熊の湯で止まることも無く通過して、横手山のぞきの駐車場へ。
母が今回の旅行で一番感動した場所である。
横手山のぞきの一段下の駐車場から横手山のぞきの建物と横手山山頂へ向かうリフトなど。


横手山山頂はさぞかし喜んだであろうと思ったが、体調の良い時に。
渋峠により、一路草津白根山方面へ向かう。

志賀草津道路の渋峠の付近の山肌。


草津白根に向かう山肌が硫黄か硫化水素のためか、地肌がむき出しに成ってきた。


草津白根の稜線からお釜見物をしている観光客姿が小さく見える。
今回は止まる事無く通過した。
以前どおり今もエメラルドグリーに輝いているのだろうか。


白根山を越えて草津側下りて来ると、火山ガスの為か草木の生えていない硫黄の臭いのする不毛の地にかわる。
殺生ヶ原のような佇まいである。


国道292号を草津に下りてきた。
草津運動茶屋公園の道の駅に寄り少し休憩した。
道路を挟んだ反対側にベルツ博士の記念館があった。


ボヘミアガラスのミュージアムショップの商品。

トイレを借りて、ソフトを食べて軽井沢に向かって出発である。
この時期であるから、特段軽井沢に寄る積りもなかったが軽井沢インターから高速へ入り東京へ。

白糸の滝の道路標識があり、母が行ったことが無いとの事で寄り道をした。


白糸の滝。

軽井沢に抜ける途中に旧三笠ホテルがあった。
一度も寄ったことが無いので寄りたかったが、混んでいそうなので止まることも無く通過して目指すは軽井沢ICへ。
軽井沢銀座に来ると人も車も大変おおくなった。
勿論、軽井沢銀座は歩行者天国である。
ジャムの沢屋さんにも寄らずに目指すはインターへ。

上信越道の軽井沢インター目前の車内から家内が撮影。
画面上の青い色はフロントガラスの色で、調光したものではありません。


インター直前のオギノヤの釜飯を買い、外の食事が出来る高台のテーブルで食べた。
我が家が食事を食べ終わる頃、別の家族連れが食事をしに階段を登ってきた。
御爺さんが、杖を付いて歩行もままならない感じであったが、家族皆が介助しながら登ってきた。
店内よりこの場所は自然の中で良いかも。


家内が車内から撮影した上信越道に架かる斜張橋。


横川のSAから近くの山を撮影したもの。
妙義山しかり、この辺の山は一種独特である。
このSAを最後の停車地として、東京の我が家に無事到着した。


今回の旅行のメインは志賀高原であったが、母には少し問題がある観光地選択だったかもしれない。
自然の高原の中に点在する綺麗な池や湖。
息子たちが小さい頃、何度も訪れた所でもある。
自然の中に点在する自分の好みのホテル群。
畑も田圃も無く、勿論ビニールハウスも無い本来の高原。
そんな志賀高原を今年思い出し、是非とも来たかったし義母にも見せたかった。

母の心臓手術以来の足腰の衰えもあり、階段や坂道には辛いところがあった。
そんな状況も判断せずに志賀高原を選択した為、志賀の自然に触れるのは難しい状況となってしまった。
その母が横手山のぞきからの景色が最高であると言ってくれたのが良かったと思っている。
纏めるのに一ヶ月遅れになってしまった。
台風一過、昨日の夕焼けは東京でも綺麗だった。







コメント
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