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📚読書備忘録📚
(自己評価★★★★★)+泣ける物語
たまに山ブログ
         

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2024-01-09 | 探検家

 

山野井泰史 全記録
CHRONICLE


お正月読書
どきわく「アルパインクライマーの自伝」

年末にかけてたくさんの出逢いがあり、読んでいる本の話になった。
みんな金融関連の本や、中には哲学書を読んでいるとか。
USDT
 
--------(抜粋)
 
 
心のまま、熱狂的に登り続けてきた半生
10代の武者修行から、ヒマラヤを舞台にした数々の登攀、再起を果たした現在まで。
折々の手記と豊富な写真で、主要な登攀を追う。

20代前半から、生と死のはざまを追求する冒険的登山を行ないながら、約40年にわたって生き抜いてきたクライマー、山野井泰史
その半生を、ふんだんな写真と折々に発表された手記やインタビュー・対談とともに一冊にまとめる。


■内容

I章  若き日の山/10代後半のアメリカ武者修行にはじまり、トール西壁ソロ、フィッツロイ冬季ソロの手記、加えて当時のインタビューなどを収録
II章  ヒマラヤの日々/1991年から2002年のギャチュンカンまで、約10年、20回にわたるヒマラヤ遠征の数々を臨場感あふれるスナップ写真で紹介
III章  再起の山/凍傷で指を失いつつも、クライマーとして復活を果たした、現在までの主要な登攀記録、手記を掲載
IV章  対談・インタビュー/20代、30代と折々に行なわれたインタビューや対談を再収録
V章  登攀年譜/45年にわたる濃密な山行記録の一覧


■著者について

山野井 泰史
1965年生まれ
小学生のときに見たクライミング映画に魅せられ、10代からクライミング一筋の生活を送る。
20代からはヒマラヤなど世界の一線で登攀を実践、いまなお現役で登り続けている。
著書に、『垂直の記憶』『アルピニズムと死』(ともに山と溪谷社刊)、氏を描いた評伝に、『ソロ』(丸山直樹著/山と溪谷社)、『凍』(沢木耕太郎著/新潮社)がある。


--------



出逢いはヤマケイ文庫だったかな。
あと沢木耕太郎の『

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沢木耕太郎『凍』★★★★先日の遭難本を読んでから、調べているうちにこの本にたどり着いた。極限のクライミングアルパインクライマーとは?もともと『百の谷、雪の嶺』を改題...

goo blog

 

 

奥多摩に住んでいたこともある山野井さん、
熊に襲われ大怪我をした倉戸山を通る時どきどきした。

一度トークイベントがあったけど、気づいたら抽選が終わっていた。
話を聞いてみたい登山家、冒険家である。

 

山野井泰史プロフィール | 山野井通信 | EVERNEW

 

山野井泰史プロフィール | 山野井通信 | EVERNEW

山野井泰史プロフィール

山野井通信 | EVERNEW

 

 




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K

2018-10-12 | 探検家




角幡唯介
『探検家の日々本本』★★



読書エッセイ
装丁に味がある→しりあがり寿 http://www.saruhage.com/

最初は勢いもあっておもしろおもしろだったけど、
途中で失速(そういうの多くない?)
この現代で「冒険家」として話題になるのは難しい。
いつ「角幡唯介ついに!」的ニュースが耳に届くのかなって見届けている感じ。
同じく北極探検の荻田泰永さんもね。
https://blog.goo.ne.jp/bookook/e/8b8bb760ff4b8b971285571e40f9ce89

角幡さんは定期的に本は出しているから、作家としては順風満帆!?
やっぱり元新聞記者という肩書もさることながら、硬い文体を持つ。
冒険家ですがちゃんとしてますよ感

何冊か気になった本は抜粋
サマセット・モーム『月と六ペンス』などなど。
先日GETした『倒壊する巨塔』もそう。
読みたい本がまた増えた(汗;)

同じ冒険家としての植村直己について
何度も辛辣な意見があってそこが私的にマイナス
植村好きとしてはそう言ってくれるなってね(先日の「ハルキスト」事件)
そうね植村さんの文体は天真爛漫さが滲み出ていて、
現実離れしているところがあるから、そこに惹かれてしまう。
時代も関係しているし、もぅこの世に存在していないから余計に愛しいのかも。








今回のお誕生日旅行にも持参(『象の消滅』と一緒に)
赤倉温泉にて読破★

旅はよいよね~
しかし写真整理が追い付かない・・
先日やっとバンコク写真保存が終わった。




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K

2018-09-11 | 探検家




角幡唯介
『雪男は向こうからやって来た』★★★



雪男はいるか?
何となくのイメージはスターウォーズの毛むくじゃらなキャラクター
それが雪をかぶって白っぽくなっている姿
「いるわけないじゃん」って笑い飛ばすか、
「もしかしたらいるかもね」って一瞬上記を空想するか。
「興味ない」とはねのけるか。
角幡さんの達観性 冷静さ。
アツさを持った本だったら温度差に引いたかも?
ジャーナリストって言われても、確かに雪男とは結びつかない(笑)
世界情勢、難民問題やらNPOとかそっち。

思えば今日は911
ジャーナリズムの血が沸き立つ過去



さて雪男
今回角幡さんの長編を読むにあたって、まだ読んでいない本ってことで。
雪男に魅せられたオトコ達
そのメインと言える鈴木さんのドキュメンタリーをテレビでみたことがある。



https://blogs.yahoo.co.jp/ngrnp013


http://www.yeti-resort.com/
イエティと言えば「富士山でしょ」となる*

気温も夏から秋にぐっと下がって、今週は30℃を越すことはないそう。







--------雪山から現実の残暑の海へ




























今年最後の夏を満喫するが如く週末は波乗りへ^^♪♪








































帰りの北関東道は貸し切りでびゅんびゅん
心地よいスピード+10Kぐらいが程よく。
途中から外環になるのが、都内に戻ってきた感がなく味気ない。
真っ直ぐ進んで遠めに東京タワーが見えていた頃
飲みに行くのも新宿止まり///
本日はゴルフ仲間と神保町で中華


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U

2018-03-15 | 探検家


植村直己
『極北に駆ける』★★★★

過去へ遡って読むことになってしまったけど、
なぜか新鮮!植村マジック☆
よいのよよいのよ自己満足



---



イヌートソア父さんは、私の姿を見て、「オー、私のエスキモー」とはやしたてる。私より十センチも背の低いナトック母さんは、フードのなかに両手をさしいれて頬をつまみ、赤ん坊をあやすようにしながら、「ナオミ、うまく縫えてよかった。これさえあれば、どんな寒い冬がきても大丈夫よ」と、いかにもうれしそうだ。三十もとっくに過ぎて、こんな子供扱いされたのははじめてだったが、私にはかえってそれがうれしかった。
ナトック母さんの好意にどうこたえたらいいだろう。私はすぐに適切な表現がうかばなかった。しかしなんとかナトック母さんにこのうれしさを伝えたい。私は「あたたかい、とってもあたたかい。それにピッタリだ」と叫びながら、せまい部屋のなかをとびまわり、ファッション・モデルのようにポーズをとってはしゃいだ。そして暗い外にとび出すと、屋根にかけてあるイヌートソア父さんの犬橇用ムチをとり出し、力いっぱいふり回した。



---

ココの部分が何とも言えなく好き。微笑ましい!
植村さんの暖かさ。
あぁ!(心酔)

ラストのエスキモー達の笑顔が浮かぶ。
本来の野性味溢れる人間が存在していた記録、よき時代の冒険史と言える。
今はなき同様の犬橇旅*































どうゆう風の吹き回し?じゃないけど効果てきめん。

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Y

2018-03-02 | 探検家


湯川豊
『植村直己・夢の軌跡』★★★

まだ『極北に駆ける』読めてないけど、でも何となくは分かる。
植村さんとの関係の前情報なしに読み始め、湯川さんは編集者ということが分かった。
別で調べたら、かつては『文學界』の編集長を務めていたそう。
お偉いさんだけど、文章からはそんな印象を受けず植村さんに対しての熱い信頼が感じられ、
回想シーンは胸にくるものがあった。
わたしってホント影響受けやすい(苦笑)

新刊なのにかばんの中でぐちゃっと折れ曲がってしまい凹。。



週末、板橋の植村冒険館に行ってみようかと♪
さすがに司馬さんの記念館はささっと行けないけど、
こっちだったらスグhttp://www.uemura-museum-tokyo.jp/




























あたまの中が真っ白・・
手の上で踊らされているのはわたしの方だ!
大人なのか子供なのか
かしこいのかあほなのか
ちゃんと軌道修正し、言われたことを素直に受け入れ、
「ごめんなさい」「ありがとう」

そして元通り??「いつもの事だから」

魔除けパワー全開

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U

2018-02-26 | 探検家




植村直己
『エベレストを越えて』★★★


色焼けした相当な古本

1984年12月25日 第1刷
(単行本 昭和57年7月)



「私にとって、良い山とはひとつの極限を意味している」

巻き戻って*



***



最高峰から極地へ、極地から最高峰へ。つまり垂直、水平、そしてまた垂直へと、私の夢の振子は地球の極点をぎりぎりからぎりぎりに振れる。その振子が振れ、自分の前に来たときに黙って見逃すことはできない。



一言でいうと、山というのは、人それぞれに自分の山登りが出来ればそれがいちばんだと思う。人にあの山はいいとすすめられて登っても、その山の本当の良さは見つけられないかも知れないし、その山がその人にとって良い山だったかどうかもわからない。どの世界、どの道もそうだろうが、山というものは結局、自分で見つけていくものであろう。
私にとって、良い山というのは一つの極限を意味しているといってもいい。私が何度もエベレストへ行ったのは、登りたい、頂上に立ちたい、という欲望もむろんあったが、国際隊のときには日本山岳会隊が手こずった南壁にもう一度挑みたかったからだし、冬山登山隊の場合は一月のいちばん厳しい状態の中で登頂に挑むというところに何ものにもかえがたい魅力があったからだ。そういう極限の中での発見が、私にとっては新しいものなのである。



***



--------(抜粋)


山を愛し、山に消えた不世出の冒険家が、1970年、日本人として初登頂したのをはじめ、六回のエベレスト行のすべてを語る。
植の登山観、死生観が読みとれる。

--------




























上手くゆかない・・
心臓がどきどきしている。困ったなぁ
ちょうどメールを送って3時間Just
ちがうことを考えようとしてもだめみたい。
この呪縛から解放されたい。

本気で沖縄移住考えてみる?

涙で浄化


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U

2018-02-23 | 探検家




植村直己
『青春を山に賭けて』★★★

 

--------(抜粋)

 

家の手伝いからは逃げ、学校ではイタズラばかりしていた少年は、大学へ進んで、美しい山々と出会った。―大学時代、ドングリとあだ名されていた著者は、百ドルだけを手に日本を脱出し、さまざまな苦難のすえ、夢の五大陸最高峰登頂を達成する。アマゾンのイカダ下りもふくむ、そのケタはずれな世界放浪記

 

--------

***

アルプスの岩と雪/朝焼けのゴジュンバ・カン/マッターホルンの黒い十字架/アフリカの白い塔/アンデス山脈の主峰/六十日間アマゾンイカダ下り/王者エベレスト/五大陸最高峰を踏破/地獄の壁グランド・ジョラス

***


愛してやまない植村さん
キャラクター的に憎めない。そうなんだろうなって読んでいて思う。
先日感銘を受けた山野井さんとはまたちがった愛嬌がある人
もぅ仕方ないなぁ・・って世話を焼きたくなるような
まだ二作目ですけど(笑)

次は『エベレストを越えて』既に手元にある。
茶色に変色した古本も古本・・

山熱が冷めないうちにどんどんゆこう~


---



「私は五大陸の最高峰に登ったけれど、高い山に登ったからすごいとか、厳しい岩壁を登攀したからえらい、という考え方にはなれない。山登りを優劣でみてはいけないと思う。要は、どんな小さなハイキング的な山であっても、登る人自身が登り終えた後も深く心に残る登山がほんとうだと思う」



---




























池袋駅構内で迷子・・おいおい;
何となくこっちかなぁ~ いやちがう?
じゃああっちかな~ いやいやちがうっぽぃ
ってことはこっち? そうね 感じだとこっちだ!
・・あ ちがってた。
じゃあどっちよ?どこよ~
方向音痴じゃないんだけど、最後Googleマップのお世話になりました。
東京駅や新宿駅じゃ迷わないから過信した・・
池袋侮れず。



https://www.doutor.co.jp/fukuro/


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U

2018-02-16 | 探検家


植村直己
『北極圏1万2000キロ』★★★★+

止まらないヤマケイ文庫
こんな素敵な冒険本を知らなかったとは!
そうよね詰めが甘い
植村直己・・エベレスト?何となく聞いたことがあるのみで。
新たな山友と飲んだときに「マッキンリーに消えたんだよね」って。
「亡くなった」ではなく「消えた」
冒険家としてのロマンを感じる。
どきどき
『植村直己・夢の軌跡』なる本もあるみたい。










犬とのエピソード 最後の白くま登場の場面はどきどきした。



先日の幕張本郷までのちょっとした旅
その往復で読んだのもあり、帰りのホームで電車を待っている短時間の強風の中
「凍える・・」ぶるぶる震えていて、ハッと植村さん「北極の-30℃って一体・・」
蔵王山で-15℃を体験したことはあるけど、その倍・・
全くと言って状況がちがうけど(笑)
震えている場合じゃない!?
しかし寒いものは寒い*
わたしが生まれる前の北極圏であり、今の状況はどうなっているんだろう。
犬橇で旅する人なんていないんだろうな・・

また新たに読書の幅が広がった感じ。




























オリンピックを見ながら読む読む
*ボード*スロープスタイル優勝のアメリカの17歳のパフォーマンスはスゴかった*
滑りに個性を感じて、見ていてカッコイイ!興奮!

そしてハーフパイプ!!!



クールである。


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K

2017-12-19 | 探検家




角幡唯介
『空白の五マイル
 チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』★★★★★



一気に読破
読ませるなぁ・・飾ることのない人柄、ツアンポーに対する熱意が伝わる。
たぐいまれない才能をも感じる。

生と死

後日書き直したいとあったけど、そうしてしまうことによって消えてしまうものがある。


胸がどきどきした文章力
第三章 若きカヌーイストの死

さすが元記者さん(アグルーカでもそう思った)



わたしも同じく死にかけたことがある。
ただそれは自ら挑んだことに対してじゃなく、交通事故という不慮の出来事で・・
「あの時 死んでいたかもしれない」
そこで子供ながらに思ったことはあるけど、重みはなく、その後の人生をひたすら生きて今に至る。

人生の折り返し地点に立つ。



こちら気になる『探検家、40歳の事情』








--------








リスクがあるからこそ、冒険という行為の中には、生きている意味を感じさせてくれる瞬間が存在している。あらゆる人間にとっての最大の関心事は、自分は何のために生きているのか、いい人生とは何かという点に収斂される。いい人生とは何だろう。私たちは常に別々の方法論、アプローチで、それぞれに目的をかかげていい人生を希求している。カネ、オンナ、権力、健康、ささやかな幸せ、心の平安、子供の健全な発育・・・・・・、現実的には別々のかたちをとりつつも、本質的に求めているものは同じだ。いい人生。死が人間にとって最大のリスクなのは、
そうした人生のすべてを奪ってしまうからだ。その死のリスクを覚悟してわざわざ危険な行為をしている冒険者は、命がすり切れそうなその瞬間の中に生きることの象徴的な意味があることを嗅ぎ取っている。
冒険とは生きることの全人類的な意味を説明しうる、極限的に単純化された図式なのではないだろうか。
とはいえ究極の部分は誰も答えることはできない。冒険の瞬間に存在する何が、そうした意味をもたらしてくれるか。なぜ命の危険を冒してツアンポー峡谷を目指したのか、その問いに対して万人に納得してもらえる答えを、私自身まだ用意することはできない。そこはまだ空白のまま残っている。しかしツアンポー峡谷における単独行が、生と死のはざまにおいて、私に生きている意味をささやきかけたことは事実だ。
冒険は生きることの意味をささやきかける。だがささやくだけだ。答えまでは教えてくれない。








--------




























本人のブログ身近に発見☆
http://blog.goo.ne.jp/bazoooka




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K

2016-02-01 | 探検家




角幡唯介
『アグルーカの行方
 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』★★★★



旅行記でも特にこういった極地もの(記録しているのは『北極男』)
惹かれて手に取る傾向が多い。

新聞社で働いていたからなのか文才があって読ませる文章
フランクリン隊との考察も含め、なぞを解明していく経過も的確


一気にこの週末で読破
読みながら地図を見て一緒に辿るよう(暖かい部屋だけど。。)
何度も何度も島の名前と湾の名前入り江の名前を反芻しながら。
探検家によってちがうルートもあたまに入れながら。


引用文献で気になる本はやっぱり『世界最悪な旅』


---



アグルーカとは、イヌイットの言葉で「大股で歩く男」を意味する。
背が高く、果敢な性格の人物に付けられることが多かった。
かつて北極にやって来た探検家の何人かが、この名前で呼ばれた。



---



おそらく極地というのはそういう場所なのだろう。生から死へ至る一連の過程が、あくまで地続きに、滞りなく起きてしまう。圧倒的に過酷な自然環境が、そこにいる人間に死を無意識のうちに受容させる場所なのだ。当時の極地探検家とは、おそらくそのことを半ば織り込み済みで極地に向かった、半分壊れた人たちだったに違いない。『世界最悪の旅』を読むことで、私はそうした『極地観』を抱くようになった。ナイーブだった当時の私にとって、死とはまだ生から遠く隔たった世界にあるものだった。だから極地のようなあたかも生と死が渾然一体となった場所に、
自分が行くことなど想像もできなかったのだ。



一番の目玉は何といってもサラダ油とゴマ、それにきな粉を加えた荻田特製のチョコレートだった。
リゾリュート湾を出発してからしばらくは、まだ体に余分な脂肪が残っていたせいか、私には規定量通りの食糧を食べるのがしんどいぐらいだった。それに荻田特製チョコレートは、私に言わせれば、あまりいい出来だとは思えなかった。一日の行動が終わり、テントの中に入ると、いつも行動食のジップロックの中にはチョコの塊が残っていた。寒さのせいでチョコレートというよりも煉瓦のブロックのように固くなり、無理して食べようとすると歯が折れるのではないかと少し怖くなるほどだった。荻田は北極に来る時は必ず、この固い物体を食べているのだという。
「そのうち疲れてくると、このチョコがうまくなるんだ」
荻田はことあるごとにそう言っていた。
「最後のほうはいつも、日本に帰ったらこのチョコをたくさん作って食いまくってやろうと思うんだよね。信じられないだろうけど」
私には彼の話が信じられなかった。たぶん彼とは味覚が合わないのだろう。もしかすると顎や歯の強さが違うのかもしれない。そもそも私はチョコが嫌いなのだ。最初のうちはそう思っていた。
しかし出発してからしばらく経つと、彼が言ったとおり、私にも確かにそのチョコがおいしく感じられるようになってきた。疲労が蓄積し、荻田の話が現実のものとなりつつあったのだ。そして驚くことに二週間も経つと、休憩の時にジップロックをあけて最初に食べるのは、このチョコになっていた。相変わらず固くて食べにくかったが、ビーバーのように前歯でがりがり削ると、何ともいえないとろりとした上質な甘みが口の中に広がった。そして出発してから二十日ぐらい経った頃だろうか、荻田が御信託を述べるように言った。
「ついにこのチョコが一番うまくなった。体が本当に消耗している証拠だ」



GPSが登場するまで極地探検や航海では六分儀などの航海計器が使用されていた。

極地を旅することの意義は自然の中に深く入り込むことである。自然にいたぶられ、その過酷さにおののき、人間の存在の小ささと生きることの自分なりの意味を知ることになる。しかし、GPSのこの便利さは、こうした極地における冒険の意義を失わせかねない。自然の条件と無関係に作動するGPSは、たとえ氷点下四十度の乱氷帯の真っ只中にいたとしても、多かれ少なかれ私たちを自然から切り離す。何よりも、厳しい自然の中を自分の力だけで旅をするという最も基本的な部分が侵されているような気にさせられる。



壊血病――。サイリアクスが犯人として指摘したこの病気は、十六世紀の大航海時代以降、外洋に乗り出す船乗りから最も、海賊よりも恐れられてきた病気だ。発病すると生気がなくなり、歯根のあたりまで歯肉が腐り、歯が今にも抜けそうになる。息からは悪臭が漂い、足がぐらつき、体中にあざができて放っておくと死亡する。感覚的な苦痛も生じるらしく、ハスの花の香りがもだえ苦しむ原因になったり、病気が進行した場合にはマスケット銃の銃声が致命的になったりするケースもあったという。
この恐ろしい病気が現代の私たちにあまり馴染みがないのは、新鮮な野菜や果物を摂取するか、あるいはビタミンCのタブレットを飲むだけで防げるという単純な理由によるだろう。しかし壊血病を引き起こすのがビタミンCの欠乏だと分かったのは二十世紀前半のことで、それまでは壊血病の発症が何に起因するのか、はっきりとは解明されていなかった。



「キングウィリアム島では一人旅をしないほうがいいよ。多くのイヌイットが仲間の肉を食べる白人の幽霊を見てきたからね」



結局、人間が不毛地帯を旅しようと考えたら、十九世紀のヴィクトリア朝の英国人も、二十一世紀のロスジェネ世代の日本人も同じようなことを考えるということが、私には面白かった。十九世紀の英国の探検隊など、私たちにとっては別の国の歴史の住人という遠い存在にすぎないが、しかしひとたび北極という共通の条件の中で絞り込まれると、そうした社会や時代の差異は一遍に無化され、同じ人間という共通項だけが浮かび上がってくる。北極を旅するというのはもしかするとそういうことなのかもしれないとも思った。



これは日本を出発する時点で決めていたことだが、ジョアヘブンから先では氷上区間で使用していた衛星携帯電話を置いていくことにした。フランクリン隊の生き残りは通信手段を持っていなかったから、というのがその理由で、彼らが見たものに近い風景を体験するためには、なるべく同じ状況に身を置いて旅をしなければならないという気持ちが私にはあった。

どうやって自然の奥に入るかが冒険の難しさなのだが、通信機器を持っていくと、どうしてもその「入り込み感」が弱まってしまう。もちろん持っていった方が安全なのだが、最悪の場合は救助を呼ぶことができるという担保を心の中に持ってしまうことが、自然の中に入り込むことを阻害する要因になってしまうのだ。

冒険の本来の姿は放浪である。この先、自分はいったいどうなるんだろう。そういう漠然とした、先行きが不透明なところにその魅力はある。そして未知の世界に挑む探検にこそ、そうした冒険性は最も色濃く反映される。システム化された世界、マニュアル化された枠組みの中で展開される行為は、どんな冒険的な意匠を凝らしていても、それは冒険ではない。



「この光景を見た人間は、もしかしたら有史以来、初めてかもしれないな」
荻田が立ち止まってつぶやいた。ずいぶんと感傷的なことを言うやつだなと私は思ったが、しかしその言葉は、私たちにとっては決して大げさというわけではなかった。イヌイットを含めても、夏の不毛地帯の奥深くに、これほど入り込んだ人間が過去にたくさんいたとは思えない。それだけ私たちは人間が足を踏み込まない環境の中を旅していた。少なくともそう思えるところにはいた。目の前に広がっているのは、地球が作り出した生のままの自然だった。私たちはそこに人間の住む場所から二十四日かかってやって来て、そこから出ていくのにも同じぐらいの日数を必要とするだろう。私たちがそこにいることを知っている人間は、この世に一人も存在しなかった。私にはそれが素晴らしいことのように思えた。だからこそ私はたちは目の前の風景と直結し、重なりあい、溶け込むことができていた。人間と接触した過去と、接触する未来が、時間的にも距離的にも遠く離れすぎていて、現在の自分からは想像もできないという、まさにそのことによってもたらされる隔絶感の中で私たちの旅は続けられていたのだ。
もしかしたら自由とはそういうものなのかもしれなかった。
私はアグルーカと呼ばれた男のことに思いを馳せた。もし彼らが不毛地帯に向かったという話が本当なら、その拒絶感は私たちが感じたそれよりもはるかに強いものだったにちがいない。何しろ彼らには過去の記録どころか、地図すら一切なかった。不毛地帯を横断した探検家はまだいなかったのだ。
地図がない世界を旅していた人たちを私は純粋に尊敬する。地図がなければ、その先の地形の状態が分からず、先の見通しが立たない。大きな川に行く手を阻まれるかもしれないし、知られざる湾がそこに立ちはだかっているかもしれない。それは今という時間が未来から分断された世界を旅するということに他ならないのだ。土地が未踏であるということは、彼らの隔絶感をさらに高め、旅を不安なものにしていた。しかしだからこそ、いっそう魅力的なものに変えていたともいえる。
だから私は思うのだ。アグルーカと呼ばれた男が本当にいたのなら、彼の目に映った光景は、私たちが見ているものよりも、はるかに美しいものだったにちがいないと。



川で水遊びする鳥の鳴き声が遠くまで響きわたった。鳥が水と戯れる音以外は何も聞こえなかった。風と水の流れがなければ北極の荒野からはまったく音が消えてしまう。恐ろしく静寂で澄み切った世界だった。



「ベイカー湖の近くで写真を撮ったらヘリコプターが写っていたの。何かなと思ったら、ヘリじゃなく蚊だったわ」



「探検にはそれ自体に価値がある」



彼らは北極の自然に囚われていた。

北極の氷と荒野には人を魅せるものがある。一度魅せられると人はそこから中々逃れられない。それまでふらふらろ漂流していた自己の生は、北極の荒野を旅することで、初めてバシッと鋲でも打たれたみたいに、この世における居場所を与えられる。それは他では得ることのできない稀な体験だ。だから彼らは何度も行って、顔に凍傷を作り、飢餓に苦しみ、壊血病にかかり、ひもじい思いをして帰って来た。そしてまた行く。誰かに言われたからではなく、自分で行きたくて行くのだ。
探検とはそういうものなのだろうが、たぶんフランクリン隊はちょっと先まで行こうとし過ぎたのだ。まだ時代はそこまで許していなかったのに、彼らはそれより先に行こうとした。それで結局失敗した。しかし彼らは死ぬために行ったのではなかった。だから生きて帰ってこようととした。アグルーカの物語は、その最後に生きて帰ってこようとした人間の象徴的な後ろ姿であるように、私には思えた。
アグルーカは最後に不毛地帯のどこかに消えた。私が見たかったのは彼らが消えたその風景だった。今でも思うことがある。私にはそれを見ることができたのだろうかと。



人跡の稀な場所から人里に向かって旅をする時、そこが風の吹き荒ぶ荒野であろうと、緑の濃い不快な密林であろうと、どんな場所であれ最初に現れるのは必ず道である。

だから私はいつも道を見た時に、自然の中から人間の住む場所に戻ってきたことを知り、旅はついに終わったのだという感慨をいだく。


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