◆BookBookBook◆

📚読書備忘録📚
(自己評価★★★★★)+泣ける物語
たまに山ブログ
         

Y

2017-12-31 | 吉田修一


吉田修一
『最後に手にしたいもの』★★

もう一冊対になっている赤vr.
ANA『翼の王国』
こちらの装丁もステキ

大掃除も半分済み、昨夜眠る前のひととき電話待ちにさらっと読んでしまった。
白いカーテンを半分だけ洗って、洗っていない方と比べてみた(ただ忘れただけだけど・・)
一年間の汚れをキレイに落とす。
断捨離は思ったより少なく、今年は物をそんなに増やさなかったことを実感
(又は収納がかなり充実している とも言う?)

こちらはほぼ旅行記となっていたけど、伊勢神宮をゆっくり巡ってみたくなった。
内宮と外宮
前回は確か奈良の帰りに立ち寄った記憶
メインで伊勢はどうかしら?



---



自分の好きなものを、「好きだ!好きだ!好きだ!」と堂々と言えることの、なんと気分のいいことか、自分にとって大切なものを、「大切だ!」と叫ぶことの、なんと晴れ晴れすることか。
騙されたと思って、ぜひ読者のみなさんも一度どこかでやってみてほしい。別にエッセイなんか書く必要はない。もちろん誰かのことを犠牲にしないという大前提な話だが、ぜひ自分の好きなものを「好きだ!」と堂々と口にしてみてほしい。大切なものを、「大切だ!」と叫んでみてほしい。



---

よいね「好きだ!」「大切だ!」
(笑)



---



望みを手にするために、誰かの承認を求める必要なんてない。
誰かを羨んだりせず、今の自分自身に満足する。
ユニークで、レアで、大胆な自分自身に。



---






























今朝は初雪*
さておせちも取りに行ってきたし(豪華三段重ね♪)
レアな日本酒も既に届いている。
クリスマスに飲めなかったヴーヴは冷やしてね+GODIVA

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

M

2017-12-31 | 山と渓谷社、関連本




丸山直樹
『ソロ 単独登攀者 山野井泰史』★★★



http://blog.goo.ne.jp/bookook/c/08e0f63c9043721d69c51607b790c75b
あれから気になっていたアルパインクライマー山野井さん
その行動と思想を追ったドキュメンタリー




---



「痛がったり寒がったりしても、何の解決にもならないじゃないですか」とさらりと言ってのける。
まだ十七、八歳の年齢にして、この強靭なものの考え方はどこから来るのか。

「普通の人生は歩みたくない」「将来は自分の好きなことをしたい」「周囲に何か与えられるのではなく、自分の力で何かをしたい」と考える、まだ淡い自意識があった。

いわば山野井は“何物にも束縛されない奔放なまでの自由”を、子供ながらに請い望んでいた。たとえその願望が、世 間の常識や既成の価値観とは、相入れないものだと知ってはいても……。




「乖離」




根は素直で我慢強く、自分の不幸を他人のせいにしない。しまも強い目的意識をもって生きている。

成功か、死か。
言うなれば「見えざる生と死の境界」は、常人には決して超えられない。

クライマーならだれしも、最高度のエクスタシーを求めて極限の登攀に挑戦する。
この意味でソロこそは、最も危険かつ困難であるだけに、エクスタシーの極致を得られることになる。だが甘美なエクスタシーに正比例して、死の恐怖も皮膚感覚で迫ってくる。だから一流のクライマーは、必ずやある段階で「エクスタシーか、死か」という絶対矛盾に襲われることにな る。そしてこの段階で、死の恐怖を乗り越えられる精神力をもつかもしくは、すっぱり山をやめない限り、クライマーは壁以外に打ち込む対象がないだけに、袋小路の閉塞感にとらわれて行く。
『完結された青春』から伝わってくる、息苦しいまでの閉塞感は、おそらくこうした状況の反映にほかならない。
ソロはこうした状況に加え、絶対にミスを犯さない完璧な自己コントロール、何が起こってもパニックに陥らない自制心、さらには決して諦めない闘争心など、いわば経験や訓練でいかんともしがたい「驚異的な個の強さ」が求められる。むしろ極限のストレスを「快感」とまで感じるくらいの強靭さが必要になる。そしてこれは言うまでもなく、だれにでも決して身につくものでは ない。なぜなら強
固な自己が、経験や訓練で培われるのなら、クライマーのだれもがソロを志向するだろうし、しかしあれほど多くの人間は死なないはずである。だから私は思うのだ。「ソロは、だれにでもできるものではない」と。そして真のソロ・クライマーとは、本人の意欲や努力とは別に「特別な何かが備わっていなければならない」と。

資質かな、とも私は思う。



無酸素登山のリスクを、山野井はこう指摘する。
「(無酸素の場合)ヒマラヤ経験者の六割が経験すると思うんだけど、よく『横になるのが怖い』って言うよね。あれは体を横にすると、酸素が肺に入って来なくなるからで、だから夜、寝るのが怖いんだ。酸素が体に入りやすい順番は、歩く、立つ、座る、寝るの順番だから、寝ているときが一番呼吸が苦しいんだ。」

酸欠状態が度を越すと、思考が鈍り、ときには目が見えなくなり、やがては高山病を併発して死にいたる。たとえ高山病にかからなくても、注意力が散漫になってミスを犯しやすくなり、滑落などで命を落とすことになる。

「(酸欠で頭がぼけると)恐怖心がなくなるんだ。これがヒマラヤでは一番怖い。ヒマラヤの滑落例をよく見ると、叫び声をあげて落ちていくのは意外に少ないよね。みんな、スゥ~ッと消えていく。おそらく落ちる瞬間は、本人は意識がもうなくなっている状態だと思うんだ。これに対して、ヨーロッパ・アルプスなどの事故例は、ものすごい声をあげて落ちていく。なかには落ちながら、必死にザイルをつかもうともがく奴もいる。それだけ意識がまだあるんだよね。でもヒマラヤは、スゥ~ッと消えていく……。これは怖いよね」

「山に登るのに、なぜ安全を求めるのか」
山野井のこの問いかけは根源的な意味をもつ。
言うまでもなくこの対極に、山野井がいる。



山に溶ける



「登りはじめて数時間後のことだったろうか。とりわけ傾斜の立った壁を登っているときに、こんなイメージが想像できたんだ。『今、2200メートルの巨大な壁のなかに自分がいる』と。何もかもが冷えきっていて、それに夜だったせいかもしれないけれど、背後に広がる闇の空間と、足元に広がる高度感が、とてつもないスケールに感じられたんだ。『そこを今、小さな自分が登っている』と」

想像してみるがいい。何もかも凍りついた厳寒の深夜、小さなヘッドライトの明かりが、巨塊を登りつめていく様を。音はない。青黒い闇は動かない。ただ中天に、月光が無言でたゆたっている……。
そんな緊迫と静謐のなかで、演者は自分がたったひとり。観客もまた、自分ただひとり。神々しくも温もりもない、ざわめきも気配も感じられない天空の舞台を、山野井は淡々と攀じていった。

山野井は壁に「溶け込んでいった」


---










https://matome.naver.jp/odai/2136559108981901601


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬の庭

2017-12-29 | ガーデニング+家庭菜園




あれからちょうど一年が経ち・・早いものね と。
今朝の富士山はいつにも増して綺麗で感嘆の声をあげてしまった。
薄い紅色の朝陽、澄み渡った空気にくっきり浮かぶ。
ホントあっと言う間
歳を重ねるごとに時間がどんどん過ぎてゆく。
区切りの意味も込めて。
死は誰にでも訪れる メメント・モリ
毎日感謝と願いを込めてお線香を絶やさず祈る。























































--------








私達生きている者たちのメインは”寿命が来るまで生きていく事”です。
故人の為に生きる事ではありません。
そして、供養は宗派の形式をただすればいいってものでもありません。
供養での全世界の一番の共通点は”故人への想い”です。
「故人を想い真心を持って供養する」これが一番の供養です。
もし、我々生きている者の生活を無理させての供養なら、それは呪いと同じです。
「生きてる者が無理をせず、故人を尊び想いそれぞれの宗派にそって供養する。」
これが正しい供養だと私は思います。







--------

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

S

2017-12-26 | 作家別諸々(さ行)




沢野ひとし
『北京食堂の夕暮れ』★★★+



毎年恒例年末高尾山
歌舞伎町を横目に週末早朝の新宿を歩く。
足早に歩いている人はどこへ向かっているんだろう。
この寒いのに道端で酔ってそのまま眠っている人が・・
京王線で一本、この本を読みながら高尾山口終点まで。
今回はペースを少々崩されつつも休憩なしで頂上へJust一時間☆




高尾山から見えた大山
・・・遭難本尾を引いてるね(苦笑)


さて本題にあるように中国事情について書かれた本
わたしの身近の中国人は会社の方さんと陳さん
どちらも気さくで丁寧、笑顔が特徴的
読んでいて二人の顔が浮かんできた。
まぁ過去爆買いやら、マナーの悪さやらで賛否両論があるけど、
以前会社にいた中国人のオンナのコが堂々と鼻をほじっていたこと、
使用した後のトイレが荒らされていた出来事は強烈で忘れられない・・
(なぜか食べた後のリンゴの芯が浮かんでいたという)
文化のちがいをおもしろく読めた。
保険会社で働いていた時、腰にタトゥの入っていたオンナのコが休憩時間中国語を必死で勉強していたのを思い出す。
「中国語?」「これからの時代は中国よ」と強気なまなざしで。

過去盛り上がった香港は頓挫したまま・・



---

『毛沢東 その詩と人生』
康生が写した詩

人生易老天難老
歳歳重陽
今又重陽
戦地黄花分外香

人生老い難し易しい 歳を重ねる 
今又歳を重ねて陽は昇る? 戦地に咲く黄色い花の香り漂う
としか解釈出来ず・・

↓ ↓ ↓

人の正(いのち)は老い易く 天 老い難し
歳歳に 重陽のめぐりきて
今 又も 重陽
戦地の黄花(きく)の 分外(ことのほか) 香るかな

***

一年一度秋風勁
不似春光
勝似春光
寥廓江天萬里霜

一年に一度の秋風・・? 春の光は不似合い
春の光は何を以っても勝る 霜が降る里の寂寥感
何となくの情緒感

↓ ↓ ↓

一年一度(いちねんひとたび) 秋風 勁し(つよし)
春の光(けしき)に似ざれども
春の光以り 勝れるよ
寥廓たる江天 万里の霜


---




























昨夜のクリスマスディナーはキムチ鍋・・(笑)
一応クリスマスってことでお肉はチキンにしてみたら、
豚キムイメージ払拭 鳥キムイケる!
今まで以上に距離がぐっと近くなった ぶ。

お正月の「飛行機プラン」さてどこに行くのかな・・


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日帰り温泉(会津+編)

2017-12-25 | 日帰り温泉


記憶温泉めぐり~
会津が恋しくなってしまう。
何があるってわけでもないのだけど。
両親はあきれ返って苦笑するけど、緑深い自然が好きなの。

歳と共に薄れゆく記憶
行ったことのあるところ
行ったことのないところ

よく雪道をチェックしていた*
http://www.pref.fukushima.jp/douro/kanri/dourokamera.html



--------

山口温泉 道の駅 きらら289
http://www.kanko-aizu.com/higaeri/91/

両親のおすすめ温泉
(過去気乗りしなくて寝て待っていたこともあった)
とにかく山の中 
(秩父も奥多摩もまだ人家の灯りが多く明るく感じる)

お風呂★★★(泡ぶくぶく溢れるぐらい)
岩盤浴-
お食事-

都会の生活がとても遠くに感じられる場所



---

早戸温泉 つるの湯
https://www.okuaizu-tsurunoyu.jp/

わたしのおすすめ温泉
(母的には微妙?らしい・・)
露天風呂から見える只見川がゆったりと流れ、
山の天気の移り変わりが目の前で起こったのが印象的だった。

お風呂★★★★(好き)
岩盤浴-
お食事△

ここに来ると会津を実感



---

他 この数年で行った温泉が思い出せない・・
奥会津のちょっとした坂の上にあった温泉
芦ノ牧温泉でふらりと立ち寄った宿
だからデジャブ体験するのよね。








+周辺
---

甲子温泉 旅館大黒屋
http://www.kashionsen.jp/

玄関に「日本秘湯を守る会」
そこまで秘湯っぽくなくなったのは道がキレイになったから。
昔の289は笑えるぐらい悪路だった。
行く途中おもしろいのはまちがって掘られたトンネルがある。

お風呂★★★(メインの混浴は断念・・)
岩盤浴なし
お食事-

昔をなつかしむ。



---

湯西川温泉 桓武平氏ゆかりの宿 平家の庄
http://www.heikenosho.co.jp/

雪見露天風呂
(みなかみの山奥とダブる・・)
湯上りに卓球なんかしちゃって温泉地満喫

お風呂★★★(お友達と混浴)
岩盤浴なし
お食事-

静寂 と言いたいところだけど、かまくら祭りで結構賑わっていた。
http://www.nikko-kankou.org/event/64/



---

磐梯熱海温泉 ホテル華の湯
http://www.hotelhananoyu.jp/

日帰りプラン(お部屋お食事付)お風呂三昧♪

お風呂★★★(畳敷きってところがステキ)
岩盤浴なし
お食事?(記憶が抜け・・(汗;))

甘美な想い出として残しておきたい。
ドラマの中の世界より現実の方がドラマチック?



---








*Happy Christmas*


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Y

2017-12-24 | 吉田修一


吉田修一
『泣きたくなるような青空』★★★

題名も然り、装丁にも惹かれてしまった。
ただし・・挿画がそぐわない感じで違和感
線の太さなのか・・ズレてる。

木楽社
どこの出版社??中央区明石だって。
装丁やらも気になってしまう。聞いたことのない人

ANA『翼の王国』
一章だけ機内で読んだのか覚えていた。
ベルンで川を流れる

読んでいたら行きたくなった場所が多数・・とくに上高地!
富山市八尾町の「おわら風の盆」
中華街で坦々麺・・(笑)

真夜中に覚醒★
何となくつらつらと読んでいたら5時前になっていた。
「free Hugs」












  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Y

2017-12-24 | 山と渓谷社、関連本



羽根田治
『ドキュメント生還-山岳遭難からの救出』★★★



もはや何作目なのか分からず・・
ハマりにハマってしまったドキュメントシリーズ
今回「生還」にスポットをあてているから「遺体となって発見」がないから救いがある。
でも遭難は遭難
死と隣り合わせの極限状態を体験した人達

しかし大山での遭難!?その現場を歩いているからドキッとした。
さすがにそれはないと思っていたから冷や汗モノ。。


『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』
お次はこれかしら




---




*北アルプス 南岳

「このときは最初からちょっとおかしかったんですよ」

「春山と秋山は油断ならない」という認識があった。
それでも事故は起こるのである。

「たら」「れば」が通用しないのは、なにも勝負事の世界だけではない。

山では人一倍慎重だったはずの男が陥った、エアポケットのような落とし穴。おそらくは無意識的な行動だったのだろう、としか言いようがない。とにかく、ボタンは最初からかけ違えられていたのである。

「おかしい、やっぱり変だ」「でももうちょっと下ってみよう」――その際限ない繰り返し。山で道に迷う典型的なパターンである。

ビバーク中いちばん困ったのはトイレの問題だった。

「そんな冷たい世界に閉じこめられてしまっていたらどうしよう」
考えはどうしても悪いほうへいってしまう。

昨日のヘリはかなり遠くのほうを飛んでいたが、この日のヘリは自分のほうにまっすぐ向かってぐんぐん近づいてきた。
間違いなく気づいてくれたようだった。「助かった」という思いが、初めて沸き上がってきた。



*福島 飯森山

「うつくしま百名山」

登山口には登山者カードがあり、これに住所、氏名、年齢、電話番号、行程、それに「五時下山予定」と書き込んでポストに入れた。
「そのときはたまたま書いたんだよね。入れるときと入れないときがあるんです。なんとなく、気分ていえば気分だね、カード入れるのは」
“たまたま”という不思議

ヤブ蚊、光る虫、雨、雷、そしてクマの恐怖に悩まされながら過ごす夜は、ひどく長く感じられた。時計を見るたびに、「なんだ、まだこれしか時間が経っていないのか」と、重くため息が口をついて出た。結局、その夜は一睡もできなかった。

「これは幻覚だ」

「地図も持たず、下調べもせず、沢というより厳しい谷川を強引に下ったことは無謀、いや自殺行為にも等しいものであり、自己過信であったと反省の気持ち、途中からででももどる勇気があったならと後悔の念でいっぱいになりました。そして、どんな山でも気象の変化など自然界は厳しく、侮ってはいけないと、改めて今後の教訓にしなくてはとも思いました」
たしかに山の遭難事故のなかでも、「道を間違えて沢に迷い込み、その沢を下 ろ うとして滝や崖から落ちて死傷する」というケースは非常に多い。

引き金となったのは、やはり“酒”ではないだろうか。

「山ではよく、励ますつもりで『もうすぐですよ』とか言ったりするけど、実際にはけっこう時間がかかったりするでしょ。だからあんまり安直なアドバイスはしないで、『ちょっと大変だよ』ぐらいに言ったほうがいいかもしれないね。」

「犯罪者は現場に立ちもどるって言いますけど、やっぱり行ってみたいんです」



*北アルプス 西穂高岳

フラッシュが救った命

「待て、落ち着け、もっとよく状況を把握しろ」

「自分にしてみれば『まさかこんな場所で』っていうのがあったし、やっぱり遭難ていうのは考えたくなかったんでしょうね」

『あっ、落ちた』と。
落ちながら、『これはもうダメだな。あとは運にまかせるしかないな』
落ちていくときには声も出なかった。岩にぶつかりながら回転しているのがわかったが、自分ではどうすることもできなかった。

落下して数秒後に、軽いショックを受けて体が雪の斜面に投げ出されたのがわかった。一瞬、「ああ、助かった」と思ったが、今度は体が雪の斜面の上を滑り始めていた。今、滑り落ちていっている斜面の下はどうなっているのかわからない。もし滝か絶壁でも現われて、そこから投げ出されたら、もう助からない。それを思ったときに、初めて恐怖が全身を貫いた。

つけっぱなしにしていたラジオからは、自分に関する遭難のニュースは一度も流れなかった。それがいっそう不安を募らせた。

ヘリの音が聞こえたのは、昼も過ぎたころだっただろうか。ガスで機体は見えなかったが、ヘリは上空を旋回しているようだった。
「来たっ」と心のなかで叫んだ山本は、音のするほうへ向かって夢中でカメラのフラッシュを焚いた。
フラッシュを焚いて合図を送るというのは、その場で思いついたことだった。

「ほんと、あれは奇跡としか言いようがない。ふつう、あそこから落ちたら間違いなく死んでいるはずなんだから。でも、足の骨を折りながら安全な場所まで移動して三日間持ちこたえた精神力、とっさにカメラのフラッシュを焚いて自分のいる場所を知らせた機転はすごい。あれがなかったら、まず発見できなかっただろうな。絶対生きて帰るんだという執念だね」

その年末年始は、山での遭い難事故が続発していた。そのひとつひとつが、山本にとってとても人ごととは思えなかった。事故を伝えるニュースを病室のテレビで見ながら考えたのは、「今、この瞬間にも俺と同じ思いをしている人がいるのかなあ」ということだった。

「危ないところに魅力があるというのはたしかだと思います。だから僕が感じるのは、山のリスクを超えていくおもしろさといったところですかね」

「相手任せの山登りはしない」
 


*滋賀 岩菅山

十七日間の彷徨

「おい、あれは人間じゃないか」
「ええ、たしかに人ですよ」

オロク(死人)

「時間がかかるなあ」とは感じたが、まだ「おかしいな」とは思わなかった。

「自分ではコースどおりに歩いていたつもりだったんですけど、どこかで外れてしまったんでしょうね。それでもおかしいなとは思わなかったんですよ。登山道を外したと思っていたら、どこかの時点でもどろうとしていたでしょうからね」

とにかく、すべては時間的な余裕のなさから生じたことなのである。

翌日には下山できるものと思っていた。よもや十七日間も山のなかを彷徨うことになろうとは想像もしていなかった。

いったい自分が今どこにいるのか、まったく見当もつかなかった。

マスコミが報道したように、たまたまマヨネーズという高カロリー食品を持っていたから生き延びることができたというのは事実であろう。

沢のほとりにたたずんでいると、せせらぎの音が人の声や音楽が聞こえたりすることがあった。夫婦の登山者が山道を歩いてきたと喜んだら、それは錯覚であった。

山好きの父親に「山で食べられるうちは絶対に平気なんだ。ほんとうにダメになったときは食べ物がのどを通らなくなる」

指摘すべき問題点は装備についてである。いくら日帰り登山とはいえ、コンパス、ストーブ、ライターあるいはマッチ、ヘッドランプを持っていなかったのはお粗末と言われても仕方あるまい。まして雪のある時期のこと、万一のことを考えてツエルトや着替え一式ぐらいは持って当然である。



*南アルプス 仁田沢

カメラのシャッターが下りたままになったかのように、突如、すべては闇に包まれた。とにかく覚えているのはそこまでだ。

それはぐっすり眠ったあとの目覚めのようだった。

ガタガタと震えながら木の枝の間から空を見上げれば、一面に星が広がっていた。
「今日はダメだったけど、明日こそは見つけてもらわなければ」

「あれ、あんなところで釣りをしている人がいる」と思って大声で「助けてくれ」と叫ぶのだが、もちろん枯れ木がそれに応えるはずはない。しばらくして「ああ、枯れ木だったんだ」と気づいた。

「早く助けられたい」と願う気持ちが、幻覚を生んだのである。

<置かれた状況のもとで死を直感し、昨日、今日のうちにあきらめがしぜんに生まれたのか、あるいは、自分で気づいていない体力がまだ充分あって、絶体絶命の状態でないことは体はわかっているのか、悲しみや恐怖のようなものがわいてこない。泣き、もがき、叫ぶこともない。なにかを恨むこともない。ただ家族に対し、ひと言でいいから書いておきたいと思ったが、書くためにものもなにもない。このことだけは残念に思った。眠くなると、手についた雨水を目の周りに塗ってがまんした>

「ひと言書き残したとすれば、『すまなかった』という言葉でしょう」

動いていると、折れた骨が擦れてクキッ、クキッと音を立てた。それでも痛みはない。脳内に痛みを麻痺させる物質が出ているのだろう。移動しながら、ぼんやり思った。神様というのはうまく人間の体をつくったものだなあと。

「なにを考えても途中で終わっちゃうっていうか、深く考えられないんですね。こういう状態でだんだん衰弱していくんだろうなと思いました。救助が来ると信じていたんだけど、もし来なかったら、たぶんこのまま逝っちゃうかもしれないな、と」

いずれにしても、七日間の極限状を耐えさせたのは「必ず助けに来てくれる」という確信であり、それは事前に詳しい行動計画を家族らに知らせておいたとから生じている。そういう意味では、第三者への行動計画の提出がいかに重要かを再認識させられる一件であったといえよう。

「杖を持って歩くべきです、中高年登山者は。下るときに杖を使うことによって、筋肉の疲労度が違いますし、バランス保持も違ってきます」
加えて「道に迷ったら絶対谷を降りるな」「遭難したら動くな」



*大峰 釈迦ヶ岳

結局、登ったり下りたりを三時間ほども繰り返すうちに、どこにいるのかまったくわからなくなってしまった。時刻は午後三時。時間的にまだ早かったが、あまり動き回って体力を消耗するのはまずいと思い、樹林の斜面に平らになった場所を見つけてビバークの準備に入った。

不安な気持ちがなかったわけではない。が、それほど深刻なものではなかった。明日になればなんとかなるだろう、そう思いながら眠りについた。

沢にはたくさんのオタマジャクシがいた。食べられそうなものは、ほかに見当たらなかった。飢えをしのぐために、その網でオタマジャクシをすくって食べた。
「さすがに噛み切る勇気はありませんから、飲み込んでました。踊り食いですよ。その沢にはサンショウウオもいたのでトライしてみましたが、ダメでしたね。口に入れてすぐ、もどしてしまいました」
それからというもの、この網でオタマジャクシをすくうのが毎日の日課となった。

「人間、日ごろなんの気なしに暮らしているんですけど、国だとか地方自治体だとか、会社だとか家庭だとかに守られているんですよね。意識していないところで。そういった何重ものバリアで守られているということを、つくづく感じました。ところが、ああいう状況になると、まったく違う世界に放り出されたという感じがするんです。個人は無力だなあって思いましたね。だから早く人間の世界にもどりたいなあって」

死ぬか生き延びるかの確立は半々。

しかし不思議なもので、偶然というのは重なるときには重なるものである。

「同じ日に同じコースを歩いているほかの三人の方は迷わずに通過しているのに、私だけが迷ってしまったんですから、やはり注意力が足りなかったのだと思います。その伏線に、最終バスに間に合わせなければという気持ちがあったことは確かでしょう」
もうひとつの反省点は、道を間違えたあとのリカバリーのまずさだ。迷ったことに気づいて引き返そうとしたときに、下ってきた方向がわからなくなっていたのだから、漫然と行動していたと思われても仕方あるまい。



*北アルプス 槍ヶ岳

みぞれはいつしか雨に変わっていた。気温はかなり高いようだった。しとしとと降る、嫌な感じの雨だった。
真冬の2000メートル地点で雨に降られるというのは、そうそうあることではない。

「冬山は行き慣れたところ以外へは行かないという、自分なりの信念があったんです。単独行ですから、万一遭難したときを考えるとね。慣れたところであれば、どこに逃げ場があるとかわかりますから。」

事前の念入りな調査と万全の装備、そして無理のない計画。そこには遭難という危険因子が入り込む余地はないように思われる。だが、行動中にわずかな油断と判断ミスが生じた。そこからほころびは大きく広がっていくことになる。

「まさかそんな短時間の間に天気が激変するとは考えてもいませんでした」

雪に閉じこめられた暗闇のなか、朝を待ちながら思うのは、昨日のちょっとした油断のことばかりであった。

テントでは寒さが厳しかったので、この日は雪洞を掘ることにした。

とにかく救助を待つしかなく、持久戦に備えて雪洞内の居住性をよくするため、足を伸ばして横になれる程度にまで穴を広げた。

水分は雪を食べて補給したが最小限にとどめ、常に口の中がニチャニチャとする状態に保っていた。完全に渇きを癒すことよりも、雪を食べることによって体温が低下することを恐れたからだ。体温が下がっていくことを抑えられず死に至るという遭難のケースは、書物なので何度も目にしていた。だから絶対に体温を下げてはならない。始終それだけを心がけていた。

「たしかマタギの教えだと記憶しているんですが、本で読んで以来、ロウソクとマッチと新聞紙はどんな山行のときでも持っていくようにしていたんです。それが初めて役に立ちました。新聞紙は靴が濡れたときなどに水分を吸収させるために使うんです。そのときは使いませんでしたけど。ロウソクは灯にもなるし暖房の代わりにも使えるし。そのロウソクに火をつけるのも、マッチじゃないとダメなんです。ライターだと、気温が零度ぐらいになると火がつきませんから。マッチならどんなに気温が下がっても火がつきますからね。真っ暗闇な雪洞の中では、ほかの装備がいくらよくても、このロウソクとマッチがなければどうすることもできませんでした。だからロウソクとマッチを持っていたことが、私が生き残れた最大の要因だと思います」

だが、できるだけ節約しながら使っていても、ロウソクは日に日に短くなっていった。そしてもしロウソクが尽きてしまったら……。そのときは自分の命もなくなるときだろう と 思っていた。

両手の凍傷はかなりひどい状態になっていた。

松濤明『風雪のビバーク』



*丹沢 大山

「今から引き返したら、今日中に帰れないんじゃないか。だったらもうちょっとがんばって歩いて、下に下りたほうがいいだろう」

「このまま行っても大丈夫かなあ。もどったほうがいいんじゃないの」

夜の寒さは思いのほか厳しかった。焚き火を絶やさないように、女性三人が約二時間ごとに交代で火の番をした。くべる薪がなくなってきたら、ヘッドランプを点けて交代で拾いにいった。

「今からでも引き返していけば、大山の頂上まではもどれる。そうしたら確実に家に帰ることができるんだから」

疲労から幻覚を見るよう に なっていた。「あそこに人がいる」「あっちに道路がある」などと言っては、そちらのほうへ走っていってしまうのだ。
「そんなものはないから、お願いだから私たちといっしょに行動して」と泣いて説得した。このときがいちばん怖かったと、彼女は振り返る。

「私たち、どうなるんだろう」と言って泣いた。
誰かが不安に押しつぶされそうになったときには、ほかの者がそれを受け止めた。
優しく抱きしめながら、「大丈夫だから。絶対に帰ろうね」と励ました。

無情にもヘリは通りすぎていった。
「今まででいちばん近いところまで来たのに気付いてもらえず、すごくショックでした。遺書を書こうと思ったぐらい落ち込みました」

「これからはヘリをあてにせず、自分の力で下りよう」

場合によってはベテランゆえのプライドや面子が判断を間違った方向に導いてしまうことがある。「パーティのリーダーがベテランだから」と過信してすべてを任せきりにするのではなく、メンバーのひとりひとりがしっかり計画を把握し、もし山行中に「おかしい」と思ったことがあったら、それをはっきり指摘することだ。



---



写真は秋の大山
         景色がちがって見える・・












  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

S

2017-12-22 | 司馬遼太郎


司馬遼太郎
【ワイド版】
『街道をゆく 39 ニューヨーク散歩』★★

http://publications.asahi.com/kaidou/39/index.shtml

さらっとした39巻目
年末差し迫り
読書している場合じゃない師走?
お正月読書は夏目漱石と苦戦挫折なベトナム戦争
あと読書会の課題本(未定)


司馬遼太郎はしばしお休み また来年~



---





たまに見られる書き込み「ご親切に」

あ これ前巻のオホーツクだった・・(笑)



---





今回も下北の例のカフェにて待ち読書
しかし店員さんの態度にせっかく気に入ってたのにもぅ行かないかも・・
だからお客さんが少ないのかもね?






























この季節だからこそなのか、80%OFFは迷わず買い~
キレイなブルーのスカート



ドタキャンされ「大変申し訳ございません。」なんて逆にどうなの?って思ったけどそれがryoさんらしさ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

K

2017-12-19 | 探検家




角幡唯介
『空白の五マイル
 チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』★★★★★



一気に読破
読ませるなぁ・・飾ることのない人柄、ツアンポーに対する熱意が伝わる。
たぐいまれない才能をも感じる。

生と死

後日書き直したいとあったけど、そうしてしまうことによって消えてしまうものがある。


胸がどきどきした文章力
第三章 若きカヌーイストの死

さすが元記者さん(アグルーカでもそう思った)



わたしも同じく死にかけたことがある。
ただそれは自ら挑んだことに対してじゃなく、交通事故という不慮の出来事で・・
「あの時 死んでいたかもしれない」
そこで子供ながらに思ったことはあるけど、重みはなく、その後の人生をひたすら生きて今に至る。

人生の折り返し地点に立つ。



こちら気になる『探検家、40歳の事情』








--------








リスクがあるからこそ、冒険という行為の中には、生きている意味を感じさせてくれる瞬間が存在している。あらゆる人間にとっての最大の関心事は、自分は何のために生きているのか、いい人生とは何かという点に収斂される。いい人生とは何だろう。私たちは常に別々の方法論、アプローチで、それぞれに目的をかかげていい人生を希求している。カネ、オンナ、権力、健康、ささやかな幸せ、心の平安、子供の健全な発育・・・・・・、現実的には別々のかたちをとりつつも、本質的に求めているものは同じだ。いい人生。死が人間にとって最大のリスクなのは、
そうした人生のすべてを奪ってしまうからだ。その死のリスクを覚悟してわざわざ危険な行為をしている冒険者は、命がすり切れそうなその瞬間の中に生きることの象徴的な意味があることを嗅ぎ取っている。
冒険とは生きることの全人類的な意味を説明しうる、極限的に単純化された図式なのではないだろうか。
とはいえ究極の部分は誰も答えることはできない。冒険の瞬間に存在する何が、そうした意味をもたらしてくれるか。なぜ命の危険を冒してツアンポー峡谷を目指したのか、その問いに対して万人に納得してもらえる答えを、私自身まだ用意することはできない。そこはまだ空白のまま残っている。しかしツアンポー峡谷における単独行が、生と死のはざまにおいて、私に生きている意味をささやきかけたことは事実だ。
冒険は生きることの意味をささやきかける。だがささやくだけだ。答えまでは教えてくれない。








--------




























本人のブログ身近に発見☆
http://blog.goo.ne.jp/bazoooka




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

S

2017-12-15 | 司馬遼太郎


司馬遼太郎
【ワイド版】
『街道をゆく 38 オホーツク街道』★★

http://publications.asahi.com/kaidou/38/index.shtml

しばしの距離を取ってみた(と言っても一週間ほど?)
ファイナル近し!
季節にあった読書*流氷一度は見てみたい*
知床トレッキングもしてみたい。
来年は北海道かなって思ってる。登別温泉





---

秋の旅 冬の旅

縄文の世
モヨロの浦
札幌の三日
北天の古民族
韃靼の宴
遙かなる人々
アイヌ語学の先人たち
マンモスハンター
研究者たち
木霊のなかで
樺太からきた人々
宝としての辺境
花発けば
ウイルタの思想
コマイ
アイヌ語という川
遠い先祖たち
シャチ
貝同士の会話
雪のなかで
声問橋
宗谷
泉靖一
林蔵と伝十郎
大岬
大海難
黄金の川
佐藤隆広係長
紋別まで
森の中の村
小清水で
町中のアザラシ
斜里町
斜里の丘
流氷
旅の終わり

---



「インディギルカ号遭難事件」
冬の海に消えた700人・・
http://www.vill.sarufutsu.hokkaido.jp/hotnews/detail/00000361.html
































私的な北海道の想い出は根室の夕焼けかな。
どこまでも広がる地平線、全てがオレンジ色に染まってとても眩しかった。
子供の頃の記憶でも覚えている。




























先日の「ひとり」アピール・・
本当に「ひとり」だったのか・・
結構しつこく繰り返し言ってたから何だかおかしかった(笑)
意図的なのか自然なのか??
まぁそこで「ひとり」と言わなきゃ「誰と来たのよ」得意の勘繰り

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする