青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

牙むいた53歳・グレッグ・ノーマン!新妻クリス・エバートが火をつけた!

2008-07-19 | スポーツの話題

全英オープン第2日(18日、サウスポート(英国)・ロイヤルバークデールGC、7173ヤード、パー70)ホワイト・シャーク健在!初日4位のグレグ・ノーマン(53)は、この日も70で回り通算イーブンパー。第2ラウンドを終えて首位に1打差の2位につけた。

53歳の快進撃が止まらない。3年ぶり出場のノーマンが2日連続イーブンパーで回り、大会の主役に躍り出た。「以前と同じように、1打1打にかけるだけさ。やはり、この大会は身が引き締まる。今までの全英オープンでベストのコース。最もフェアで最も厳しい」

往時を思わせる気迫と豪快なスイングで、誰もが苦しむリンクスの強風に立ち向かった。いきなり1番でバーディーを奪い、リーダーズボードの1番上に立った。6番でダブルボギーを叩いたが、すかさず7、8番で連続バーディー。最終18番ではカラーから5メートルをねじ込んでパーをセーブした。見つめるギャラリーの大歓声は、どよめきに変わっていた。

世界中で通算89勝を挙げ、歴代2位の331週にわたって世界ランク1位の座を保持した往年のスーパースターは、背中とひざ痛の影響もあり、近年は実業家として活躍。プロゴルファーとしては第一線から身を引いた形となっていた。試合前、計9社の最高経営責任者を務める実業家は「再婚して人生に活気が戻った。でもゴルフは期待していない」とフェアウエーでの“業績”には疑心暗鬼。全英は2度制覇(86、93年)しているものの、ロイヤルバークデールでは19位(83年)と9位(91年)。さらに98年以降は未勝利とあって自分の実力には確信が持てない状況だった。

しかし、新妻の存在が“復活”の契機となった。テニスの元女王、クリス・エバートさん(53)と6月末、バハマで挙式した。歴代4位の4大大会通算18勝を誇る夫人に「月に1、2回はプレーする姿 を見たい。そのためにはどんなサポートでもするわ」と激励を受け、再び闘争心に火がついた。「結婚が人生に活力を与えてくれている。“今日は天気が悪いから我慢が必要。午後には天気が良くなるわ。”といわれたよ」と内助の功の一端を明かした。ノーマンがスタートすると、その言葉通りに雨がやんで風が弱まった。「最近では、ゴルフよりテニスの練習時間のほうが多かった」と語るかつての大物。年齢に関係なく、愛の力は絶大だ。

参加153人中、2番目の高齢選手。ゴルフコースの設計やネット通販などで年商2億ドル(約212億円)を稼ぐスポーツ界の大富豪が勝てば、メジャー史上最高齢の優勝者となる。「グリーンはそれほど難しくはない」。ツアーの決勝ラウンド進出は3年ぶり。かすかな手応えを感じてノーマンは残り36ホールにすべてをぶつける。

会見では「エバートのメジャー18勝を抜けると思うか?」というむちゃな質問も。ノーマンは声をたてて笑った後、「そんな無謀なことに挑もうと思わない。俺だってそれくらい成功したかったさ。」と返した。優勝すればトム・モリス・シニアの全英オープン最年長優勝記録(46歳92日=1867年)を大幅に更新する。更には米ツアーの最年長記録も更新する。プレー直後に愛妻と熱い抱擁を交わした53歳には、新記録の期待を抱かせる「若さ」がみなぎっている。

僕は学生の頃、クリス・エバートの大ファンだったので、今回のニュースは嬉しかったです!エバートも元気にしていたんですね。そして何より53歳でも、メジャーの上位に食い込めるということを証明してくれたのが、僕のように年寄りには嬉しい事です。しかし・・・日本のバリバリの働き盛りのプロは駄目ですね。一時は日本人のメジャー制覇も圏内かと思えた時期がありましたが。また遠くになりにけり・・・です。

6月末の2人の結婚のニュースは下記の通りです。離婚にあたっては、フロリダ州の裁判所から前妻に約110億円の財産分与を命じられましたが、それは仕方が無いかも知れません。新しい生活をスタートするのに、古いものを整理するのは必要なことですから。


シェイ・スタジアム・ラスト・コンサート ~ビリー・ジョエル 2008.7.16

2008-07-19 | 素晴らしかった興行・イベント

“アルバムを50年近く作り続けてきた。そして今ここ、シェアにいる。ここが建てられた時、13歳くらい。夢がたくさんあった・・・この場所とここで最初に公演を行なったビートルズに感謝するよ!” (ビリー・ジョエル)

ニューヨーク・メッツの本拠地シェア・スタジアムが2009年に取り壊しになる。同スタジアムでは1965年8月にビートルズが史上初の野球場でのコンサートを行なって以来、ローリング・ストーンズやジミ・ヘンドリックス、エリック・クラプトンなど、偉大なアーティスト達が歴史的なライヴを行ってきた。そして、その最後を飾るのが「The Last Play at Shea, From the Beatles to Billy」と題された7月16日と18日の2日間で、11万枚のチケットがたった45分で完売したビリー・ジョエルです。

このコンサートを2日間共に観ることが出来たのは、本当に幸運でした。

2009年に取り壊されることが決定しているシェイ・スタジアム、その最後の公演となるビリー・ジョエルの「Last Play At Shea」。2008年7月16日の初日はトニー・ベネット、ジョン・メイヤー、ドン・ヘンリー、ジョン・メレンキャンプと豪華ゲストが参加しました。初日公演は3時間以上に渡って全34曲もの楽曲を演奏し、歴史的公演にふさわしいスペシャルな内容のライヴになりました。

オープニングは“国歌斉唱”。前日ヤンキースタジアムで行なわれたメジャー・リーグのオールスター・ゲームばりに米国国歌をビリーがピアノ一本で演奏、観客は胸に手をあて、真摯な表情歌っている。そのまま実質上のオープニングトラックは地元ニューヨークの歌でもある「マイアミ2017」へ。バンド以外に10数名のストリングスが配置され、美しい音色は曲調に見事な彩りを与えている。ステージ背景にはニュ―ヨークの摩天楼を模ったような形の大スクリーンが左右とステージ後ろに設置され、まばゆいばかりのライティングとライヴ映像を映し出す。2曲目「プレリュード / 怒れる若者」、3曲目「マイ・ライフ」と続き、既に場内は大興奮状態。

「マイ・ライフ」が終わるとビリーが本日最初の挨拶を”Hello Shea!”と雄たけびをあげる。続いて“メッツ・ファンはいるかー?”と観客に声をかけると“ウォー”と怒号で応え、大盛り上がり。さらに“ヤンキース・ファンはいるかー?”の掛け声とともに “ウォー”という怒号と同じくらいの大きさでブーイングがあがって(さすがメッツの地元!)、さらに一段と盛り上がる(ちなみにビリーは大のヤンキース・ファン)。

最初の驚きは「ニューヨークの想い」でやってくる。ビリーがピアノのイントロを弾いただけで会場中が興奮の坩堝。ビリーが一節歌ったあと一声、“ミスター・トニー・ベネット!“。ビシっとブルーのスーツに身を包んだ御大トニー・ベネットが登場! びっくりするほどの大歓声に迎えられ、トニー・ベネットは70歳を超える年齢を感じさせない力強いヴォーカルでビリーとともにニューヨークのテーマ曲とでも言うべきこの曲を掛け合いで熱唱。「ディス・イズ・ザ・タイム」ではジョン・メイヤーが飛び入り。ジョン・メイヤーはギタリストとして参加。「イノセント・マン」では同じリズムともいえる名曲「スタンド・バイ・ミー」を歌い出し、これまた会場中大合唱。そこから「イノセント・マン」へメドレーで。

この曲が終わるとビリーが次の曲を紹介。“今年はシェア・スタジアムの最後の年。それにぴったりの曲だと思う”と語って更なるゲストを呼び込む。イーグルスのドン・ヘンリーがギターを抱えて登場。彼のヒット曲「ボーイズ・オブ・サマー」をビリー・バンドとともに演奏し、最後にビリーとドン・ヘンリーはがっちりハグ!続く曲はしっとりと「シーズ・オールウェイズ・ア・ウーマン」。「リバー・オブ・ドリームス」では突如のブレイクの後、いきなり、ビートルズの「ア・ハード・デイズ・ナイト」へなだれ込む。

続いてまたまたゲストの登場。今度はジョン・メレンキャンプ。会場のヴォルテージも最高潮!大ヒット曲の名曲「ピンク・ハウス」を歌い上げる。これまた会場中大合唱の嵐!続く曲は「ハートにファイア」。ビリーはギターに持ち替え、歌詞に出てくる偉人たちの映像がスクリーンに映し出される。ビートルズが映し出されるとこれまた“ウォー”と盛り上がる。ギアが完全に入ったビリーはここからロックン・ロールを連発。全米1位を獲得した「ロックン・ロールは最高さ」ではマイク・スタンドをくるくる回したり、頭上に高く放り投げ、見事にキャッチするなどマイク・パフォーマンスも披露。ピアノの上によじ登り、がんがん観客をあおって、ピアノから飛び降り、再びピアノを奏でると、続けて「ガラスのニューヨーク」。

そして、本編最後の曲に選んだのはビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」!1965年同じ場所で演奏したビートルズに敬意を表して、この曲を感慨深げに歌い上げ、 “Thank You Shea”と一言残しステージを去るビリー。アンコールを要求する観客に応えて、すぐにステージへ戻り、アンコールの一曲目は「イタリアン・レストランで」。続く「若死するのは善人だけ」で場内最高潮に達したところで、さらに追い討ちをかけたのが次の曲。

“彼らの場所を貸してくれてビートルズに感謝するよ!”とコメントして「シー・ラヴズ・ユー」へ。スクリーン映像はモノクロに変わり、会場中興奮の坩堝、そしてまたまた大合唱!ビリーがハーモニカをセットしたので、いよいよ「ピアノ・マン」だ!

ショーの大団円、たぶん最後の曲と誰もが思ったに違いないが、いつものイントロをビリーが弾くと・・・。いきなり曲調が変わって、まさにこの場所にふさわしい「Take Me Out To The Ball Game」。米国の野球ファンの愛唱歌ともいえるこの曲で全員大合唱。温かい雰囲気に包まれたところで「ピアノ・マン」へ。これですべて終わりと思ってたら、最後の最後でプレゼントがまだ待っていた。ビリーのオールド・ファンは間違いなく大号泣の「スーベニア」。その昔、ショーの最後を飾る曲だったが近年はあまり演奏されていなかった。この名曲で約3時間以上にもおよぶ夢のような奇跡の夜は静かに幕を閉じた。最後に“Goodnight Shea・・・”と一言残し、ビリーはステージを後にした。