異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

【熟読を!】聖書を読み、信仰に生きた人・後藤さん ~キリスト教の「非常識」

2015-02-05 22:16:15 | シェアー

※デヴィ夫人の記事は、「常識的な見解」であり正論だから、支持する人が多く・・・

 でも、通常のルールや常識を破る場合が2つあります。

 一つは、緊急を要するとき・・・もう一つは「愛による衝動」です。~


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☆牧師の妻です☆【こころのブログ】

http://ameblo.jp/pastorswife/entry-11985874886.htmlより転載

2015-02-05 08:16:08

前回の記事で、デヴィ夫人の記事を読んで共感する方がとても多いことに驚き、熱くなってしまいましたが、なぜこんなにも支持されているのか考えてみました。


「常識的な見解」であり正論だから、支持する人が多くて「当たり前」だと思うようになりました。


・危険な地域へは行かない
・奥さんや生まれたばかりのお子さんがいらっしゃるのに・・・
・湯川さんを助けることに、どれほどの意義がある?


など、どれも正論で間違ってはいないと思います。



でも、通常のルールや常識を破る場合が2つあります。


一つは「人命がかかっている時など、緊急を要するとき」です。


救急車、消防車、パトカーなどは、赤信号を突っ走ったり、速度オーバーしても責められません。


「緊急車両」として認められているからです。



もう一つは「愛による衝動」です。


ホームに落ちた人を助けようとして線路に飛び込む、幼児を危険から守ろうとして、母親がトラックの前に駆け出すなどです。


これらもルールを破った「非常識な行動」ですが、そこには「せずにはおれない」気持ちや愛がその行動の原動力となっています。


・・・


思い起こせば、私の父も私が小学生の頃に、遺書を書いて裁判に関わっていました。


(参照記事;岩手靖国違憲訴訟) 

兄も妹も小学生だったはずです。


母を愛していなかったのではないと思うし、子供がどうでも良かったわけでもないはずです。


でももし、遺書が必要になることがあれば、母は女手ひとつで子供を育てることになり、すべての責任が母の肩に掛かり、私たち子供は父親不在の中で育たなければならなかったはず・・・。


それを父だけでなく、母も受け入れていたことを、今になって思い起こしました。


「愛による衝動」もそうなのですが、このときの父を動かしていたものはおそらく
「使命感」だったように思います。


多くの反対もあったようですが、父にとっては「信教の自由を守る」ことは与えられた使命であり、「それでも、せずにはおれない」と判断し、死を覚悟して裁判に臨んだのです。


結果的にすべて守られ、現在は主任牧師を退職しましたが、場合によっては家族の人生も変わってしまったかも知れない出来事です。

 

 


・・・

「大それた事をした」とするデヴィ―夫人の記事に「いいね!」が現在2万件、「後藤さんは勇敢なジャーナリスト」とする記事に「いいね!」が2万2千件、多少なりとも後藤さんを評価する記事の支持者が上回り、良かったと感じています。



しかし、そもそも後藤さんの信じていた「キリスト教」そのものが人間にとっては「非常識」なのですから、理解されないことがあっても当然だと思うようになりました。


「キリストが自分から私たちの罪を負うために十字架についた」とする「キリスト教」は、人間の常識から考えれば「非常識」そのものなのです。


そして、その「非常識なキリスト教」を信じていた後藤さんの思考や行動には、
聖書の言葉やキリストの姿が原動力となってあったはずです。


 

そして自分から十字架の上で、 私たちの罪をその身に負われました。 それは、私たちが 罪を離れ、義のために生きるためです。 キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。 ペテロの手紙第Ⅰ 2章24節


この「キリスト」を信じた信仰者や宣教師の中には、危険を承知で宣教地へ出向いたり、様々な困難に遭い、宣教のために命を落とした人も数多くいます。


これにしても、通常では考えられない「非常識」でしょう。


日本では特に「命が一番大事。」と教えられてきたのですから。



しかし、聖書はこのように言います。

 

「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネの福音書15:13)



「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。 」(ヨハネの第一の手紙3:16)

 

クリスチャンだから、すべての人が聖書の言葉通りに生きられるわけではありません。


人それぞれに信仰の量りも違い、それぞれの「使命」があるのです。


でも心の内には、このキリストの「非常識な愛」をはっきりと見ているはずです。

 

「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。 」
(ローマ人への手紙5:6~8)



「この人を助ける事に、どれだけの意義があるのか?」と言われてもおかしくない不敬虔な者、罪人は「私自身である」と認識した人がクリスチャンです。 


後藤健二さんは、「世界平和を願って活動してきた」と評価される記事も多く見られ、良かったと思います。


しかし、私はむしろ後藤さんはこの聖書を読み、この信仰に生きた人なのだということをお伝えしたいと思います。


「後藤さんが危険や死をもってしても伝えたかったことは何か?」と考えるとき、
「世界平和」に焦点を当てる方が多いと思いますが、私自身も他のクリスチャンの方も、多くの情報が飛び交う中で心を騒がせることなく、自分の使命としてキリスト教の信仰についてお伝えしていくことが本分であると思わされています。




「ISIL」を利用して、戦争参加をくわだてる安倍晋三の辞任を求めよう

2015-02-05 22:10:23 | 紹介

 

アルルの男・ヒロシ@どうせテロには勝てぬ  
【緊急拡散】「イスラム国」への憎悪を利用して戦争参加をくわだてる、安倍晋三の辞任を求めよう 今回の事態は、戦争願望に取り憑かれた安倍晋三の軽挙妄動が招いた。その責任をきちんと追求できなければ世界の安定は守れない





フィフィが、「イスラム国」という呼称を早急に止めてほしいと要望

2015-02-05 22:05:39 | シェアー

※フィフィの言うとおりだ。「イスラム国」と呼ばず、ISIL、ISISにしましょう。


http://news.livedoor.com/article/detail/9750741/より転載

ざっくり言うと

  • フィフィが4日、Twitterで日本メディアによるIS関連報道に抗議の声をあげた
  • 「イスラム国」という呼称を早急に止めてほしいと要望
  • 「イスラムやムスリムを非難したり罵るリプが後を絶たない」と理由を説明

フィフィがTwitterで日本の「イスラム国」報道に抗議 「中東との友好関係を掻き乱す行為は許し難い」

4日、タレントのフィフィがTwitterで日本メディアの「イスラム国」報道に抗議の声をあげている。

フィフィが異論を唱えているのは、イスラム過激派組織・ISIL(islamic state in iraq and the levant)の表記について。日本メディアはISIL、IS、「イスラム国」などの呼称を用いている。

フィフィはTwitterで「マスコミは『イスラム国』という呼称を早急に止めて頂きたい」と抗議し、「ISILは国でもなければ、ムスリムと信仰心を共有しない殺人集団」「イスラムやムスリムを非難したり罵るリプが後を絶たない。誤解や偏見を植え付けないで」と理由を説明している。

 

 

マスコミは「イスラム国」という呼称を早急に止めて頂きたい。ムスリムの方々が何度訴えても対応してくれない。ISILは国でもなければ、ムスリムと信仰心を共有しない殺人集団。そこを混同する人に配慮してよ。イスラムやムスリムを非難したり罵るリプが後を絶たない。誤解や偏見を植え付けないで。

このツイートは、18時現在で6500以上リツイートされ、反響を呼んでいる。

フィフィの「イスラム国」報道への抗議は以前から続いてた。2日には「日本が築いてきた中東との友好関係を掻き乱す行為は許し難いから」などと、マスメディアを非難するツイートを投稿している。


 

 

政府ですらISILを使用してるのに、頑なに誤解を生む「イスラム国」という呼称を使い続ける事に、随分前からこうして、警鐘を鳴らしているにも関わらず、全く対応しないマスコミ。同業で働く私はこれで仕事を制限されるかもだけど。日本が築いてきた中東との友好関係を掻き乱す行為は許し難いから。



カヌー転覆させ拘束、沖合に連行…反発強まる辺野古沖/沖合放置続ける!

2015-02-05 22:05:08 | シェアー

※ この現実を大手マスコミは、報道すべきだ!

沖縄タイムスhttp://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=101426

カヌー転覆させ拘束、沖合に連行…反発強まる辺野古沖

2015年2月3日 14:25

(写真)カヌーが臨時制限区域内に入ると、海上保安庁の職員が飛び移り転覆させた。その後、カヌー隊のメンバーは、ゴムボートに引き上げられて拘束された
     =2月2日午後2時56分、名護市・大浦湾(伊藤桃子撮影)

      
 
 
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  【名護】新基地建設作業が進む名護市辺野古沖で2日、海上保安庁に沖合まで連れて行かれ、降ろされたカヌーの市民は「海の安全を守るための海保だろう」と唇を震わせた。この日は稲嶺進名護市長が過剰警備を控えるよう求めたが、海保の行動はエスカレートする一方だ。

 「降りろ」。海保職員が午後4時ごろ、沖合に連行したカヌー隊の8人に命令した。そのうちの1人、名護市の女性(47)は「ちょっと待って、ここは危険。降りない。なぜ降ろすの」と抵抗したが、職員は「上司からの指示」の一点張り。無理やりボートから降ろされた。

 抗議船でカヌー隊を迎えにいった男性(38)は「これまで解放場所は拘束現場か、岸の近くだった」と説明する。「日没も近い午後4時にあんな場所に放置するなんて、絶対にやってはいけないこと。いつか死者が出てしまう」と深刻な表情を浮かべた。

 マリンレジャー業の男性によると、「現場は外洋と変わらない。水深は深く、波は荒く、流れが速い」という。「海保が岸とは逆に沖に連れて行ったり、カヌーを転覆させたり。命を預かるプロとしてどうなのか」と疑問を投げ掛けた。


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沖縄タイムス 2015年2月4日

    

伊波 洋一 (いは よういち) @ihayoichi 5時間

海上保安庁は3日、前日に続きカヌーに乗った市民を波の高い沖合4㌔までけん引して

解放する手法を続けた。カヌー13艇、市民19人が沖合まで拘束された。

抗議船にも海保が乗り込む場面もあり海上は騒然とした。コンクリートブロックの投入も続いた。

 

 


<社説>9条改正主張 論理のすり替えはやめよ 琉球新聞

2015-02-05 21:09:26 | シェアー

琉球新報http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-238417-storytopic-11.html

<社説>9条改正主張 論理のすり替えはやめよ

2015年2月5日 

 安倍晋三首相が3日の参院予算委員会で、邦人人質事件に絡み、自衛隊の任務拡大を視野に入れた憲法9条改正に意欲を示した。
 安倍首相は筋金入りの改憲論者であり、これまでも9条改正に前のめりの姿勢を隠していない。それにしてもだ。日本人2人の命を救えなかった今回の人質事件を9条改正の必要性と結び付けるのは、我田引水も甚だしく、こじつけ以外の何物でもない。
 首相は「なぜ改正するかと言えば、国民の生命と財産を守る任務を全うするためだ」と持論を述べた。質問に立った次世代の党の和田政宗氏が9条改正を呼び掛け、首相が呼応した格好だ。
 首相答弁を裏読みすれば、自衛隊の活動に制約を課している憲法9条があるから、国民の生命と財産を守ることができない-と主張しているも同然ではないか。人質事件における問題の矛先を9条に向けるのは、論理のすり替えだと指弾せざるを得ない。
 今回、仮に自衛隊を派遣できていたとしても、残忍な過激派「イスラム国」が支配する地域から、居場所すら分からない人質を救出することは不可能だったはずだ。
 安倍政権が何よりもまず、今なすべきことは、この間の政府対応に関する検証作業だ。危機管理やテロ対策、情報収集力は十分に機能したのか、否か。それこそ安倍外交が厳しく問われてしかるべきだ。
 2012年末の安倍政権の発足以降、平和憲法の理念は、ただでさえ空洞化の危機にさらされている。昨年7月には、従来の憲法解釈を変更し、自国が攻撃を受けていなくても他国への攻撃を実力で阻止する集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を行った。
 自国の守りに徹する専守防衛は、1954年に自衛隊が発足して以来の基本方針だが、国民的議論もないまま、一政権の一存だけで、安保政策を大転換したことは記憶に新しい。武器輸出三原則に基づく禁輸政策の見直しもしかりだ。
 安倍首相が推進する「積極的平和主義」は、今や諸外国に対し、日本は戦争ができる国になったとのメッセージを発していないかと強い危惧を覚える。首相は9条改正に前のめりになるのではなく、憲法の根本理念である平和主義に立ち返るべきだ。