異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

卑怯な日本人へ 遺作の覚悟 倉本聰さん「屋根」

2016-01-24 17:49:15 | ご案内

東京新聞 TOKYO WEBhttp://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201601/CK2016012302000234.htmlより転載

卑怯な日本人へ 遺作の覚悟 倉本聰さん「屋根」

作・演出を手掛けた公演「屋根」について語る倉本聰さん=東京都内のホテルで

写真

 「日本人そのものが卑怯(ひきょう)になっている気がするんです。情けない日本人になってきた。その怒りをこの作品にぶつけたい」。劇作家の倉本聰(そう)さん(81)が作・演出を手掛けた公演「屋根」が七年ぶりに再演され、二月五日から東京公演(新国立劇場中劇場)が始まる。笑いあり、涙ありの物語の中に、経済優先で突っ走った戦後社会への厳しい視点が貫かれている。 (瀬口晴義)

 東京から北海道の富良野に移り住んだ約四十年前、倉本さんは原野の中を歩き朽ち果てた廃屋を探した。腐った床板の向こうには、農業を捨てざるを得なかった一家の残り香が色濃く漂っていた。「カレンダーの日付が大みそかだったこともありました。食事の途中、家族で夜逃げしたんだなと…」。その体験は「北の国から」をはじめとする創作の原点になった。

 「屋根」の舞台は原生林の中に建てられた開拓小屋だ。大正末期、若い夫婦の間に次々と子どもが生まれる。雨風をしのぐ小さな屋根の下、貧しくも幸せな暮らしを営む家族に荒波が押し寄せる。徴兵された息子の相次ぐ戦死、戦後復興、高度経済成長、バブルとその崩壊、IT革命。時代の奔流に翻弄(ほんろう)される一家の姿を上からずっと見守っていた屋根の視点で、戦後の家族の一つの形が描かれる。

 息子の一人は広告代理店の社員になる。こんなうたい文句が登場する。<もっと使わせろ!><捨てさせろ!><季節を忘れさせろ!><流行遅れにさせろ!>。節約が善で浪費が悪だった時代は遠くなった。

 「今は都会が日本全体を動かしていると思い込み、食料をつくっている生産地はないがしろにされている。コンピューターやITでは食べ物はつくれないのに…。農村はますます高齢化して疲弊してます」

 二〇〇九年以来の再演となる。脚本も改稿した。この間、一一年には東日本大震災が起きた。国策の犠牲者になった福島をテーマにした「ノクターン 夜想曲」を上演した。

 「原発の核のゴミはどこも受け入れない。沖縄の基地も同じ構造です。同情はしてもそれをなんとかしようという方向には行かない。戦前生まれの僕みたいな者は、日本人がものすごく変わった、と怒りを持っています」

 貧しいけれど幸せな生き方。それを倉本さんは「貧倖(ひんこう)」と表現する。貧しくて困る貧困は避けたい。でも、貧しくとも幸せな生き方はできるはずだと。本当の豊かさとは何か。倉本さんは「遺作のつもりで取り組みたい」と意気込んでいる。

 問い合わせは電0570(00)3337へ。

<くらもと・そう> 1935年東京生まれ。脚本家、劇作家、演出家。代表作は「北の国から」「前略おふくろ様」「昨日、悲別で」など。最新刊は「昭和からの遺言」(双葉社)。

2016.1/23.東京新聞(夕刊)

 

 

 


寒さに負けず180回目の抗議~1.22 再稼働反対!金曜行動レポート

2016-01-24 17:27:57 | 福島、原発

LNJ Logohttp://www.labornetjp.org/news/2016/0122kinosita より転載

寒さに負けず180回目の抗議~1.22 再稼働反対!金曜行動レポート

    木下昌明

動画(7分半)

 1月22日、反原発の金曜抗議行動に出かけた。夜が深まるにつれて冷たい風が吹き荒れた。最初に国会正門前に行くと、すでに行列ができて人々はスピーチをはじめていた。そのなかで「古時計」の替え歌をうたう男性がいた。「♫ 大きなリスクの古原発 放射能がもれた~」。いつもみかける共産党の藤野保史衆院議員は「安倍首相は施政方針演説で一回も原発という言葉を使わなかった。こんなことがあっていいのか!」と訴えていた。

 そのあと若い山添拓弁護士(写真上)がスピーチした。かれは福島の川俣で、長い避難生活でうつ病にかかり帰宅した翌朝に焼身自殺をした主婦の話をした。

 文京区からきた子連れの若いファミリーがそろってスピーチ台に立った。このファミリーは以前にも撮ったことがある。その時は雨がふっていて、大きなお腹をした妻がスピーチし、後ろで夫が傘をさしかけ、男の子が母にしがみついていた。今回は生まれた赤ちゃんを夫が抱いていて、妻がスピーチした。集会はなごやかな雰囲気に包まれた。

 坂道の下で音楽合唱団にまじって、手をふっている知り合いの女性がいた。彼女らは、5年前の福島事故の前に起きた知られざる事故で亡くなった人を歌った歌「むらさきつゆくさ」を、寒さに耐えながら歌っていた。

 財務省前の交差点には、反原連のレッドウルフさん(写真上)がいた。「きょうで何回目ですか?」と尋ねると「180回目です」と答え「原発をなくして早くやめたいですね」と。同感だ。経産省前テントひろばはこの日で「1595日目」になった。

 

 

 

 


蓮池透さん、著書に『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三』と題した、その切迫した心境とは

2016-01-24 16:39:55 | 拉致被害

http://www.huffingtonpost.jp/2016/01/15/hasuike-toru-interview-about-book_n_8987092.html

 

蓮池透さんが著書を『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三』と題した、その切迫した心境とは

投稿日: 2016年01月17日 18時11分 JST 更新: 2016年01月18日 15時18分 JST
HASUIKE
Taichiro Yoshino

北朝鮮による拉致被害者・蓮池薫さんの兄で、「救う会」元事務局長の蓮池透さんが2015年末、著書『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(講談社)を出版した。刺激的なタイトルの本だが、拉致問題が停滞し、国民的な関心も薄れる中、解決に向けて一石を投じようとの切迫した心境が表れている。

蓮池さんに聞いた。

――思い切ったタイトルにしましたね。

表紙だけで「憂さ晴らしか」と思われることは本意ではないんです。拉致問題の発生から長時間経過したのに、何も変わっていない。今時「拉致問題」なんて言ってもアピールできない。世代交代で記憶も薄れていて、大学生になるとほとんど拉致問題を知らない。政府間の動きもほとんどない。関心を持ち続けてもらうために、捨て身の遺言を書きました。安倍首相を始め、拉致問題に関わったすべての人を、自分も含めて批判して、一応の対案も提案したと思っています。

家族会の内紛や金銭問題も書きました。特に、拉致問題の解決を願ってカンパして下さった分が、拉致被害者に渡らないのは問題です。弟たちはそのカンパを受け取っていないから、お礼のしようがないし、拉致被害者家族も、決して楽な生活なんかできていないという実態を知ってほしかった。日本政府はどうして冷淡なのか。誤解を解くと同時に、その支援の薄さの意味をぜひ分かってもらいたかった。

――あえてこのタイミングで、どうして本を書こうと思ったのでしょうか?

拉致問題が停滞していることに加え、マスコミが知っているのに文字にしない。タブーの中で自制、忖度を続けていることに耐えられなくなってきた。もやもやした気持ちを持ったまま、生涯を終えるのはイヤだ。ブレークスルーしないがために、だらだらと時間が過ぎている。今までずっと耐えてきた堰が切れたんです。

――「拉致問題を最も巧みに政治利用した国会議員」と、文中に書かれている安倍首相への批判は、とはいえ、強烈です。

安倍さん(2002年当時は官房副長官)は、北朝鮮への強硬姿勢を期待されて政権に返り咲いた。ただ、拉致問題は政権浮揚のためだったのかと思います。多くの国民の意に反して安保法制を制定し、やらないといっていたTPPを決着させる。そもそも北の脅威を煽って集団的自衛権を解禁しようとした人が、「北朝鮮と対話する」というのは、政治信条を疑いますよね。確たる戦略があったのか。自分でかけた制裁を解除していくだけなら戦略とは言えない。ストックホルム合意についても「合意した」ということにして安住しているだけなら意味がない。合意に含まれた日本人妻、遺骨の問題はどうするのか。関係者は拉致問題よりずっと高齢で、残された時間は少ない。拉致のために犠牲になるのはおかしい。

再調査に合意した2014年5月の「ストックホルム合意」のとき、安倍首相は首相官邸で自ら発表しましたよね。「2桁の生存者リスト」と日本経済新聞が書いて、盛り上がりましたよね。しかしなぜか、再調査リストの提示は当初「夏の初めか秋の終わり」と言っていたのが、「1年後」になり、今や「期限を設けない」という話になった。いつの間にか責任の所在も曖昧になった。仕方がないから、「日朝協議を3回やった」とメディアを使って情報を流す。やむを得ない理由なら延期すると、安倍さん自身が国民に周知すべきだ。1年というのはものすごく長い。1年なんてどうってことないという考えがあるなら許せない。

弟たちの「北朝鮮には戻らない。日本に留まる」という強い意志が覆らないと知って、渋々方針を転換、結果的に尽力するかたちとなったのが、安倍氏と中山(恭子)氏(当時は内閣官房参与。現・日本のこころを大切にする党代表)であった。
あえて強調したい。安倍、中山両氏は、弟たちを一度たりとも止めようとはしなかった。
止めたのは私なのだ。(74ページ)
 
 
(拉致被害者支援法の成立後、)私は、
「国の不作為を問い国家賠償請求訴訟を起こしますよ」
と、安倍氏を追及した。
すると安倍氏は、薄ら笑いを浮かべながら、こう答えたのだ。
「蓮池さん、国の不作為を立証するのは大変だよ」
……いったいどっちの味方なのか。(75ページ)
 
 

「『机を蹴飛ばして帰ろう』と言った」といった武勇伝をマスコミが書くわけですよ。やがて「拉致問題に関心が深い」とか「いろいろ功績があった」という都市伝説みたいになった。それは違う。

北朝鮮に拉致されていた弟夫婦ら5人が2002年に日本に戻ったときは「一時帰国」で、やがて北朝鮮に戻すという、非常に理不尽なやり方を日朝間で決めました。それは日本政府の方針で、安倍さんはそのとき官房副長官で政府の一員だった。「安倍さんが5人を日本に引き留めた」と言われているが、政府方針で一時帰国と決めたのだから、止めるわけがない。戻らないという弟たちの意志を政府に伝えたら「じゃあ、本人の意思で北朝鮮に戻さない」ということになったわけで、安倍さんも中山さんも決して止めてはいない。世間を惑わすウソを言わないでほしい。

2003年の憲法記念日に改憲派議員の集会に呼ばれ、困惑したこともある。「何を話すのか」と聞くと、「九条を変えろ」とでもいっておけとのこと……馬鹿だった私はそれを真に受け、「憲法九条が拉致問題の解決を遅らせている」と発言し、その場では称賛された覚えがある。
なんて浅はかな発言だったのだろうと、いま思い出すだけでも冷や汗が出る。(84ページ)
 
 

私自身が解決を阻害した面もあります。世論の右傾化の急先鋒だったと言われたこともありました。私は右も左もない、みんなでやらなきゃいけないと思ってやっていたんだけど、私も政治利用されたと言われればそれまで。気づくのが遅かった。

今でも言われます。「あんたが弟を止めたのがいちばん悪い。そのまま送り返していれば、日朝はうまくいったんだ」と。弟をいったん北朝鮮に送り返せば、次は全員帰ってくるという約束があったという説もあるけど、弟と話してそれはあり得ないと思った。これはもう、止めるしかないと思った。

当時の判断について、福田康夫元首相が「本人の意思を尊重した」と、あるインタビューで答えていたけれど、日本が国民の生命、意思を最重視しているのであれば、そんなことをわざわざ言うはずがない。そもそも「一時帰国」という問題を作り出した日本政府に問題がある。そこに「日朝正常化のために家族を黙らせる必要がある」という意図が垣間見えるんです。過激派組織「イスラム国」(IS)に日本人が拘束されたときだって「あらゆる手段を尽くす」と言ったけど、尽くしたのか。

abe

――通常国会の衆院予算委員会でも質問が上がりました。蓮池さんの著書をもとに質問した議員に、安倍首相は「私は断固として反対した」「違っていたら私は国会議員を辞める」と気色ばんで答弁しました

どっちもどっちという感じですね。まず、民主党の緒方林太郎氏が質問するという話は、寝耳に水。事前に何の相談もなかった。首相の足を引っ張るための材料を民主党に提供したつもりもない。もう少し建設的な議論をしてほしかった。

安倍首相も大人げないと思いました。「断固として反対した」というなら、ちゃんと拉致被害者の家族や本人にそう伝えてほしかったし、弟を説得してほしかった。実際には日本政府は「いつ北朝鮮に戻るのか」という相談までさせていたから、そこは見解の相違があります。実際、孤独でしたよ。国益か家族の絆か、とても耐えがたい戦いでした。それに、2014年末の総選挙で両親を自民党議員の応援にかり出したことは「政治利用」と言われても否定できないはずです。

――年明けには北朝鮮の核実験もありました。日本独自の制裁強化も報じられています。

核実験はとてもショックでした。また拉致問題は停滞するでしょう。しかし制裁では核も拉致も進まないというのは、歴史が証明している。すでにアメリカや中国といった大国の思惑に翻弄されて、拉致問題は奥深いところへ繰り込まれてしまった感がある。このままでは、とりつく島もなくなってしまうのではないか。私も弟も頭を抱えています。「拉致も核も」というのであれば、独自の外交をまな板に載せる覚悟はあるのか。安倍さんが離れ業をやってくれることを期待しています。

――では、解決に向けての道のりは、どうあるべきでしょうか。

前のインタビューでも言ったけど、過去の問題とセットでやるしかない。しかし「返せ」「解決済みだ」と双方が主張をぶつけ合う構図はまったく変わらない。まず「解決」って何なのか、それを日本側が示すべきです。そこに理性的で冷徹な判断が入っても仕方がない。でも安倍さんは「全員が家族と抱き合うまで」と言う。家族の感情には訴えるかもしれないが、首相がそんな感情的なことばかり言っていていいのか。「任期中に解決する」というなら、責任を持ってやってほしい。

13年は長いですよ。2015年、弟の同級生が立て続けに2人亡くなった。不幸なことが起きていても仕方ない時間がたっている。まず安否確認、信憑性が高いデータを示せと求めること。それが信頼性が高ければ、受け入れるしかないのではないでしょうか。全員を取り返すのが一番望むべきことだけど、それでなければダメだと言い続けたら、北朝鮮は答えようがない。北朝鮮にとってメリットを享受できる方策を日本が考えることも必要です。制裁解除なんてメリットでも何でもないんですから。

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【1/24・岩国市長選挙 】姫野あつこさんを応援!‏~「私たちの代表」 市内の市民団体、5団体が支援

2016-01-24 01:06:06 | 政治 選挙 

市内の市民団体、5団体が支援する姫野候補。文字どおり「私たちの代表」です。
基地に脅かされる将来はいやです。大事な1票を無駄にしないで、選挙に行きましょう。

姫野あつこ 勝手連

@himeno1092

15年半岩国市議を務めた姫野あつこさん。
米軍基地があり艦載機移転で揺れる岩国市。
基地負担は岩国市民だけの問題ではありません。
このまま国や米軍基地に依存し続けるのか、それとも自立の道を歩み始めるか。
姫野あつこさんが目指すのは自立の道です!市外県外を問わず勝手に応援しています!

 

 

 

 


【1/24・八王子市長選】公共事業か、「困っているを見捨てない」か~投票は”いがらし仁さん”へ

2016-01-24 00:40:22 | 政治 選挙 

http://tanakaryusaku.jp/2016/01/00012830 より転載

投票率が決める 公共事業か、「困っているを見捨てない」か 

「八王子市議会は安保法制促進の決議をした。自分が当選すれば、八王子市民は安保法制を支持していないことを示せる」。五十嵐候補は力を込めて言った。=23日、JR八王子駅北口 撮影:筆者=

「八王子市議会は安保法制促進の決議をした。自分が当選すれば、八王子市民は安保法制を支持していないことを示せる」。五十嵐候補は力を込めて言った。=23日、JR八王子駅北口 撮影:筆者=

 「現職が勝ったら地方版にしか載らないが、この五十嵐仁が当選したら全国版に載ります。NYタイムズには載らないかもしれないが・・・」

 街宣車からギャグを飛ばしているのは、24日投開票の八王子市長選挙に立候補している、五十嵐仁氏(元大学教授・政治学)だ。

 安倍首相の最側近である萩生田光一官房副長官のお膝元、八王子市。

 自民、公明、民主、連合による大政翼賛選挙で2期目を目指す現職に、五十嵐候補は超党派で挑んだ。

 安保法制に反対する国会前行動でおなじみの 菱山南帆子さんによれば、「維新の党と共産党の議員が選挙カーの中で一緒に肉まんを食べる」ほどの超党派だそうだ。(菱山さんは選挙期間中、五十嵐候補に伴走した。)

萩生田官房副長官は、東京オリンピックの自転車競技を八王子に誘致できなかったことを悔しがった。=23日、JR八王子駅北口 撮影:筆者=

萩生田官房副長官は、東京オリンピックの自転車競技を八王子に誘致できなかったことを悔しがった。=23日、JR八王子駅北口 撮影:筆者=

 五十嵐陣営のある運動員は「日に日に知名度が上がって来た。八王子市は積極的に『選挙に行きましょう』と広報していない」と話す。

 「選挙に行くように」広報しないのは、投票率が上がると現職に不利だからだ。自公と連合の組織票で勝負する石森陣営は、投票率が低いほど有利なのである。

 石森陣営が自、公、民、連合で余裕の選挙戦を展開しているのかと思っていたら、そうではなかった。

 田中は街頭演説の会場にいただけで、運動員にマークされ身分を明かすよう詰め寄られた。運動員は「皆ピリピリしてるからね」と明かした。

 自民党と自民党が激突する田舎の首長選挙とよく似ている。陣営は街宣会場に身内以外の顔を見つけると目を吊り上げ、肩をいからせて詰問する。「おうオッサン、どこのモンや?」・・・

 ピリピリしているのは接戦の証でもある。

限られた財源を公共工事よりも介護、子育て、給付型奨学金などに回すのが、「五十嵐政策」の真骨頂だ。=23日、JR八王子駅北口 撮影:筆者=

限られた財源を公共工事よりも介護、子育て、給付型奨学金などに回すのが、「五十嵐政策」の真骨頂だ。=23日、JR八王子駅北口 撮影:筆者=

 萩生田官房副長官は「来年、市政100周年を迎えるが共産党の市長ではお祝いにならない」とディスった。

 五十嵐候補は共産党員ではない。焦っている陣営は必ずと言ってよいほどデマを飛ばす。

 大政翼賛選挙に嫌気がさし五十嵐候補の選挙運動を手伝うようになった男性(自営業・40代)がいる。

 男性は17日の出陣式で民主党の市議会議員が石森候補の街宣車に乗っていたことを『田中龍作ジャーナル』で知り、翌日から五十嵐陣営の運動員になったという。

 「選挙では ずーっと 民主党に投票してきたのに裏切られた思いだった」。男性は悔しそうな顔で語った。

 物流センターや駅前デッキの建設など公共事業中心の従来型政治か、「困っている(人)を見捨てない」政治か。投票率が上がれば八王子にヒトの温もりが戻って来る。

  ~終わり~