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「ゴジラ」監督・坂野義光さん 新ヘドラ構想「福島事故は公害」 〔東京新聞記事より〕

2017-03-05 22:31:29 | 福島、原発

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「新ヘドラ」のシナリオを手に語る坂野義光さん=川崎市多摩区で   byY・HさんFB

 

http://amp.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201703/CK2017030402000241.html

「ゴジラ」監督・坂野義光さん 新ヘドラ構想「福島事故は公害」

2017年3月4日 夕刊

 高度成長時代に公害を批判したゴジラ映画を新たな形でよみがえらせようと目指す映画人がいる。

 一九七一年公開の「ゴジラ対ヘドラ」の監督坂野義光(ばんのよしみつ)さん(85)=川崎市多摩区。六年前、放射能汚染をもたらした福島第一原発事故を公害ととらえ、自然との調和を問う作品の実現に意欲を燃やす。 (小佐野慧太)

 「よくこんな所に住んでいられるなあ」。七〇年夏、撮影の下見で、静岡県富士市の田子の浦港を訪れた坂野さんは驚いた。

 くすんだベージュ色のヘドロが浮かび、卵の腐った臭いがする。製紙会社の廃水などによる「富士公害」のさなかにあった時期だ。

 坂野さんは五五年に映画会社「東宝」に入社。看板作品「ゴジラ」のプロデューサーから、シリーズ十一作目の監督を持ち掛けられ、題材に選んだのが富士公害だった。

 七〇年は大阪万博が開かれた年でもある。展示施設の演出を担当した坂野さんは、仕事で東京とを行き来する間、東名高速から富士市の光景を見ていた。

 「煙突から黒煙がもうもうと上がり、昼でも薄暗かった」。万博のスローガン「人類の進歩と調和」をむなしく感じていた。

 作品には、核実験で生まれたゴジラが人類に恐怖をもたらす第一作のように、メッセージ性を込めた。

 ヘドラは宇宙の生命体と田子の浦のヘドロが結合して生まれた怪獣。ぎょろっとした目とドロドロの体を持つ。工場の煙を吸って硫酸の霧をまき散らし、人間を次々に白骨化させる。公害は恐ろしい社会悪だと、強烈なイメージで子どもたちに伝えた。

 公開から二年後、東名高速から見る富士市の煙突の煙は、排煙装置の改善で黒から白に変わった。

 「作品も一定の役割を果たせたのでは」。そう振り返る坂野さんだが、原発事故後の状況にはもどかしさを感じる。「問題に技術ですぐ対応するのが日本の文化のはず。原発なんて早くなくせばいい」

 坂野さんは事故からすぐ「新ヘドラ(仮称)」のシナリオに取り掛かった。新ヘドラは原発事故による放射能で福島の海から誕生する。テーマは原発が生んだ新ヘドラと「自然と調和して生きる日本人の価値観」の闘いだ。

 資金や権利の面で新ヘドラの映画化には厚い壁がある。「それでも、日本人の映画監督として実現させる義務がある」。坂野さんはシナリオを手に、熱く語った。

 

<富士公害> 1970年ごろの静岡県富士市には約150の製紙会社があり、大気汚染による気管支ぜんそく、悪臭などの公害をもたらした。中でも田子の浦港のヘドロ公害は70年5月、貨物船が汚泥に船底をとられ、立ち往生する騒ぎで全国に知れ渡った。工場専用の岳南(がくなん)排水路を伝って当時1日200万トンの未処理の廃水が垂れ流され、製紙かすなどがヘドロとして川や海を汚した。

<ばんの・よしみつ> 1931年、愛媛県生まれ。55年に東京大文学部を卒業し、東宝に入社。71年公開のゴジラシリーズ第11作「ゴジラ対ヘドラ」を監督。2000年に先端映像研究所(川崎市)を設立。14年公開のハリウッド版「GODZILLA」でエグゼクティブ・プロデューサーを務め、製作中のハリウッド版続編にも携わる。近著に「ゴジラを飛ばした男」(メディア・パル)。

 

 

 


教育勅語暗唱のきっかけは?⇒国のかたちを揺り動かす”森友学園教育と安倍首相夫妻”~教育勅語暗唱の「洗脳」に批判と怒りを  

2017-03-05 02:41:39 | 戦前回帰 明治 国家思想

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教育勅語こそは、現人神である天皇への忠誠と国家へ命を捨てる奉仕させる、国家権力による国体意識すり込み教育の象徴であった。そこに個人の尊厳、人権はなく国家に尽くすただの人間であるにすぎなかった。

主権在民の民主政国家として、「個人の尊厳」に基ずく国づくりを自国の国民と他国に対して約束したのですから、それと背反する思想原理により教育や政治を行うことは、絶対に許されない。

塚本幼稚園園児による教育勅語暗唱

 


澤藤統一郎の憲法日記 http://article9.jp/wordpress/?p=8231

教育勅語暗唱の「洗脳」に批判と怒りを


一昨日(3月1日)の朝日新聞が、「森友学園 公教育を逸脱している」と、異様な塚本幼稚園の教育内容を批判する社説を掲載した。
http://www.asahi.com/articles/DA3S12819044.html

森友学園とアベ政権の関係をめぐるこの一連の疑惑。その根底にある最も本質的な問題は森友学園の教育内容にある。反憲法的な復古主義教育に、政権が無批判であるだけでなく、異例の優遇を重ねてきたことが大問題なのだ。

 この偏頗な教育内容をこそ、批判の対象としなければならない。「私立学校だから教育方針は自由」との「屁理屈」を許してはならない。キーワードは「公教育」である。私立学校といえども、公教育である以上は教育基本法を頂点とする教育法体系を尊重しなければならない。


朝日社説は、このことを明確に意識したものとなっている。
 

子どもの教育法として望ましい姿とはとても思えない。
 学校法人森友学園(大阪市)が運営する幼稚園が、運動会の選手宣誓で園児にこんな発言をさせていた。
 『日本を悪者として扱っている中国、韓国が心改め、歴史でうそを教えないようお願いいたします』『安倍首相がんばれ』『安保法制国会通過、よかったです』

 運動会とはおよそ関係のない話で、異様さに耳を疑う。

 教育基本法は、特定の政党を支持するなどの政治教育や政治的活動を禁じている。安倍首相自身、自らへの『応援』について国会で『適切でないと思う』と述べた。当然だ。
 深く理解できる年代でもない子に、他国名をあげて批判させたり、法の成立をただ『よかった』と言わせたりすることが、教育に値するだろうか。

他者を排し、一つの考えを植えつけるような姿勢は、公的制度にのっとった公教育としてふさわしくない。『自他の敬愛と協力』の重視を求める教育基本法の趣旨にも反する。

 この幼稚園は、園児に教育勅語を素読させてもいる。学園が4月に開校予定の小学校でも同様に素読させるとしている。
 教育勅語は、天皇を頂点とする秩序を説き、戦前の教育の基本理念を示したものだ。『基本的人権を損ない、国際信義に対して疑問を残す』などとして、48年に衆参両院で排除・失効の確認が決議されている。この経緯からも、素読は時代錯誤だ。

首相の妻の安倍昭恵氏は、幼稚園での講演で『この幼稚園でやっていることが本当にすばらしい』と語ったという。教育内容をどこまで知っていたのか。小学校の名誉校長を辞したが、経緯はなお不明なことが多い。
 首相は当初、学園や理事長について『妻から先生の教育に対する熱意は素晴らしいと聞いている』と肯定的に語っていたが、その後、『学校で行われている教育の詳細はまったく承知していない』などと距離を置き始めた。いかにも不自然だ(以下略)」

 


そして、本日(3月3日)の毎日新聞社説が続いた。森友学園の教育内容を厳しく批判したもの。題して、「森友学園 教育機関と言えるのか」。
http://mainichi.jp/articles/20170303/ddm/005/070/098000c
 

果たして教育機関を名乗る資格があるのか。学校法人「森友学園」の実態が明らかになるにつれて疑念が深まる。
 学園が運営する幼稚園の運動会で「安倍(晋三)首相がんばれ。安保法制、国会通過よかったです」などと園児に選手宣誓をさせていた。この映像を見て異様さを感じた人は少なくないはずだ。

 教育基本法は思想が偏らないよう教育の政治的中立を求めている。園児にこうした宣誓をさせることが法を逸脱しているのは明らかだ。

 政治について理解する力が身についていない幼児に、大人の思想を押しつけるのは教育ではなく、まさに洗脳である。
 子供の健全な成長に影響を及ぼしかねない深刻な事態だと受け止めなければならない。

 この幼稚園は教育勅語を園児に暗唱させており、新設予定の小学校でも素読させるとしている。

 明治憲法下の教育理念である教育勅語は忠君と国家への奉仕を求めていた。1948年、『基本的人権を損ない、国際信義に対して疑いを残す』などと衆参両院で排除と失効確認が決議された。公式決議の意味は重く、教育現場での暗唱はふさわしくないはずだ


 強引に戦前回帰を進めようとする籠池泰典理事長らの姿勢は時代錯誤と言わざるを得ない。

 学園を監督する大阪府は、教育基本法の趣旨を踏まえた教育内容に改めるよう指導を徹底すべきだ。(以下略)」


 

 両紙の社説に賛同し、敬意を表したい。毎日の「政治について理解する力が身についていない幼児に、大人の思想を押しつけるのは教育ではなく、まさに洗脳である。」という一文が、本質を衝いている。

教育とは、特定の価値観を押しつけることではない。多様な見解に柔軟に接して咀嚼する姿勢を基本に、自らの価値観を形成する能力を育成することではないか。

 教育勅語こそは、天皇制権力による臣民への偏頗な國體意識刷り込み教育の象徴であった。

 現代の公教育の場にあってはならないものと言うべきである。これを口を揃えて幼児に暗唱させるなど、醜悪でおぞましい洗脳以外のなにものでもない。新設小学校でこのようなことがあれば、入学児童に対する人格破壊行為と言って過言でない。

森友学園に突出して見えている問題は、実は政権も抱えている。幼稚園児や保育児童に対して、「日の丸・君が代」に親しませるというのだ。まさしく、三つ子の魂に、ナショナリズムを吹き込もうということではないか。

森友学園への批判と怒りは、アベ政権への批判と怒りにしなければならない。

(3月3日)

 

<関連> 教育勅語暗唱のきっかけは…

5分ごろより

・・・・どうして、そういう風になったのか

きっかけは、自民党の大阪府連から「」教育勅語をやってみないか」という働きけが、きっかけだった

今の理事長さんに変わってから、自民党さんだとかいろんな議員との交流が増えてきた

それがきっかけで・・・・10年ぐらい(前)ですかね

 

<参考> 森友学園:「鴻池さん、あんたと同じ思想の幼稚園だ」と勧められ・・・・

10分ごろより

依頼で講演に行った。僕の知り合いの誰かやね。「行ってくれるか」と事務所を通して

鴻池さん、あんたと同じ思想の幼稚園だというわけよ

で、面白いなと思って

そしたら教育勅語やら、子どもの行儀がいいね、ピシッとして

今考えたら、相当な教育をしてるみたいだけど

感動したね、やっぱり  ・・・・・

 

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(ぜひ拡散を!)
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