Garden Chair で Coffee Break

ふーっと溜息 ホッと一息・・ 
お散歩で見かけるお花と大好きなダイビングの水中世界を
気まぐれにひとりごちるブログ

中華街へ

2019年02月18日 | ひとりごと
超~~久しぶりに中華街へ行ってきました

春節です
当然ですが混んでいました

獅子舞・提灯など飾り付けなど賑ぎ賑ぎしかった
     

だいぶお店もだいぶ変わっていて
メイン通りでも 料理店だったところが占いやお土産店になっていたりで
ちょっと残念は気もします


有名人やテレビ局取材の写真がベタベタ貼ってある とある古いお店

夕食には早かったのですが ちょっと入ってみました


大エビの唐揚げや黒酢の酢豚などはまあまあでしたが
他はあまり美味しくない!
小龍包にいたっては 蒸し切れていないのではないか・・と思うくらいな加減で
しかも
「これってお店で作ったのではなく 出来合いの仕入ではないかしら?」
と思われるものでした
    
なんと残念な。。。


中華街を検索すると食べ歩きや食べ放題の記事ばかりになっていますよね。。。


賑わってはいるけど本当の中華料理だけで経営するのは難しくなっているのかしら・・・


  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


全く関係ない話ですが
春はもうすぐ・・ですね!


河津桜が満開でした
    
    (相変わらずカメラを持ち歩かない私・・・^_^;)
散歩コースの川沿いの樹です

土手の上も・・チラホラ
いくらなんでもソメイヨシノではないでしょうけど
    
ウキウキしてきます





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ハンマーリバーを探してさまよう・・バンダ海ダイブクルーズ(その6 Final)

2019年02月01日 | ダイビング
クルーズ中にはこんなことがありました

キャビンで休憩中に
「カツオドリがきてますよ~!」と教えられて
「あ・そう。。。」(どうせグルグル船の周りを飛んでいるくらいよねきっと・・)
と さほど気にもせずにいたのですが

しばらくしてからデッキにでてみたら
「まだいるよ!」と教えられてトップデッキに行った

なんとこの状態!
    
ずっと船のへりに留まったままだったらしい

近づいても結構大丈夫で 大撮影会だった(笑)
    
クルースタッフにも珍しいことらしく スマホで記念撮影していた

夜じゅうあのまま掴まっていて翌朝もしばらくいたみたい
陸が遠い場合はこんな風に休むこともあるらしい

それにしてもよく人間を怖がらずにじっとしていたものだと
感心してしまいました 野生のカツオドリなのに。。。


それからこんなことも。。

小さな村の近くに停めていたとき
漁師が手造りの舟で近づいてきました
(いかにも手彫り・・って感じですね)

今獲ったばかりの「タコ」を売りにきたのです
    
コックのクルーと交渉中

その間 これもガラスと木片で手作りしたという
漁用の水中メガネに感心しきり
    
いくらぐらいで買ったのか尋ねたら
お金ではなく物々交換だという

お金は使いたいけど使うお店がないから
手っ取り早く手に入る飲み物や食べ物と交換したらしい

この夜は美味しいタコ料理が頂けたのは言うまでもありません


バンダ島に上陸しミニ観光もしました

ここはスパイスアイランドとも呼ばれ
ここでしか採れないと言われたクローブ・ナツメグ
かつてヨーロッパでは大変貴重で高価
その値は金の重さと同じで取引されたそうです

それゆえその権益をめぐって悲惨な歴史があります

桟橋に大きな船がいました
    

    
フェリーだそうです
生活物資も運んでくる定期船


オランダ統治時代の建物 
    

今もホテルとして現役です なかなかステキです

桟橋のすぐ横 このホテルのすぐ前
    
あのニシキテグリのメイティングが見られるんです

びっくりのポイントです


町の中

素朴なスパイスの商店がたくさん
    
そしてなぜか異常に多かったカフェ

ヨーロッパ人の観光・ダイビング客が多いんだろうか。。


やっぱりここでもバイクのペインティングがお好き^_^;
なぜか大人用なのに多いんですよ キティちゃん(苦笑)
    
人力車風・・観光客向けかしらん

バイクに荷台をつけて運ぶあれね
昔あったような・・

丘の上に要塞があります
外敵用でもあり 住民に対するものでもあったそうです
海が一望できるし町をも見下ろす丘の上

そう・・スパイスを独占せんがために反抗的な住民は殺されたのです
    
この六角形の要塞は何かに似ていませんか?

そう函館の五稜郭です
江戸時代の鎖国時日本はオランダとだけ交易していたので
当時西洋的軍事はオランダ式だったのですね

博物館も覗いてみました
    


この絵は
侍が殺したようにみえませんか?
    
当時住民を大勢虐殺したオランダですが
そのとき 日本から浪人を傭兵として連れてきたのだそうです

そしてこの絵は虐殺したのはオランダ人ではなく
日本人であるかのように描かれた(描かせた?)のです

なにも知らずに見ると 悪いのはオランダではなく日本ですよね・・・
いまでも飾られているのをみるのは 日本人として複雑です


でも船が近づくと子供たちはすぐ小舟で遊びにきます
    

転覆してもへいっちゃら。。
    


町の若いママにも「かわいいわね」というと
満面の笑顔で写真を撮らせてくれました
    
さっきあの絵を見たばかりなので なんか安心しますよね

ハンマーリバー探しは不発で疲れましたけど
それでも楽しかった!


        (END)
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