マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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番条町北垣内のお大師さん

2016年10月27日 09時03分52秒 | 大和郡山市へ
一旦は離れた大和郡山市の番条町。

桜井市の竜谷白河の取材を終えて再び番条町のお大師さんを拝見する。

先に南垣内のA家に立ち寄ったそれからはJR郡山駅に向かう。

ちゃんちゃん祭の調査の際に預かっていた道具の返却と調査情報資料の提出である。

受け渡しの場は判りやすい駅にした。

そこで学芸員と落ち合う。

用事はそれだけだが、時間があればと誘った番条町のお大師さん。

行事などの民俗を調査していいる学芸員の仕事にプラスになるかどうかは判らないが、僅かであるが見聞きするだけでも良かろうと思って誘った。

着いた時間は午後3時20分。

午前中は雨であるにも関わらず巡礼する人たちは多かった。

雨が降ってなければもっと多いがこれくらいがいちばん良いと思う参詣人数。

雨天であろうがなかろうが、村の人はお接待やと云ってヨモギダンゴやモチを置いている。

今年は少ないと集落に住む人々が口々にいう雨の日。

降りが激しくなった午後はまったくといっていいほど人影を見ることはない。

人は見ないが、村の人はお大師さんを開帳している。

学芸員とともに参拝するお家は数軒。



お大師さんにお厨子と台飾り。



門屋、或は玄関口に作業場もある各戸さまざまな開帳の場を見て回る。



お花飾りもあるが御膳の椀。



料理の内容の詳しさは調べている余裕はない。

1時間も経てばそろそろ仕舞われる家もある。

急いで巡礼する北垣内。



ヨモギモチは色で判るが薄い茶色のように見えたモチもある。

もしかとしたらトチモチではないだろうか。

あるお家のお大師さんにこれまで見たことのないようなお札があった。



阿弥陀如来坐像に「第二番極楽寺」とある。

その下にあるお札は全容が見えないが、「弘法大師 報恩謝徳」、「□□□太平」・・「□□□八十八カ所霊場巡拝 息災延命 域内安全 仏法興隆」、「四国 第二十二番 白水山平等寺」の文字が読める。

その下にあるのはおそらく般若心経のご真言であろう。

朝に縁をもらった南垣内のⅠ講中や阿弥陀院住職のKさんから聞いていた。

この日は特別に本場の四国からある一寺の僧侶が巡拝に来られると話していた。

番条町に来られる詳しい経緯は存知しないが、市役所を通じて連絡があったそうだ。

それがこのお札の寺であるのかどうか知らないが、奇妙な動きをする二人の男性が村を廻っていた。

二人の手には何枚かのモノを持っていた。

一人が指図をして一人が手にしたモノをお大師さんに置いていた。

二人は僧侶姿でもない白シャツにズボン。

一般的なビジネスマン風の姿である。

番条町に開帳されるお大師さんは88体。

僧侶であるならば一体ずつ真言を唱えると思う。

仮に唱える時間を5分としよう。

5分間の根拠は昨年に参拝された市内小林町の真言宗豊山派新福寺住職は般若心経を唱えられた。

場は北の大師堂。

そのときの時間がおよそ5分間だったのだ。

すべてのお大師さんへのご真言(般若心経の可能性もあるが・・)の合計時間は単純計算では7時間20分。

移動する時間を1分として加えれば9時間40分。

朝の9時から始めたとしても、休むことなく連続であった場合でも午後6時はとうに過ぎてしまう。

もしかとすれば四国に戻られて、お札は代理の人が置いていった。そう思った。

その北の大師堂に立ち寄った。

例年どおりの北の大師講のみなさんに歓迎される。

テレビ番組で取材されたSさんご夫婦

先日に行われた北の大師講の際に心経を唱えられたことを思いだす。

婦人はご主人とともに出演された番組は「綾小路きみまろの人生ひまつぶし」。

綾小路きみまろが大和郡山の城ホールでライブをした帰り道に立ち入った地域が番条町だったのだ。

茅葺の豪邸を発見してお邪魔する綾小路の口の聞き方は上から目線のように感じた。

築二百年を超える茅葺家のS家はもともと地元の大庄屋。

当家の茅葺の材はカヤススキであるが、同家では珍しく「ヨシ」を利用する。

「ヨシ」は通気性をもちつつ断熱性も優れている材。

15年に一度は葺き替えをすることで維持していると伝えていた夫妻はふたりとも90歳越え。

耳は遠くなったが今でも元気だ。

北の大師講で最も世話になったのは中谷酒造の会長だ。

一年ぶりにお会いする二人の元気な姿をみるだけで私は嬉しい。

ゆっくり話しを聞いている時間もなく次の家に向かう。

そこは先ほどおられた婦人の家。

下門屋前に立っていたのは友人らを案内していた次男さん。

この日のお大師さんに来てくれるんやろな風のメールが届いていた。

客人を迎えた当主とともに屋内に消えていった。

ここより造り酒屋の中谷家に向かうまでの間にある家がある。



そこは預かりのお大師さんも並べるお家。

納める厨子が一体化したように見える。

馴染みの方らに顔を合せば、近況報告もあってどうしても話しが長くなる。

ここまできての時間帯は午後4時を過ぎていた。

少なくとも何軒かは屋内に戻されていた。

締めは造り酒屋のお大師さん。

会長のご厚意で出開帳したことがある。

門外不出のお大師さんが出開帳した先は奈良県立民俗博物館。

平成22年12月11日から翌年の平成23年2月6日まで開催された企画展「大和郡山の祭りと行事」に一般公開されたのである。

こんなありがたいことはない。

当時、拝観していた数人は手を合わせていたとか・・・。

(H28. 4.21 EOS40D撮影)