むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

桑折陣屋(福島県)

2021年11月04日 | 陣屋・館
桑折陣屋こおりじんや
別名
構造陣屋
築城者松平忠尚
築城時期1700年(元禄13年)
廃城時期1747年(延享4年)
指定史跡
場所福島県伊達郡桑折町陣屋 地図

桑折周辺の信達地方 は、江戸時代に入ると、米沢藩上杉 氏領となりましたが、
1664年(寛文4年)に幕領へと移り、幕府代官所が福島に置かれていました。
その後、信達地方は一時福島藩本多氏領となりましたが、1682年(天和2年)再び幕領となり、
堀田氏の福島藩入部に伴い、残された幕領を治めるため、1686年(貞享3年)に幕府代官所 として桑折陣屋 が設置されました。
初代桑折代官は柘植伝兵衛 でした。1700年(元禄13年)松平忠恒 が二万石で桑折藩を開き、陣屋を使用していましたが、
松平氏は定府 (参勤交代せず、江戸に常任している大名)であったので、桑折屋には代官を派遣して、当地を治めていました。
松平氏は三代忠暁 のときの1747年(延享4年)上野篠塚に転封になりますが、その理由は半田銀山 に有望な鉱脈が発見され、
これを幕領とするためとされ、佐渡奉行の支配下に置かれました。
このころ描かれたとみられる絵図によると、陣屋内には銀山関連の施設があったことが窺えます。
1749年(翌寛延2年)に神山三郎左衛門 が桑折代官として赴任し、一時の仙台藩の預かり支配期を除き、
1868年(明治元年)に前田勘四郎 代官から新政府に引き渡されるまで、代官が派遣されていました。
その間、陣屋は斎藤彦内 ・蓬田半左衛門 等が首謀着となった「寛延一揆 」に囲まれたり、
竹内平右衛門 、寺西重次郎 ・寺西蔵太 ・島田帯刀 等、民政や銀山開発に尽くした代官の治政の場となる等、当地方の中心として機能しました。
代官の中には、竹内代官や寺西重次郎代官等のように、桑折で死去し、町内に墓所があるものもあます。
陣屋は、郡役所敷地より東側、陣屋の杜公園より北側の、現在は住宅地となってい部分を占めていました。(案内看板より)



駐車場

旧伊達郡役所の前に無料の駐車場があります。
こちらを利用して散策です。


旧伊達郡役所

この建物は、1883年(明治16年)に建てらたもので国の重要文化財に指定されています。
その後1969年(昭和44年)まで福島県の行政を担ってきました。
なかなか格好良いハイカラな建物です。


案内看板

門が開いている時間ではなかったため、中に入ることが出来ず、
近くから撮影することが出来なかったのですがカメラのおかげで看板の文字が読めました(^^;



開いていたら中も見てみたい。
こういう建物もわりと好きなんですよね。
桑折西山城もまだ入り口までしか行ってないので次回訪れた時のお楽しみということで。


松尾芭蕉像

芭蕉さん、ここにもいらしたのですね(^-^)
桑折町は、奥州街道・陸羽街道が分岐する宿場町として栄えた町なので
立ち寄った場所がいくつかあるようです。


桑折陣屋横に建てられた旧伊達郡役所を紹介したような形になってしまいましたが、
肝心な陣屋跡はここには写っていません!
旧伊達郡役所を目標にやってきて、ここで満足してしまい陣屋跡をみつけた気になっていました。
本来なら「違うだろ!」って相方に突っ込まれるところですが
この時、睡眠中でして…私独りで平気だからと別行動したために伊達郡役所を見て満足して
帰って来てしまいました。
とは言え周囲は住宅地なので撮影が出来たのかと言えば難しいところではあるのですが。
次回は陣屋の杜公園にも行ってみようと思います。


令和3年10月31日訪問