むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

相良城(静岡県)

2022年08月29日 | 百名城以外の城
相良城さがらじょう
別名相良陣屋
構造平城
築城者田沼意次
築城年代1768年(明和5年)
指定史跡
場所静岡県牧之原市相良 地図

相良城は、9代 将軍徳川家重が、田沼意次を相良1万石の大名に取り立て、
この時はまだ相良陣屋だったのですが、10代将軍家治が城を築くことを許可し、
12年かけて有力な大名のみに許される天守を持った城を築城しました。
しかし、意次が失脚すると、松平定信の命により、相良城内の財産は没収され、
相良城はわずか8年で廃城となり、壊滅的に破却されてしまいました。



牧之原市資料館

牧之原市資料館が建つこの場所が相良城の本丸跡です。
現在は、相良小学校、相良中学校、相良高校、町役場などが立ち並ぶ場所が城域となっていました。


城址碑

牧之原市資料館が建つこの辺りが本丸ということで本丸碑があります。
時代は天正4年、武田勝頼が徳川家康に対抗するべく、高天神城へ兵糧を運び入れるための
拠点として高坂弾正の縄張りで相良に城を築いています。



午前9時~午後4時までということで、この日訪れたのが18時30分だったので
もうとっくに閉館している時刻で、ちょっと城めぐりの順番間違えたなと…😓


旧湊橋

旧湊橋は、田沼街道の起点で城と東海道を結ぶ街道の出発地点でした。
東海道の島田・金谷の渡しの他は大井川を渡ることが許されておらず、
大井川を渡ることができた田沼街道は地元の人々からとても重宝されていました。


仙台河岸

松平定信の命により壊滅的に破壊された相良城ですが、
仙台河岸の一部がこの付近に残っていて、この橋の袂に案内看板も設置されています。



正面に石垣の角が見えます。
他に相良城の遺物を見られるのは、般若寺に相良城の御殿大書院にあった「杉戸」(狩野典信の描いた)と
江戸の太鼓師に作らせたという「陣太鼓」が現存しています。
これらは城が破却された際に競売にかけられたものだそうです。



水路の奥を覗いてみると、なんと石橋がそのまま残っているのが見えます。
だいぶ日が落ちてしまっているのでこれが限界でした。


また、武田氏時代のより古くは、源頼朝の命を受けた相良長頼が1198年( 建久9年)に肥後国へ移され、
後に相良氏は人吉城の城主となっています。
資料館に寄って調べ始めたら、いろいろ面白くて、時間をかなり費やしていたことでしょう。


令和4年8月14日登城


今回の参考本


静岡県の城跡 中世城郭縄張図集成(西部・近江国版)