荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『アリスのままで』 リチャード・グラッツァー、ウォッシュ・ウェストモアランド

2015-07-05 01:05:28 | 映画
 ここ1年間のジュリアン・ムーアの活躍はめざましい。先日公開されたばかりの快作『ラン・オールナイト』の監督ジャウマ・クリェット=セラの前作『フライト・ゲーム』では航空機パニックに巻き込まれ、クローネンバーグ『マップ・トゥ・ザ・スターズ』では情緒不安定なハリウッド女優、『ハンガーゲームFINAL:レジスタンス』では反乱軍の女首相を演じ、今作『アリスのままで』では難病ものの悲劇のヒロインである。今秋にはシリーズ最終作『ハンガーゲームFINAL:レボリューション』も控える。質・量ともに尋常な活躍ではない。印象的な赤毛、ソバカスがちな真っ白な肌、急激な角度で上がったかと思うと突然垂直に落ちていくワシ鼻のライン、心地の良い声のエロキューション。誰でも一度見たら忘れることのない女優である。
 ジュリアン・ムーアが演じる主人公アリスは、若年性アルツハイマー病を患い、急速に意識が崩壊していく。発病前の彼女は、NYコロンビア大学で教鞭をとる世界的な言語学の教授だった。その彼女が言葉につかえ、単語が出てこなくなる。おのれの強味であるはずの部分が、あえなく崩壊していく。この焦燥と絶望は、アルツハイマー病に詳しくない私たちのような観客にも、膝を突き合わせているかのごとく伝わる。
 怖ろしいのは、夫(アレック・ボーグナイン)が先端医療の医師で、本人が世界的な言語学者、そして3人の子どもたちも立派に巣立っているという、いわばアメリカのエリート家庭でこの発病が起こっても、為す術がないということだ。さしたる有効な治療法もないまま、アリスは痴呆化していく。誇り高い彼女は、自分がどうしようもない地点まで来てしまった時にそなえ、近い未来の自分にむけたビデオレターを、愛用のMacBookに保存する。つまりそれは自殺マニュアルなのだが、いざその時が来ても、それさえもまともに実行できなくなっている。睡眠薬を取りに2階のベッドルームへ向かう途中で、自分がなんのために階段を上がっているのか分からなくなってしまうのだ。
 「カメラの望遠レンズによって、アリスに焦点が合い周辺がぼやけた映像は、朦朧とした彼女の記憶そのものを表す。病気の進行で面立ちまで変わっていくジュリアン・ムーアの迫真の演技」と、映画評論家の真魚八重子さんが朝日新聞紙上で評している。たしかに、この被写界深度の浅い画面が、作品に緊迫感を生み、それから主人公の自尊心を守護してもいた。昨今はん濫するCANON EOS 5Dによる流行りの「ボケ足」映像などとは、まるで異なる水準である。撮影監督は、アメリカにも進出しているフランス人ドゥニ・ルノワール(本作オフィシャルHP上の表記はデニス・ルノワール)。言わずと知れたオリヴィエ・アサイヤスの盟友である(『パリ・セヴェイユ』『冷たい水』『8月の終わり、9月の初め』『デーモンラヴァー』『カルロス』etc.の撮影)。


シネスイッチ銀座ほか全国で上映
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