荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『パージ』 ジェームズ・デモナコ

2015-07-26 20:35:09 | 映画
 マイケル・ベイの映画は信用できない。湯水のごとく予算を浪費するのに、作りがすこぶる雑である。去年の監督作『トランスフォーマー/ロストエイジ』もひどい出来だったが、今冬に公開されたプロデュース作『ミュータント・タートルズ』の鈍重さたるや、ラズベリー賞の常連になるのも無理からぬことである。その彼が低予算の近未来SFスリラーを手がけた。大金を無為に浪費する彼が、低予算だとどう出るのか。ひょっとすると、意外にも好結果を招くのかも知れない。
 本作『パージ』のプロデュースをマイケル・ベイと共同でつとめたのは、ジェイソン・ブラムである。『パラノーマル・アクティビティ』シリーズのプロデューサーであり、最近では賛否両論の音楽映画『セッション』のプロデュースもつとめた。マイケル・ベイとジェイソン・ブラムがタッグを組むと、どうなるのか。
 近未来のアメリカ社会は、犯罪多発と経済不況によって国家システムが破綻し、「新しいアメリカ建国の父たち」と名乗るファシズム団体が統治をおこなっている。そして国民への抑圧をガス抜きするために1年に一晩だけ、殺人をふくむあらゆる犯罪を合法化したとのことだ。その一夜だけは警察、消防、救急の全サービスが全停止する。
 ファシズム国家がガス抜きのためにバイオレンスの祭典を奨励するというプロットは、古くはポール・バーテルの『デス・レース2000年』(1975)、新しくは『ハンガー・ゲーム』(2012)あたりと同根の発想である。私が『ハンガー・ゲーム』を評価するのは、その白々しい諷刺と暴力、そしてフォークロア性による非対称がきわめてロジャー・コーマン的だからであり、とうぜんこの『パージ』にもコーマン的シニシズム、そしてその向こう側の射程にむけた獰猛な視線を期待する。
 しかし、答えは否。ピーター・S・トレイナー『メイク・アップ』(1977)やウェス・クレイヴン『壁の中に誰かがいる』(1991)、デヴィッド・フィンチャー『パニック・ルーム』(2002)の後続を狙った手ぬるい監禁スリラーであり、しかもスリルの演出がぶつ切りなのである。登場人物たちは都合が悪くなると、勝手に癇癪を起こして家のどこかへ消えて行ってしまう。登場人物の出し入れに有機的な連係がなく、殺人鬼たちの行動も精彩に乏しい。隣人たちがみな、主人公一家に殺意を抱いていたという後半の展開は悪くないのに、それが、諷刺としてもうひとつ効いていない。『パージ』とは、レッド・パージのパージである。この重大な用語をタイトルに使うなら、もっと鋭さを見せなければならない。引き続き上映される第2作も、もちろん見るつもりである。


TOHOシネマズ日劇(東京・有楽町マリオン)で7/31(金)まで
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