荻野洋一 映画等覚書ブログ

http://blog.goo.ne.jp/oginoyoichi

盆狂歌

2013-08-14 14:51:21 | 記録・連絡・消息
連日猛暑が続きますが、皆様いかがお過ごしですか? わたくしは、寄る年波には勝てぬと申せど貧乏暇なし、休日返上でなんとか労働に勤しんでおります。作業の合間に下手糞な狂歌をお一つ──

盆なか日
人影まばらの
人ぎょう町
彷徨い出づるは
爺と幽霊ばかりなり

『パシフィック・リム』 ギレルモ・デル・トロ

2013-08-14 04:38:01 | 映画
 メキシコ出身のファンタスティック系映画作家ギレルモ・デル・トロ(正しくはギジェルモ)の最新作『パシフィック・リム』では、ハリウッドのど真ん中でハリウッドらしからぬことをしでかしたいという不遜さが、こそばゆいほどに、または有り難迷惑なほどに日本に範を求めている。ロボット・アニメと怪獣パニック、特撮戦隊もののメモリーが、季節外れの焚き火のごとく、過剰な愛情と共にワンカットごとに燃えあがる。分かっちゃいるけど、微笑と苦笑ばかりが漏れる。作者デル・トロの暗号を受け取れと、画面は主張してはばかることがない。
 その肥大化したファンタスムゆえか、ここではサイズが恐ろしいまでに巨大化している。あまりにも巨大な海中の怪獣(登場人物たちはそれらを「カイジュ!」と呼んで、ファンタスムを率先してふれ回る)。そして迎え撃つ合金製ロボットも、ナンセンスな巨大さでお付きあいをして見せる。相似形の釣り合いが儀式的に尊重される。人類の歴史の終着点、地球の生物史の総まとめとして、最後のフロンティアであるマリアナ海溝にスポットが当たり、映画の前半でこの海溝を核爆発によって消滅せしめるという狂ったプランが発表される。学童以下の精神年齢と、老人の諦念が隣り合う。日本に範を求めることは、結局そういうシニシズムにどっぷり浸かってみることに直結していくのだろう。これはこれで迫真に迫っているのだ。


丸の内ピカデリー(東京・有楽町マリオン)ほか全国で上映中
http://wwws.warnerbros.co.jp/pacificrim/

『熱波』 ミゲル・ゴメス

2013-08-10 18:53:56 | 映画
 ポルトガル映画『熱波』の特長は、見れば一目瞭然、2部構成である点に尽きる。
 1つめのストーリーは現代、冬のリスボン。ギャンブル依存と抗うつ剤にさいなまれる老婆が、みるみるうちに衰弱していく。2つめのストーリーは、ポルトガルがまだアフリカに植民地をもっていた1960年代初頭、“タブー山脈”。老婆の若く輝ける日々、入植者一家の美しい人妻と流れ者の不倫愛が、サイレント映画のサウンド版のようなタッチでつづられる。
 そして、すでにたくさん言及されているが、山脈の名前「タブー」、人妻(のちの老婆)の名前「アウロラ」などの固有名詞が、フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ムルナウへのリスペクト(前者はムルナウの遺作のタイトル、後者は代表作『サンライズ』のポルトガル語タイトルである)を想起させる。ムルナウだけではない。監督のミゲル・ゴメスはインタビューでヒューストン『アフリカの女王』、ホークス『ハタリ!』、フォード『モガンボ』を本作の発想源として挙げ、「本物以上にリアルな」アフリカを体現していると語っている。
 ようするにこれは、胸中山水としての植民地の記憶ということである。記憶の担い手、回想の話者のなかでリアルな物語として定着した幻視である。2部構成であることによって、作者は冷淡なる分別を自作に強いた。この冷淡さは評価されていいのではないか。楽園は楽園ではないのである。


シアター・イメージフォーラム(東京・渋谷金王坂上)ほか全国順次公開
http://neppa.net

八百善(江戸・山谷) 4×2=8

2013-08-08 02:49:53 | アート
 左図、右から時計回りに大田南畝 、鍬形惠斎、大窪詩仏、亀田鵬斎。それぞれ狂歌師、浮世絵師、漢詩人、書家・儒学者で、江戸後期を代表する文人クァルテットである。彼らが会し、宴を催しているのは江戸・山谷の高級料亭「八百善」である。山谷というと昭和以降はドヤ街として知られたけれども、逆に江戸期においては、近隣に吉原を控えて贅沢な遊興の町として栄え、在りし日の「八百善」は洒落の分かる客相手には、締めにお茶漬けの注文を受けてから、清流に水を汲みに行くことから始め、お茶漬け一杯に現在の貨幣価値にして10万円を請求したというから面白い。
 サントリー美術館(東京・六本木)で開催中の《生誕250周年 谷文晁》《生誕250周年 谷文晁》が会期後半に入り、展示替えをおこなった。8割方展示品の交替があったため、ほぼ新しい展覧会を見に行ったに等しい。谷文晁といえば、山水を中心とする南画(文人画)が見どころの焦点となるけれども、「八百善」四代目主人・栗山善四郎の著したグルメ本『江戸流行料理通』(1822)に、鵬斎が序文を、南畝 (蜀山人)が跋文を寄せ、文晁、酒井抱一、葛飾北斎、鍬形惠斎などが挿絵を描いているのが、オールスター的な豪華さだ。左図に酒井抱一が写っていないのは、たまたまだろう。下戸だった抱一だが、もっぱら「食べる専門」係として別の絵に描かれているのを見たことがある。江戸後期に全盛を誇った「八百善」は昭和・平成に入って徐々に零落し、数年前まで新宿靍島屋や両国の江戸東京博物館に出店したりもしていたが、現在は郊外で料理教室事業のみに専念していると聞いた。
 右図は、わが少年期の最も輝けるクァルテット、スロッビング・グリッスルの3rdアルバム『20 Jazz Funk Greats』(1979)。コージー、ジェネシス・P・オリッジ、ピーター、クリスの4人組である。谷文晁の山水のなかに小さな小さな旅人と、彼のお伴をする琴持ちの少年の後ろ姿を眺めながら、スロ・グリの「Still Walking」が耳下腺内でこだましたため、こじつけで並べた。リリース当時、「新宿レコード」で英国盤を3200円くらい出して購入した記憶がある。ぼられたものだ。

『サントス ~美しきブラジリアン・サッカー』 リナ・シャミエ

2013-08-05 00:18:18 | サッカー
 『ジンガ ブラジリアンフットボールの魅力』(プチグラパブリッシング刊)の著者・竹澤哲さんからお誘いを受け、ブラジル大使館でおこなわれた、リナ・シャミエ監督『サントス ~美しきブラジリアン・サッカー』の試写へ出かけた。
 サンパウロ州の港湾都市サントスに本拠地を置くサントスFCの履歴をたどるドキュメンタリーで、クラブのレジェンドが、(1)ペレ、ペッピ(ペペ)の時代(1950’s~1970’s)、(2)暗黒の時代(1970’s~1980’s)、(3)ジオヴァンニの時代(1990’s)、(4)ロビーニョとジエゴの時代(2000's)、そして(5)ネイマールの時代(2000's~今夏)と区分されて語られていく。おもしろいのはサントス市内のサポーターよりもサンパウロ市内の無名人・著名人のサポーターにスポットを当てていること。サンパウロ市内から60kmしか離れていないサントスだが、高速道路はクネクネとした下り坂を下りていき、なかなか到着しない。だからサントス・ファンには特別な魂が宿っているのだと言わんばかり。「純白のユニフォームはモノクロの中継で見るとよけいに白く見え、黒人選手をより黒く映えさせた」というオールドファンの言葉。
 ペレがなかなか蹴らないPKを決めて通算1000ゴールを達成し、試合途中なのにマスコミがピッチになだれ込み、感極まってプレー続行不能となったペレを撮影し、そのまま試合が再開されたのかさえ不明となってしまう、素晴らしくエモーショナルなシーンを見ることができた。ペレが試合中に突如としてセンターサークルで両手を広げて神に祈りはじめ、スタンドのファンたちがすべてを理解して号泣する(引退の瞬間を目撃したという)証言など、伝説がたくさん詰まっている。
 本作がドキュメンタリーとして秀逸かどうか、それは正直なところわからない。ただ、名シーンの目白押しであることはまちがいない。しかも、これを作ったのがリナ・シャミエという女性監督という点が、なお素晴らしい。わが少なからぬサッカー取材経験、中継経験から言わせてもらうなら、イングランドやドイツといった北の諸国においては、サッカーはもっぱら男たちだけの娯楽で、女性はそれを冷ややかに眺める傾向がたしかにある。ところが、スペインやブラジルといった鉄板の上で油がはねているような国では、屈託なき少女たちが、美しいレディたちが、たくましい年増女たちが、老人ホーム住まいのヨボヨボな老婆たちがスタジアムに来てフッボル(フチボウ)を祝祭的に、または単に午後のおやつのように思い思いに楽しんでいる。
 本作を、私はオーソン・ウェルズの『イッツ・オール・トゥルー』(1941-1993)のリールの尻に繋げて見てみたい。


10~11月に東京・福岡・金沢・大阪・浜松・京都で開催の〈ブラジル映画祭2013〉で上映予定
http://www.cinemabrasil.info