シーカヤック釣り 海をてくてく

カヤックフィッシングとハイキング
足漕ぎカヌー(スワンじゃないよ)と自分の足で、陸上、海上、遊びあるき

花博をてくてく

2021年11月30日 | 散策

一気に寒くなってきた。

先週の週末20℃から、13℃。

熱い食べ物がおいしい季節。

日が射して、風が落ちたので、ライトダウンを腰にまいて、花博散歩。

キッチンカー・マルシェ。毎週日曜やってます。

ワインの試飲、おでん、ホットワイン・・。

メニューは冬モードへ。

ニュースではコロナ新株のオミクロン。

アフリカだけと思いきや、2日でイギリスにも。

海外からの飛行機が全面禁止。ということは出ることも不可。

既に、渡航者の陽性患者はオミクロンとのこと。

新株オミクロンの脅威は如何に。

常にマスクと消毒はもう慣れた。

ただ、行動の自由は維持できる世の中であってほしい。

寒蘭の品評会、即売会をやってました。

生き物も、植物も、育てるとなるとそっとできずに触ってしまう。

当然、特に虫なんかは長生きできない。

やっぱり写真が合ってるのかな。

スマホだけど。

紅葉は、ピークかな。

コスモスは終了。

紅葉がなくなると、散歩がただの運動目的になるのがつらいなぁ。

と感じる今日この頃。


仁和寺をてくてく

2021年11月24日 | 散策

続いて、仁和寺。

BS番組のプロファイラーで、V6の岡田君が映画に関連して訪れていました。

また、戊辰戦争について、15分の講談師のお話と当時の戦闘の様子を描いた絵巻が見れる特別展があったので、初めて中に入りました。

徳川義信率いる旧幕府軍を、仁和寺宮嘉彰親王が朝命を受け官軍となった新政府軍を率いて、旧幕府軍を大阪まで後退させ、ついには徳川義信が江戸へ退却するに至る働きを見せました。

江戸から明治への転換期に、大いにゆかりのある寺です。

以下、ウィキ引用。

新政府軍は武器では旧幕府軍と大差なく、逆に旧幕府軍の方が最新型小銃などを装備していたが、初日は緒戦の混乱および指揮戦略の不備などにより旧幕府軍が苦戦した。また、新政府が危惧していた旧幕府軍による近江方面からの京都侵攻もなかった。翌1月4日も旧幕府軍の方向への後退が続き、同日、仁和寺宮嘉彰親王征討大将軍と為し錦旗節刀を与え出馬する朝命が下った。薩長軍は正式に官軍とされ、以後土佐藩も錦旗を賜って官軍に任ぜられた。逆に旧幕府勢力は賊軍と認知されるに及び、佐幕派諸藩は大いに動揺した。こういった背景により5日、藩主である老中・稲葉正邦の留守を守っていた淀藩は賊軍となった旧幕府軍の入城を受け入れず、旧幕府軍は淀城下町に放火しさらに八幡方向へ後退した。6日、旧幕府軍は八幡山崎で新政府軍を迎え撃ったが、山崎の砲台に駐屯していた津藩が旧幕府軍への砲撃を始めた。旧幕府軍は山崎以東の京坂地域から敗北撤退し大坂に戻った。

この時点では未だに総兵力で旧幕府軍が上回っていたが、6日夜、慶喜は自軍を捨てて大坂城から少数の側近を連れ海路で江戸へ退却した。慶喜の退却により旧幕府軍は戦争目的を喪失し、各藩は戦いを停止して兵を帰した。また戦力の一部は江戸方面へと撤退した。

 

可愛らしいおみくじです。

歌会の再現? ググッてみてもわからなかったのですが、しずしずと音を立てずに進行していました。

当時はマスクはなかったけど、ちゃんとマスクで参加する人も。

マスクして逆に目立つという、久々の風景。

無料で入れる場所も広いですが、内部の庭園も相当広い。

最後はバスで京阪三条へ。渋滞の中、京都市役所から四条経由で三条に行くので、京都市役所でおりて三条へ歩いたほうが早いと運転手からアドバイス。それに従いました。

桜と紅葉の時期だけですが・・。とのこと。

ま、その頃しか来ないけど。

一人で居酒屋も考えたけど、1時間近く待つ必要があったので、おとなしく帰りました。

2日連続、がっつり京都のてくてくでした。

 


龍安寺をてくてく

2021年11月23日 | 散策

石亭で有名な龍安寺。

個人的には池の庭園が好きな場所。

石亭。座ってる人でいっぱいなので、畳の奥から引きで撮れない。

休憩するほど疲れてないし、悟りを開く歳であっても、次に行かねば。

吾唯知足(われただたるをしる) 

不平不満を言うけれど、一通りはそろってるんでないか?

といった感じでしょうか。

給料は減るが、若いやつより仕事量の多いシニアは、素直になれなかったりする。

修行が足りない。多分死ぬまで。 

石亭はまた来年。

梅の北野天満宮の次いでの空いてるときに、ゆっくり悟りでも開いてみます。

ここで一句。

熟れたカキ。旨そうだけど、池の上。

少し大人ぶって。

紅葉と、カキが織りなす、池の秋。


等持院をてくてく

2021年11月23日 | 散策

立命館大学のキャンパスをぐるっとまいて、足利尊氏の墓のある、等持院へ。

ノンアルコールビールの良いところは、そのあと運動してもしんどくないこと。

飯の栄養が回って足が軽い。

紅葉情報にもあったので、2回目ですが、紅葉目当てで入りました。

15代にわたり、栄華を極めた足利家の歴代将軍の像と、ずっと後で同じく栄華を極めた徳川家の家康の像が1体。

足利家は2つほど像がありません。ここでは徳川はいらないのとちゃう?と思ってしまう。

境内は茶室などあって、見事でありました。

足利将軍家。

始まりの一人の人生と終わりの一人の人生は、どちらも大河ドラマで勉強した口。

ドラマで受けを狙った付け足しは、嘘っぽく見えないと、そのまま覚えてます。

 

以下、ウィキ抜粋の室町時代。

広義では「室町幕府が存在した時代」に当たり、足利尊氏建武式目を制定した1336年南朝延元元年/北朝建武3年)または征夷大将軍補任された1338年(延元3年/建武5年)から、15代将軍義昭織田信長によって京都から追放される1573年元亀4年)までの237年間、もしくは235年間を指す。学校教育においては、1338年を室町時代の開始としている。

狭義では建武新政から明徳の和約による南北朝合一(1392年明徳3年/元中9年)までの最初の約60年間を南北朝時代応仁の乱1467年応仁元年)または明応の政変1493年明応2年)以後の時代を戦国時代と区分して、その間の75年間から100年間を室町時代と区分する場合もある。


金閣寺をてくてく

2021年11月23日 | 散策

続いて金閣寺へ。

ここの紅葉もベストです。在住の外国人にも大人気。

スマホを上に掲げて撮り、後で人をトリミングするので、人混みも後方をまいて、サクサク通過。

金閣寺・銀閣寺だけ、なぜか各紅葉情報に記載されてません。ダダ混み回避のためでしょうか。

そろそろ昼時。人気店は人が並んでて、1時間は取られそう。

空いてる店が隣にあっても、逆に見劣りしちゃって入る気になれない・・。

飲食店、明暗が強烈です。観光地だからって、人のフンドシで相撲取ってはダメみたいです。

この辺は立命館大学の近くで、学生相手の食堂をあてにしましたが、日曜は休み。

で、コンビニの外のテーブルへテイクアウト、レジ袋なし。

オールフリー、いつも飲んだらふわっとします。

アルコール、申請しないで良い程度に入ってんじゃないの?

最近出た、微アルコールビールより実は度数あったりして。


北野天満宮をてくてく

2021年11月23日 | 散策

月曜休めば4連休。

遠出の方も多いようで、高速道路は久々の渋滞情報。

でも、月曜から天気が崩れるし、気温がガクンと落ちるので、実質、紅葉散歩は日曜まで。

嫁さんは筋肉痛リタイヤ。20℃の中で散策できるのは今日がラスト。

で、今日は一人で京都観光。

京阪山条からバスで、北野天満宮。

紅葉苑、良い感じです。

上から見下ろすと、ちょっと茶色ですが、下から撮ることをメインに。

イチョウと紅葉のコンビが映えます。

空いてるのでお参りしました。


永観堂をてくてく

2021年11月22日 | 散策

永観堂。本命が最後。

夕方になって陰ると思いましたが、色がすごすぎました。

赤、黄、緑、色の洪水。色の爆発であります。

さすがは永観堂。

いい加減に疲れて、バスで帰ることも考えましたが、まった挙句に乗れないとつらいので、

25分、京阪神宮丸太町駅まで歩いて帰りました。

歩きも紅葉も、がっつり満喫の京都でありました。


南禅寺をてくてく

2021年11月22日 | 散策

水路閣へ。

少ない紅葉が真っ赤で、記念撮影は順番待ちの状態です。

自分たちは記念撮影はしないので、どんどん撮る。

人がいてもトリミングでカットであります。

外貨獲得にはならないけど、京都にインバウンドはいらない?

続いて境内に入る。

嫁さんは外で休憩。

今日の京都は外れなし。


知恩院をてくてく

2021年11月22日 | 散策

円山公園へ。

嫁さんは入り口で休憩。

自分だけ龍馬に挨拶して戻る。

知恩院の三門。

ビールの後は足が・・。休み休み。

嫁さんは変に頑張って、次の日筋肉痛。

イチョウの葉がはらはらと。

来週はないかな。

いつも咲いてる寒桜に挨拶。