老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

「総力戦体制論」の批判的検証ー戦後史の「謎」を解く

2023-10-05 13:01:01 | 政治
1.はじめに

日本の戦後史において、最近の学説でも、他国と異なり日本では未だに「戦後史」と称していると、古関彰一氏は「集団的自衛権と安全保障」の中で述べている。

だが、ここに来て、政府自民党は、この終わらない「戦後」を終わらせる政治改革を断行してきた。安倍晋三元首相の「戦後レジームからの脱却」という宣言と、これまでの内閣法制局の通説を一蹴して、集団的自衛権の行使容認を閣議で決定した。安保関連法案は、この閣議決定に基づき国会審議で制定された。憲法で、集団的自衛権までは認められないという従来の政府見解を否定しての、閣議決定である。憲法と国会審議を無視する暴挙という非難は免れないことであった。

また、安倍政権以降も、戦後レジームを終わらせる政府の閣議決定と憲法規定に反する法案は矢継ぎ早に制定されている。任意とされているマイナンバーカードの「紐づけ」強制などである。

このような現在の岸田政権であるが、安倍元首相が宣言した「戦後レジームからの脱却」という時の「戦後」とはいかなる時代であり、いかなる政治運営の時代であったのか、実は敗戦直後という混乱を極めていた占領下でもあった時代であり、従来の「図式的な説明」では「謎」が多く、この図式に納得できる戦後世代の私たちとは思えない。この疑問がライトモチーフである。

2.戦後史の見直しが通説となっている現在

戦後改革の従来の通説を見直して、戦中の政治改革が戦後も継続したという見解が登場して、歴史学のパラダイム転換が成立している。

山之内靖氏の「総力戦体制」がその嚆矢であり、現代史の研究者も山之内説に依拠する見解が多くなっていて、今や通説の塗り替えが成立したような現在となっている。

ここでは、山之内説を端的に整理した山本義隆氏の「近代日本150年」(岩波新書)の見解を引用する。

「しかし、ソ連が崩壊した1990年代になって、第二次世界大戦とその後の歴史について、その機軸をファシズム体制に対する民主主義の勝利とする歴史観に変わり、総力戦体制による社会の構造的変動とその戦後への継承と見る歴史観が、勃勃と語られ始めた。占領軍による「全般の構造改革」なるものの存在が疑問視され始めたのである。その発端を山之内靖の一連の論稿に見ることが出来る。』として、その具体的な「総力戦体制」の内実を、次のように言及する。

『山之内に言う「総力戦体制」の下での「構造変動」の一例として、前章で見た1942年の食料管理制度の導入がある。戦後の(中略)農地改革が占領下の最大のものと言われている。しかし、小作制度は戦時下になされた食料管理制度の改革でもってすでに相当程度形骸化し、戦後の農地改革はなし崩しに準備されている。あるいは国民の健康管理制度がある。』

この後の記述で、山本義隆氏は、科学技術の面では、広重徹氏が既に指摘されているとして、次のように述べる。

「その内実を詳しく展開したのが「研究資金をはじめ今日の科学研究体制は、すべて戦争を本質的な契機として形成されてきた」と言い切った1972年の広重の「科学の社会史」であった。』

かくして、従来の戦後改革の図式的な見解は、その後の検証で、視座の転回を余儀なくされたのである。

戦前、戦中の戦争を契機にした「総力戦体制」の中で戦後政治に継承されていく改革がなされていったのであるが、その人民の平等を実現する「社会政策が軍事政権下でしかおこなえなかった日本の資本主義の問題性にある」(山本義隆氏)ということなのである。

3.以上の近・現代史の視座の転換を踏まえて、戦後史の「謎解き」を考えており、その具体的な検証は次回に譲る。

(次回は、総力戦体制論を批判的に検討して、現在の岸田政権が陥った憲法政治からの撤退とその問題点を、戦後政治の負の遺産として暴き出す提言を予定している。)

「護憲+コラム」より
名無しの探偵

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