★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

月・女・闇・太陽

2021-04-30 23:21:16 | 文学


「いま一人は」など問ひて、世の常のうちつけのけさうびてなどもいひなさず、世の中のあはれなることどもなど、こまやかにいひいでて、さすがに、きびしうひきいりがたいふしぶしありて、われも人もこたへなどするを、「まだしらぬ人のありける」などめづらしがりて、とみにたつべくもあらぬほど、星のひかりだに見えず暗きに、うちしぐれつつ、木の葉にかかる音のをかしきを、「中々に艶にをかしき夜かな。月のくまなくあかからむも、はしたなく、まばゆかりぬべかりけり」

思うに、現実には光源氏はいなかったのね、などと自明の理に拘っていたからいけなかったのである。物語の主人公に惚れてしまう単純な頭の彼女であるから、現実の貴公子にも簡単に惚れてしまうのであった。わたくしも考えてみると、――アル・パチーノ、ダイアン・キートン、ナンシー・アレン、ジョディ・フォスター、ユマ・サーマン、高峰秀子様、のん様、紫の上様など、ごくごく少数のひとに惚れてきたので、現実に於いても大したことはなかった。

いったいに「中々に艶にをかしき夜かな。月のくまなくあかからむも、はしたなく、まばゆかりぬべかりけり」とかうそぶいている男が大したやつであろうか。月は煌々と照っていた方が、キレイな女性は更に輝くに決まっているではないか。

ダイアン・キートンの結構気合いの入った出演作の中で「ミスター・グッドバーを探して」というのがあるが、内容の過激さはどうでもよく、その映像の作り方が、妙にダイアン様を影ある女にしていて、いまいちだった気がする。これに比べれば、燦々としたアメリカの太陽の下の「ゴッドファーザー」の描かれ方のほうがすきだった。初代ゴッドファーザーも、アルパチーノの二代目も、影ひとつない日光の中で倒れる。我々がみたくない光景のひとつである。

影の中の人間を描きたがるというのは、どうも、権力意識の表れではないかと思うほどだ。

結局、昨今の発達障害論が社会にもたらしたものは、明治以来の「心の闇」や「変態心理学」の現代バージョンである。教師がこまるのは、よく考えている且つ空気が読めない(と自分では思っている)人間ではない。興味深い考えなら突然放り投げられても論理的に処理できるからいいが、たいがいそうではない。空気が読めない天才的なそれでなく、大概は空気が読めないような?心の方向性から生じた平凡な見解だ。そこに、なにか病的な(闇のような)要素があるかも知れないという恐怖を社会に与えたのである。これは、実際、ある人間に病や障害があるかどうかとは関係ない、社会のなかの機能であり、我々の心は「社会」ででてきるので、その機能によって働く。恐怖は打ち消されようとする。「社会」によって。

停車場の周囲の枕木の垣根にもたれて休んでいるとき、今朝は果して空が晴れて、俺と俺の隣に並んだ豚の背中に太陽の光がそそぐだろうかと伊沢は考えていた。あまり今朝が寒すぎるからであった。

――「白痴」


ここでの太陽は、社会が破壊されたからでてきたのであろう。私はそう思いたい気がする。

アマテラスの分身

2021-04-29 23:17:21 | 文学


内裏の御供に参りたるをり、有明の月いと明きに、わが念じ申す天照御神は内裏にぞおはしますなるかし、かかるをりに、参りて拝みたてまつらむと思ひて、四月ばかりの月の明きに、いとしのびて参りたれば、博士の命婦は知るたよりあれば、灯篭の火のいとほのかなるに、あさましく老い神錆びて、さすがにいとようものなど言ひゐ足るが、火ともおぼえず、神のあらはれたまへるかとおぼゆ。

夫が単身赴任したのでなんかうれしそうな――、以前、伊勢にアマテラスに会いに行くのは大変だし内侍所にアマテラスの神鏡があるというけど、そんなところいけたもんじゃないわね、という思う場面があり、「まあ拝んどけばいいか」みたいな軽い感じであったのが、とつぜんに「わが念じ申す」対象となっていた。契機となった出来事があったかしれないが、ちょっと忘れてしまった。

まさに彼女の不幸な人生がもたらした弁証法的神の誕生である。で、会いにいってみたら、「博士の命婦」という老女がいて、神がかった美しさなのである。

まことに不思議なことであるが、こういうことは案外人生には多い。だからといって、人との出会いの大切さとかいう説教は、ただの処世術のススメなのでどうでもいいが……

隣人が神である、みたいな、もう柄谷行人の他者論みたいではないか。やはり柄谷氏の延長には神がいる。それは冗談として、――アマテラスと鏡には、その鏡を守る神としてのアマテラスと、鏡の光そのものみたいなアマテラスのような、分身が含まれていて、ストレスから解放された更級日記の人の神経にそれが次々に映ったのである。人間にもその分身は照らされてそこにできあがる。

 森の神様が砂原を旅する人々のために木や竹を生やして、真青に茂りました。その真中に清い泉を湧かして渇いた人々に飲ましてやりました。すると大勢の人がやって来て木の下へ家を立て並べて森のまわりに柵をして、中へ休みに入る人からお金を取りました。水を飲む人からはその上に又お金を取りました。
 森の神様はこんな意地の悪い人々を憎んで、森を枯らして泉を涸らしてしまいました。
 旅人からお金を取った人々は大層困って「何という意地の悪い神様だろう」と、森の神様を怨みました。
 森の神様は言いました。
「私はお前たちのためにこの森をこしらえたのではない。旅人のためにこしらえたのだ」


――夢野久作「森の神」


夢野の作の全文である。夢の作品では、他者は親しいのか神なのか最後までわからない。この神様も、怖ろしいのかちょっと頭をこずいてやりたくなる小物なのかわからない。確かに人間が小物なのは明らかであるが、その明らかさがあまり認識の深さを感じさせない。神は分身を造りすぎて、くだらない神たちが多く存在してしまったのであろうか。

「うらやましくもあらず」考

2021-04-28 23:26:26 | 文学


参りそめし所にも、かくかきこもりぬるを、まことともおぼしめしたらぬさまに人びともつげ、たえず召しなどする中にも、わざと召して、「若い人参らせよ」と仰せらるれば、えさらず出だしたつるにひかされて、また時々出で立てど、過ぎにし方のやうなるあいなだのみの心おごりをだに、すべきやうもなくて、さすがに、若い人にひかれて、折々さし出づるにも、馴れたる人は、こよなく、何ごとにつけてもありつき顔に、われはいと若人にあるべきにもあらず、また大人にせらるべきおぼえもなく、時々のまらうとにさし放たれて、すずろなるやうなれど、ひとへにそなた一つを頼むべきならねば、われよりまさる人あるも、うらやましくもあらず

姪と一緒に宮中にパートタイムに出る主人公であった。尊敬もされてないが、うらやましくもないといっている。このような人もいていいじゃないかと昨今の働き方改革的視点ではなるかもしれないが、――現実と夢のギャップが~、と感じているようなタイプが経験しなければならないのは、他人に対する自らのワルイ心と戦ってなんとかやってゆくことである。責任が生じると、人間同時に自分で何とか出来るという自由も得るのである。責任が自由と相反するかのような思想が、若者たちを受け身でずるい人間に育ててしまう。自由には責任が伴う、のではない。責任に自由が伴うのだ。

わたくしも非常勤で働くという経験を、院生時代を中心に続けていたが、授業は慣れていっても自由は得なかった。そんな気もなかった。わたくしはそのほかのこと集中したかったからである。しかし、本当にそういうことでよかったのかどうかは分からない。責任は負おうとしなくてももう既に存在しているからである。わたくしはこの時代を深く後悔している。

あまりに社会的制裁が横行しているものだから、責任を制裁の危険性としか認識しない人間が増えている。気持ちは分かるが、これでは我々はもう主体では無い。校則をやめるんだったら、コンプライアンスみたいなものを振り回すこともやめなければならない。正直申し上げて、人間の魂にとって二者はほとんど同じもんである。

知識人の思い上がりというのはほぼ自由とは関係なく、自分の能力が適応化能力であることを忘れるところからくるのである。それは庶民の自尊心の高さの理由と同じである。この二極から挟まれて自由が死にかかっている。

クリスマスとは何ぞや
我が隣の子の羨ましきに
そが高き窓をのぞきたり。
飾れる部屋部屋
我が知らぬ西洋の怪しき玩具と
銀紙のかがやく星星。
我れにも欲しく
我が家にもクリスマスのあればよからん。
耶蘇教の家の羨ましく
風琴の唱歌する聲をききつつ
冬の夜幼なき眼に涙ながしぬ。


――朔太郎「クリスマス」


さすがに、この人くらいになると、うらやましさだけで詩が出来てしまう。本当は、更級日記のお嬢さんも「うらやましくもあらず」だけでなんか表現が出来たはずであった……。ああ、確かに「更級日記」を書いていた。

あな物ぐるほし、いかによしなかりける心なりと思ひしみはてて

2021-04-27 23:47:56 | 文学


その後は何となくまぎらはしきに、物語のことも、うち絶え忘られて、物まめやかなるさまに、心もなりはててぞ、などて、多くの年月を、いたづらにて臥しおきしに、おこなひをも物詣をもせざりけむ、このあらましごととても、思ひしことどもは、この世にあんべかりけることどもなりや、光る源氏ばかりの人は、この世におはしけりやは、薫大将の宇治に隠しすゑ給ふべきもなき世なり、あな物ぐるほし、いかによしなかりける心なりと思ひしみはてて、まめまめしく過ぐすとならば、さてもありはてず、

「あな物ぐるほし、いかによしなかりける心なりと思ひしみはてて 」は、これは反省というより結構絶望的な心情だとおもう。だからその絶望が、そのまま「まめまめしく過ぐすとならば、さてもありはてず」という状態の原因であるかのようにみえる。これを元文学少女のアンニュイととるべきではない気がする。いまだったら、夫や親などによるハラスメントによる鬱といったところだ。このひとは、絶望で、体がうごかなくなっているのではないだろうか。現実とフィクションの落差があるぐらいこの人だって分かっているが、それの落差を「強制」されたところがまずいのである。

姫君はこう答えた。機智もありそうには見えた。この山荘に置いて、思いのままに来て逢うことのできないのを今すでに薫は苦痛と覚えるのは深く愛を感じているからなのであろう。楽器は向こうへ押しやって、「楚王台上夜琴声」と薫が歌い出したのを、姫君の上に描いていた美しい夢が現実のことになったように侍従は聞いて思っていた。その詩は前の句に「斑女閨中秋扇色」という女の悲しい故事の言われてあることも知らない無学さからであったのであろう。悪いものを口にしたと薫はあとで思った。

――與謝野晶子訳


思い返してみると、源氏物語の中に現実と夢みたいな話はよく出てきていて、更級日記の人もまだ物語の中にいるとも言えるのであった。

「つゆもかなはぬ」序曲

2021-04-26 23:48:00 | 文学


かう立ち出でぬとならば、さても宮仕への方にもたち馴れ、世にまぎれたるも、ねぢけがましきおぼえもなきほどは、おのづから人のやうにもおぼしもてなさせたまふやうもあらまし。親たちも、いと心得ず、ほどなく籠め据ゑつ。さりとて、その有様の、たちまちにきらきらしき勢ひなどあんべいやうもなく、いとよしなかりけるすずろ心にても、ことのほかにたがひぬる有様なりかし。
  幾千たび水の田芹を摘みしかは思ひしことのつゆもかなはぬ
とばかりひとりごたれてやみぬ


あんたは芹を摘んだことあるのかと思うが、――これは、心を届けようとしてうまくいかないときによく使われた喩えであった。この歌の気負いは、「幾千たび水の……つゆも……」にあらわれていると思うが、なんとなく更級日記のひとの不安定さを感じさせる。紫さんや清さんの文豪的愚痴のものすごさからは遙かに遠く、しらんうちに宮仕えにいったとおもったら、家に帰されて結婚させられる。この人にとっては人生は愚痴を剥奪された水みたいなものである。

自分の希望は叶わんなあ、と思っている三十代ぐらいは、まだまだ人生は始まっていない。のし掛かりはじめた罪障感のなかでこそ人生が始まることを知っておかないといけないと思う。自分が正しいと思っているインテリはそこを結構間違えるので、いざ人生が始まったときに衝撃のあまり顛倒してしまうこともある。考えてみると、更級日記のお嬢ちゃんはさいしょから案外ぼうっとしているからそうでもなさそうだが、――いずれにせよ、まだ彼女は序曲を奏でている。

諸井誠氏が、『交響曲名盤100』という本を書いていて、わたくしは十代の頃愛読していた。文章がよくていまでもかなり諳んじている。諸井氏は「死者の歌」と「トゥーランガリラ」の間で交響曲は命脈を絶った、と書いていたとおもうが、その書き方がなんか生々しくて、小学生の私にとっては、最近死んだんだな、みたいな気がした。実際、「死者の歌」から数年後に「交響曲名盤100」は書かれており大して時間は経っていないわけだった。諸井氏は父の作品や自分の作品だって、この死への過程として位置づけていたはずだ。芸術は生き物なんだとわたしはガキながら思ったわけである。

更級日記のお嬢ちゃんも、こういう感覚から始まったのだ。芸術が生き物であり、始まりがあって終わりがある。これにくらべて、人生は、自分の記憶とは関係なくいきなり始まっており、知らないうちに事態が進捗して行く。しかし、人生はいづれ自分が行ったこととしてあらわれてくる。

名簿と自由

2021-04-25 23:28:02 | 文学


まづ一夜参る。菊の濃く薄き八つばかりに、濃き搔練を上に着たり。さこそ物語にのみ心を入れて、それを見るよりほかに、行き通ふ類、親族などだにことになく、古代の親どものかげばかりにて、月をも花をも見るよりほかのことはなきならひに、立ち出づるほどの心地、あれかにもあらず、うつつともおぼえで、暁にはまかでぬ

一張羅をきて参上したが、緊張しすぎて早退してしまった。「古代の親ども」のせいにまたしているのだが、「月をも花をも見るよりほかのことはなきならひ」も結局古かったのであろうか。もう花鳥風月は古いのかっ

結局、いまも昔も宮仕えの世界は、なんだかわけわからんポンチ絵の世界であって、文化を守ってきたのは、その周辺の物達であった。たぶん大衆ではないが、中心の周辺のドーナツ状のものに文化を支える人たちがいたのだ。紫さんも清さんも、宮中で育ったのではないわけで。しかし、それが文化と化すには、それを一カ所に集めて本にしたり回覧したする場所が必要で、それが宮中とか学習院とか旧制高校とかなのであった。

しかし、そうはいってもそれが制度化されてしまうと、こんどは文化を創る方向よりも、だれがそこに参画しているかみたいな名簿作成みたいなものに文化が変容してしまう。いまでいえば、論文もそうであって、それは一種のコミュニティなのである。避けられない事態だとは言え、文化の衰退期にはそうなる。昨日「いいことあるかも」と言われたので主人公は宮に参上させられた件を述べたが、――もういいことなんか本質的にはなかったかも知れない。ほぼ名簿への欲望になっていたのかも知れない。神社は、玉垣(名簿)によって形成されているが、内側には何があるのか?何もない、――のではない、名簿を形成する人間と大して違わない人間がいるのである。何が違わないかというと、自由度が違わないのだ。

そういえば、アニメーションの「一休さん」というのを初めて観たが、これが南北朝時代の殺し合いの後の話だというのを、当時これをテレビで見ていた子どもは理解していたのであろうか。わたくしは、一休の繰り出す「とんち」――ほぼ揚げ足とり的な詭弁だが、このやりかたに戦争後の法廷闘争みたいなもののようなものを見るような気がした。うちの国は島国ってこともあるんだろうが、我々と同等の自由に対しては戦いが長引く。武士同士の戦いは、相手が似たり寄ったりであって南も北もどっちでもいいや、という自明の理が比較的最初に意識されるから泥仕合が終わらない。戦う相手は、自らの陰のようにぴったり自分と同じ動きをしてくるのだ。相手を上回る何かを、という発想はもうこうなるとできない。

いうまでもなく、ウイルスと我々はほぼ自由度が一緒なのであり、我々が動きをやめれば相手も動きをやめる。こんな感覚がウィズコロナの習慣的正体である。これではいつまで経っても戦いは終わらない。たぶん、これからは、この停滞を破壊すべく、合理的な暴力がでてくることであろう。これはこれで我々の習慣は抵抗するだろうと思われる。

おのづからよきためしもあり

2021-04-24 23:33:33 | 文学


父はただわれをおとなにし据ゑて、われは世にもいで交らはず、かげに隠れたらむやうにてゐたるを見るも、頼もしげなく心細く覚ゆるに、聞こしめすゆかりあるところに、「なにとなくつれづれに心細くてあらむよりは」と召すを、古代の親は、宮仕へ人はいと憂きことなりと思ひて、過ぐさするを、「今の世の人は、さのみこそはいで立て。さてもおのづからよきためしもあり。さても試みよ」と言ふ人々ありて、しぶしぶにいだし立てらる。

更級日記がやはり好きなので、再読し始めたが――、宮仕えの人たちはいやな連中だみたいな観念が「もう古くさい」と思われていたにせよあったのはもっと強調されても良い気がする。研究を調べていないので、なんとも言えないが、やっぱり、権力のもとで女性として下働きする行為がうさんくさく思われていたのかな、と思うが、それはわたくしの想像である。戦前に自分の娘を売ってしまうことより遙かに私的な欲望が強い行為には違いない。誰かが「さてもおのづからよきためしもあり」とか言ったというが、「も」でなくて、完全にこれが欲望の中心である。

更級日記の主人公は、こういう欲望から何だかしらんが浮き上がっている。しかし、こういうのに対し、現実を知れ、みたいな批判が自動的に出てきてしまうのが昨今のあれであるが、――ある意味で子どもっぽさを最近はもう少し再考してみようと私は思っている。発達障害とか、発達段階とか、全ての人間は発達すべきのような論調は、いやだなあ……。文化というものは発展とはそりが合わない概念なのである。耕すわけなんで……。

古代希臘の彫刻はいざ知らず、今世仏国の画家が命と頼む裸体画を見るたびに、あまりに露骨な肉の美を、極端まで描がき尽そうとする痕迹が、ありありと見えるので、どことなく気韻に乏しい心持が、今までわれを苦しめてならなかった。しかしその折々はただどことなく下品だと評するまでで、なぜ下品であるかが、解らぬ故、吾知らず、答えを得るに煩悶して今日に至ったのだろう。肉を蔽えば、うつくしきものが隠れる。かくさねば卑しくなる。今の世の裸体画と云うはただかくさぬと云う卑しさに、技巧を留めておらぬ。衣を奪いたる姿を、そのままに写すだけにては、物足らぬと見えて、飽くまでも裸体を、衣冠の世に押し出そうとする。服をつけたるが、人間の常態なるを忘れて、赤裸にすべての権能を附与せんと試みる。十分で事足るべきを、十二分にも、十五分にも、どこまでも進んで、ひたすらに、裸体であるぞと云う感じを強く描出しようとする。技巧がこの極端に達したる時、人はその観者を強うるを陋とする。うつくしきものを、いやが上に、うつくしくせんと焦せるとき、うつくしきものはかえってその度を減ずるが例である。人事についても満は損を招くとの諺はこれがためである。

――「草枕」


「古代の親」ではなく、いきなり「古代希臘」がでてくるだけでも、近代になってよかったと思うね……

交歓と初恋

2021-04-23 23:33:31 | 文学


天下の乱一日も休む時無りしかば、元弘の始には江州の番馬まで落下り、五百余人の兵共が自害せし中に交て、腥羶の血に心を酔しめ、正平の季には当山の幽閑に逢て、両年を過るまで秋刑の罪に胆を嘗き。是程されば世は憂物にて有ける歟と、初て驚許に覚候しかば、重祚の位に望をも不掛、万機の政に心をも不留しか共、一方の戦士我を強して本主とせしかば、可遁出隙無て、哀いつか山深き栖に雲を友とし松を隣として、心安く生涯を可尽と、心に懸て念じ思し処に、天地命を革て、譲位の儀出来しかば、蟄懐一時に啓て、此姿に成てこそ候へ。」と、御涙の中に語尽させ給へば、一人諸卿諸共に御袖をしぼる許也。

北朝の光厳法皇と南朝の後村上天皇が会ったというこの場面は、史実かどうかは分からないらしく、――確かにあまりに静謐ないい場面だからである。平家物語も、後白河法皇が、建礼門院(高倉天皇の皇后)を訪ねておわるので、天皇や天皇に準じるものが交歓して物語の悲惨な世界を慰めて終わって行く行き方をしているわけである。

振り返ってみると、天皇が二つに割れてしまう展開は、パンドラの箱を開けたようなもので、今考えたらよけい陰惨な事態に思えてくる。平家のときもそうであるが、「天皇制」はなんども死んでいるのである。それを平家や太平記のような収束の物語が、現実でも行われ修復しているような気がする。語られないが、物語的に怖ろしく絶妙な行動をし続けた連中がいたはずである。勝手に目標を定めて破壊をもたらすものたちより、修復した連中の方が、なにか我々の文化に於いては創ることの神髄を持っている気がする。今もそうだが、形式論理的に目的に向かってひた走る人々は、最後に焼け野原に立っている。

文脈や実は何を言っているのかが問題にされず、認識をキーワードや論理のセットで受け取る人々には、物語的な修復が分からない。暴力は物語の否定である。

懐から孟子を引き出した、孟子を!
『ソラここを読んで見ろ』と僕の眼前に突き出したのが例の君、臣を視ること犬馬のごとくんばすなわち臣の君を見ること国人のごとし云々の句である。僕はかねてかくあるべしと期していたから、すらすらと読んで『これが何です』と叫んだ。
『お前は日本人か。』『ハイ日本人でなければ何です。』『夷狄だ畜生だ、日本人ならよくきけ、君、君たらずといえども臣もって臣たらざるべからずというのが先王の教えだ、君、臣を使うに礼をもってし臣、君に事うるに忠をもってす、これが孔子の言葉だ、これこそ日の本の国体に適う教えだ、サアこれでも貴様は孟子が好きか。』


――独歩「初恋」


この話のこのやりとりなんかはあまり好きじゃない。形式論理に過ぎない。ところが、このあとこの生意気な子どもが、初恋にして最後の恋をしてこの頑固な漢学者の家に婿入りしてしまう。

愛子は小学校にも行かぬせいかして少しも人ずれのしない、何とも言えぬ奥ゆかしさのあるかあいい少女、老先生ときたらまるで人のよいお祖父さんたるに過ぎない。僕は一か月も大沢の家へ通ううち、今までの生意気な小賢しいふうが次第に失せてしまった。
 前に話した松の根で老人が書を見ている間に、僕と愛子は丘の頂の岩に腰をかけて夕日を見送った事も幾度だろう。
 これが僕の初恋、そして最後の恋さ。僕の大沢と名のる理由も従ってわかったろう。


天皇たちを会わせなくても、こんな終わり方もあるのであって、これもいいではないかと思う。

縦と横

2021-04-22 23:52:40 | 文学


皷を打て兵刃既に交る時、鉄炮とて鞠の勢なる鉄丸の迸る事下坂輪の如く、霹靂する事閃電光の如くなるを、一度に二三千抛出したるに、日本兵多焼殺され、関櫓に火燃付て、可打消隙も無りけり。上松浦・下松浦の者共此軍を見て、尋常の如にしては叶はじと思ければ、外の浦より廻て、僅に千余人の勢にて夜討にぞしたりける。志の程は武けれ共、九牛が一毛、大倉の一粒にも当らぬ程の小勢にて寄せたれば、敵を討事は二三万人なりしか共、終には皆被生捕、身を縲紲の下に苦しめて、掌を連索の舷に貫れたり。懸りし後は重て可戦様も無りしかば、筑紫九国の者共一人も不残四国・中国へぞ落たりける。

文永の役のとき、ただこの国は外から来た何者かと戦ったのではなく、ただでも戦いに明け暮れていたところに、その外側から違う敵が来たので……。そんな時に、どんなに肝が縮んでしまったか、想像しなくてならないのではなかろうか。

もっとも、いつでもそうなのである。第二次大戦の時だって、国内において戦時下だったのである。最近、内戦についての本を読むことが多いが、内戦であることを忘れるときに、外側から何かがやってくるように錯覚しがちであるという気が私はする。

コロナで国内が内戦のような状況を呈しているように思うが、――これはこれで、我々がなにか本来の内戦に目覚めることがある気もするのである。ネット世界は世界を繋いでいるようでいて繋いでいない。言語の壁が案外見えるようになってしまったところがある。言語の壁は、日本語とか英語の違いに限らない。日本語の中での壁を可視化してしまったのかもしれない。

それは、この前、東浩紀氏が「縦の多数主義」と言っていたことでもある。(むろん、氏の言っている意味は、コンスタティブとパフォーマティブの違いのような話に近いのであろうが……)氏は、日本語や英語などの「横の多数主義」より、その「縦の多数主義」に注目し続けなければいけないと言っていたが、――もしかしたら、むしろその「縦」が見えすぎているからこそ、「横」に行きたがっているのかもしれないとも思うわけである。案外、横に行き続けるために縦をどうにかしなければならないことも多いから、事態は非常に困難であるように思う。私は、なんとなくここ数年、急速に横に行きすぎていた気がする。

区別の問題

2021-04-21 23:53:44 | 文学


天下に一人も宮方と云人なく成て、佐殿も無憑方成せ給ひたらん時、さりとては憑ぞと承らば、若憑れ進する事もや候はんずらん。今時近国の者共多く佐殿に参りて、勢付せ給ふ間、当国に陣を召れて参れと承らんに於ては、えこそ参り候まじけれ。悪し其儀ならば討て進せよとて、御勢を向られば、尸は縦御陣の前に曝さる共、魂は猶将軍の御方に止て、怨を泉下に報ぜん事を計ひ候べし。抑加様の使などには御内外様を不云、可然武士をこそ立らるゝ事にて候に、僧体にて使節に立せ給ふ条、難心得こそ覚て候へ。文殊の、仏の御使にて維摩の室に入り、玄奘の大般若を渡さんとて流沙の難を凌しには様替りて、是は無慚無愧道心の御挙動にて候へば、僧聖りとは申まじ。御頚を軈て路頭に懸度候へ共、今度許は以別儀ゆるし申也。向後懸る使をして生て帰るべしとな覚しそ。御分誠に僧ならば斯る不思議の事をばよもし給はじ。只此城の案内見ん為に、夜討の手引しつべき人が、貌を禅僧に作立られてぞ、是へはをはしたるらん。やゝ若党共、此僧連て城の有様能々見せて後、木戸より外へ追出し奉れ。

あまりに世の中が混迷して――、南北の対立があるからこそ何をすべきかが分からなくなっているから混迷しているわけだ。今の日本でも、もはや政府と大衆みたいな二項対立は邪魔な対立でしかないように思える。こういうときには、文化というものも、その対立に油を注ぐ形でしか機能しなくなる。ここで、説得工作に来た禅僧を、おまえは文殊菩薩や玄奘とは違う、何事かっとしかりつける宮入道であるが、――かんがえてみれば、そこらへんの禅僧がそんなたいしたやつであるはずがなく、自分だってそういえばそこそこ大したやつではないかもしれない。

もうこれからは、いかに個的なものを形成できるかにかかっているとは言え、その際に、何か頼りに出来る文化に飛びつくと、恥ずかしい事を口走ることがありそうである。最近、戦時下の文化についての俯瞰的な研究を二冊読んだが、一冊は失敗、二冊目は踏みとどまっていた。やり方のひとつとしては、似ているものを躊躇わず比べてみたほうがよいかもしれないと思った。

上の宮入道がなにゆえ問題かもしれないのかと言えば、僧であるという同一性にしか拘って居ないからである。もっと似たものがいるのではなかろうか。

どちらが王でどちらが鼻后であるか決して見分けのつかぬ程美しいところの恋人同士が再会を喜び合ふ姿と、到底帰らぬと思つてゐた皇后が計らずも戻つて来たのに喜ぶ市民達の笑顔が見度かつたのだ、たゞそれだけのことだつた。「皇后を迎へた王と市民の喜びの流観は、俺の方にも見せて呉れるだらう、ちよつとぐらゐ。」こんなことを思つた。
 再び悟空の全身には溢るゝばかりに勇しい血潮が涌き上つた。十日間山野を抜渉し、二十日間に十万里の空を往復して漸く烏金丸を作ることが出来た。


――牧野信一「闘戦勝仏」


牧野の悟空は猿であった。よくわからんが、王様の美しさに惚れていたために王と后の区別がつかなかった。それで、結局、彼らを救うことが出来たのであった。宮入道も、仏に仕える連中を輝かしさの中に放り込み区別をつけなければよかったのではなかろうか。

物体の風情

2021-04-19 23:08:56 | 文学


楠一番に打入たりけるに、遁世者二人出向て、「定て此弊屋へ御入ぞ候はんずらん。一献を進め申せと、道誉禅門申置れて候。」と、色代してぞ出迎ける。道誉は相摸守の当敵なれば、此宿所をば定て毀焼べしと憤られけれ共、楠此情を感じて、其儀を止しかば、泉水の木一本をも不損、客殿の畳の一帖をも不失。剰遠侍の酒肴以前のよりも結構し、眠蔵には、秘蔵の鎧に白太刀一振置て、郎等二人止置て、道誉に挍替して、又都をぞ落たりける。道誉が今度の振舞、なさけ深く風情有と、感ぜぬ人も無りけり。例の古博奕に出しぬかれて、幾程なくて、楠太刀と鎧取られたりと、笑ふ族も多かりけり。

次に使う人のために屋敷の中を文化的に飾っていったところ、案の定それに感心した楠木は「秘蔵の鎧に白太刀一振置」いて去った。これに対して、流石の風流だと感じる人と、騙されて鎧と太刀をとられたじゃないかとせせら笑う人がいた。ここの記述は、「なさけ深く風情有と、感ぜぬ人も無りけり」と一度断定しておきながら、そういえば、笑った人も多かったね、と付け加えている。どうもこれは事実ではなく、記述者の内省ではなかろうかと疑われる。

風流に対するこの程度の認識は特に批評とは言えないのではないかと思うが、――これはわたくしは昨日申し上げた、認識のコモンセンスが欠けている状態を示しているのではないかと思う。風流がこの場合、部屋に飾られた偈とか韓愈の詩文が、あくまで物としてあって、酒肴の物達とともにある。この状態では、物と化した風流は解釈に曝されてしまう。本当は、ここで、和歌を詠む行為が存在すれば事態は一変するように思うのだが…

一葉が文学を愛する人々の心に一つの絶えない魅力を与えているのは、彼女の生涯と芸術とが、近代文学における旧きものと新しきものがいれかわろうとするそのきのうときょうとの入りまじった仄明りの火に、小さい粒ではあっても真珠の趣をそなえて、自身の真実を語っているからであろう。
 彼女から後代の作家は男であると女であるとにかかわらず、荒い大きい濤にうたれて、一葉が「たけくらべ」で輝やかしている露のきらめきの美しさとはおのずから別種のものとなっているのである。


――宮本百合子「人生の風情」


確かに、こういう転形期における混淆の中に物体の美しさを見出すことはあるかもしれないが、こんにちはどちらかというと、変化の前の滞留期であるような気がする。周りの人間が輪郭を失っているので、とりあえず自らが物体と化す努力というわけだ。一応、ネットの世界は、混淆のなかの個の美しさを出す可能性を示してはいるのかも知れない……

「天下をば我侭にすべき」現象

2021-04-18 23:15:44 | 文学


其後又宰相中将義詮朝臣、御方に可参由を申て、君臣御合体の由なりしも、何か天下を君の御成敗に任せたりし堅約忽に破て、義詮江州を差て落たりしは、其偽の果所に非ずや。又右兵衛佐直冬・石堂刑部卿頼房・山名伊豆守時氏等が、御方の由なるも、都て実共不覚。推量するに、只勅命を借て私の本意を達せば、君をば御位に即進する共、天下をば我侭にすべき者をと、心中に挟者也。

面従腹背は他人からの悪口で、本人からすれば確固たる行動でなければならない。「天下をば我侭にすべき者をと、心中に挟者也」でもよいのだが、いかなる目的がそこにあるか、である。どうしてもそれがないような人が多い。どうしたら天下を取れるかみたいなのが目的になっている人間など論ずるに値せず。

何をするかではなく、何になるかが目的化すると、手段に対する検討がおろそかになるのは当然であるが、これは学問や評論の世界でも似たようなことがあり、同じようなものを見ようとすると、個々の事象がぼやけて見えてくる。そこに怒りなどが加わると自分が何を主張しているか自体もぼやけ始める。

わたしの年長の知り合いで吉本隆明の熱烈なファンがいて、なかなか鋭いことを述べることもあるのだが、事実確認みたいなことが信じがたいほど苦手である。事実から積み上げることができずに構造的なもの、本質みたいなところに突然とび、しかもそんなに間違っていない。最近は〈エビデンス物神崇拝〉によって逆な人も多いなかで希少価値があるとおもうが、吉本の時評などにある罵倒癖までうけついでいて結局、その怒りだけがいつも燃えさかり、大した仕事をしていない。吉本好きと吉本を分けるものはいろいろあるが、結局初期歌謡論みたいなものをしつこく書けるかによる気がする。

そういえば、昔学会の帰りに考え事してたら新幹線を逆方向に乗ってしまったことがあって、日本の和歌の世界はこの逆方向に行かないみたいな歯止めになっていることがあるように思う。ある意味、この世界は日本文化なりの「コモンセンス」の在処なのではなかろうか。小野十三郎はその点、間違っていたのかも知れなかった。

最近、ある学問の業界で、ネット上のミソジニー的なハラスメント事件があって、その当事者が、一揆とかの専門家だったのが気に掛かっている。筑摩から出ているその本を読んでみると、案外此の人は、事実から積み上げるひとに見えて、構造的な何ものかに激しいジャンプをする人であって、――実は、この傾向は、此の業界に限らず、私の年代から10年ぐらい下までの特徴ではないかとも思われる。これは内発的なものではない。強いられたわかりやすさへ志向と批判精神の発露の内攻によってそれは顕れたように私には思われるのである。

 併しすべて平和で來た時代のみが文化の盛んになる時ではありませぬ。引續き足利時代となり、其中頃から戰國となつて、文化の上においても殆ど暗黒時代を現はしたが、其間に自然に獨立思想がだんだん行亙つて、さうして日本は神國であつて日本は特別な國體だといふことが、この暗黒時代において一般に浸みわたるやうになつて來たのであります。

――内藤湖南「日本文化の独立」


思うに、この「独立」志向は、ある種のファクトの無視によってなりたつところがあったのではなかろうか。和歌をのんびり詠んでいても仏典を読んでいてもこうはならない。文化はファクト的なものである。頭に血がのぼったためにホップズ的真実だけを射貫いてしまい、それが天皇を王と思わないことに繋がり、権力奪取だけが目的と化した結果、更にパッションそのものが真実と化してしまう。

小銭の教訓

2021-04-17 23:32:33 | 文学


後日に是を聞て、「十文の銭を求んとて、五十にて続松を買て燃したるは、小利大損哉。」と笑ければ、青砥左衛門眉を顰て、「さればこそ御辺達は愚にて、世の費をも不知、民を慧む心なき人なれ。銭十文は只今不求は滑河の底に沈て永く失ぬべし。某が続松を買せつる五十の銭は商人の家に止まて永不可失。我損は商人の利也。彼と我と何の差別かある。彼此六十の銭一をも不失、豈天下の利に非ずや。」と、爪弾をして申ければ、難じて笑つる傍の人々、舌を振てぞ感じける。

教育とは文化の実践である。生きるためにパンのみが必要というわけではないというのは、それが文化と化している発言であることによって教育となりうる。文化とは行為としてあらわれていなければならない。上の教訓話も、わたしはそのことを行い、まだ生きているということを示しているから辛うじて説教になっている。

難しいのは、こういう小銭の話だと上のような機能が働くのだが、これが崇高な理念となるとそうはいかないということだ。

王化した馬について

2021-04-16 23:32:33 | 文学


世の治らぬこそ道理にて候へ。異国本朝の事は御存知の前にて候へば、中々申に不及候へども、昔は民苦を問使とて、勅使を国々へ下されて、民の苦を問ひ給ふ。其故は、君は以民為体、民は以食為命、夫穀尽ぬれば民窮し、民窮すれば年貢を備事なし。疲馬の鞭を如不恐、王化をも不恐、利潤を先として常に非法を行ふ。民の誤る処は吏り科也。吏の不善は国王に帰す。君良臣を不撰、貪利輩を用れば暴虎を恣にして、百姓をしへたげり。民の憂へ天に昇て災変をなす。災変起れば国土乱る。是上不慎下慢る故也。国土若乱れば、君何安からん。百姓荼毒して四海逆浪をなす。


「民の誤る処は吏り科也。吏の不善は国王に帰す」というのは、確かにそうなのであろうが、いまは国王というものを善行に導くことはそもそも難しく必然的にゴミクズ化することが、ほぼ科学的に明らかな以上、民が王がクズを侍らせているからだと文句を言っているだけではいけない。もうこういう道徳も第二次世界大戦の敗戦によって負けたのだとすべし。

ただ、現実はそうでもなく、おかしいやつが上に立つとやはり下もとんでもないことになっている――ようにどうしても見える。どうしてこういう感染が起きるのか。「なんか役職が付いている人〈だから〉すぐれていると思っていた」と本当に言う人までおり、とにかく何が何だか分からなくなってくるが、因果関係というものが存在しているかもしれないことさえほとんど意識しない人だって結構いるのだ。しかし、このような錯誤を学者だってけっこうやっているから、けっこう考えてみる必要がある。認識というのは、しらないうちに宝箱に入った砂利みたいなもので、それが何なのか分からないところがある。入ったからにはなにか意味があるらしく存在する。

それはともかく――、コロナで人にあまり会わなくなってから、普通に対面していればわかる「ああ、このひとはちょっと妙なかんじだ」とか「かっこをつけてるけどあまり実力はないんだな」みたいなことが分からなくなって、人に対する情報だけがひとり歩きするような状況が生まれている。人は人に会わないと情報に引き摺られて群れ化するのである。私は、孤独な群衆の意味がよく分かっていなかった。群衆は群れであることによって孤独であるので全体主義化したのだろうが、今回のように、ただ群れでなく単に孤独になったとしても、群れ化する。インターネットでとっくに分かっていた現象であったが、コロナでそんなことが現実の世界でも起こっている。

本当は、太平記の時代だって、そんなことがあったにちがいない。戦争は、共同体を破壊してしまうので。それで孤独な群衆が、壊れた共同性を望んで国王を頼り頭が悪くなってゆく。――というより、対面による総合判断みたいなものと情報が解離すると、我々はおそろしく頭が悪くなるようにできているのである。個人差はあるから、――頭の悪い者が暴走して全体の傾向を先導してしまうというべきか……。

情報の暴走によって生じた群れは、情報を鼻先にぶら下げられた馬みたいなもので、その情報以外が目に入らない。だから、自分がどのような状態にあるのかわからず、何も出来ないくせに、情報の論評ばかりする次第となる。

「万歳、王様万歳。」
 ひとりの少女が、緋のマントをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやった。
「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」
 勇者は、ひどく赤面した。


この王様とは、メロスと存在を併せ持っている。群衆の喝采は、王様にだけ向けられているのではないからだ。だから、最後に裸を指摘されるメロスが一種の「裸の王様」であることは自明なのである。友情かなにかわからないものをぶら下げられたメロスは馬のような王様である。王様が鹿だと結局こうなる。