★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

代替物問題

2021-03-31 23:49:57 | 文学


仙洞の夭怪をこそ、希代の事と聞処に、又仁和寺に一の不思議あり。往来の禅僧、嵯峨より京へ返りけるが、夕立に逢て可立寄方も無りければ、仁和寺の六本杉の木陰にて、雨の晴間を待居たりけるが、角て日已に暮にければ行前恐しくて、よしさらば、今夜は御堂の傍にても明せかしと思て、本堂の縁に寄居つゝ、閑に念誦して心を澄したる処に、夜痛く深て月清明たるに見れば、愛宕の山比叡の岳の方より、四方輿に乗たる者、虚空より来集て、此六本杉の梢にぞ並居たる。座定て後、虚空に引たる幔を、風の颯と吹上たるに、座中の人々を見れば、上座に先帝の御外戚、峯の僧正春雅、香の衣に袈裟かけて、眼は如日月光り渡り、觜長して鳶の如くなるが、水精の珠数爪操て坐し給へり。其次に南都の智教上人、浄土寺の忠円僧正、左右に著座し給へり。皆古へ見奉し形にては有ながら、眼の光尋常に替て左右の脇より長翅生出たり。往来の僧是を見て、怪しや我天狗道に落ぬるか、将天狗の我眼に遮るかはと、肝心も身にそはで、目もはなたず守り居たる程に又空中より五緒の車の鮮なるに乗て来る客あり。榻を践で下を見れば、兵部卿親王の未法体にて御座有し御貌也。先に座して待奉る天狗共、皆席を去て蹲踞す。暫有て坊官かと覚しき者一人、銀の銚子に金の盃を取副て御酌に立たり。大塔宮御盃を召れて、左右に屹と礼有て、三度聞召て閣せ給へば、峯僧正以下の人人次第に飲流して、さしも興ある気色もなし。良遥に有て、同時にわつと喚く声しけるが、手を挙て足を引かゝめ、頭より黒烟燃出て、悶絶躃地する事半時許有て、皆火に入る夏の虫の如くにて、焦れ死にこそ死けれ。穴恐しや、是なめり、天狗道の苦患に、熱鉄のまろかしを日に三度呑なる事はと思て見居たれば、二時計有て、皆生出給へり。

ようするに、太平記の筆者の一人の頭のなかはこんな感じだったのである。こんなのに、雨月物語みたいに坊主が来て説教してもしょうがないわな……。上田秋成が試みたのは、思想や文学で、妖怪退治が出来るかみたいなことであるが(本年度の卒論で教えて貰った)、そんなに難しい問題ではない。

日本に於いては近代の超克なんか簡単にできる。「ごんぎつね」を即刻「釣狐」に変えればよいのだ。

今日は、理由があって、あらためて教育基本法の改訂部分をチェックしてみていろいろ考えてみたが、――ほんとうの事情は分からないが、案外、こういう改訂というのが、イデオロギーではなく、文章の「わかりやすい」合理化や善意から生じている可能性があると思った。古い条文の真意が解せなかった可能性である。「ごんぎつね」ではなく、「釣狐」のような、主人公の心理への推測という自足状態を撥ね付ける世界が死ぬと、どんどん文章が読めなくなってしまうのである。怖ろしくおおざっぱなことをいえば、――小説の主脳は人情なり、の帰結がこの有様だ。この人情は、本当は人物の人情ですらなく、読者の勝手な人情の理解と手を結び合っている。作者は常に読者に忖度することになる。このことによって、作者は、主人公にも自分の思考にも忠実ではなくなる。その表現によって代替して自足する癖が生じるのである。

社会の役に立ってないかもしれないという私に「人の役に立ってるじゃん」と言った細君は正しいのではあろうが、本当は人の役には立つかはわからいけれども、精神の可能性と自由――つまりは、上の代替に自足しない働きには奉仕すべきなのである。教育基本法は昔からその観点が少し弱かったとわたくしは考えている。

先日、清原和博氏が朝日新聞で、言葉の暴力が体罰が許されない分いまはひどい、みたいなことを言ってたが、体罰を受けた人はその心理的からくりがわかるのである。清原氏が自らに対しても暴力的だったのは、氏が受けてきたのが常に暴力だったからであろう。今問題なのは、その自覚がない人間であり、我々は非常に暴力的な行動を常にしており、そうは見えなくとも我々の社会性を帯びた言動はその代替物だという自覚がない。その代替物は、近代社会を形作っているとともに、我々の意識を形作っている。科学的な治療や集団による慰撫や、ましてや人間に寄り添うみたいな姿勢で解決されるとは思えないのは、そのためである。

職業の中で、その労働の価値が業績という形で示されるようになったのも、その一部に過ぎない。今はやりのエビデンスとかなんとかもそうで、こんな要求ばかりしているから人は嘘をつくようになる訳である。エビデンス自体が価値そのものじゃなくてそうでないもので置き換えてる、つまり嘘の要素をはらむのであるから。学生達を主体的にさせたいのであれば、出席試験などの評価の割合をきめたりする成績評価の基準なんてものを作ってはいけない。だめかいいかみたいなものだけで評価してしまうべきだと私は思う。

能的世界の回帰

2021-03-29 23:57:11 | 文学


塩冶が一族に、山城守宗村と申ける者内へ走入り、持たる太刀を取直して、雪よりも清く花よりも妙なる女房の、胸の下をつきさくに、紅の血を淋き、つと突とほせば、あつと云声幽に聞えて、薄衣の下に伏給ふ。五つになる少人、太刀の影に驚て、わつと泣て、「母御なう。」とて、空き人に取附たるを、山城守心強かき抱き、太刀の柄を垣にあて、諸共に鐔本迄貫れて、抱附てぞ死にける。自余の輩二十二人、「今は心安し。」と悦て、髪を乱し大袒に成て、敵近附ば走懸々々、火を散してぞ切合たる。とても遁まじき命也。さのみ罪を造ては何かせんとは思ながら、爰にて敵を暫も支たらば、判官少も落延る事もやと、「塩冶爰にあり、高貞此にあり。首取て師直に見せぬか。」と、名乗懸々々々、二時許ぞ戦たる。今は矢種も射尽しぬ。切創負はぬ者も無りければ、家の戸口に火を懸て、猛火の中に走り入、二十二人の者共は、思々に腹切て、焼こがれてぞ失にける。

歳をとってくると、案外、悪夢というものが身に堪えるようになったりするものであるが、これはやはり覚めているときの状況の悪さに対応しているようにも見える。現実の因果律の訳のわからなさが夢に近づくのだ。かくして寝ても覚めても悪夢状態となる。

今日は、届いた『クラシック名曲「酷評」事典』を少し読んだが、確かに罵詈雑言の批評が紹介されていた。その罵詈雑言にはそのまま絶賛の批評に使えるような文章がある。ちゃんと音楽を観察して描写しているからである。こういうのに比べると、ネット上の大概の罵詈雑言が、観察の貧困さ、短絡的であることによってだめなのね、というのが分かる。

要するに――この罵詈雑言の批評は、現実における悪夢をよき夢に変換できるという、創ることの可能性をも示しているわけである。批評というものは徹底的に「作品=現実的」なのだ。対して、分析が十全ではなく、悪意が貧しい分析の裏に窺われたり、批評者の頭の悪さが果てしなく感じられたりすると、日本のネット社会になる。ネットは現実と位相が違うはずなのに、書き込む人間と悪口の因果関係が分からなくなると、現実でもネットでも半信半疑が始まり、その位相が混ざってしまうのだ。

太平記を読んでいると、当時の社会は、仏教などに別世界を持っていながら、それを行使して現実の因果を分析できずに、その思想のありがたい文句がいまいち使えないような状態になっていたことが分かるような気がするのだ。すると、不明な因果を単純にしたうえで浄土思想なんかに直接に現実を当てはめようとした結果、極楽か地獄かを極端に分けようとするような殺し合いの世界が現実においても虚構においても志向されてしまうのである。

上の場面はホントに地獄的だが、これが地獄的なのは、原因が思い上がったクズの横恋慕という極楽的状況だからである。この二項対立的な結構は虚構だが、現実だと思わせる虚構である。

最近終わった「新世紀エヴァンゲリオン」という作品、25年もかけて終わった。メタフォクションの手法をあいかわらず使って、以前のような観客を現実に目覚めさせる方向ではなく、現実と虚構が混ざった現実を肯定するような、けっこう幸福なおわり方をした。――基本的には、オタクさんたちの快楽志向が強すぎて、両端の地獄的状況を繰り返し描かなくてはならなくなった作品であった。そこには、サブカルチャーに携わってきた人々の地獄的現実があって、だいたい、この前のアニメーションの作り手に対する大量殺人すらあったわけで――もう救済が必要な地点が来ていたのである。しかし、彼らは、オウム真理教とかなんとか主義みたいに、快楽的志向とは別に何かを行おうとして罪を得た状況を救済するのではなく、快楽志向自体を救済して快を得なければならない。現実に帰れというのは単なる説教になってしまい、更なる快楽への復帰を促すだけであるから、25年も時間を費やして、視聴者の人生というものを犠牲にすることで、救済したのである。

これも数日前に終わった「俺の家の話」というドラマは、能の家元のお話で、能の「隅田川」を現実が模倣してしまう話であった。しかし、これも芸やプロレスの永続性みたいなものが、個人の人生とともに肯定されているので、人が死んでいる話なのに悲しく終わらない。

「エヴァンゲリオン」も、生き別れた人に会うにはどうするかみたいな、まるで能みたいな話であって、今回映画の中で、クライマックスで髪の毛が長くなった☆波という少女がでてきたが、ほとんど能で出てくる鬘が豊かな子役みたいなかんじである。

気がついたら、――もう一〇年来の私の主張であるが、我が社会は、もう古典的な虚構を必要とするものに戻っているのである。

兼好という遁世者をめぐって

2021-03-28 22:56:08 | 文学


侍従帰りて、「かくこそ」と語りければ、武蔵守いと心を空に成して、「たび重ならば情けに弱ることもこそあれ、文をやりてみばや」とて、兼好と言ひける能書の遁世者をよび寄せて、紅葉襲の薄様の、取る手も燻ゆるばかりに焦がれたるに、言葉を尽くしてぞ聞こえける。返事遅しと待つところに、使い帰り来て、「御文をば手に取りながら、あけてだに見たまはず、庭に捨てられたるを、人目かけじと、懐に入れ帰りまゐつて候ひぬる」と語りければ、師直大きに気を損じて、「いやいや物の用に立たぬものは手書きなりけり。今日よりその兼好法師、これへ寄すべからず」とぞ怒りける。


高師直が塩治高貞の北の方に横恋慕する場面で、T大の入試に出てたきがする。ほんとこんなくだらないことで評価を下げられた兼好も踏んだり蹴ったりである。いつもお偉方というのは人間でなくなっている。兼好がダメだというのはまだわからないではないが、書家というのはダメダというのがいかん。いまだったら、「是だから女は」みたいなもんだ。

人間は、こんな決めつけはしばしばやるものだが、長い時間をかけて認識が修正されてゆくものだ。それが出来なくなっている方が問題なのだ。我々が持つ転回や回心のドラマが戦時下の「転向」みたいなものになりはてているということだ。転向は認識の発見であり、くるっと一回転して反対側に寝返ることではない。

ここでも問題なのはそのクズ転向が「役に立たぬ」という理由で成り立っているということである。

 思うに、小林秀雄も政治家にはならないタチの教育宗教型の詩人であるが、然し彼は、琵琶法師や遊吟詩人となって一生を終ろうとする茶気はなく、さしずめ遁世して兼好法師となるところが、僕と大いに違っているのだろうと考える。
 似て、似きれない、そういう違いが、教祖の文学というものを書かせたのだろう。


――坂口安吾「後記にかえて」


ほんとうは、高師直は兼好法師を書家として呼んだために書家と呼んでいるだけで、ホントは腐れ儒者とでもいいたかったのかもしれない。思うに、学者でも、象牙の塔に隠遁しきれない連中が教祖になりたがり、パワハラを繰り返している。

時代の死と崩御

2021-03-27 23:25:18 | 文学


主上苦しげなる御息を吐かせ給ひて、「妻子珍宝及王位、臨命終時不随者、これ如来の金言にして、平生朕が心に有ありし事なれば、秦の穆公が三良を埋み、始皇帝の宝玉を随へし事、一つも朕が心に取らず。ただ生々世々の妄念ともなるべきは、朝敵を悉く亡ぼして、四海を令泰平と思ふ計りなり。朕則ち早世の後は、第七の宮を天子の位に即け奉て、賢士忠臣事を謀り、義貞義助が忠功を賞して、子孫不義の行ひなくば、股肱の臣として天下を鎮むべし。思之故に、玉骨はたとひ南山の苔に埋もるとも、魂魄は常に北闕の天を望まんと思ふ。もし命めいを背き義を軽んぜば、君も継体の君に非ず、臣も忠烈の臣に非じ」と、委細に綸言を残されて、左の御手に法華経の五の巻を持たせ給ひ、右の御手には御剣を按じて、八月十六日の丑の剋に、遂に崩御成りにけり。

もし、これが昭和20年だったとしたらどうなっていたことであろう。西田幾多郎は、六月七日に死んでいる。旧帝国に殉死しているようにも言われているが(違うか)、少しずれているからいいのだ。明治天皇は、殉死した人間がいることによって、彼も明治時代に殉死したみたいになっている。しかし昭和は、昭和天皇の死によっては全く終わらず、むしろいまでも終わっていない。平成や令和は、昭和のアナザーワールドのような気がする。

考えてみると、後醍醐天皇の死も、何かの死を意味しなかったのであろう。

功利主義的風流論

2021-03-25 23:54:53 | 文学


―此比殊に時を得て、栄耀人の目を驚しける佐々木佐渡判官入道々誉が一族若党共、例のばさらに風流を尽して、西郊東山の小鷹狩して帰りけるが、妙法院の御前を打過るとて、跡にさがりたる下部共に、南底の紅葉の枝をぞ折せける。時節門主御簾の内よりも、暮なんとする秋の気色を御覧ぜられて、「霜葉紅於二月花なり。」と、風詠閑吟して興ぜさせ給けるが、色殊なる紅葉の下枝を、不得心なる下部共が引折りけるを御覧ぜられて、「人やある、あれ制せよ。」と仰られける間、坊官一人庭に立出て、「誰なれば御所中の紅葉をばさやうに折ぞ。」と制しけれ共、敢て不承引。「結句御所とは何ぞ。かたはらいたの言や。」なんど嘲哢して、弥尚大なる枝をぞ引折りける。折節御門徒の山法師、あまた宿直して候けるが、「悪ひ奴原が狼籍哉。」とて、持たる紅葉の枝を奪取、散々に打擲して門より外へ追出す。―道誉聞之、「何なる門主にてもをわせよ、此比道誉が内の者に向て、左様の事翔ん者は覚ぬ物を。」と忿て、自ら三百余騎の勢を率し、妙法院の御所へ押寄て、則火をぞ懸たりける。折節風烈く吹て、余煙十方に覆ければ、建仁寺の輪蔵・開山堂・並塔頭・瑞光菴同時に皆焼上る。

古典の世界は、形容としての「風流」があって、中学生のコロからなんとなくいやな感じがしていたが、こういう場面を知っていたからかも知れない。乱暴者が気取るのが「風流」のような気がしたからだ。いまだって、やたらかっこをつけているような人間が、桜を愛でたりしていて、ほんとくだらない。

どうも風流さが、我が国では乱暴者によってある種の変形を遂げているのであって、――これは、曹操が詩をたしなんだのとは少し違うのではないか。ようするに、日本の乱暴者のヘタレ感に関わっているのである。

日本のサブカルチャーには、乱暴者をなにか改革者として持ち上げる傾向があるが、これは、所謂「セカイ系」などというものの卑小さにも影響を与えている。大概の主人公の垂れ流す叙情性があまりにも陳腐で驚かされるが、こんな叙情性で世界について悩んでいても意味はない。何か、日本のオタクコミュニティが不全感でなやみ、現実かフィクションかみたいな小学生みたいなところでうろうろしているのは、その「世界観」とやらが桜がキレイだな+怒ったので放火しようみたいな陳腐な二項対立に立脚しているからである。上の太平記もそんな感じがする。なぜ、キレイだと思うのか、なぜ自分は怒るのかという考察が全くないのだ。あるときもあるが、それはマザコンやファザコンといった理由で、――ぐずっているのと何処が違うのだ、それ。

子供の頃、彼の家には烈しい気性の祖母がいた。何か悪いこと、余計なこと、いたずらに類することをすると、たいへんな勢いで怒り、火箸や長煙管で彼を打擲し、折檻した。
「せですむことを!」
「せですむことをして」
 しないですむことをする、という意味である。その言葉は彼の体に深くしみ入って、時々舌にのぼって来る。


――梅崎春生「記憶」


考えてみると、この祖母も案外功利主義的なことを言っている。――つまり、役に立つみたいな観点が叙情を貧困にしているのではないか、と思うのである。改革者は常に功利性をたてにしてやってくる。

犬死にしてこそ臥したりけれ

2021-03-24 23:25:51 | 文学


中野藤内左衛門は義貞に目加せして、「千鈞の弩は為鼷鼠不発機」と申しけるを、義貞聞きも敢へず、「失士独り免るるは非我意」と云ひて、なほ敵の中へ懸け入らんと、駿馬に一鞭を勧めらる。この馬名誉の駿足なりければ、一二丈の堀をも前々容易く越えけるが、五筋まで射立てられたる矢にや弱りけん。小溝一つを越へかねて、屏風を倒すが如く、岸の下にぞ転びける。義貞左手の足を敷かれて、起き上がらんとし給ふところに、白羽の矢一筋、真つ向の外れ、眉間の真ん中にぞ立つたりける。急所の痛手なれば、一矢に目暮れ心迷ひければ、義貞今は叶はじとや思ひけん、抜いたる太刀を左の手に取り渡し、自ら首を掻き切つて、深泥の中に隠して、その上に横たはつてぞ伏し給ひける。越中の国の住人氏家中務の丞重国、畔を伝ひて走り寄り、その首を取つて鋒に貫き、鎧・太刀・刀同じく取り持つて、黒丸の城へ馳せ帰る。義貞の前に畷を阻てて戦ひける結城上野の介・中野藤内左衛門の尉・金持太郎左衛門の尉、これら馬より飛んで下り、義貞の死骸の前に跪いて、腹掻き切つて重なり臥す。この外四十余騎の兵、皆堀り溝の中に射落とされて、敵の独りをも取り得ず。犬死にしてこそ臥したりけれ。

前にも論文で書いたことがあるが、戦争とは時間であり、継起する出来事は形式論理的に同定されてゆく。これはこれで描くのは大変だとはいえ、作品を人工的につくりあげる、源氏物語的な営為の方が、テキストの言葉同士の関係――空間的な処理が必要とされる。人間的なものは、どちらにあるのか。当たり前であるが、後者の方なのだ。我々の自我は時間ではなく、言葉どうしの折り返しで成立している。それは面倒くさいので、ときどき、単線的な戦争の時間を望んだりするのであるが、こっちの方が人間的には常軌を逸している。時間に従う生命としての異常性がある。

ヴァレリーが言ったように、本質的なものは、生命に逆らう。

この国のなにがだめかって、自分達の「本質的」研究をしなくなったことである。自分の思考や行動がどういう風に沸いてでてんのか不思議に思わないのが異常である。そこに文化的なものがからんでいないわけがない。源氏物語や舞姫の解釈や研究というのは、いまだに自分達を知る第一歩、というより、そんな第一歩が踏み出せたら結構それだけでものすごいことだとやってみれば分かる。そうではなく、インプットやアウトプットみたいな発想ですべて形式論理的に理解しようとしているから、なにか自分でやってって異和感を生じ、いらいらがはじまる。これこそが、生命に対する人間のいらいらである。

これは、学部から大学院にかけて大概の学徒が苦労するところだが、注釈や腑分けにあしをとられ、作品が読めなくなってしまう過渡的な時期がある。小林秀雄に言われるまでもなく、原因を知ることは物事をしることには直結しない。これとおんなじである。

わたしは太平記よりも平家物語の方が、更には、源氏物語のほうが身近で自分に近い気がする。内容がそりゃ今が戦時じゃないからと言われればそうなんだが、やはり文学である度合いが高いほど作品は読者へ接近してゆくのではないか。それは、言葉と言葉の関係を考えること、自分を空間的になり立たすことである。そうでなければ、我々は時間に流されてゆく生物に過ぎない。

しかしほんとは、源氏物語的な時代は終わってて、――つまり、いらいらに耐えられない我々が、次々に罪をおかすために、もっと宗教的なものでなんとかするしかない時代なのかも知れないが。

殉死にはいつどうしてきまったともなく、自然に掟が出来ている。どれほど殿様を大切に思えばといって、誰でも勝手に殉死が出来るものではない。泰平の世の江戸参勤のお供、いざ戦争というときの陣中へのお供と同じことで、死天の山三途の川のお供をするにもぜひ殿様のお許しを得なくてはならない。その許しもないのに死んでは、それは犬死である。武士は名聞が大切だから、犬死はしない。敵陣に飛び込んで討死をするのは立派ではあるが、軍令にそむいて抜駈けをして死んでは功にはならない。それが犬死であると同じことで、お許しのないに殉死しては、これも犬死である。たまにそういう人で犬死にならないのは、値遇を得た君臣の間に黙契があって、お許しはなくてもお許しがあったのと変らぬのである。仏涅槃ののちに起った大乗の教えは、仏のお許しはなかったが、過現未を通じて知らぬことのない仏は、そういう教えが出て来るものだと知って懸許しておいたものだとしてある。お許しがないのに殉死の出来るのは、金口で説かれると同じように、大乗の教えを説くようなものであろう。

――森鷗外「阿部一族」


はたして「太平記」の作者は、新田義貞への殉死を決行した彼らは「犬死」だったとはっきり言っている。お許しもないのに……。思うに、人の死に対して、軽口を叩き、悟る気もないのが庶民の強さというものではなかったであろうか。

股肱の重臣敢へなく戦場の草の露と消え給ひ

2021-03-23 23:57:08 | 文学


哀れなるかな、顕家の卿は武略智謀その家にあらずといへども、無双の勇将にして、鎮守府の将軍に任じ奥州の大軍を両度まで起こして、尊氏の卿を九州の遠境に追ひ下し、君の震襟を快く奉休られしその誉れ、天下の官軍に先立つて争ふ輩なかりしに、聖運天に不叶、武徳時至りぬるその謂はれにや、股肱の重臣敢へなく戦場の草の露と消え給ひしかば、南都の侍臣・官軍も、聞きて力をぞ失ひける。


「聖運天に不叶、武徳時至りぬるその謂はれにや」(天皇の運が天の道に会わず、武家の反映の時期がやってきたからであろうか)とかさらっと言っているが、やはり天皇とはいえど、中国の皇帝とおなじく、天に見放されるときがあると思われていたのである。わたくしもなんとなく天皇が可愛そうになってこないではないが、――ここで可愛そうとか言ってしまうのは、なんとなく、私が、平安の女房たちの視点をもっているからかも、という気がしてくる。というか、「源氏物語」の物語が、皇太子になれなかった皇子の話であり、その理由が女房であるということを考えると、作者が女であることを措いておいても、天皇とは別名女の生む光る皇子である、という感じがする。さんざ言われてきたことではあろうが、天皇というのは、なんとなく女性的な感じがする観念である。三島由紀夫の言う、「色好み」というのも、男のそれではなく、女的ななにかが着色された「色」なのではなかろうか。

普段自由を失ってる輩は、文句言われると、自分を更に不自由にしていると頭にきちゃうわけで、ミソジニーだかなんだかも普段の自由を回復しない限り、怨恨として回帰するものである。リベラルな人の論文を読んでも自由な人はかなり稀である。そりゃそうだ、処世や人間関係か何かを人質に取られている人がほとんどだから。これに比べると、まだ家族のためにがんばるかみたいな意識の方がよかったと思えるほどだ。家族とは「女」の別名である。吉本隆明が「対幻想」を強調したのもその意味で当然なのである。

とはいえ、「太平記」は、「平家物語」にあった女的?なものを強引に武士の個人的奮迅に回収しようとしている気がする。

苦桃太郎之を見るより奮然として怒を為し、
おのれ毒竜、爾が魯鈍の故を以て、
股肱の臣を喪いたるぞ、
軍陣の門出に
前徴悪し、
憎くき奴と
拳を固めて、
毒竜の真額
砕けよと
乱打に撃ければ、
もとより暴気の
毒竜は発憤の眼に
朱を濺ぎ、金の鱗を
逆てたるは木葉に風の吹ごとし、
やあ小憎きおのれが大将面、
いで竜王が本事を見よと、
十間余りの尾を風車のごとくに
舞わして、苦桃太郎を七巻に巻裹め、
骨も微塵と固緊くれば、物々しやと苦桃太郎、
惣身にうんと力を籠むれば、さしもの毒竜弗つと断れ、
四段となって仆るれば、
魔力忽ち解けて
雲は吹消すごとくなくなれば、
何かは以て堪るべき、
苦桃太郎迢々の虚空より
足場を失い、
小石のごとく真一文字に舞下りて、
漫々たる大海へぼかん!


――尾崎紅葉「鬼桃太郎」


一度、怨恨が暴走すると誰も止められない。どんなイデオロギーを持っているのかはその際、全く関係がない。

傍観者的

2021-03-21 22:42:25 | 文学


由良・長浜二人、新田越後守の前に参じて申しけるは、城中の兵ども数日の疲れによつて今は矢の一つをもはかばかしくつかまつり候はぬあひだ敵すでに一二の木戸を破つて攻め近付いて候ふなりいかにおもしめすとも叶ふべからず春宮をば小舟にめさせまゐらせいづくの浦へも落しまゐらせ候ふべし自余の人々は一所に集まつて御自害あるべしとこそ存じ候へその程はわれ等攻め口へまかり向つて相支へ候ふべし見苦しからん物どもをば皆海へ入れさせられ候へ、と申して御前を立ちけるが、あまりに疲れて足も快く立たざりければ二の木戸の脇に射殺され伏したる死人の股の肉を切つて二十余人の兵ども一口づつ食うて、これを力にしてぞ戦ひける。河野備後守は搦手より攻め入る敵を支へて半時ばかり戦ひけるが今ははや精力尽きて深手あまた負ひければ攻め口を一足も引き退かず三十二人腹切つて同じ枕にぞ臥したりける。

「ひかりごけ」や「海神丸」、「野火」をひくまでもなく、我々の先祖たちは人肉を食べることがあった。近代の作品でもそうだったと思うが、それは、整斉な口調を以て描かれる。「一口づつ食うて、これを力にしてぞ戦ひける」である。このリズムは、このあとの「一足も引き退かず三十二人腹切つて同じ枕にぞ臥したりける」にも通じている。

なんとなく、傍観者的である。

死人の頭を黒焼にして服すると、病気に利くと云う迷信も近年まで行われていた。俗にこれを「天印」と云い黒焼屋で密売し、それが発覚して疑獄を起したこともある。または屍体を焼くときこれに饅頭を持たせ、屍脂の沁み込んだのを食うと治病するとて、同じく処罰された迷信家もあった。明治四十年頃のことと記憶しているが、大阪の火葬場の熅坊がこの種の犯罪を重ね、大騒動になったことがある。さらに極端な迷信家になると屍体を焼くとき脂をとり、飲むやからさえあったと当時の新聞に載せてあった。まだこの外に人胆を入れた売薬があるなどと云われているが、そうなると民俗でなくして全くの迷信となるので、省略する(春風秋雨亭主人談)。

――中山太郎「屍体と民俗」


思うに、もともと薬というのはなにか「死」を思わせるところがあったに違いない。死を飲んで乗り越えることが健康である。いまは、薬はたいがい白っぽい。健康を保つ、あいかわらず死を傍観している。

飛ばない天皇

2021-03-20 23:27:47 | 文学


只汝が一類を四海の鎮衛として、天下を治めん事をこそ思召つるに、天運時未到して兵疲れ勢ひ廃れぬれば、尊氏に一旦和睦の儀を謀て、且くの時を待ん為に、還幸の由をば被仰出也。此事兼も内々知せ度は有つれ共、事遠聞に達せば却て難儀なる事も有ぬべければ、期に臨でこそ被仰めと打置つるを、貞満が恨申に付て朕が謬を知れり。越前国へは、川島の維頼先立て下されつれば、国の事定て子細あらじと覚る上、気比の社の神官等敦賀の津に城を拵へて、御方を仕由聞ゆれば、先彼へ下て且く兵の機を助け、北国を打随へ、重て大軍を起して天下の藩屏となるべし。但朕京都へ出なば、義貞却て朝敵の名を得つと覚る間、春宮に天子の位を譲て、同北国へ下し奉べし。天下の事小大となく、義貞が成敗として、朕に不替此君を取立進すべし。朕已に汝が為に勾践の恥を忘る。汝早く朕が為に范蠡が謀を廻らせ。」と、御涙を押へて被仰ければ、さしも忿れる貞満も、理を知らぬ夷共も、首を低れ涙を流して、皆鎧の袖をぞぬらしける。

後醍醐天皇が尊氏と密約してたことを謝る場面だが、いかにも惨めである。三島由紀夫は、たぶん日本の古典世界を――こういう場面における人間天皇をある意味で激しく拒絶しているところがあり、むろん、こういう場面の天皇は現実であるからだ。しかし、なぜか人間であるはずの天皇一族が亡びずに必ず生き残ったかもしれない事態を文学の持続性に重ねたら、国学とは又違った意味で、攻撃的な概念として文学を再構築できるような気がしたのかも知れない。国学の系譜は、どちらかと言えば、小林秀雄などにあって、もっと冷徹で、青年の空虚さなど認めないところがある。小林が三島にわりと冷たかったように。

その冷徹さは、どこか文化研究みたいな平板さにも通じているのだ。

先の戦争における戦犯は国文学者や国学者にもいたかもしれないが、それにもまして弱い者だったのは日本の文化を理解して貰おうとか日本は誤解されてるのでなんとかしなきゃとか、良心的ではあるのだが、自分達を研究したこともないのに、アジア文化研究みたいな国際文化研究ごっこをしてしまった連中だった。こういう人々は、日本浪曼派や一部のエセ国学系に隠れてしまったが、その実国策に一番ヘコヘコしてた連中でこういうやつこそ、思想ではなく実質的様態としてファシストと言うべきであるような気がする。国際交流みたいなものが自己目的化した昨今の国際文化研究もその傾向がある。当時もそうだったんだけど、案外リベラルな意識のつもりだったりするんじゃないか。――まあ、そりゃ全く無意味とは言えねえだろう。ナチスのフランス侵攻だって文化交流なんだから、ある意味で。何をやっても、いつも種は蒔かれるのだ。

――文化的発展が、人間たちの強制的な混淆、例えば戦争によって引きおこされるのはむしろ坂口安吾も言っていたように常識であり、これに対して、文学であることは、戦争のような文化交通とは相反する自らの内側に潜り込むような作用である他はない。それをナショナリズムといってしまうからおかしくなるのだ。それはナショナリズムに転落する場合も多いだろうが、ダリをナチ野郎と言えばすべてがおさまるわけではないのだ。

技術の世界では、西暦一八〇〇年には、空を飛ぶ人間は、非現実であった。ところが、芸術の世界では、空飛ぶ人間は、ギリシャの時代から、その姿を現わしているのである。否、死なない人間すらが、その神話の世界では何の不思議もなく、自由に動きまわっているのである。
 技術の世界では、非現実が現実になるには、例えば、飛行機ができるのは、二十世紀という動かすことのできぬ世紀がそれを記念するのである。苦心の末、やっとそこに到達するのである。しかるに、芸術の存在では、何の苦もなく、一挙に、そこに到達するのである。そこは、自由の上にもさらに自由な世界なのである。これが芸術の世界の最も大きな特徴なのである。
 だから、そこで困ったことは、もしこれを作る人間がそれを謬ったならば、技術の世界が謬るよりも、数十倍の大きな謬ちを犯すことができるのである。
 もし万一、これを謬るどころか、悪意をもっている技術家、政治家に利用せしめたならば、これが人類におよぼす影響は計り知れない惨害となって、人類の上に降りかかることとなるのである。かくて、善意の、芸術家と、悪意の、もしくは、誘惑に破れた芸術家たちとの間には、激しい戦いが交わされることとなるのである。
 人間の歴史の中には、この深い嘆き、戦いが、この芸術の存在の世界で戦われつづけているのである。芸術の歴史は、この惨憺たる焼跡にほかならない。


――中井正一「美学入門」


中井正一が問題だと思うのは、芸術の中では自由に飛行機さえ勝手に飛んだりすると言って居ることである。それは本当に「芸術」なのであろうか。芸術はそんなに簡単に何かを飛ばしたりはしない。それは、満州になにかユートピアを空想する類いの素人の空想である。

獅子是を擲

2021-03-19 23:12:17 | 文学


正成是を最期の合戦と思ければ、嫡子正行が今年十一歳にて供したりけるを、思ふ様有とて桜井の宿より河内へ返し遣すとて、庭訓を残しけるは、「獅子子を産で三日を経る時、数千丈の石壁より是を擲。其子、獅子の機分あれば、教へざるに中より跳返りて、死する事を得ずといへり。況や汝已に十歳に余りぬ。一言耳に留らば、我教誡に違ふ事なかれ。今度の合戦天下の安否と思ふ間、今生にて汝が顔を見ん事是を限りと思ふ也。正成已に討死すと聞なば、天下は必ず将軍の代に成ぬと心得べし。然りと云共、一旦の身命を助らん為に、多年の忠烈を失て、降人に出る事有べからず。一族若党の一人も死残てあらん程は、金剛山の辺に引篭て、敵寄来らば命を養由が矢さきに懸て、義を紀信が忠に比すべし。是を汝が第一の孝行ならんずる。」と、泣々申含めて各東西へ別にけり。

これなど、いまならハラスメント過ぎて父親が逮捕されかねないが、――このぐらいの命令がないとどら息子はしゃんとしない場合があることも確かである。最近は、さっぱり「こしゃくなやつ」みたいな言い方が亡びてしまったが、時代劇やロボットアニメーションでも「こしゃくなやつ」はとりあえずやっつけとかにゃイカンのであった。いまどきの我々ときたら、悪口のバリエーションを失い、「こしゃくな」も「うるせえだまれ」もいえず「うるせえ氏ね」と言いながら、いや歯噛みをしながら、実際は「承知致しました」とか言っている。*んだ方がいいのはこういう幇間だ。言葉の暴力は、過剰な言葉の抑圧の反動から生じる。三島由紀夫が言ったように「毛沢東の言葉はいいが、周りにいるやつの言葉は読めたもんじゃない」のである。それは紋切り型の公式的おべんちゃらもそうであったろうが、陰口こそが読めたもんじゃなくなっていたはずである。

 ある秋の一日、一匹の威張り屋のライオンが森の中で、お昼寝をしてゐる間に、大切な、日頃自慢のあごひげを、誰にとられたのか、それとも抜け落ちてしまつたのか、とにかく起きて、のどがかわいたので、水をのみに、ふらふらと川の方へ行く途中で熊に会ひますと熊は、ライオンをよく知つてゐるのに挨拶をしないので
「熊君、なぜ、挨拶をしない? 失敬じやないか」といつた時に熊は、やつと気がついて
「やあ、ライオン様でございましたか、昨日まで、お見受け致してゐた、あなたのあごひげがないので、ついお見それしたのです。御免下さい。」と答へましたので、ライオンは初めてひげがなくなつてゐることに気がついて、びつくりしたのです。そして大急ぎで、川へ行つて水に顔をうつして見ましたら、熊の言つたことはまつたく本当で、さつきまで、ピカピカ金のやうに、又ダイヤモンドのやうに光つてゐたあごひげがなくなつて、まるで自分の顔が馬鹿に見えるのでした。
 ライオンはどこへ落したのか一生懸命に考へましたが、考へつきません。そこへ一匹のきりぎりすが通りかかりました。きりぎりすは大変立派なひげを持つてゐるのです。ライオンは、それを見て、ひげのことなら、きりぎりすに聞いたら分るやうな気がしたものですから
「どこかに僕のあごひげが落ちてゐなかつたか。」と聞きました。するときりぎりすは申しました。
「ああ、それなら僕は知つてゐます。あの森の入口に、落ちてゐたのを見ましたよ。」
 ライオンは森の入口へ行きました。するとそこには、毛の生へたとうもろこしが落ちてゐるばかりで、ひげなどは落ちてゐませんでした。
 それから一ヶ月ばかりたつたある日、ライオンがある古道具やの前を通りかかりますと、夢にも忘れることの出来なかつた自分のあごひげが、売物になつてかかつてゐるのをみつけました。ライオンは、その家の主人のたぬきに、かみつきたい位腹が立ちましたが、自分のひげと言ふことが分ると困るので我慢して、いくらだと聞きますと、たぬきは、ライオンがひげを落して困つてゐることを聞いて知つてをりましたので、いつもいじめられてゐる腹いせに
「一万円より以下ではお売りできません。」といひました。ライオンは仕方なく一万円出して買つて来て、川へ行つて、くつつけやうと致しますと、もうすでに、新らしいのが生えてゐたのです。ライオンは大損をいたしました。

――村山壽子「ライオンの大損」


だいたい、崖から落とされてもなんともない丈夫なライオンの自意識はこんなもんだ。ちゃんと落ちて怪我をすることによって人間は知恵をつけていったのである。ライオンも髭が生えてくることを学んだ。もっとも、こどもに対して、この結末を「大損」と言ってしまうのは教育的であろうか。

二元的なもの

2021-03-17 23:49:08 | 文学


諸軍勢是を見て、「すはや将軍こそ御舟に被召て落させ給へ。」とのゝめき立て、取物も取不敢、乗をくれじとあはて騒ぐ。舟は僅に三百余艘也。乗んとする人は二十万騎に余れり。一艘に二千人許こみ乗ける間、大船一艘乗沈めて、一人も不残失にけり。自余の舟共是を見て、さのみは人を乗せじと纜を解て差出す。乗殿れたる兵共、物具衣裳を脱捨て、遥の澳に游出で、舟に取著んとすれば、太刀・長刀にて切殺し、櫓かいにて打落す。乗得ずして渚に帰る者は、徒に自害をして礒越す波に漂へり。尊氏卿は福原の京をさへ被追落て、長汀の月に心を傷しめ、曲浦の波に袖を濡して、心づくしに漂泊し給へば、義貞朝臣は、百戦の功を高して、数万の降人を召具し、天下の士卒に将として花の都に帰給ふ。憂喜忽に相替て、うつゝもさながら夢の如くの世に成けり。

最後に語り手は良いこと言ったとおもう。「憂喜忽に相替て、うつゝもさながら夢の如くの世に成けり」と。憂いと喜びが交代すると現実感が崩壊し、現実が夢のように感じられる世の中になってしまったのである。現実感というのは、憂う人と喜ぶ人が対照的に存在して動かないことだと言っているようなものだ。

これは怖ろしい考えだ。喜ぶ人は常に喜び、憂う人は常に憂う世の中が「現実」だというのである。感情の配分化・固定化……。異常な世界だが、しかし、こういう残酷さは我々の中には巣くっている。

私は、大学生の頃、古典文学好きの学生(←雑な括りだが)に、上のような残酷さがあるような気がしていた。近代は常に、喜びと憂いがアンヴィヴァレンツみたいに存在している。しかし古典の世界は、つねに固定化に続く、交代による固定化の傾向がある気がするのだ。全くの印象論である。仏教が二元的な思想であることも関係あるかもしれない。わたくしは、そこに儒教の建前としての一元性が加わって、裏の腐敗が進んで近代を用意したのではないかとさえ思ったことがある。いまは、それすら崩れて、宗教的な二元性が復活してきている。

生活に追い立てられて旅に出た次兵衛が、纔に温まった懐をおさえて、九州の青年の多くが、その青雲を志し成功を夢みて、奔流する水道を、白波たつ波頭を蹴散らし蹴散らし、いささかのセンチを目に浮べて、悲喜交々、闘志を抱いて渡る関門の海峡を、逆に白波を追っていた連絡船の中で、夢野久作の正体を発見したのである。
「オオ、ジッちゃんじゃないか、此頃あたしゃ、こげえなこと、しよりますやなァ」と、額から鼻、鼻から頤まで暫くある、名代の顔に、恥い乍らも誇をひそめて、眼を細くし乍ら、長いことにおいては又久作さんと負けず劣らずの馬面で共に有名な、チョビ髭の尖った頤との一対の対面は世にも見事であったろう。その馬面に突きつけられた雑誌が、此れまでサンザ首をひねらせた新青年の夢野久作ものするところの、あの古博多の川端――筆者の産れた――あたりと櫛田神社の絵馬堂を織り込ンだ『押絵の奇蹟』だったのである。
 久作さんはかくして名探偵作家として突然にも、夢の如く現れて来たのであった。


――青柳喜兵衛「夢の如く出現した彼 夢野久作氏を悼む」


近代の場合、現実感を変えてしまうのは優秀な作品そのもので、作家である、――筈であった。たぶん、戦争が全てを壊してしまい、我々をじりじりと中世に戻してしまったのである。人間が現実を変えるのではなく、事件が変えるしかないのだ、という諦念は我々にとっては非常に痛かった。今度は、人間の集団そのものを二元的に捉えるようになるぞ。知らんぞ……。