★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

大谷翔平氏結婚における虚実の皮膜

2024-02-29 23:02:47 | 思想


寛而栗、柔而立、愿而恭、乱而敬、擾而毅、直而温、簡而廉、剛而塞、彊而義

書経の九徳である。寛容であるが威厳があり、穏やかであるが仕事の能力がある、謹厳であるが礼儀正しく、能力はあるが誇らず、柔順であるが果断で、真っ直ぐな性格だが温和であり、大きな視点を持ちながら細かく、さっぱりしているが篤実で、強い意志を持つが正しさから逸脱しない、――こんな奴が部下として最高であり、君主の政治の前提である。

考えてみると、ここまでの資質はむしろ部下のそれではなく、いまやヒーローの資格である。ヒーローを自分の部下だと思っているであろう現代人ならそうなる。つまり、上のような人物は例えば大谷翔平氏であろうが、――結婚したそうである。

大谷翔平氏については何も知らないが、「巨人の星」でいうと星飛雄馬やオズマ(だっけ?)みたいな野球サイボーグが破滅に突き進むのがカタルシスだったのにくらべると、落合やイチローによって、人間のままで野球に命を捧げることが可能になったのかもしれないとは思う。つまりこれは野球が虚構であることをやめたということだ。あるいは、ついに普通の人も含めてサイボーグになったということかもしれない。そういえば、わたしのまわりの体育会系の学生で「競技のためにはならない無駄なコミュニケーションとか飲み会」を嫌う者がいくらか増えてきてる気がする。大谷氏がどうなのかはしらないが、体育会系もだいぶ雰囲気が変わりつつあるのかもしれない。氏は、一徹も姉もいないのに自分ですべてをコントロールしてるのであろうか、野球選手はイチローも含めすごくパートナーとかに依存的であるイメージがあるんですが、社会の側でそういうものが用意できるようになったのであろうか。

――彼の結婚報道は、昨日、こういうことを考えていた矢先に起こり、大谷氏がまさに虚構よりも人間であることが明らかになってよかった。より精確にいうならば、大谷氏もついに人間に浮気したということであろうか。

大谷氏が虚構並みにすごいから、みんな非現実的な可能性を考えたはずである。

高峰秀子さんが黒澤明から大谷翔平に乗り換えた可能性かある。別れさせられたって言ってたし。あるいは、細が残業で帰ってこないから大谷と結婚したかもしれない。――しかし細が帰宅したので可能性はかなり減ったが、わたくしと大谷と二刀流結婚をしている可能性がある。いや、むしろ大谷ならやってくれる、独身と結婚の二刀流を。

ヒーローは虚構をつくる。逆に、虚構が死ぬときもある。

木曽義仲、あれが牛に松明をつけて敵陣に放したでしょう。あの牛、特攻隊があれですね。私はほんとに特攻隊の若者が可哀想ですよ。何も知らずに死んでゆく。

――梅崎春生「桜島」

無稽之言勿聽、弗詢之謀勿庸

2024-02-28 23:44:13 | 思想


帝曰:「來,禹!降水儆予,成允成功,惟汝賢。克勤于邦,克儉于家,不自滿假,惟汝賢。汝惟不矜,天下莫與汝爭能。汝惟不伐,天下莫與汝爭功。予懋乃德,嘉乃丕績,天之歷數在汝躬,汝終陟元后。人心惟危,道心惟微,惟精惟一,允執厥中。無稽之言勿聽,弗詢之謀勿庸。可愛非君?可畏非民?眾非元后,何戴?后非眾,罔與守邦?欽哉!慎乃有位,敬修其可願,四海困窮,天祿永終。惟口出好興戎,朕言不再。」

「無稽之言勿聽,弗詢之謀勿庸」、根拠のねえ意見は聞いてはならず、みなに詢っていない謀はやってはならぬ、こんな基本的なことは民主主義以前のことであったが、これが民主主義の基本となることによって、逆に、民主主義にたいする疲労が感じられるようになると、根拠のないことの方がむしろ真実みがあり、独断の方が新鮮に思えてくるという逆転が起こる。これは、現代の話ではあるが、むかしだって仁政の後や同じ政権の疲労の後に起こったことに違いない。いかに、新鮮みがなかろうと、保守的である必要がある局面があったのであろう。居心地のよい状態のおいて我々は現状の正しさを認識する程、死んだ気さえしてくるものである。

我々の現代は物に溢れた天国なのだ。つまり我々は文字どおりには死んでいるとみてよい。天国からは墜落し生き返る必要がある。

夢よりもはかなき世の中を

2024-02-25 23:33:25 | 文学


夢よりもはかなき世の中を、嘆きわびつつ明かし暮すほどに、四月十余日にもなりぬれば、木の下暗がりもてゆく。築地の上の草あをやかなるも、人はことに目もとどめぬを、あはれとながむるほどに、近き透垣のもとに人のけはひすれば、誰ならむと思ふほどに、さし出でたるを見れば、故宮にさぶらひし小舎人童なりけり。

宮沢喜一元首相の日録が見出されて大歓喜の人は多い。とはいへ、日記をつけているのはむかしからほんとのボスでもなければ、命を賭けて何かを遂行するしかなかった人でもない気がしないでもない。日記がすごく重要な文化の一角を占める我が国とは、権力の周りで「夢よりもはかなき世の中」という嘆きを嘆きもないのにいわなければいけない余白が存在している。心が恋に向いていてもそうなのだ。

鳥獣とわれわれ

2024-02-24 23:54:47 | 思想


乃命羲和,欽若昊天,歷象日月星辰,敬授人時。分命羲仲,宅嵎夷,曰暘谷。寅賓出日,平秩東作。日中,星鳥,以殷仲春。厥民析,鳥獸孳尾。 申命羲叔,宅南交。平秩南訛,敬致。日永,星火,以正仲夏。厥民因,鳥獸希革。分命和仲,宅西,曰昧谷。寅餞納日,平秩西成。宵中,星虛,以殷仲秋。厥民夷,鳥獸毛毨。申命和叔,宅朔方,曰幽都。平在朔易。日短,星昴,以正仲冬。厥民隩,鳥獸氄毛。帝曰:「咨汝羲暨和。朞三百有六旬有六日,以閏月定四時,成歲。允釐百工,庶績咸熙。」

ここで鳥獣の羽毛が抜けたり、生えそろったり、和毛が生えたりとしているわけであるが、考えてみるとわれわれはそんなことほとんど気がつかなくなっている。我々の毛はいつも生え替わっているのに対し、鳥獣はちがう。鳥獣が変化することと時間が流れるということの関係に注目すること、人間が暦をつくるということは、逆に、我々が生き物として恒常的な姿を保っているようにみえる不思議さを意識することにつながっていたはずだと思う。我々は平気で、簡単には変化しない物を作り続けているが、これはきわめて自然界では異常なのである。強いて言えば石のようなものがそれに近い。だから我々は石に惹かれるのかもしれない。

よく、グーグルフォトが勝手に「思い出」を作成してくるが、持ち主たるオレが思い出すまえに思い出を生成してて一体何様なのであろう。雲や電信柱とか思い出じゃねえし。思うに、グーグルフォトはもはや「自然」なのだ。そして「思い出」は、本来自然から勝手に押しつけてくるものなのである。我々は、しかし、思い出を自分の行為との関係でしか想起できない。だから、いやな思い出の時に、困るのだ。降ってわいた不幸なのかそうでないのかよく分からないからだ。

たいがいのことがうまくいかなかい時期があり、今振りかえってみると半分以上は自分のせいではない気もするのだ。だから妥協の数を増やすべきではなかった。しかしそれは十年後とかにものすごい後悔となってふりかかる。そのときにはもう人のせいにはできないのだ、じぶんのやったことなので。「思い出」はかくして自分のものとして所有されるわけだが、ほんらい自然から想起させられているものだ。

我々から見た自然は「運」にみえる。すなわち、よくわからないものであって、それでも肝心なときにあまりに妨害にかんじることがおきるのは何かおかしい組織にいるときだというのは実感だ。細やかでまともな人が踏ん張っているかどうかだ。人を守る細やかさがやはり実際は存在する。そういうひとがいなくなると、権力が作動しはじめる。――ここまでは確かだが、いつどこでそうなるのかはもちろん我々にはコントロールできない。

大学とかの人事でも、「人柄か業績か」みたいな二項対立が幽霊にみたいにはびこりはじめておかしくなってしまったが、対象となる論文が論文の出来以上にまともであるか否かを深く理解しようとすることは、人柄を認定することよりも人との信頼を信じることだ。人の論文が読めないことはすべてを破壊するのである。こういう場合でも、ここまではたしかなのだ。しかし、我々はいつもそこまでの気力とそれが可能な人間関係を持つわけではない。

眠ってゐた
夢のない眠りだった
ふりだした小雨が わたしをさました

電車みちを横切って一丁
魔のようにタクシーが吹き過ぎる
暗い 大通り

見まはすと
わたしはどこにもゐなかった
わたしはまっただなかにいた
こはかった


――吉原幸子「夢遊病」


わたくしが吉原幸子に抵抗感があったのは、むかし歌った合唱曲が難しかったから。小学校の頃の体験は強烈でわたしにとって現代詩は合唱曲の歌詞であり、いまでもその感覚が残っている。歌と詩の関係は、現と夢の関係に似て、後者は現の我々とは無関係に大活躍している。現もコントロールできなければ、夢もコントロールできない。我々がもう少し鳥の羽毛をのんびり待てるようになればいいのだが。

易の勝利

2024-02-23 23:43:18 | 思想


孚乃利用禴。无咎


ビギナーズクラシックの訳だと「捕虜は春のお祭りの犠牲に使うのがよい。災難をのがれる」である。

易経を読んでいると、我々のあたまは論理より先に象徴物が移動しながら飛び交っていて、例えば、AではないBは、Aの否定ではなく肯定であり、AとBの価値がどうひっくりかえるかわからないと思われてくる。AとはBだからである、みたいなことは容易に起こる。だから、「常識的な感覚」によるAそのものの属性から離れてはいけないのではないかと私なんかは思うのである。

例えば、あいつは作品や仕事はすごい(A)のになぜ人間的にカス(B)なのかという言い方は常識的に考えて、「あいつ」が恐ろしくすごいときにしか使えない。すくなくともそういう言い方で小学生とかそこらの凡人を教育すべきではない。テスト100点(A)と根性が腐っている(B)こととは何の関係もないし、ほんとはたぶん100点じゃなくて、たいがい67点ぐらいなのである。――しかし、われわれは、こういう現実からつねに逃れてAとBの関係を自由に組み替える。

たしかに、確定申告とかってぎょっとする(A)ところあるけれども、あんまりその難しさを騒ぐと、また教育課程に税金関係の事項をくわえろ試験しろ国語は書類作成を中心に行えみたいな主張(B)がでてくる。これだって、AとBの混乱である。

そういえば最近、「なろう系」というのがもはや熟した言葉だというのをしったが、ここにはかならずAがぬけてBになろう、だけが言われている。まだ誠実なのかもしれない。

こういう混乱を避けるために、我々は「舞姫」みたいに、旅の終わりからの視点を必要とする。AからBではなくBからAへの遡行である。ただ「舞姫」は結局Bにおいて豊太郎がどの程度の人物であるのかはっきりしないから、Aのプロセスだけが問題にされてしまった。中沢新一は『精神の考古学』でレヴィ=ストロースに倣うように、自分の若い頃の旅を振り返っている。中沢氏は鷗外のように若い身空では書けなかったのである。鷗外で、そういうことに気付いているからこそ「妄想」を書いたのだ。それらは、小説ではなく、随筆なのかなんなのかわからないスタイルを取らざるを得ない。自分の人生を、AだからBという論理には必ずしも還元できないからである。

AだからBであるというのを自由にやるための易経であろうが、――それを単にBへの指針ではなく論理として読解しようとすると、普通に難解であたまがおかしくなってくる。占いによる鎮静作用はあるのかもしれないが、その逆もかなりおおきいんではなかろうか。

世の中で一番占いで隆盛を誇っているのは恋占いである。もう流行りすぎて、最近は神社仏閣はだいたいその占いのパワーを大きくさせる「パワースポット」みたいなことになっている。神道や仏教よりも易の方が強いね、もはや。人間に誰が誰と合うかみたいな高等なことは判断できない。趣味が合うとか、人生観がおなじとかは信用できない基準である。結局、わたくしの場合は、仲間はずれにされがちな人に優しいか(吾はマイノリティとかいう主張をする人に非ず)とか、群れの真ん中にいないとか、幇間が出来ないとかが重要でそれで結婚したようなもんなのだ。これがもはや「自由」恋愛ではないことは明らかである。「自由」は、もっと合わなさそうなやつとも自由に交際できることである。それは多くの人間が学校でスクールカーストじみたものに適応しているような状態では無理だ。結局だから、マッチング何とかとかお見合いシステムが復権してくるのだ。機械による偶然のほうが面白そうだからな。。。結局、これは占いの一種なのである。

風の交叉点すれ違うとき心臓に全治二秒の手傷を負えり

――穂村弘『ドライ ドライ アイス』


文学は、こういう偶然をロマンスとして語りすぎるところがあるから、罪が重い。

有馬天神社を訪ねる(兵庫の神社5)

2024-02-23 19:11:07 | 神社仏閣


神社明細書によると、有馬天神社は昔々の天元2年(979)にできたらしい。京都の菅原道真のあれであって、それ故か?そのあとの平安時代は荒れ果てていたらしい。そろそろ平安も終わりの頃なんか大洪水とかもあったのだ。建久3年(1192)に再建されたが、結局位置的に温泉の鬼門除け神社として機能していたらしい。



というか、この有馬温泉の辺り一帯が、なにか釜ゆで的地獄みたいな感じがして鬼も早々に帰宅するようなきがしないでもないのだ。



ひっそりと小さい神社も寄り添っている。



本殿。



いい顔である。



お金にまみれて身動きがとれない。



神仏習合してたから蘭若院阿弥陀坊が傍らにあったらしいが、寛正4年(1463)4月13日に火事で焼けた。同年6年(1465)仮殿建設。がっ、明治5年に例の分離政策で無住となり寺院廃止。なんだかんだあって、敗戦。しかし、生きよ墜ちよの風の吹く昭和23年(1948)、「温泉の湧出量減少に依り境内地に源泉を掘り、以来80余度の温泉の湧出を得」たらしいのだ。

富岡は、魚屋を本業にしてゐる男が、若いおせいと同棲する為に、この伊香保の温泉町に住みついた気持ちが、何気なく唄はれる林檎の唄声に乗つて、心のなかにしみじみと判るやうな気がした。おせいは泳ぐやうなしぐさで、向う側へ行き、さつと上つて行つたが、大柄な立派な後姿が、富岡には、いままでに見た事もない美しい女の裸のやうに思へた。矢も楯もなく、富岡はおせいの裸が恋しかつた。後姿に嗾かされた。いきなり、富岡もその方へ泳いで行き、おせいのそばに上つて行つた。湯殿の廂を掠める、荒い夜の山風がぐわうぐわうと鳴つてゐる。
「背中、流しませうか?」おせいが云つた。


――林芙美子「浮雲」

温泉がでてくる不倫小説とか、世の中に腐る程あるのであり、戦後にもたくさんある。映画、林芙美子の「浮雲」なんか、高峰秀子様が初の裸体(半分)で出現、「みだれる」でも若大将がなんか死んでいた。戦後の苦労のなかで何か温泉に入って人生やり直す機運でもあったのか。人間うつむき加減でいるときにはやはり掘り当てるのである。昔、神代の時代にもひどい戦争の後、うつむいて穴でも掘っていたらお湯が出たのかも知れない。

解放と古典

2024-02-23 05:44:22 | 思想


九四。解而拇朋至斯孚。
六五。君子維有解吉。有孚于小人。


拇でも小人でも解放されるとよい子とが起こる。この感覚は、いまもわりとある。ある小さいものの解放である。鷗外はとてもそれをよく知っていたように思う。漱石はそのかわり、全面開放みたいな文章になっている。鷗外の文章は確かによいものがたくさんあって、むかしわたくしもたくさん書き写した。ただむりに口語的に解放されくだけるときの躊躇いのなさがあまり好きではない。一葉のほうが100倍すきだ。これはもう真似できない気がする絶望が私にあるからかもしれない。それに一葉の文章には解放がない。これが私が好む理由でもある。

解放は春への解放だ。これだけの暖冬だと雪もとけていいよね、みたいなことをいう日本人民がいるけれども、つもった雪が最高気温15度ぐらいが数日続いただけでぜんぶ溶けるわけないし、逆に一度溶けた雪は兇器の氷の塊になる。それが屋根から高速で通学路に滑って飛んでくる。この緩みや解放に対する違和感がわたくしにはある。

古典に対する解放は、古典そのものの更新である。例えば、モーツアルトやベートーベンの曲に対してもっとかっこよく演奏できるはずだという運動は止まらない。ブラームスももっとかっこよくいけるみたいな演奏もたくさんあり、しかもまだまだブラームスはもっとかっこよくいけるはずだという欲求不満の度合いも高い。マーラーはどんな演奏でもだいたい昇天しているから関係なし。古典派とロマン派の違いは、こういう違いでもある。まだ絶対かっこいい演奏が出来るはずとかいうのはショスタコービチなんかもそれに含まれる。ソ連は、ロマン派に対する対抗言論であった。ショスタコービチに対しては、ほんとはもっとダサくやるべきみたいな考え方もあるくらいだ。これに対して、――専門家のなかではともかく、ケージやブーレーズの曲の名演とか凡演とかをあまりきかない。かれらの音楽は解放されきっているからだ。

文学でもそうで、もっと深く面白く読めるはずだみたいなものは減っている。それは作品の価値とはちがった問題であるのだが、聞く側や読む側に幻想を与える力というのが古典派の力であり、それが遠い過去の古典だから距離が出来てるからではない。

レヴィ=ストロースは、マルクス主義に対抗して、われわれのなかの古典派とロマン派のあらそいに終止符を打とうとしている。彼の本はその意味で広大なやさしさを持っている。一人一人を取りこぼさないとか言っている人がロマン派であって、たいがい人をやっつけているのと対照的だ。サルトルに対しても彼は優しい。

今でもロマン的にマイナー作家やマイノリティを応援することと、例えばプロレタリアートに即するみたいなことは屡々鋭く対立するものだ。いまでも彼らは「弱者の味方枠」みたいなとこころに押し込められて喧嘩させられている。

ニュアンスと数字

2024-02-21 23:44:42 | 思想


見輿曳。其牛掣。其人天且劓。无初有終。


車が曳かれる。牛と鼻を削がれた人が曳いている。このようにはじめはよくないが終わりによいことが?

何もしないほうがよいように思われることも度々であるのだが、それはあるいは因果関係がはっきりしているときではあるまいか。あまりに頭のわるい人間を目の前にしたときなんかはそういう感じがする。いつも出来事は余剰で覆われているからだ。語調、言葉の選択のテンポその他が我々の頭に蒙昧な何かとして襲いかかる。

そういえば、むかしテレビである語学の学者が、濁音がつくと男らしい感じがする、と言っていた。――確かに、ゴジラ、妖星ゴラス、海底軍艦、マジンガーZと濁音を入れただけで、人類はやる気が出てくるのかもしれない。(どうやら、日本海軍の戦艦などにはほとんど濁点がないらしいんだが……アニメの女性の名前になったりするわけである)日本国憲法が嫌いな方がでてくるのは、やはり大日本帝国憲法に濁音的に負けているからではなかろうか。というわけで、日本国大拳法とでも言えばみんな選挙に行くのではないだろうか。

世には、『中央公論特別編集-彼女たちの三島由紀夫 』などと、題名で女性に配慮しつつも実際は三島が彼女たちとお話しした対談集がある。一方、高峰秀子様が男たちとお話ししたところの『高峰秀子と十二人の男たち』という対談集でおかしいのは、50代の渡辺一夫に対しては少女みたいな口調なのに、次の年に一歳年下の三島由紀夫とは二人ともおっさんみたいなマウンティング合戦であることだ。――昨日も言ったから、もういい気もするが、要するに、立役者は誰かということに熱心だったのが戦後であった。戦争で「立役者」は一掃されてしまったからである。そういえば、このまえ授業で王寺賢太氏の書物を、「消え去る立役者」と言い間違えて、じつに現代に於ける立役者の運命を感じたことであった。

三島由紀夫が、黛敏郎夫妻と高峰秀子に囲まれてご満悦の写真はよく知られている。『高峰秀子と十二人の男たち』の表紙は、この写真の三島と高峰さまの部分だけを梨型に切り取ったものである。著名人達に囲まれてご満悦的な三島の表情が、――梨型にきりとると、三島がなぜかにこにこしているのを、高峰様が「憐れね」みたいなかんじで笑っているように見える。

一方で、世の中、そういうニュアンス?みたいな世界とは別に、襲いかかる数字の世界があり、この季節は、税の数字が飛び交う。そういえば、今日は、ネット上で、日本国民全員が偏差値60以上になればいいよねみたいなネタ的与太に対して盛りあがっていた。60以上でも以下でもなんでもいいが、頭のいい人は「贈与はすでに負債だ」(デリダ?)とか現代思想ぶってないで、贈与にかかわる税金をなんとかせい。しかのみならず、怪獣とかがときどき勝手に日本の土地を専有しているのを、軍隊がてっぽう撃ったりしていじめてるのだが、あれは固定資産税とかなんとか税の暗喩であることに今頃気付いた中年おやじはわたくしである。

数字も襲いかかったり、かくれたり忙しいことである。

婦子嘻嘻

2024-02-21 02:30:19 | 思想


家人嗃嗃。悔厲吉。婦子嘻嘻、終吝。

家人は不平をならしているぐらいのほうが激しく厳しいのを悔いても結局よし。逆に婦女子が嬉嬉としているようでは面倒なことになる。

これを家父長制の暴力として批判してしまうのは惜しく、だいたい嬉嬉としてみんなが騒いでいることが思ったよりもよくないことを言っているのである。

学校のなかの孤独というイメージからは――たぶん四〇代以降は、どことなく違和感を募らせた結果学校が嫌いになりみたいな物語を想起するだろうが、いまはちょっと違う場合もあるようだ。孤立ではなく、完全に拒否反応みたいなのが。。そして見に行ってみるとこちらも同じ反応が。思想、立ち振る舞い、声色すべてがculいやなんでもない。もう少しで、cultureなのに世の中難しいものである。

戦後の女性達のたたかいはいろんな側面があった。高峰秀子様の『高峰秀子と十二人の男たち』という対談集でおかしいのは、50代の渡辺一夫に対しては「ですわ」とか「うれしい~」みたいな感じで「女学生」なのか「摂待」口調なのかわからんものなのに、次の年に一歳年下の三島由紀夫とやったときは、二人ともおっさんみたいなマウンティング合戦である。三島由紀夫は、マッチョな感じになりながらどことなく女性に無理やり隙をつくるところがあった。高峰秀子が映画業界の男ぶりに感染してるのは無論であろうが、全面的にそうとも限らない。二人は、同世代、少しの女性が年上、芸術家同士(対談でそういう会話がある)みたいなスチュエーションを用いて、大衆社会に於ける同権とは何かを演出しているのであろう。渡辺一夫にはできない芸当である。

スターが大衆を離れるんではなくて、大衆がスターから離れるんだね。

こういう秀子様の発言など、共産党も三島の行く末を暗示しているようである。これは、相手への忖度が大きければでてこない。

温泉神社を訪ねる(兵庫の神社3)

2024-02-20 23:12:43 | 神社仏閣


有馬の守護神である。大己貴命(国を造るよ)と少彦名命(薬を造るよ)がここらの温泉を発見したらしいのだ。この山奥に何しに来ていたのであろう。



いつ頃からか、熊野信仰も合体したりしていたらしい。水天宮もある。――イメージとしては、立ち上る水蒸気が龍のようであるから実によく分かるようでもある。がっ、――この先の階段が長すぎて、結局本殿まで行き着かず。案外、神社というのは、若者向きであって、ちょっと歳くってくると神社にもお参りできないようなやからはもうイイみたいな感じである。確かに、ヤマトタケルも足を悪くして伊勢までたどり着けなかった。



世にこの道の勤め程かなしきはなし

2024-02-19 23:59:14 | 文学


 身にそなはりし徳もなくて、貴人もなるまじき事を思へば、天もいつぞはとがめ給はん。しかも又、すかぬ男には身を売りながら身をまかせず、つらくあたり、むごくおもはせ勤めけるうちに、いつとなく人我を見はなし、明暮隙になりて、おのづから太夫職おとりて、すぎにし事どもゆかし。
 男嫌ひをするは、人もてはやしてはやる時こそ。淋しくなりては、人手代・鉦たたき・短足・兎唇にかぎらず、あふをうれしく、おもへば世にこの道の勤め程かなしきはなし。


今回の大河ドラマは昔の高級少女まんがの趣であって、――しかし、それにしても、最近、男の上半身裸でなにかを語ろうとしてるみたいなところが、よくわからんが、ジェンダー論への目配せもあるのか知らんが、結局男視点?の恋愛がいろんな好色へ移行してきただけのような気がするのだ。しかし好色の世界は、無論であるが、強烈な差別の世界であって、上の如くだ。

先日は、紫式部が道長からの恋文を焼き捨てる場面でおわっているわけだが、彼らはやはり上流階級であって、差別をなくすため、わたくしみたいな庶民が間違って焼いてしまったりした方がよいのだ。現代の少女まんがの時代では、顔がよいという上流どうしの恋愛が紙の上で上映された。恋に恋にするのは前恋愛的なだめなものとされたが必ずしもそうではない。恋に恋する状態でないと本読みにはなれない。わたくしは本読みであり、しかも色恋にあまり興味がなくなってきたのであってみれば、わたくしは十二単衣の美女しかみておらんので、もはや少女マンガであってもなくても関係がない。

而して傍観者もここに極まれり、といったところであるが、――これに対して、教師のみなさんは、あいかわらず、国家と人民と自らの脆弱さに包囲されて傍観どころの話ではない。包囲されている新人教師達に必要だったのはストレスがかからないなかでのニコニコ面接でもコミュニケーションでもなく、厳しいペーパーでの入試と実習とそれ以上に厳しい卒業論文だ。そりゃ必要な資質はあるよ、しかしそれだけをみつけようとしても上手くいっていないではないか。自分の学力のなさに怯えて鬱になるかわいそうな学生をつくっただけであるようにみえる。

小説や批評文を読むことというのは読解力みたいな抽象ではなく、プロセスと時間に堪えることで、それをやらないやつが学校の現実のプロセスと時間に堪えられるわけがない。幸運なことにというか、――学校の生活というのは案外章にわかれた小説みたいなところがある。だめな教師はそれを駄作の兵舎ものにしてしまうだけだ。

職場がこれほどある特定の人間にオンブにだっこ状態になるのは、プロセスと時間のことを考えられない、ミッションの奴隷が大量にいるからだ。むろんもともとはそれにしたがわせようとした馬鹿がわるい。小学校なんかの学級の目標は「学校で一番赫こう」みたいな**みたいなものでも随わせようとする人数が少ないし、子どもが**に随うお人好しが多いのでなんかの効果がある場合がある。しかしこういうのに慣れると、逆に社会の組織とか、ひいてはもっとでかい国民国家において何を掲げて、どういうプロセスを踏んでみたいなことがわからなくなるんじゃねえかなと思う。古文漢文不要論とか言ってる輩はだいたい学校で一番赫こうみたいな奴である。

訂正と沈黙

2024-02-18 23:48:03 | 文学


「まづ年は十五より十八まで、当世顔はすこし丸く、色は薄花桜にして、 面道具の四つふそくなく揃へて、目は細きを好まず、眉あつく、鼻の間せはしからず次第高に、口ちひさく、歯並あらくとして白く、耳長みあつて縁あさく、身をはなれて根まで見えすき、額はわざとならずじねんのはえどまり。首筋立ちのびて、おくれなしの後髪、手の指はたよわく長みあって心薄く、足は八もん三分に定め、親指反つてうらすきて、胴間つねの人よりながく、腰しまりて肉置たくましからず、尻付ゆたやかに、物越・衣装つきよく姿に位そなはり、 心立ておとなしく、女に定まりし芸すぐれて、よろづにくらからず、身に黒子ひとつもなきをのぞみ」とあれば、「都は広く、女はつきせざる中にも、これ程の御物好み稀なるべし。

あまりに好みがうるさいといっても、ここまで分解して記述できるのがすごい。東浩紀氏の『動物化とポストモダン』のなかでふれられていた萌え要素なんかおおざっぱすぎて話にならない。東氏がこれを出した頃、日本文学の院生室では、東氏は好色一代なんかとかの時代に帰りたいのかとか言う人もいないわけでなかったが、東氏の言いたいのは要するに空中分解しはじめている我々の人生への危機感であった。

最近の『訂正する力』なんかも、東氏が一生懸命人生の話をしているのに、読者は仕事やイデオロギーや文化のことだと思ってしまうのであった。二項対立の喧嘩地獄ではなく、幻想の訂正をととく東氏に対して、未来と希望を感じるみたいなのは読者の感想としてはありだとおもうが、著者としては「持続の絶望」というか「絶望の持続」は人生でありうるかみたいなことを言いたいのだ。しかし、まあ、「もっと深く絶望せよ」みたいな批判ばかり東氏に投げつけられているようでもなさそうだから、世の中、大江健三郎の頃よりは進歩したということにするのもあり得る「訂正」かもしれない(棒読み)。むろん、もっと事態は絶望的なのである。なぜかというと、東氏が少し希望をもっていたインターネットが、東氏が期待するコペルニクス的な転向をおこすべき「情報」をもたらすものでさえなくなっているからである。

いまだに情報の解放というのは本によってしか本質的にはなされていないような気がする。なぜネットではそれがいまいちで、雑談にしか成っていないのか、人類はよく考える必要があるのだ。やはり解放されるべき情報は情報ではなく幻想としての「物」なのである。『チ。』第6集を読んでそう思った次第で、もしかしたら、デジタルコレクションも論文のPDF公開も中世への逆行かもしれない。感覚としてはそんな気がする。すべてが情報公開の元に明らかな世界は、すべてが神のもとに善であるべきと考えられていることと何処が違うのだ。我々の生はそもそも明らかではないのに。

表面的には訂正の学であるところのサイエンスも、ルネサンスに於いて、忘れられたものが想起されてこそ新たな人間的存在であったことをわすれると、まあただの国家を支える神学なのだ。いま、それをつかって人間を焼いている。ひとつの方向性が支配的になると、2・3世代に影響がおよぶのが普通だと思ったほうがよい。現代はおそらく長い中世のはじまりである。

まあ普通に国のために殉死しそうなわれわれであり、どうみても解放されていない。

発達障害だコミュ症だ何だいろいろいうけれども実態がいまいちよく分からんし大概な人にそういう部分はあるが、品性下劣とか人を手段として使うやつとかそういう輩の方がどうみてもまずい。そろそろ病名がついて、またみんなある程度は品性下劣とか言い始めるかもしれんが、彼らを人間として裁けるのは文学や思想であって、サイエンスや法ではない。品性や人間を手段とみる領域は幻想の領域でこれを裁けるのは幻想だけである。

マルクス主義者達が勘違いしていたのは、幻想の領域の基礎付けが存在すると思ったことである。それは基礎付けではなく、幻想としての基礎付けである。黒木華がでてた映画「小さいおうち」では、倍賞千恵子が「戦争っていったって最後当たりまですごく平和だった」みたいなこと言いっていた。確かにああいう感想は当時多く存在したと思う。特に、この人物がいたようなブルジョアジーの世界では。しかし、あの役の世代は戦争に対してはちょっと若く、彼らの青春を奪われたみたいな恨みはすごいから目立つが、彼らを食べさせて育てた世代は恨み以上にいろいろあったから戦後もわりと黙ってたと思う。この沈黙による厭戦気分というアンヴィヴァレンツが、幻想としての基礎であったと思う。

小澤征爾が文革後の中国でブラームスの二番を振った番組を先日やってたが、心を打たれた。わたくし、当分の間、ブラームス信者に生成することにしたが、満州生まれの小澤も多くは語らず、満州国に夢を持った親父は死んでもう語ることはなかった。この沈黙の言葉は吉本隆明のような罵倒ではなく、非転向の平和主義となる。

そもそもプロレタリアートという存在にしてからが、なにか理念から眺められた誤解に基づいていた。だからマルクス主義者たちも市民主義に転向できたのであろう。戦前のプロレタリア文学には様々な意見があるだろうが、小学校もろくに行ってない祖父や祖母の世代には鋭利な唯物論者ぶりがあり、当時の為政者達の一部が心底びびったのも分かる気がするんだな。戦後の唯物論者達のどことなく夢心地な感じがなくて、鍛え上げられた鉄のような、というのが誇張でない感じがする。以前柄谷行人が、戦後の「なんでも迷信」みたいな風潮が自分に影響を与えていると言ってたが、これがわたくしの父とか母の世代のある種の世代的制約で、だまってしまったその親の世代にあった恐ろしい合理的な唯物論を忘れたところがあるわけだと思う。

あっち側ではなくこっち側で働け、みたいな脅迫の論理で、人に対するやつがこれほど多いのかというのが、大人になってからの感想だが、こういうものに対する抵抗が結果的に実現されるのがその唯物論である。