★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

水の心

2020-11-30 23:02:51 | 文学


一歌にことの飽かねば、いま一つ、
  とくと思ふ船悩ますはわがために水の心の浅きなりけり
この歌は、みやこ近くなりぬる喜びに堪へずして、いへるなるべし。「淡路の御の歌に劣れり。ねたき。いはざらましものを」と、悔しがるうちに、夜になりて寝にけり。


確かに、理屈っぽさを感じる歌でふて寝するのも無理はない気もするのだが、こういう失敗作とみられる歌からは、我々と同じく形式論理的な思考が垣間見え、昔の人が妙なアニミズムやすぐれた詩心を殊更に持っていたという怖れを解消してくれる。今残っている和歌は、天才が作ったものなのである。「この歌は、みやこ近くなりぬる喜びに堪へずして、いへるなるべし」とか、殊更に説明的でわざとやっているのであろうか……。それにしても、神だ心だなんだいっている割には、彼らは水は水として扱っている。ところが、近代になるとアニミズムになってくる。

水は つかめません
水は すくうのです
指をぴったりつけて
そおっと 大切に──

水は つかめません
水は つつむのです
二つの手の中に
そおっと 大切に──

水のこころ も
人のこころ も


――高田敏子「水のこころ」


水にしてみればいい迷惑だ。妙な有機体に弄られて。だいたい、水をすくうときは、コップや何やらを使えばいいのである。

歌と顔

2020-11-29 23:02:51 | 文学


かの船酔ひの淡路の島の大御、みやこ近くなりぬといふを喜びて、船底より頭をもたげて、かくぞいへる。
  いつしかといぶせかりつる難波潟葦漕ぎ退けて御船来にけり
いと思ひのほかなる人のいへれば、人々あやしがる。これが中に、心地悩む船君、いたくめでて、「船酔ひし給べりし御顔には、似ずもあるかな」と、いひける。


船酔いで参っていた老女でもいきなり歌を詠み始める。仮名序の生きとし生けるものの歌とは、別にみんな違ってみんないいみたいな視点ではなく、酔って頭がふらふらでも感情があればいきなり歌が出てくるみたいな、我々の生の様相のことかも知れない。

残念ながら、我々のほとんどは、生きとし生けるものであることを辞めてしまったらしく、まったく歌は出てこない。歌ではなく愚痴みたいなものなら出てくる。土佐日記でも、歌が律儀に生産されている一方で、愚痴も様々にあって、拮抗している。貫之がそんな我々の様子を歌以上に面白がっていたことに疑問の余地はない。シランけど。このまえ「梅暦」を少し読んだが、最初から米八と丹次郎がしゃべりつづける。近代を用意したのは、この愚痴だ。

お山の大将はお山の大将、卑屈は卑屈。争われない。だから孔子や釈迦や基督の顔がどんなに美しいものであったかという事だけは想像が出来る。言う迄もなく顔の美しさは容色の美しさではない。容色だけ一寸美しく見える事もあるが、真に内から美しいのか、偶然目鼻立が好いのかはすぐ露れる。世間並に言って醜悪な顔立に何とも言えない美しさが出て居たり、弁天様のような顔に卑しいものが出て居たり、万人万様で、結局「思無邪」の顔が一番ありがたい。自分なども自画像を描く度にまだだなあと思う。顔の事を考えると神様の前へ立つようで恐ろしくもあり又一切自分を投出してしまうより為方のない心安さも感じられる。

――高村光太郎「顔」


高村光太郎は、なぜ「御顔には、似ずもあるかな」ですますことが出来ないのであろう。

鏡を捨て、海に出て……

2020-11-28 23:38:38 | 文学


「いかがはせむ。」とて、「眼もこそ二つあれ、ただ一つある鏡を奉る。」とて、海にうちはめつれば、口惜し。されば、うちつけに、海は鏡の面のごとなりぬれば、ある人の詠める歌、
  ちはやぶる神の心を荒るる海に鏡を入れてかつ見つるかな
いたく、住江、忘れ草、岸の姫松などいふ神にはあらずかし。目もうつらうつら、鏡に神の心をこそは見つれ。楫取りの心は、神の御心なりけり。


幣をいれてもおさまらないので鏡を投げ込んだら鎮まった海である。これは「かがみ」から「楫(か字)」を「取」ったら「神」だったという洒落であるという説まであるらしいが、――とにかく、住吉明神もなんだか馬鹿にされているものである。たぶん、この逆恨みで、源氏を……

すると娘は、こうしておかあさんにお目にかかっているのだといいました。そしておかあさんは死んでも、やはりこの鏡の中にいらしって、いつでも会いたい時には、これを見れば会えるといって、この鏡をおかあさんが下さったのだと話しました。おとうさんはいよいよふしぎに思って、
「どれ、お見せ。」
 といいながら、娘のうしろからのぞきますと、そこには若い時のおかあさんそっくりの娘の顔がうつりました。
「ああ、それはお前の姿だよ。お前は小さい時からおかあさんによく似ていたから、おかあさんはちっとでもお前の心を慰めるために、そうおっしゃったのだ。お前は自分の姿をおかあさんだと思って、これまでながめてよろこんでいたのだよ。」
 こうおとうさんはいいながら、しおらしい娘の心がかわいそうになりました。
 するとその時まで次の間で様子を見ていた、こんどのおかあさんが入って来て、娘の手を固く握りしめながら、
「これですっかり分かりました。何というやさしい心でしょう。それを疑ったのはすまなかった。」
 といいながら、涙をこぼしました。娘はうつむきながら、小声で、
「おとうさんにも、おかあさんにも、よけいな御心配をかけてすみませんでした。」
 といいました。


――楠山正雄「松山鏡」


鏡への欲望は案外すごく、近代では、地獄のような世界まであらわれる(江戸川乱歩)。とりあえず、そんな下々の欲望を抑えるために、我々の先祖達は、とりあえず神の座に置いとくという手段に出たのではあるまいか。どうでもいいが――、今日は、『発達障害当事者研究』を読んだから、近代の難しさを改めて感じた次第だ。

またも恋ふる力にせむ、となるべし

2020-11-27 23:58:15 | 文学


京の近づく喜びのあまりに、ある童のよめる歌、
祈り来る風間と思ふをあやなくもかもめさえだに波と見ゆらむ
といひて行くあいだに、石津といふところの松原おもしろくて、浜辺遠し。また、住吉のわたりを漕ぎ行く。ある人のよめる歌、
今見てぞ身をば知りぬる住江の松より先にわれは経にけり
ここに、昔へ人の母、一日片時も忘れねばよめる、
住江に船さし寄せよ忘草しるしありやと摘みて行くべく
となむ。うつたへに忘れなむとにはあらで、恋しき心地、しばしやすめて、またも恋ふる力にせむ、となるべし。


土佐日記というのは、土佐から京都への旅であって、その逆ではない。わたくしは、その逆でもよかったと思うのであるが、この作品が亡き娘のことをうたうことが目当てであったと思われる以上、無理からぬところだと思うのであるが――。我々は、既に起こってしまったことに対しては想像力が働くのに、その逆がないのが不思議と言えば不思議である。マーラーなんか、自分の娘の死を曲で予言しているし、自分の葬式を第一交響曲からすでにやっているといえないことはない。この未来の死に突き進む潔さが彼の曲のサスペンスと底抜けの明るさの秘密であるような気がする。

上の三つの歌なんか、最後の歌に向かって、子ども、老い、という時間をわざわざ配置して、未来に延び即ち過去に帰って行く、亡き娘を「恋ふる力」を増幅している。これはサスペンスにはなりようがない。

うちどよみまた鳥啼けば
いよいよに君ぞ恋しき
野はさらに雲の影して
松の風日に鳴るものを


――宮澤賢治「丘」


宮澤賢治は珍しく未来に延びる時間を作り出す人であった。あまりに不幸すぎたのか、自然の寿命が彼より長いことが分かっていたからなのか……

思うに、出来の悪い子どもや親を抱えて生きる抱く愛に比べれば、亡き子への慕情なんて深みを増すことはない。我々の先祖達は、あまりに短命であり、亡くした人間を抱えて生きる時間が長かったのかもしれない。これからの我々は、そんなふうにはいかない。未来に延びる葛藤が愛情におり曲がる時間を生きるしかないのであった。

歌と画

2020-11-26 21:42:24 | 文学


「船とく漕げ、日のよき日に」ともよほせば、梶取、船子どもにいはく、「御船より、仰せ給ぶなり。朝北の、出で来ぬ先に、綱手はや引け」といふ。このことばの歌のやうなるは、梶取のおのずからのことばなり。梶取はうつたへに、われ、歌のやうなる言、いふとにもあらず。聞く人の、「あやしく、歌めきてもいひつるかな」とて、書き出だせれば、げに、三十文字あまりなりけり。

現在も、首相や何やらのコメントが五七調だったみたいなことに関しては敏感である。だから、この程度のことは、べつに彼らが歌と現実の境目がなくなっていることを意味しない。むしろ、歌に集中しきれずに、俗事で暇をもてあましていることを意味する。

惜しい事に雪舟、蕪村らの力めて描出した一種の気韻は、あまりに単純でかつあまりに変化に乏しい。筆力の点から云えばとうていこれらの大家に及ぶ訳はないが、今わが画にして見ようと思う心持ちはもう少し複雑である。複雑であるだけにどうも一枚のなかへは感じが収まりかねる。頬杖をやめて、両腕を机の上に組んで考えたがやはり出て来ない。色、形、調子が出来て、自分の心が、ああここにいたなと、たちまち自己を認識するようにかかなければならない。生き別れをした吾子を尋ね当てるため、六十余州を回国して、寝ても寤めても、忘れる間がなかったある日、十字街頭にふと邂逅して、稲妻の遮ぎるひまもなきうちに、あっ、ここにいた、と思うようにかかなければならない。それがむずかしい。この調子さえ出れば、人が見て何と云っても構わない。画でないと罵られても恨はない。いやしくも色の配合がこの心持ちの一部を代表して、線の曲直がこの気合の幾分を表現して、全体の配置がこの風韻のどれほどかを伝えるならば、形にあらわれたものは、牛であれ馬であれ、ないしは牛でも馬でも、何でもないものであれ、厭わない。厭わないがどうも出来ない。写生帖を机の上へ置いて、両眼が帖のなかへ落ち込むまで、工夫したが、とても物にならん。

――漱石「草枕」


あまりに集中しているとほとんど韻は上のような気韻みたいなものになってしまう。リズムは邪魔に成り画になってゆく。

貝と女(児)

2020-11-25 23:47:22 | 文学


この泊まりの浜には、くさぐさのうるはしき貝・石など多かり。かかれば、ただ昔の人をのみ恋ひつつ、船なる人のよめる、
  寄する波うちも寄せなむわが恋ふる人忘れ貝下りて拾はむ
と言へれば、ある人の堪へずして、船の心やりによめる、
  忘れ貝拾ひしもせじ白珠を恋ふるをだにもかたみと思はむ
となむ言へる。女児のためには、親幼くなりぬべし。「珠ならずもありけむを。」と人言はむや。されども、「死じ子、顔よかりき。」と言ふやうもあり。


この贈答はどちらも萬葉集をふまえているように言われている。ときどき、我々はこのような文化を重たく感じてはいないであろうか。我々がときどきすごく馬鹿のような文化状態に帰ろうとするのは、もしかしたら文化の重層にたいする反抗かも知れない。そもそも、この場面でも、「女児のためには、親幼くなりぬべし。「珠ならずもありけむを。」と人言はむや。されども、「死じ子、顔よかりき。」と言ふやうもあり。」といった半畳らしきものが入って、重さを解放しているようだ。近代ではこれを自嘲みたいにかんじるけれども、実際は、ほっとするため息のようなものであるきがする。

 「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」
 自分はただ待っていると答えた。すると、黒い眸のなかに鮮に見えた自分の姿が、ぼうっと崩れて来た。静かな水が動いて写る影を乱したように、流れ出したと思ったら、女の眼がぱちりと閉じた。長い睫の間から涙が頬へ垂れた。――もう死んでいた。
 自分はそれから庭へ下りて、真珠貝で穴を掘った。真珠貝は大きな滑かな縁の鋭どい貝であった。土をすくうたびに、貝の裏に月の光が差してきらきらした。湿った土の匂もした。穴はしばらくして掘れた。女をその中に入れた。そうして柔らかい土を、上からそっと掛けた。掛けるたびに真珠貝の裏に月の光が差した。


――漱石「第一夜」


我々の近代は、そのため息を許さず、一気に形象を求めてしまう。しかし、これはこれで進歩ではないかとわたしは太宰の「きりぎりす」の骨の中の虫の鳴き声のように思うのである。

かたゐ二種

2020-11-24 22:15:30 | 文学


風の吹くことやまねば、岸の波立ち返る。これにつけてよめる歌、
 緒を撚りてかひなきものは落ちつもる涙の玉を貫かぬなりけり
かくて、今日暮れぬ。
四日。梶取、「今日、風、雲の気色はなはだ悪し」といひて、船出ださずなりぬ。しかれども、ひねもすに波風立たず。この梶取は、日もえはからぬかたゐなりけり。


土佐日記というのは、文学史の教科書なんかを見ると、特筆すべきは土佐で死んだ娘を歌った場面で、――といった調子で、いかにドラマチックな日記であろうかと思って読み始めてみると、ほとんど、風で船が進みませんでした、ばかりなのである。ほとんど反物語である。この日など、長旅の涙を糸で貫くことは出来ないね、とかちょっと煮詰まったような歌をしめしたあと、「梶取は天気を予想できぬ馬鹿野郎だ!!」とついにキレてしまった。あるいみ、この場面が日記のクライマックスなのではあるまいか。

わが行手こそ闇なれ、真冬なれ、
あまたの児を伴れし乞丐(かたゐ)の孤独なれ。
苦痛へ、苦痛へ、氷の路へ…………
「生」の嵐は無残の爪を垂れて我に掴みかかる。
[…]
我は知る、この檻の家を出づる期なきを、
また知る、孤独は我が純清の「真」を汚さざるを。
なつかしきかな、狭く、つめたき鉄の家よ、
借物ならぬ我力もて、我はここに妄動す。


――與謝野寛「妄動」


もっとも、同じかたゐでも、こっちの方がある意味でコワイ。情を抽象化すると碌なことが起こらない気がする訳である。

海を鏡とたれか見ざらむ

2020-11-23 23:57:29 | 文学


このあひだに、今日は、箱の浦といふところより、綱手引きて行く。
かく行くあいだに、ある人のよめる歌、
  たまくしげ箱の浦波立たぬ日は海を鏡とたれか見ざらむ


吉本隆明がどこかで江藤淳との対談のなかで、例えば古老などに聴いて調査するみたいな行為には屈辱感が伴う、といっていた。吉本というのはたしかにそういうことを言うことがある。吉本が嫌っているのは、上のような歌を歌う人がいて、それに何か返さなくてはならない感覚に似ているのではなかろうか。どうしてもそんな速さでは言えないことがある気がするのである。吉本の目指すファクトは、そんな言えないものの中にある。普通それを退屈だなんだといってしまうのが普通なのだが、彼はなんだかんだと発言する機会を捉えていろいろ言って、退屈とは言わなかった。それが我々の存在をなぞることだとも言いたげに喋り続けたのである。ただ、――退屈だという人に対して何か権力意識が働くところが、西田幾多郎なんかと違うところではないか。

また、三島由紀夫はいろいろあった後に出てくる文化だけをなぜ問題に出来るのか、それ以前を柳田や折口みたいに考えないのかとも言っていたと思う。そりゃ吉本とちがって小説を書きたいんだからしょうがないじゃないか。小説を書きたいというのは、芸人として舞台で見得を切るのと似ているのかもしれない。吉本が嫌っているファクトの世界はここにもある。三島は、文化を舞台にあげないと生きられないという感じを持ち続けていた。

今日の授業収録では、芸人と文学のことを考えたから、こんなことを思ったのである。

それは一々私宛ての手紙體に卷紙に書いた、日記のやうなものだつた。どれにも殆んど同じ事が繰り返してある。
 一つ一つ開いてゐる中に、どさりと中から疊の上に落ちたものがある、長さ三寸ばかりの長方形の鏡だつた。
 枠がとれて、水銀が處々剥げてこわれた壁畫のやうに黄色く平板に物の象を映してゐた。
 ――私は、何故とも知れぬある衝撃をうけた。手紙の一節を私は讀んで見ると、
「この前、大雪が降りましたらう。あの日でございます、覺悟をしたのは。就きましてあなたに何や彼とお世話になりましたから、何か形見を差し上げたいと存じましたが、たゞ今私の持つてゐるものとては、着換の肌着もございません始末です。あの此の鏡だけは、若い時から大切に身につけて來ました品でございますから……」

――若杉鳥子「古鏡」


わたくしは、こういう感じでいきなり映る物というものもあると思うのだ。けっこう忙しくしていなければ見出せないものである。

夜中/融合

2020-11-20 23:58:44 | 文学


三十日。雨風吹かず。海賊は、夜歩きせざなりと聞きて、夜中ばかりに船を出だして、阿波の水門をわたる。夜中なれば、西東も見えず。男、女、からく神仏を祈りてこの水門をわたりぬ。

わたくしなど、まったく波が立っていない瀬戸内海の浜辺でさえ怖ろしいのだから、暗中で鳴門海峡を進むとは怖ろしすぎる。それにしても、大事な役人のおなりというに、こんな危険な道中なのだ。最近の地方派遣の役人達のあれは、こういうあれがないからではなかろうか。

岸に近く、船宿の白い行灯をうつし、銀の葉うらを翻す柳をうつし、また水門にせかれては三味線の音のぬるむ昼すぎを、紅芙蓉の花になげきながら、気のよわい家鴨の羽にみだされて、人けのない廚の下を静かに光りながら流れるのも、その重々しい水の色に言うべからざる温情を蔵していた。たとえ、両国橋、新大橋、永代橋と、河口に近づくに従って、川の水は、著しく暖潮の深藍色を交えながら、騒音と煙塵とにみちた空気の下に、白くただれた目をぎらぎらとブリキのように反射して、石炭を積んだ達磨船や白ペンキのはげた古風な汽船をものうげにゆすぶっているにしても、自然の呼吸と人間の呼吸とが落ち合って、いつの間にか融合した都会の水の色の暖かさは、容易に消えてしまうものではない。

――芥川龍之介「大川の水」


おれはこういう融合だかもわからないのだ。

2020-11-19 23:08:07 | 文学


おもしろきところに船を寄せて、「ここやいどこ」と、問ひければ、「土佐の泊」といひけり。昔、土佐といひけるところに住みける女、この船にまじれりけり。そがいひけらく、「昔、しばしありしところのなくひにぞあなる。あはれ」といひて、詠める歌、
年ごろを住しところの名にし負へば来寄る波をもあはれとぞ見る
とぞいへる。


「来寄る波をもあはれとぞ見る」という気持ちが分かるようになるためには時間が必要だ。だいたいノスタルジーみたいなものだけでなく、主観を共有していた人物との死別や離別などによって、自分の主観が単一でなく、複数で成り立っていたことに気付くところからそんな気持ちが発見されるのである。われわれはさまざまなものに別れた人の姿を見るであろう。――だから、本当は名前が昔すんでいた「土佐」とおなじだからといって、かような、物についた感情が出てくるはずはないと思うのだが、それほど土地の名はいまでいう主観のような物だったかも知れない。

そこで一方にかうした離別を強行した私は、他方の娘に對しても甘い考へを持つ譯に行きませんでした。わたしはここで一切の過去から斷ち離されて、眞に新しい生活に入らねばならぬと考へました。しかし、それは理性で靜かに考へる時の心のさまであつて、物に觸れ、ことに感じては、身も心も狂ひなやまざるを得ませんでした。かうして私が狂ふさまを見ては、母になつた彼の女も些か私の行動にあきれた樣子でありました。そして突然福田家から姿を消してしまひました。彼女に對する愛情が私にないものと感じたのかも知れません。それも彼女としては無理ではなかつたのです。私が心身を狂はした眞情を察することは、彼女にとつては不可能であつたのです。
 一波は萬波を呼ぶ。一つの波が消え靜まつたと思ふと、そのあとは幾つもの波が起つてゐました。犯した罪から免がれようとする私はそのために悶え狂つて、どこにでも慰安を求めようとする。急の夕立に追ひまくられて、どんな木蔭、どんな軒端をも頼みにして驅けるやうに、少しでもやさしい異性を見ると、すぐにそれに近づくやうになりました。


――石川三四郎「波」


ここでは波は心理の別名に過ぎないような気がするが、はたしてそうか。我々は浪漫を感じるときには、実際に少しは胸中に波を発生させている。

夏ですね(11月)

2020-11-18 23:03:34 | 文学
これかれ、かしこく嘆く。男たちの心なぐさめに、漢詩に「日を望めば都遠し」などいふなる言のさまを聞きて、ある女のよめる歌、
 日をだにも天雲近く見るものをみやこへと思ふ道のはるけさ


実際に空を眺めていると、雲や太陽は近いものにみえてくる。どこら辺りにあるか分からないものを近いと感じる、これが神や何やらを存在させるのだが、とても不思議だ。遠くのものなのに、太陽は直接我々に存在がとどいているのである。



季節を間違えて、来年に近づいてしまった向日葵。昨日二五度もあったから咲いてしまったのだ。ちなみに朝顔も四つ咲いていた。夏である。