★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

いえこの笹がお薬

2018-07-31 23:50:09 | 文学


うとうとしたら清の夢を見た。清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が突き抜けたような天気だ。

――漱石「坊っちゃん」

何れの世にか忘れ聞えむ

2018-07-29 18:08:25 | 文学


生き霊と言えば、六条御息所がすぐ思い浮かぶけれども――考えてみれば、死霊なんかがこちらに作用を及ぼすのは大変であるに違いなく、むしろ多いのは生き霊ではないかと思うのだ。

「今昔物語集」の「近江國の生靈、京に來たりて人を殺す語」なんか、けっこう整ったストーリー展開であり、男に捨てられた女が旅人に道を聞いてまで相手の男をの呪い殺しに来るのである。で、道を聞かれた男が、その女の家に行ってみると、まだ女は生きていて、

「さる事有るらむ」とて、呼び入れて簾超しに會ひて、「有りし夜の喜びは、何れの世にか忘れ聞えむ」


と言うのであった。男は、食事をおごられた上に土産までもらってしまったという。語り手はわざとらしく、

これを思ふに、さは生靈と云ふは、只魂の入りてする事かと思ひつるに、早ううつつに我も思ゆる事にて有るにこそ。此は、彼の民部大夫が妻にしたりけるが、去りにければ、恨を成して生靈に成りて殺してけるなり。されば女の心は怖しき者なりとなむ、語り傳へたるとや。

とか言っている。女の心は怖いねえ、とあるが、最後に土産などくれるところ、全くこの女は生き霊でもなければ狂ってもいない。思うに、この民部大夫、遊びすぎてどこかで病気でももらってきたに違いない。実際、生き霊とは、かかる人間の生み出すデマがほとんどであろう。ただ、中田考も言うておるように、大概われわれは馬鹿なので、そのことを自覚しているとは限らない。

しかし、世の中、もしかしたら、生き霊みたいなものがあると思われることもある。組織にいると、報復人事みたいな分かりやすいのは生き霊とは見えないが、どうやったかは分からんが、どうみても復讐だろう、みたいな現象が生起することがあるのだ。こういうのは生き霊としか言いようがない。

言霊とはよくいったものである。最近のリベラルの言葉がなぜダメなのかはいろいろ理由があるけれども、まったくの印象でしかないが、言葉が生き霊ではなくなっているというのがある。自民党でも、以前の石破氏には生き霊があったが、最近はない。小沢一郎もそうだ。対して、例の「生産性がない」発言で騒がれている杉田水脈にはいろいろな意味で生き霊が感じられる。やはり、わたくしは、言行一致というのが大事だと思わざるを得ぬ。学者でも、普段からリベラル風なことを言うてる輩でも「論文の生産性」とか言いつつ目立つことばかり考えるやつからは生き霊が徐々に感じられなくなってしまった。杉田や安倍がたいした思想を持っていないのは明らかであるが、問題はそこだけじゃない。

女の怨みはすごかったのであろう。しかし彼女は実際に自分の足で捨てた男の家まで歩いて行った。そして世話になった男にはお礼もした。この態度が物事を成就させたのであった。

みんなちがって、みんな

2018-07-28 23:44:54 | 思想


たぶん、いまや日本を代表する思想家の一人である中田考氏の『みんなちがって、みんなダメ』を読む。この人の本はだいたい読んだと思うが、なんとなく肌が合うような気がしていたのは、わたくしはイスラム教徒ではないので、そのほかの理由なのであろう、と思っていた。

――今日上の本を読んでいたら、中田氏がカール・オットー・アーペルのことを言っていて、あーなるほどと思った。理由はそこらあたりにあったか……

自分のなかに……

2018-07-26 22:50:42 | 思想


『自分のなかに歴史をよむ』(阿部謹也)を読んだ。まだわたくしのなかに勘のようなものが残っていると思ったのは、最後に音楽の話をするんじゃないかということ、マックス・ウェーバーを引いてやるんじゃないかということであったが、当たった……。

この本は、歴史学者の阿部謹也氏が自分の学問的来歴を語った本なのであるが、例えば文学研究者でこういう本を書ける人をわたくしは今思いつくことができない。これは学問の特質かもしれない。あるいは、文学研究者でも歴史家に近い人はできるかもしれないと少し思う。歴史というものの佇まいがそうさせるのかもしれない。文学は、自分の「なか」にある感じがしない。高村光太郎ではないが、「私に満ちる」みたいなのが文学であり、――自己の断罪という形なら、阿部氏の境地までいけるかもしれない。そうでないと、目も当てられない惨めな感じがする。

怪しき者共の心ばへ也かし

2018-07-25 23:16:17 | 文学


『今昔物語集』巻二十五の「源頼信朝臣男頼義射殺馬盗人語」は確か教科書に載った話である。いかにもわれわれの好きそうな話である。

あるすばらしい馬がいるというので、是非よこせと早速馬主に申し入れた。馬主は断れない。馬をもらってきた頼信であったが、それを子どもの頼義が聞きつけて父親の元にやってくる。しかし馬を狙っているやつは、こいつだけではない。本職の盗人もいた。夜になって、そのプロの盗人が首尾よく馬を盗んで逃走すると、首尾よく目を覚ました親子は無言で盗人を追いかけ、「ほれそこだ」と頼信が言い終わらないうちに頼義の弓が盗人を貫く。「やったぞ、取り返してこい」と親父はそのまま寝床に帰る。息子も馬を無事に家来に引き渡す……。起きて馬をみてみると、さすがに名馬だ、鞍までついている。じゃあいただきます、と頼義は首尾よく馬を持って帰るのであった。

「怪しき者共の心ばへ也かし。兵の心ばへは此く有けるとなむ語り伝へたるとや。」


ここには、荒木井端の連係プレーみたいなものはありますが、親子の対話というものがありません。はっきりしていることは、この話に出てくるのは、馬を育てた哀れな人と、馬の盗人三人だということです。一番巧妙なのは、息子でしょう。一番楽して馬をもらっています。この調子では、ちょっと難しい話になったら、親子が殺し合うのは目に見えてます。

非常につまらない話であるが、これを教科書に載せる人間の心が一番つまらない。

蒼天在眼

2018-07-24 23:24:06 | 文学


暑いので、本を読んでいてもくだらない妄想しか浮かんでこない……

苦学寒夜紅涙潤襟
除目後朝蒼天在眼


『今昔物語集』で、紫式部の父親である藤原為時は、出世が滞っているときに、その怨み節を上の漢詩にして朝廷に訴えた。すると道長が感激して身内の人事を覆し、福井の長官の職を為時に与えてしまったのである。

人々はこの顛末に感動したというが、わたくしは上の漢詩がたいしたものとは思えないのである。むしろ非常に嘘っぽい下品な作品に見える。思うに、道長としては、こういう「一生懸命ないまいちなやつ」なら脅威を覚えずにすむし、「ツカエル」と思ったのではなかろうか。

今も昔もこういう上司と部下は上の方にごんにょごにょと生息しているであろう。そして、汚い父親世代の作り上げた安定した秩序の中で、文芸的天才が生まれ、その欺瞞的世界を暴き出すのである。

いづれの御時にか、女御、更衣あまた候ひ給ひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて 時めき給ふありけり。

天才は、父親達の多くの出世を、身分の低い女御のときめき給うたったそれだけのことで無意味に突き落とすのである。

日本灼熱沈没

2018-07-23 23:19:46 | 文学


「この作品は完全なるフィクションであり、いかなる実在の人物、事件もモデルにしていない」

ではすまないのであった。

中上健次が昔、『解体される場所』という討論会で、吉本隆明が「あちらの安いモンが入ってきたら日本の農家はやる。[…]日本の農家の方がカルフォルニア米よりも旨いのをつくる」というので、「オレンジとミカンだったらミカンの方が食いやすい」「オレンジなんてどうやって食うの?」とか言っていたが、わたくしは案外オレンジも旨いと思う。たぶん中上は嘘を言ったのだ。フィクションを守ろうとしたのである。

それにしても、やつらは愛国心が足りなかったなとか思ってしまったのは、この暑さのせいであろう。また、食べ物の話題となると急におかしな夢想的な何かがわたくしの頭に入り込むのも事実である。

江藤淳と野球の笑顔

2018-07-22 23:23:05 | 文学


江藤淳の「大学神話とその現実」なんかを読むと、正論過ぎてぐうの音も出ないかんじである。江藤淳をナショナリストとして担ぎ上げている功利主義者達は頭がワルいのであろう。しかしそれ以上に、吉本隆明に面と向かって的確に限界を指摘し、大学を擁護する彼のようなひとをリベラルの人たちが追い出してしまったのが今考えてみるとあれであった。もっとも、なんだか江藤氏は良いことを行儀よく言い過ぎるところがあったように思われる。この感じは、初期の柄谷行人の文体などに引き継がれているような気がする。

熱中症になりそうだったので、一階に降りてテレビをつけて細君と高松高校と丸亀城西高校の決勝戦をみた。

高松高校の選手は白いね、丸亀は黒いね、丸亀のピッチャーの笑顔がすごいとか言っていたら、丸亀が勝った。

人生からの疎外の善し悪し

2018-07-21 22:47:35 | 文学


  思ふこと 心になかふ身なりせば 秋のわかれを ふかく知らまし
とばかり書かかれたるをも、え見やられず、事よろしきときこそ腰折れかかりたることも思ひつづけけれ、ともかくもいふべきかたもおぼえぬままに、
  かけてこそ 思はざりしか この世にて しばしも君に わかるべしとは
いとど人めも見えず、さびしく心ぼそくうちながめつつ、いづこばかりと、明け暮れ思ひやる。


もうけっこう歳なので、娘とは最後になるかも知れない。で、涙を流しながら出て行ってしまった。のこされていたのは、「思ふこと」の歌である。自分の思い通りのことを実現出来る身であったなら、秋の別れさえも深く味わうことができるのだが、と。確かに、源氏物語や伊勢物語だと、悲しい別れでも逆に主人公たちの詩の才能は燃えあがる。危機に臨んでものがよく見えるのは、普段から自由がある連中だけだ、と父親は言いたいのであろうか。娘も、普段なら「腰折れ歌」(五七五で内容が途切れる歌)でも何でも出てくるのに、まったく何も出てこない。やっと出てきた歌が「かけてこそ」の歌である。まるで説明文だ……。

この作品、結構な不幸が続いているのだが、考えてみると、火事とか猫の焼死とか死別とか、外部からやってくる不幸であって、まだまだ孝標の娘自身から出てくる不幸というものがほとんどない。その意味で、源氏物語の世界を夢みる少女であるが、自分は人生の物語からもまだ疎外されている状態である。

これからが大変なのだ。

今日、すごく久しぶりに、ベルクのピアノソナタを弾いてみたが、この作品は作品番号1なのだ。すでに貫禄ある作品で、素晴らしい響きである。よちよちとした動きしかできなくなっているわたくしの指からでも、ヴォツェックやルルの響きがしている。

梶井基次郎の作品に感じられる響きである。考えてみると、この時代の芸術家たちは、後のふつうの人々の不幸が大きかったために、人生から逆に疎外されている感さえあるのではなかろうか。梅崎春生や埴谷雄高はそういう風潮に抵抗したかったのではなかろうか。

七月初、坊津にいた。往昔、遣唐使が船出をしたところである。その小さな美しい港を見下す峠で、基地隊の基地通信に当っていた。私は、暗号員であった。毎日、崖を滑り降りて魚釣りに行ったり、山に楊梅を取りに行ったり、朝夕峠を通る坊津郵便局の女事務員と仲良くなったり、よそめにはのんびりと日を過した。電報は少なかった。日に一通か二通。無い時もあった。此のような生活をしながらも、目に見えぬ何物かが次第に輪を狭めて身体を緊めつけて来るのを、私は痛いほど感じ始めた。歯ぎしりするような気持で、私は連日遊び呆けた。月に一度は必ず、米軍の飛行機が鋭い音を響かせながら、峠の上を翔った。ふり仰ぐと、初夏の光を吸った翼のいろが、ナイフのように不気味に光った。
 或る朝、一通の電報が来た。


――梅崎春生「桜島」


この調子が、兵士たちの共通感覚に侵略されてしまうのがこの小説のような気がする。梅崎は、だから晩年に再度、桜島に回帰してこなければならないのだ。

みーたん!みーたん!

2018-07-21 18:58:08 | ニュース


御嶽海(あだ名はウィキペディアによると「みーたん」らしい。猫かっ)がするっと優勝した。すばらしいっ

御嶽海とわたくしは出身高校がおんなじで、しかも一面識もない。一〇年以上前だと思うが、帰省したときに、最近上松出身でめちゃくちゃ強いやつがいるらしいぞ、と噂に聞いていた。大道君という……。それが今の御嶽海であった。中学もわたくしと一緒らしいが、一面識もない。しかし、彼が稽古した土俵で同級生に負けたことはある。

わたくしの同級生にも相撲で強いやつがいて、仲がよかったから、相撲が身近に感じられることだけは確かである。しかも体型がお相撲さんみたいといわれたこともかなりある。文学的には、木曽出身相撲取り御嶽海、木曽出身相撲体型渡邊史郎、ほぼ同一物とみてよいだろう。

自分の取り組みの録画は勝ったときにだけみる方針らしく、「仮面ライダー、ウルトラマンを見るのと一緒。勝つから見る。自分が格好いい取組を見たいから」https://www.asahi.com/articles/ASL7N4174L7NUTQP00X.htmlと言っている。えっ!?

そういえば、以前、テレビに出てたときにも、いかにも現代っ子みたいな発言でちょっといい感じであった。「憎たらしくなく面白い朝青龍」みたいになることをわたくしは期待している。

がんばれ白鵬

付記)ところで、御嶽海は長野県出身で初の優勝らしいのだが、江戸時代までさかのぼると、伝説の「雷電」が長野県出身らしいのである。この人はほとんど負けたことのないひとで、ウィキペディアには、彼に勝った力士一覧表が載っていた。ちなみに私も白鵬に夢の中で勝ったことがある。――理科のテストで。




熱は熱をもって制す2018

2018-07-21 14:44:19 | 音楽
灼熱日本列島であり、もう2020年なんかたぶん大惨事にナルト思うので、どうでもいい感じがしてきましたが、37度の室内ではやはり一九四〇年代のフルトヴェングラーを聴くに限ります。











無理をせずに、のんびり過ごしましょう……嫌いなことを好きなふりして無理することないぜ日本人

渋谷系の頃

2018-07-20 23:39:58 | 音楽


川崎大助の『日本のロック名盤ベスト100』を瞥見したら、案外、わたくしもロックを聴いていたことが判明したが、――イカ天ブームに何か嫌悪しか感じなかったのに対し、いわゆる渋谷系に案外青春を感じたような気がしていたのは、考えてみたら単純な理由であった。

大学生だったのである……

川崎氏によれば、冷戦終結が関係あるということになるであろうが、大学生にとってはあまり社会は関係ない。あるいは、大学というところはだから良いんだとは思うけれども……