心の花束

つれづれなるままに心の中に花束を持ちたい

小次郎と武蔵

2009-04-29 | 日記
小次郎と武蔵の銅像を以前どこかで見たような気がして、その所在を確かめたいと思い、

休職中の友人を誘い巌流島へ行くことにした。

しかし、私は巌流島がどの辺りにあるのかさえも知らず、見当をつけて出かけた。

まず、門司港へ行き巌流島行きの船を調べたら1日4便、出たばかりである。

仕方なくひとまず唐戸へ渡り、そこから行くことに。

案内嬢は「巌流島では短い時間で十分ですからこの市場でゆっくり食事でもされてから行

かれたらどうですか」と勧められたが、「大丈夫です」と船に乗り込んだ。

往復1000円の船代。門司港から唐戸までは390円。



小次郎の素性は殆ど資料が残されていなくて、謎の部分が多いが、小説などによると中々

の美男子で特に燕返し(虎切り)で有名だ。

小次郎は剣技に長け、細川藩に仕えていて、藩政を揺るがすほどの力を持っていたという

そこで、小次郎や弟子たちに反感を抱く者たちによる暗殺が企てられたのだとか。

ただ暗殺するということは出来ないので、丁度門司に来ていた武蔵との決闘を計画した。

武蔵が乗ってきたという舟の傍に銅像が建っている。

武蔵は純粋に武者の決闘に臨んだようだが、小次郎が気絶したのを確かめて引き上げた後

小次郎が撲殺されたのを目撃して、小次郎暗殺の陰謀に利用されたのに気づいたようだ。

手向山に碑を建てた養子伊織にも決闘の話は詳しく話していないらしい。

武者としての誇りがあったのかも。

巌流島の平日は観光客も少なくて貸し切り状態。

持参した弁当を広げ波の音を聞きながらしばしのお昼寝。


またしても以前見たような銅像は一体何処だったかしらと頭をよぎる。
(松林の山を上りきった所、銅像を見たが夕刻だったのでそれより先に進めなかった記憶)

 2時まで遊び帰路門司港まで乗り、もしかしたら和布刈公園かもと上がってみる。

和布刈公園は、小次郎の碑はあるけれど銅像らしきものはない。

眼下に広がる風景を眺めて、それじゃ手向山かな?

ここにも碑はあるけど銅像はない。

巌流島の銅像が設置されたのは、平成15年とあるのだから何処からか移されたのかも。

それとも私の勘違いで夢の中のことだったのだろう。

そう思うことで諦めがついた。

決闘の時間は8時とか10時とか言われているが、私たちが着いたのが10時30分。

決闘の日は4月13日

日時も時間もそんなに大差はないと思い小次郎の目線を辿ってみた。

眩しくて見えないほどでも無かったのではないかと逆光の写真を撮って感じた。

小次郎の握っている太刀の手が虎切りといわれる握り方なのかなと真似をしてみる。

友人が、変人だといって大声で笑った。

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癒しの海

2009-04-21 | 日記
なんじゃもんじゃ


毎年の行事の一つのようにこの時期になると「なんじゃもんじゃ」が気になり、
足が自然と芦屋の岡湊神社へと向かう。

境内はいつも綺麗に掃き清められ神社の風格を保っている。
クリスチャンの私は、人が造ったものに心を奪われたりしないが、
これらを祀り管理している人たちに対しては敬意を払っている。
宗教は自由な国だし、特に日本人は様々な神さまを祀っている。
それは、日本人特有の物に対する感謝の表れだろう。
見えないものに対する畏怖かも知れない。


グループホームで働く友人が、入所の方に気遣われ急遽仕事が休みになったと言う。
早出・遅出・夜勤・常勤と繰り返している友人にとって体の調子が可笑しくなるのも仕方ない事かもしれない。
仕事の量も半端じゃないようだ。
そんな友人が入所の人に気遣われるほど疲れきっていたのかとひどく落ち込んでいた。

家で休んでいても気持ちがおさまらないし、
寝ていると同居の母親に心配をかけるからというので、芦屋の海を見にいくことにした。


少し前までは大勢の人で賑あったであろう城山に登ると、満開を迎えた八重桜が嬉しげに受け入れてくれた。
こんなに綺麗に咲いても誰も見向いてくれないよ言っているみたい。
桜の下で海を眺めながら、「私たちの世代って仕事には手が抜けないよね」って友人がポツリと言った。
何事にも一生懸命だし、時間外労働でも要求出来ない・・・。

でも、自分自身に対しては「後悔しない」生きた証しとして納得している。
私の周りにいる友人たちはみんなそんな生き方をしている。
心が沈んだ時、悩める時芦屋の海は何時も元気をもたらしてくれる。

大海原を眺めていると気持ちが落ち着くから不思議だ。
気の利いた慰めの言葉など持ち合わせない私にとって、友人を癒してくれる
芦屋の海は最高の場所だ。
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男魂岩・女岩

2009-04-17 | 日記
男魂岩と女岩を結ぶ巨大なしめ縄があると2・3年前に聞いていたので
1度見てみたいものだと思っていたが、チャンス恵まれずそのままになっていた。
ところが、先日友人から「英彦山に行こう」と連絡があった。まか不思議な事。
二つ返事でオーケイし、「行きたい所があるから私が運転するよ」と同行する事になった。
英彦山中宮に上る手前から右折して細い道を進むと男魂岩展望台という所がある。

うあ~~スゴイ・・「そそり立っているね」と言うと友人が「なんて猥褻な言い草なの」と笑った。
彼女はずっと独身。言った私も何か気恥ずかしい思いにかられる。
ちっとも意識してなかったのに・・・。(そんな恥ずかしがる年齢はとっくに過ぎている)
その姿を見上げ、目を下に落とすと・・まあご丁寧に↓


お弁当を広げ二人だけの宴会。
大声で笑ってみる。ワハハ・・・ワハハ・・
彼女もつられてワハハ・・わはは・・・
まあナント気持ちの良いこと。
二人の笑い声に一瞬小鳥のさえずりも止んだような。

天気予報では雨・・。だけど2人のいる場所は何時も晴れ。
優しい風が新緑の匂いを運び、渓流の清らかな音に小鳥のさえずり・・
木々たちの新しい芽吹きが「もういいかい」と辺りを窺うような伸びを見せている。

そっと呟いてやる「もういいよ」
いつも車に積んでいるペットボトルに水を汲み、お腹も満腹になり、ゆつくりと散策する事にした。
男魂岩から見る女岩


女岩から見る男魂岩


それを結ぶしめ縄は渓流を挟んで愛しげだ。


しめ縄とは一体どんなものかと気になって調べてみた。
こんな風に書いてある。

  ◎ 平凡社 世界大百科事典『しめなわ』
神域など神聖な場所を限って不浄悪穢の侵入を防ぐ縄。標縄、七五三縄とも書く。
記紀では〈尻久米縄しりくめなわ〉〈端出之縄しりくへなわ〉と書かれている。

《万葉集》の歌にも、一定の区域を占有・隔離する意味でシメという言葉が
すでに用いられており、〈標〉のほかに〈印〉〈縄〉などの文字が当てられている。

シメは占め〈占有〉の印であり、印之あることによって占有の状態を示したものである。
神域に張られたしめ縄は、いわば神の〈結界占地〉を標示するものとなっている。
民俗のレベルにおいても新年に村境や門口に張ったり、神社や神木
、磐座などに張るなどしめ縄の登場することは多いが、いずれの場合も、
なんらかの意味で内と外を区別するものである。
ふつう内側は浄域、外側は不浄域あるいは俗域と考えられている。
朝鮮のクムジュル〈禁縄きんじょう〉をはじめ
東南アジア一帯にもしめ縄に類する境界標示装置が見られる。
→→ 結界 (垂水 稔)


平日とあって人の姿は少ない。
帰路につき、石楠花を見たりこんにゃくやさんと談笑したり、道の駅では店員さん達からの優しい心遣い。
これも平日ならではのひと時なんだろう。紅葉の季節やお祭り時にはこんな風にはとても・・・

願いごとがまた一つ叶った。
幸せな一日に感謝。





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初めての味

2009-04-13 | 日記
ヤーコンって聞いたことはあるようなないような。


「年金も貰えないくせして仕事を辞めてしまって」と友人が心配して、

自分で作った野菜を持ってきてくれた。
その中にヤーコンというのがあった。

初めて見た。料理法も知らない。

「アフリカでできると言う芋の事かな」と思っていたら、

これはサラダにしても良いし、キンピラにしても美味しいとか。

サラダなら生で食べれるのだと思い、味見をしてみる。

驚き!!

20世紀梨と同じような味がする。甘い。

友人が言うには、これにはビタミンが豊富でオリゴ糖が一杯だって。

えへっ・・・ これは美容食として最高だ。

4本も戴いたから今日はキンピラに



ヤーコンとはネットで調べてみました。
ここに詳しくありました。

これにはビックリ    大事に食べようっと。


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バイキング「ラピュタ」

2009-04-10 | 日記
果樹園の中のランチバイキング
『ラピュタ』という店に友人が案内してくれた。
友人からは、「朝食をごくごく軽くしておくのよ」との通告あり。
友人宅から私の家までは車で40分ほどの距離がある。
お互いの家から40分ほど走らせる場所で待ち合わせをした。
丁度、三角形を描く形である。

待ち合わせ場所に一台の車を残して、友人案内で出かけた。
受付は11時30分。
少し渋滞もあり、その時間には間に合わなかったがお腹も程よく空いて
十二分に食べれるぞと意気込んでその時を待った。
受付から40分ほどの待ち時間で整理券が22番。
平日だからこれくらいの待ちで済んだと友人は得意げに言う。
土日はとてもそうはいかないようだ。

待っている間、「『ラピュタ』つて何処か聞いたような気がするな・・・。
もしかしたら宮崎駿さんの「天空の城ラピュタかな」って言ったら友人は笑った。
でも、私は雰囲気からして、きっとあのラピュタに違いないだろうと思った。

この店は田川郡川崎町という所にあって随分と山奥にある。
途中、道案内の看板が出ていたが、油断すると見落としそうな小さいものだった。
それにしても口コミというものはたいしたものだと思う。

案内されて席につくと椅子の下に駕籠が置いてある。
バッグや持ち物を入れるような心配りだ。
ウェイトレスの笑顔が雰囲気を優しく包んでいる。
「慌てなくても大丈夫ですよ」と言ってくれているような動作が気持ちを和ませる。

早速、30センチぐらいの洋皿に料理を取り分けて回る。
バイキングのメニューは50種類もあり、一口ずつにしても皿には載らない。
殆どの料理に野菜が使われており、すぐにお腹がすくからと高をくくって
3回ほど席を立ち珍しい物から手を付けていったが、とてもとても・・・。
それでも懐かしい味の物があり、何かと尋ねれば「おこげのあんかけ」とか。
これは見逃せない。
ちょっぴりおしゃれの服を着ていったが、人に見られないように
こっそり脇のファスナーをずらすはめになってしまった。

こんな山の中に、しかも道幅は狭く、いちご農園やぶどうの果樹園の中に『ラピュタ』
という名の店が繁盛するにはそれなりの訳があるのかもしれない。
殆ど女性客で占めているが家族連れも結構多くいて、
平日でも時間の余裕のある人が大勢いることに、これまで働き詰めの私にとっては驚きであった。

ランチの値段は1480円
手作りのパン・ジャム・野菜なども販売されていた。
しかし、ランチルームを出て、展示されている店内を見渡すと何もかも売り切れ状態。
きっと限定された分量なんだろう。
となると人の心理状態を研究した人が経営者かなと思ってしまう。

春の日の穏やかな一日・・・。世界を一つ広げてくれた友人に感謝。





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匂い水仙

2009-04-07 | 日記

散桜 残る桜も 散る桜とは良寛和尚の辞世の句と言われていますが
今日の桜  桜吹雪といった感じでその花の下を通るとしあわせいっぱい。
三分咲きでも満開でも散る桜も・・桜ってオーラがあるみたい。

桜にもほのかな香りが漂っていると思うけれど、我が家に咲いた匂い水仙。

昨年、友人から球根を鉢植えしたものを戴いた。

忙しさにかまけて放置していた。

友人からは綺麗に咲いたよってメールが届いたのはもう随分前の事。

慌てて  まだかな まだかな・・・。

愛情不足かな?ってちょっと心配した。

咲きました。  ふーーん いい香りです。

愛情不足でも栄養不足でも綺麗に咲いてくれた。

また来年も咲いて欲しいな。今度は愛情を一杯かけてあげるから。

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神様の手の中に

2009-04-05 | 教会

教会では毎月の第1聖日に聖餐式があります。
今日はとても不思議な体験をしました。

今日の説教の題は「十字架への道」というものでしたが、来週がイースターです。
イースターとはイエが十字架にかけられ復活されたことを言います。
牧師がレンブラントの聖画をコピーして下さいました。
銅版に彫り込められたものだそうです。

私には絵を鑑賞する才能もありません。
牧師の説明によると画家というのは絵の中に自分の姿を何処かに表現して
メッセージを込めるとのこと。
そのようにして眺めた事がなかったので少し驚きでした。

そんな話を聞いた後での聖餐式。
パンが配られます。イエスが私たちの為に身体を裂いて下さった命のパンです。
目を閉じ配餐を待っていると身体が浮いた感じがするんです。

そっと誰かに抱えられているような・・・。全く不思議な感じでした。
そしてまたぶどう酒が配餐されます。
牧師が「これは私たちの為に流された血潮です。感謝をもって・・・」とまたもやふわっとした感じ。

こんなことありえません。これは私が感じただけです。

神さまは常に両手を広げて招いて下さる

十字架を見つめる時そのように私には見えます。

神さまが常に共にいて歩んでいてくださる事を信じています。

この教会は1952年に丘の上に建てられました。


今日から息子はアメリカ出張だと言っていた。
神さまには何時も願い事ばかり・・。

神さま子供たちがその場所において十分な働きが出来ますように
神さま世界の人たちが平和でありますように
神さま政治を司る人たちが誠実でありますように
神さま病にある人を癒してください
神さま苦しみ悩みを抱える人に慰めがありますように

ああ  いつも神さまには願い事ばかりです。
今日の一日に感謝です。
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最も嬉しい日に

2009-04-02 | 日記
ノーテンキすぎるかな
24年間の仕事の締めくくりの日3月31日
 春風がそよぎ暖かく花は満開
この日の為に用意されたかのように捉えてしまう。

取るに足りない私を支え見守ってくださった神様にまず感謝。
そして、照る日、雨の日、雪の日、台風の日さえ足を運んでくださった多くのお客様に感謝。
私からお礼を差し上げたかったのに沢山の贈り物が届いた。
冬は冷房、夏は暖房(-.-)
ここで働けてよかったと思う。多くの事を学ばせていただきました。


新しい旅立ちの1日目
ハローワーク~年金の手続き~両親の仏前への報告と入院中の兄嫁の見舞い
役所と公民館そして郵便局と駆け回り夕食は子供たちと食事。

仕事を辞めた事で子供たちのホッとした表情。心配してくれてたんだ。

これからはきっと子孝行するよ。元気にノーテンキで過ごしていくから。

大声で叫びたい
「ありがとう」って。みんなみんな「ありがとう」って。



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